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彼女の話。 2

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 突然だが、この世界には男女の他に、三つの性別があることを知っているだろうか。
 一つは『α』と言う性別。
 難しい日本語を使うと、『陽(ひなた)』と呼ばれる性。
 これは要くんのような人間が当てはまり、簡単に言うと、頭が良くて何でも出来る人。
 社会的地位が高く、大抵高い役職に就く人はこの性であることが多い。
 そして、二つ目に、『Ω』と言う性。
 難しい日本語で、『陰(こかげ)』と呼ばれる性。
 この性は、要くんのような『α』の性と結ばれる運命を持った性であり、『α』と結ばれると、普通より『Ω』の子が生まれる確率が格段に高く、しかも、男女共に孕める体になっている。
 二ヶ月~三ヶ月の間に、発情期と呼ばれるものがあり、運命となる『α』を探し出し、孕ませてもらう為のメカニズムとしてあるらしい。
 だが、結果としてそのメカニズムのせいで、重要な仕事に就けず、Ωは地位が低かった。
 しかし、最近ではαを生む確率が格段に高いのと、美しい容姿を利用して、モデルなどの仕事で大活躍しているため、その地位はかなり回復傾向にある。
 そして、『α』の性を持つ人間は、Ωの発情期に誘発されて、『ラット』と呼ばれる『発情期』が存在するらしく、運命の『Ω』相手だと、一瞬で理性が吹き飛ぶの性質なのだとか。
 一言で言えばお互い、離れられない存在。
 それが『α』と『Ω』、『陽』と『陰』だ。
 そして、三つ目は、私や大半の人の性でもある『β』。
 難しい日本語で、『平(ひょう)』。
 βは特になんてこともない性。
 発情期もなければ、男女共に孕める訳でも無く、大半の人が普通の能力を持って生きてる。
 私もそうだ。
 何も無いβである。
 要くんの隣にいるべきは、大抵の人が『Ω』だと感じているであろう中、私は要くんの隣にいる。
 除け者的存在の自分に、要くんは果たして、何を思って付き合いたいという選択をしたのだろう。
 未だそれがよく分からないまま、私は要くんの傍にいる。
 要くんとは、最初、近所の子供同士という関係だった。
 何も知らなかった私は、大きな屋敷に住んでいる彼と気軽に遊ぶことに、何の疑問も抱かなかったと思う。
 始まりは、彼が屋敷の中庭で、鞠を跳ねさせて遊んでいたところからだった。
 リンリンと鈴の鳴る鞠で遊んでいた彼に、当時、私は彼の居る中庭に迷い込んだ子供の一人だった。
 彼と迷い込んだ拍子に、仲良くなるきっかけを作った事で、私は徐々に、要くんから並々ならぬ執着を抱かれていた。
 気付いた時には、愛音ちゃん、愛音ちゃん、と下の名前を、低く良い声で呼ばれることとなっていたし、子供騙しのキスや、感情を表すように、強くハグをされることもあった。
 一番決定的だったのは、中学生の頃、家に帰ろうとした時、ガブリとなんの前触れもなく要くんに項を噛まれたことがあった。
 どうして噛むの?と聞いた所、「番になりたい」とそう言われた。
 けれど、私はβなので、噛んでも番にはなれないよ、と言ったところ、

 「君は『陰』じゃないの?」

 と、キョトンとした顔で言われた。

 「残念ながらね、私は『β』だよ。」

 「……。」

 自分がβである事を伝えると、要くんはキュッと口を引き結ぶ。
 口の端には、私の血が着いて滲んでいた。
 鋭く尖った、α特有の犬歯にも、血が着いていた。

 「そう、残念だよ。」

 要くんは口元に着いた血を拭うと、元の胡散臭そうな感じに戻ってそう言った。
 そこから、要くんは私を番に出来ないと分かると、常に傍に着いているようになった。
 まるで、何かから見張っているかのように。
 この高校に来たのも、そういうことなんだろうか。
 私はどうも、要くんの行動が腑に落ちない。
 要くんは、私に恋愛感情を抱いている。
 でも、要くんには行く行くは結婚すべき家の婚約者がいるじゃないかと、薄々私はそう思っていた。
 実際、その勘は当たっていて、私は彼の婚約者らしき、Ωの子達を何人か見てきた。
 もしかすると、要くんの弟くんの愛人とか、恋人とか、そういうのも有り得たけれど、可能性的には、要くんのである可能性が高い。
 要くんの家には、一人、繰(くる)くんと言う弟がいたはずだが、跡継ぎは長男である要くんだ。
 Ωの子を娶って、いずれは、αを生み育てていかなければならない。
 その過程で、政略結婚で、愛情がなくても、愛人を作れば、間接的には跡継ぎ問題は解決する。
 要くんや、繰くんが手を動かせば、綺麗なΩなんて腐るほど釣れるだろう。
 あまり一時の気の迷いで、私を弄ぶのは止めて欲しい。
 要くんは分かっているはずだ、いつか私から離れてしまう時が必ずやって来ると。
 そうなった時、優先すべきはやはり家の事だろう。
 彼の家は、社交界を引率するようなタイプの名家でもある。
 ダメなのだ、私と引っ付いてはいけない。
 おとぎ話や、恋愛漫画の世界ならいざ知らず、ここは現実である。
 例え、要くんがどれだけ私を好きであろうと、『変わらないものは変わらない』のだ。

 「愛音ちゃん、何か考え事かい?」

 ふと、要くんに意識を連れ戻され、私は彼を見る。
 彼の手には、今しがた透明な液体が入っていた注射器が握られていて、その液体は私の中に注入された所である。
 液体の中身は、Ω用の発情誘発剤。
 Ωにもαにも、体がきちんと作動していなければ何かしら異変は起きる。
 例えば、Ωの発情が来て、フェロモンが出されている状態なのに、全く嗅覚が感知しないα。
 これは実は、嗅覚に異変が起こっている証拠であり、早急にどうにかしないと、嗅覚を失う前兆となっている場合もあるのだ。
 Ωにも似たようなことがあり、Ωにとって、発情期は女性の月経と同じ。
 来なければ人体に影響を及ぼしているのと同意義で、最悪、何かしらの病気が見つかる可能性もある。
 私に打たれたΩ専用の発情誘発剤は、そんな不調なΩに投与して使うものである。
 しかし、彼は一貫して、ずっとその薬を私に打ち続けている。
 なぜかと言えば、彼は私の性別を、Ωに変えたいのだ。
 理由はもちろん、私と番いたいから。
 Ωの誘発剤は、ΩのDNAを元に作られたその薬であり、正しく使わないと、別の性別にも影響を及ぼす。
 難しい話になるし、私自身もあんまり理解出来ていないのだが、簡単に言うと、別の性別を持つ人間が、誘発剤を長期的に打ち続けると、ΩのDNAが、別の性別と結びついて、Ωになってしまう可能性があるのである。
 実際にその事例はあり、ネズミの実験や、違法に入手された薬に手を出したβやαが、Ωに転換したなんて事例もある。
 α専用の誘発剤に関してもそうだが、別の性別の人間がラット誘発剤を注射したり、αでさえ、普通の問題のないαが打つと、凶暴性が増し、物凄い攻撃的になったり、暴れる、暴言を吐く、手当たり次第に自慰行為に及ぶなど、とにかく危険なのだ。
 薬はきちんと正しく使わなければ、作用しないのである。
 私に関しても、そうなのかもしれない。
 これだけ長く打ち続けていれば、もうΩに転換してたっておかしくないのに、私は未だ、性別はβのまま。
 一切合切、変わらないのである。
 先程言った、ΩのDNAが結び付くと言うあの話。
 あれには一つ、要くんも知らない事実がある。
 私が調べて導き出した答えなので、確証は無いけれど、恐らく、これから先、私がΩに転換することはありえない。
 申し訳ないが、これは神様に頼んでも、奇跡が起きない限り、無理なことなのだ。
 それを知らない要くんは、針を刺し、血が出ている箇所に丁寧に絆創膏を貼り付ける。
 注入器は、元あった箱の中にしまい、要くん自身も、注入を打つ前と同様、手をもう一度綺麗に消毒して、その行為は終わりを迎えた。
 学校から帰ってきてすぐ、私は要くんに連れられて、要くんの広いお屋敷にお邪魔していた。
 要くんの部屋で行われた、この行為は、屋敷内では暗黙の了解になっている。

 「さて、疲れたろう?、少しお休みよ、愛音ちゃん。」

 「大丈夫だよ、要くん、心配しないで。」

 刺された腕を擦りながら、私はそう呟く。
 これは、意味の無いことだと伝えれば、要くんはどんな反応をするのだろうか。
 友人としての情と、同情の気持ちから、どうにもその事実を伝えられないままでいる。
 感情が重くても、そこまで要くんから番になりたいと思われているのに、期待には答えられない劣等感も混ざり、なおさら。

 「体に不調はあるかい?」

 「頭がちょっと熱いかも。」

 「微熱かな、発情作用があるから、そのせいかもしれないね。」

 額に手を当てられながら、少し待っておくれ。と言われ、要くんは部屋を出ていく。
 数十分ほどして、要くんはお盆に乗せたお茶を持って返ってきた。
 要くんから冷えたお茶を貰い、体を冷ます為にちびちび飲むも、体は徐々に熱くなってくる。

 「……ごめん、要くん。ちょっとしんどいかも。」

 持ってきてもらったお茶を無下にするのも悪いので、それを全て飲み干した後に、私はそう言った。

 「あい分かった、ちょっと待ってね。」

 要くんが立ち上がり、押し入れから自分の布団を取り出す。
 それを丁寧な動作で床に敷き、私の腕を引いて、布団に寝かせる。

 「よしよし、大丈夫、ゆっくりするからね。」

 私の髪を長い指で撫でながら、私に覆いかぶさってくる要くんの顔は、少し紅潮している。
 けれど、私の顔は、薬のせいで要くんよりも赤くなっているだろう。
 別に恥じらいはもうない。
 これが初めてじゃないし、薬を打たれる度に何回もこういうことがあった。
 ダメだよ、と言いはしたが、要くんにそんな忠告が伝わる訳もなく、儚く私の処女は散っていった。
 Ωの発情誘発剤は、βには媚薬としての効果もある。
 逆を言えば、転換はせずに、時間が経てば治るようなもの。
 一時的に発情状態にするだけで、Ωにはならない。

 「可愛いね、愛音ちゃん。」

 よしよし、よしよしと愛しいものを可愛がるように、彼は私に愛情を注ぐ。
 いつかお嫁さんを娶った時の練習として、夜伽の為の女や男を相手にしてきている彼は、初めてという訳でもない。

 「要くん…、ねえ、もう止めようよ」

 服をゆっくり、焦らすように脱がされながら、私は要くんの手に、いつものように静止をかける。
 こんなことしたって何の意味もないよ、とそれとなく、性別は転換しないことを私は伝えてはいるのだが、要くんは私を優しく否定する。

 「怖いのかい?、痛くしないよう努力はしているつもりだけれど…そうだね、君は今まで僕としてきて、一度も気を遣ったことがなかった。」

 もしかして、まだ痛い?と聞かれ、私は首を横に振る。
 痛くもないし、むしろ、酷く気持ちが良いくらいだ。
 けれど、毎度毎度、私は要くんとの行為に集中出来ない。
 決定的なのは、脳内にいるひねくれた自分の存在。
 どうせ、自分はβで、Ωには転換出来ないのが確定してしまっている。
 彼はいつか、運命の番を見つければ、自分の元から去っていくだろう。
 そんな中で、どうしてこんな生産性のない行いを自分がしなければならないのか、彼ほどの人間になれば、いくらでも相手をしてくれる人間がいるだろうに。
 そこまでして、私を惨めたらしく、辱めたいのか。
 そんな自分が存在して、要くんに対して、申し訳ないという気持ちと、要くんが私のことを好いているからこそ、期待に応えられない自分が責任転嫁しているのだと、まざまざ自覚する。
 だから、どうにも行為に集中出来なくて、その内薬が切れて、彼だけが達して終わる。
 多分、体の相性は悪くない、良い方だ。
 要くんは気持ち良さそうだし、穴が緩かったら…?、下手くそだったら…?とか考えなくて済むので、それだけは良かったと言える。

 「愛音ちゃんは、僕としている時、何か別のことを考えているね。」

 「ちょっとね……っ、どうしても、考えちゃうから」

 「どうしてそんなに、僕と君の関係について悩む必要があるの?」

 「……どうしてだろうね。」

 要くん、私は性転換出来ないよ。
 どこまで行っても、βだよ。
 要くんは怖いんだろうね。
 いつか運命の番とかいう、どこの誰とも知れぬΩの人間に、自分の理性を奪われて、そのΩと番ってしまうのが。
 だってそうなったら、私とはもう、事実上は会えなくなる。
 理性がある時は、ずっと私を裏切った、忘れたくないと言う思いがあるのに、頭の中にある、特定のΩが欲しいと言う感情が邪魔をして、苦しい思いをするんだろう。
 本能に負ければ、それは動物と一緒。
 獣と同じ。
 人間は獣であり、動物である。
 ただそこに理性が混じっただけで、こんなにも苦しい思いをするのだから、馬鹿げた習性であると思うか、理性があるからこそ、より幸福や、喜びを感じることが出来ると捉えるか。
 どちらにせよ、事実は変わらない。

 「愛音ちゃん、心配ないよ。僕は愛音ちゃんしか愛するつもりは無いし、君が望むなら、いくらでも願いを叶えてあげる。」

 安心させるように、するりと要くんに頬を撫でられた。

 「そうだね、要くんは要くんだもんね。」

 私はそう言って、彼の手に顔を擦り付ける。
 いつか来る終わりの未来、果ては、どうなるのだろうか。
 私は結局、彼に捨てられて、惨めに一人、彼の思いを背負って生きていくのだろうか?
 ………。
 暗闇の中、考えていても分からないものは分からない。
 結局、その日も薬の効果が切れるまで、私は行為に集中出来ることなく、事は終わった。
 帰り際、また明日ね。と、手を振られ、私は彼の用意した送迎車に乗って、家に戻った。
 家は一人だ。
 βの父が不倫をして、Ωの男と家を出て行ってから、母が仕事をして私を育てている。
 Ωに対する怒りはない。
 けれど、父親は子供より肉欲を優先し、結局出て行ってしまった。
 つまり、自分は育てる価値のない子供だと思われたということ。
 要くんのように優秀であれば、打算的な思考ありきでも、思いとどまってくれたんだろうかと、考えたりもする。
 やはり答えは出ない。
 父親は私と会うことを望んではいないようだし、どこまで行っても、父親ではなく、男として生きることを選びたかったのだろう。
 一人、家で自炊をして、ご飯を食べた後、風呂に入って、惰眠を貪った。
 要くんとの行為で疲れていたこともあり、直ぐにすんなり眠ることが出来た。
 その日は夢を見た。
 要くんの隣には、綺麗なΩらしい人間が居た。
 恐らく、かなり中性的な男性だと思われる。
 髪は黒くて、柔らかそうで、綺麗にまとまっている。
 華奢な感じの目立つΩで、庇護欲のそそる、その立ち振る舞い。
 その儚げな姿と来たら、要くんとお似合いと言う単語以外見つからなかった。
 朝、目覚めて、自分の口から自然にため息が漏れる。
 自分の空想の中で、要くんと別の人間が結婚する夢を見て、思い悩む辺り、自分も結構、要くんを大事に思ってしまっているんだろう。
 いつもより学校に行く時間早め、要くんと出会わないようにした。
 要くんとは、送迎車でいつも一緒に学校に向かうけれど、今日は先に出発して、後から彼に連絡を入れた。
 要くんはすぐ追い付いて、私が靴を履き替える昇降口で靴を履き替えている所で合流した。

 「おはよう、愛音ちゃん。」

 声をかけられて、私は少し気まずく目を逸らしながら、「おはよう、要くん」と、そう言い返した。

 「先に行っちゃうなんて、思わなくてね。もしかして、昨日のことを怒ってる?ごめんね、もう少し頑張れるよう努力するから、許してくれないかい?」

 「ああ、いや、違うの、そうじゃないんだ。ちょっと悪い夢を見たから、怖くなって。」

 早く出ちゃおうと思って。とそう歯切れ悪く伝えると、

 「それは可哀想に、良ければ僕の家に泊まるかい?傍に居てあげられるからね、怖い夢を見るのは、眠りが浅い証拠だ。」

 少し目元にクマが出来てる。と、要くんは私の目元を指でなぞった。
 大丈夫だよ。と要くんと教室に向かうと、この日、転校生が来ることが黒板に書いてあった。
 少し嫌な予感がした。
 そして、その嫌な予感は、見事的中する。
 HRで明らかになった転校生は、偉く美青年なΩだった。
 髪は黒くて柔らかく、ふんわりとしているが、まとまっていて、ビスクドールのように美しい顔立ち。
 唇は桃色で、艶々としていて、思わず吸い付きたくなるような感じのする綺麗な形。
 少し俯き加減の、綺麗な切れ長の目は、要くんの方に気付くと、明らかにそちらを向いて、顔は少し赤く染っている。
 どうにもため息をつきたくなった。
 予知夢を見たのだろうか。
 姿かたちが、夢に出てきた青年とそっくりで、悪夢を作った元凶が同じクラスともなると、これから先が憂鬱になる。
 しかし、Ωの彼が悪い訳じゃないのに、責任転嫁をする訳にはいかない。
 受け入れて、普通のクラスメイトとして接することが正しい判断なのだろう。
 仕方がない、諦めるしかない、それがβの限界であり、上手く受け流すには開き直るしかない。
 努力は実を結ぶが、結果に繋がるとは限らない。
 負け戦の時点で、努力を最初からするつもりのない、私の堕落論、のようなものである。
 どこかの誰かが聞いたら、「随分な戯言だな。」と言いそうなものだ。
 要くんの隣の席に、Ωの彼、『美成乃 織芽(みなの おるが)くん』が座ることになり、やっぱ、言うだけ戯言だなと、私は確信した。

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