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37.貴重な経験を娘に
しおりを挟むミンター男爵令嬢が退出すると、周囲の貴族からは称賛の声がかすかに聞こえた。
「確かに今のはミンター男爵令嬢の方がおかしな言い分でしたわね」
「オルコット令嬢? でしたっけ。立ち振る舞いが美しかったわ」
「所作が貴族だろう。それなのに貴族じゃないなんて、見る目がないな」
「お子さんもしっかりされているように見えたわ」
私だけにとどまらず、ルルメリアまで褒めていただけるのは凄く嬉しかった。
「おかーさんカッコよかった!」
「ありがとう、ルル」
「毅然とされていて、誰よりも品のあるお姿だったかと」
「ありがとうございます……オースティン様が挟んでくださったので、どうにかなりました」
正直、私一人の力で追い払えたかと思えばそんなことはない。オースティン様が助けてくださったからこそ、事なきを得たのだ。
私達は貴族の視線を受けながら、会場入りを果たした。
「えんそーかい、いっぱいおんがくきけるんでしょ?」
「そうだよ。楽しみ?」
「うんっ」
先程まで感じていた不機嫌な様子から一転し、ルルメリアは元通りになっていた。不機嫌といっても、原因はあくまでもミンター嬢だろう。
「こちらに座りましょう」
一つの丸いテーブルを三人で並んで座る。私とオースティン様の間に、ルルメリアが座る形となった。
「もうはじまるのかな」
「そうですね。開演時刻は迫っているかと」
ミンター嬢との問答があったからか、着席できたのはギリギリの時間になってしまった。
オースティン様が答えた所で、開演を知らせるように舞台の幕が上がった。
「わぁぁ……!」
初めての経験に、ルルメリアは舞台に釘付けになっていた。私はその様子を見ながら、自分も奏でられる音楽に耳を澄ませるのだった。
演奏会が終了した。
音楽の世界に浸れたことが嬉しく、幸せで、幕が下りても感傷に浸っていた。
「……ルル、どうだった?」
「…………すっごくよかった」
どうやら演奏に引き付けられたようで、まだルルメリアも幕が下りた舞台を見つめていた。
「楽しんでいただけて何よりです。本日分はこれで終了になってしまいますが、また機会があればお誘いさせてください」
「もういっかい、ききたい……!」
「……オースティン様さえよければ。私もご一緒したいです」
貴重な経験であることに代わりはないが、ルルメリアが興味を持ってくれたのなら積極的に音楽は聞かせてあげたい。そして何よりも、もっとオースティン様と一緒にいたいと願ったのが本心だった。
「それでは馬車の方に向かいましょうか」
会場内を見渡せば、他の貴族は続々と退出していた。私達もそれに合わせるように、退出する。オースティン様は再び私をエスコートしてくれた。エスコートを受けた反対の手で、ルルメリアと繋いだ。あとは馬車に乗って帰るだけ、そう思った瞬間だった。
「もしかして……ルルメリアちゃんかい?」
娘の名前を呼ぶ男性の声に、反射的に振り返る。
そこには見知らぬ男性が立っており、警戒心が高まった。ぐっとルルメリアの手を握り締める。
「すみません、どちら様でしょうか」
「あぁ、これは失礼いたしました。私、ノーマンの友人で名をハンスと言います」
「ハンス……」
その名前には聞き覚えがあった。
兄ノーマンが時折友人との出来事を話す時に、挙がっていた名前だ。
「ノーマンの葬儀には行けずに申し訳ありません。あの時、私は他国にいたもので……」
「そうだったんですね。私はノーマンの妹、クロエです」
「あぁ、貴女がクロエさんですか。ノーマンからよく話を聞いていました。自慢の妹だと。彼には非常に世話になりました」
警戒して言葉を返していたが、悪い人ではないように思えた。
話を聞くと、ハンスさんは商会で働いていたようで、兄とは友人であり取引関係もあったそうだ。
「貴族の集まりで、あまりオルコットの名を耳にしなかったので勝手に心配していたのですが……元気そうで安心しました」
「あ……ありがとうございます」
「今日お会いできてよかった。実は、何か困ったことがあればお力になりたいと思っていたんです。……オルコット家が没落したという事情を知っている身として」
その声色は、純粋に心配している様子だった。
「差し出がましいかもしれませんが、実はノーマンから自分に何かあったら娘を頼むと言われていたんです」
「え……?」
「妹はまだ若いから、重荷を背負わせたくないと。その話を聞いた時、私は既に結婚済みで子どももおりましたので。ノーマンは常にクロエさんのことも案じていました」
兄の優しさを聞き、胸が苦しくなる。
確かに、若くして未婚の妹が娘を引き取るよりは堅実的なのかもしれない。
「妹君が引き取られたと聞いて、私の出る幕ではないとわかってはいるのですが、ノーマンの想いもお伝えしておこうかと」
「兄様が……」
今その話をするということは、ハンスさんはまだ引き取る気はあるということだった。気遣いはありがたいが、私としてはルルメリアを育て上げたいと思っている。ただ、ルルメリアの意思も尊重すべきだろう。
沈黙した空気を察して、オースティン様が割って入ってくれた。
「初めまして。オースティン・レヴィアスです。クロエさんとは親しくさせていただいております」
「レヴィアス伯爵様! これは失礼いたしました。私はハンス・ブルームと申します。男爵家を継いだのは最近のことなので、新しい名前に聞こえると思います」
「ブルーム男爵家……」
私は一人、そう呟いた。
そしてルルメリアを見る。
ルルメリア・ブルーム。
それはかつて本人から説明された、ひろいんの名前だった。
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