ハヤトロク

白崎ぼたん

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第二十話 おはよう

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 待ちに待った音楽の授業。
 隼人は意気揚々と教室を飛び出した。ふんふんと鼻歌を歌いながら、辺りを見渡す。黒いライオンのような威風堂々の姿は見えない。もう教室にいってるのかもしれない。
 しばらく歩いていると、後ろからどん、と衝撃がきた。

「痛っ」
「あ~悪ぃ」

 振り返ると、ケンがにやにやと笑い、軽く上げていた右足を直した。蹴られた。そう思ったが、隼人は「いえ」と前に向き直り、歩き出した。
 そこで、また蹴られる。

「なんですか?」
「ハァ? 何もしてねぇけど?」

 今度は凄まれた。
 絶対嘘だ。絶対今、蹴ったぞ。
 それでも再びこらえ、歩き出す。
 教室で。多対一で絡まれることはなくなった、というよりユーヤたちに絡まれることはなくなったが、ケンやマオ、ヒロイさんはこうして影で隼人に攻撃を続けてきた。
 そこでまた、蹴られる。今度は勢いが強くて、隼人は前にてててとたたらを踏んだ。

「あの!」

 流石に腹が立って、隼人はくるりと振り返った。

「何でかまってくるんですか? 一ノ瀬くんはやめたのに!」

 はっきりと言った。言ってやったぞ、隼人は満足し、ケンを見上げた。そしてぎょっと目を見開く。ケンが、ものすごい形相で、隼人をにらみおろしていた。

「何様だよテメェ。なめてんのか?」

 何だ? そんなにまずいことを言ったのか?
 隼人は不安になってきた。ケンはじりじりと隼人に詰め寄り、壁際まで追い込むと、ダン! と隼人の顔の横に肘をついた。

「いいか。ユーヤはカンケーねえ。オレがオメーがムカつくから、やんだよ」

 隼人は動転する。何でだ。一ノ瀬くんのために、怒っていたんじゃないのか?
 ケンの瞳孔はひらいている。口の端からのぞいた犬歯が、獰猛に光っていた。

「オレに決定権があんだよ。わかったかラァ!?」

 風圧に目を閉じる勢いで怒鳴られ、ぽかんとする。
 隼人は咄嗟に頷こうとして、それではっとなる。

 龍堂くん!
 向こうから、龍堂が歩いてくるのが見えた。
 曲を聞いているのだろう、目を伏せていてこちらには気づいていない。
 隼人はそれを見て、理解したあと、自分の置かれている状況を再確認した。このままだと、龍堂が見る。知られる――
 隼人は咄嗟に、ケンを突き飛ばしていた。

「はぁ……!?」

 突き飛ばした、といっても体格のいいケンである。ほんのわずかよろけたに過ぎない。けれど、十分な隙だった。
 隼人はケンの包囲から抜け出し、龍堂のもとへ駆け寄った。

「龍堂くん!」

 龍堂が目を上げた。追いかけてきたケンが、「ハァ?」と怪訝な声を上げる。

「お、おはよう!」

 食い気味の挨拶。けれど、一番言いたいことだった。龍堂とずっと話したかった。
 ケンが、「ハァ?」ともう一度言ったのが聞こえた。
 龍堂は隼人を見る。隼人はどきどきとその目を見つめた。

「ふはっ」


 その時、ケンが鼻で笑った。そして勝利を確信した笑みで、ずかずかと隼人に歩み寄ると、隼人の肩をつかんだ。

「えっ?」
「おい、龍堂困ってんだろぉ? 絡むなよ」

 にこにこと笑って、隼人をぐいっと引き寄せる。隼人は困惑に、ケンを見上げた。ケンの笑顔の奥は、残忍に光っていた。ケンは、龍堂に笑って見せる。

「ごめんなー、龍堂。こいつ距離感バグってるからさ。ほら行くぞ」

 そう言って、隼人を引っ立てていこうとする。抵抗するが、強い力で掴まれて、隼人はずるずると引きずられる。隼人はケンを見上げた。

「ちょっ……な、やめてよ!」
「バーカ。龍堂がお前を助けるわけねーだろぉ? 見る目なさすぎだろ」

 ケンは嘲笑まじりに、隼人に囁く。
 隼人は悔しくて、その場に踏ん張り、ケンをぐいぐいと押しのけようとする。ケンは更に力を込めて、隼人を引きずった。
 何だこの人。意味がわからない。嫌いな人間に、どうしてこんなに構うんだろう。
 隼人は悔しさにまじり、なかば恐怖を覚えた。

「あっ!」

 その時、隼人の体がいきなり軽くなった。反動でよろけた体を、支えられる。腕だ。見上げた先にいたのは。

「龍堂くん」

 龍堂は無言で、向こうを見ていた。そこには、ケンが尻もちをついて倒れ込んでいた。

「なっ、……テメ……」

 ケンの表情が困惑から、怒りに変わろうとする。しかしそれより早く、龍堂は隼人に向き直った。
 斜めにかしいだ体を、すいと起こされる。

「おはよう、中条」

 ハスキーな低音が、たった一言。けれど、隼人には全て伝わった。隼人は「うん」と頷いた。
 何をするわけでもない。ただ隼人と龍堂は、一緒に教室へと入ったのだった。


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