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花踏み舞い
〈5〉..「なにをへらへらと笑っている!」
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「なにをへらへらと笑っている!」
室に入るなり、サユグはトウハに怒鳴りつけた。トウハとしては、全く思慮の外であったので、一瞬虚をつかれてしまった。それが、主の火に油を注いだらしい。強く、手を握られた。
その力の頑健さに、トウハは驚いた。あらためて見れば、サユグはトウハと背丈がそろいだしていた。いつの間に……食の細かったサユグは、年の頃より幼く見えたのに。これでは追い越される日も近いであろう。トウハは改めて、リウエの影響を感じざるを得なかった。
「なにを笑っている」
「いえ。殿下がご立派になられたと思っていました」
従者としては出過ぎた言葉だ。常のトウハなら絶対に使うまい。しかし、このときばかりはそれを忘れた。思えば、このように怒っているのに、雷撃の一つも放たれない。これを成長と言わずなんと言おうか。トウハは微笑した。それしか、もはやする事がなかった。
サユグは、トウハの常ならぬ様子に、動揺したと見え、うろたえた。すると室の向こうから、笑い声が聞こえる。その声の主に、サユグは顔を紅くして怒鳴った。
「リウエ! なにがおかしい!」
「いや。なんつうか……サユグ様は馬鹿だなあと思って」
「何だと!」
サユグの手がトウハから離れ、拳となる。そうしてリウエと言い合いだした。少年らしい、明るいやりとりに、トウハは微笑した。心は、冬の月のように哀しく冴えていた。喧噪のすみで、トウハはただ、恭しく控えていた。
◇
ニルの祝いの宴は、華やいでいた。
「ありがとうございます」
皆の祝いの言葉に応えるニルは、天上の乙女のように可憐だった。トウハは宦官であるため、宴はいつも裏方で、座に加わることはなかった。しかし、今回はニルのたっての願いで、同席が認められていた。
「ニル。こたびは誠におめでとう」
「ありがとうございます。トウハ様」
やさしげは薄紅の衣をまとったニルは、顔をほころばせる。それに、隣の夫君が、じろりと横目でトウハを見やった。トウハは、この夫君のことが正直なところ苦手であった。家柄身分、申し分ないが、人柄はニルと似合っていない。
今日も、ニルと家のもの、気の置けない仲でささやかにするはずのところ、今日突然、わってはいってきたのである。
「トウハ殿、私にも祝福をくれぬか」
夫君は、トウハに挑戦的な目で言った。トウハは当然、出会ってすぐに祝福をした。しかし、あれでは足りなかったと見える。トウハは頭を下げ、恭しく言葉を紡いだ。
「つまらぬ!」
顔を酒に赤らめて、夫君は叫んだ。すると周りの彼の友人たちもそれに続いた。
「つまらぬ。子供でも考えつく祝福よな」
「仕方あるまい、トウハ殿はご身分故、人と渡り合ったことがあるまい」
「われら男のようにはいかぬ。……ははは!」
どっとわき起こる笑いに、ニルたち常ひごろ共に働く者たちが居心地悪そうに、身を縮めた。なんせ彼らはずっと、家のものより権力を握っていたからである。ニルが夫君をたしなめようとのばした手を、夫君はつかんだ。ひねりあげられ、ニルの顔にわずかに苦痛がにじむ。それでも言い逃れのできるような力の入れようだった。トウハの顔に、わずかな屈辱がにじんだのを、夫君は勝ち誇った顔で笑った。
「そうだ。トウハ殿にしか踊れぬ「剣舞」があったな。我らの子孫繁栄を願い、舞っていただけぬか?」
その言葉に、周囲はどよめいた。同じようにトウハを笑うもの、困惑するもの――
宦官に剣舞を舞うことは許されない。文官は舞など舞わない。要するに、トウハに夫君は求めているのだ。「女のように舞う宦官の姿を大いにさらせ」と。
「寵のすぎた宦官ほどみじめなものはないな」
誰ぞかが耳打ちし合った。それをトウハははっきりと聞いた。宮中に入り、このような誹り、辱めは初めてのことではなかった。だが、いつもトウハはさっさと負けて逃げてきたし、サユグもそれを止めていた。
『トウハは僕の従者ぞ! お前たちはこの僕を愚弄するか!』
サユグが精神不均衡となってこっち、サユグはトウハを表立って庇わなくなったが、皇太子という後ろ盾となった。
むろん使いの仕事はあり、通りすがる官吏たちにそしられるは日常茶飯事であったが、それでも皆、このように表だってトウハに侮辱を与える度胸はなかった。精神のもろい皇太子を激させれば、いつ雷撃が自分に降るかわからぬからである。
しかし、それももう過去のことである。サユグの寵は龍の子に移った。それは周知の事実となっていた。サユグに手を引かれたあの日より、サユグがトウハを側に置くことはなくなったのだ。
今日の日とて、サユグがトウハに無関心となったから差配できたというのもある。それまでは、自分以外の用事に関わるのをとことん嫌っており、宴の支度の手伝いなどもってのほかであった。
だが今日、もはやトウハを護る者はない。
「どうしたのだ、トウハどの? まさか宦官は差配役としてのつとめも果たせぬか!」
夫君の誹りに、ニルが泣きそうな顔をし、トウハを見た。皆がどっと笑おうとした――そして、はっと一様に息をのんだ。
トウハは、笑っていた。悠然と笑んで、立ち上がった。
室に入るなり、サユグはトウハに怒鳴りつけた。トウハとしては、全く思慮の外であったので、一瞬虚をつかれてしまった。それが、主の火に油を注いだらしい。強く、手を握られた。
その力の頑健さに、トウハは驚いた。あらためて見れば、サユグはトウハと背丈がそろいだしていた。いつの間に……食の細かったサユグは、年の頃より幼く見えたのに。これでは追い越される日も近いであろう。トウハは改めて、リウエの影響を感じざるを得なかった。
「なにを笑っている」
「いえ。殿下がご立派になられたと思っていました」
従者としては出過ぎた言葉だ。常のトウハなら絶対に使うまい。しかし、このときばかりはそれを忘れた。思えば、このように怒っているのに、雷撃の一つも放たれない。これを成長と言わずなんと言おうか。トウハは微笑した。それしか、もはやする事がなかった。
サユグは、トウハの常ならぬ様子に、動揺したと見え、うろたえた。すると室の向こうから、笑い声が聞こえる。その声の主に、サユグは顔を紅くして怒鳴った。
「リウエ! なにがおかしい!」
「いや。なんつうか……サユグ様は馬鹿だなあと思って」
「何だと!」
サユグの手がトウハから離れ、拳となる。そうしてリウエと言い合いだした。少年らしい、明るいやりとりに、トウハは微笑した。心は、冬の月のように哀しく冴えていた。喧噪のすみで、トウハはただ、恭しく控えていた。
◇
ニルの祝いの宴は、華やいでいた。
「ありがとうございます」
皆の祝いの言葉に応えるニルは、天上の乙女のように可憐だった。トウハは宦官であるため、宴はいつも裏方で、座に加わることはなかった。しかし、今回はニルのたっての願いで、同席が認められていた。
「ニル。こたびは誠におめでとう」
「ありがとうございます。トウハ様」
やさしげは薄紅の衣をまとったニルは、顔をほころばせる。それに、隣の夫君が、じろりと横目でトウハを見やった。トウハは、この夫君のことが正直なところ苦手であった。家柄身分、申し分ないが、人柄はニルと似合っていない。
今日も、ニルと家のもの、気の置けない仲でささやかにするはずのところ、今日突然、わってはいってきたのである。
「トウハ殿、私にも祝福をくれぬか」
夫君は、トウハに挑戦的な目で言った。トウハは当然、出会ってすぐに祝福をした。しかし、あれでは足りなかったと見える。トウハは頭を下げ、恭しく言葉を紡いだ。
「つまらぬ!」
顔を酒に赤らめて、夫君は叫んだ。すると周りの彼の友人たちもそれに続いた。
「つまらぬ。子供でも考えつく祝福よな」
「仕方あるまい、トウハ殿はご身分故、人と渡り合ったことがあるまい」
「われら男のようにはいかぬ。……ははは!」
どっとわき起こる笑いに、ニルたち常ひごろ共に働く者たちが居心地悪そうに、身を縮めた。なんせ彼らはずっと、家のものより権力を握っていたからである。ニルが夫君をたしなめようとのばした手を、夫君はつかんだ。ひねりあげられ、ニルの顔にわずかに苦痛がにじむ。それでも言い逃れのできるような力の入れようだった。トウハの顔に、わずかな屈辱がにじんだのを、夫君は勝ち誇った顔で笑った。
「そうだ。トウハ殿にしか踊れぬ「剣舞」があったな。我らの子孫繁栄を願い、舞っていただけぬか?」
その言葉に、周囲はどよめいた。同じようにトウハを笑うもの、困惑するもの――
宦官に剣舞を舞うことは許されない。文官は舞など舞わない。要するに、トウハに夫君は求めているのだ。「女のように舞う宦官の姿を大いにさらせ」と。
「寵のすぎた宦官ほどみじめなものはないな」
誰ぞかが耳打ちし合った。それをトウハははっきりと聞いた。宮中に入り、このような誹り、辱めは初めてのことではなかった。だが、いつもトウハはさっさと負けて逃げてきたし、サユグもそれを止めていた。
『トウハは僕の従者ぞ! お前たちはこの僕を愚弄するか!』
サユグが精神不均衡となってこっち、サユグはトウハを表立って庇わなくなったが、皇太子という後ろ盾となった。
むろん使いの仕事はあり、通りすがる官吏たちにそしられるは日常茶飯事であったが、それでも皆、このように表だってトウハに侮辱を与える度胸はなかった。精神のもろい皇太子を激させれば、いつ雷撃が自分に降るかわからぬからである。
しかし、それももう過去のことである。サユグの寵は龍の子に移った。それは周知の事実となっていた。サユグに手を引かれたあの日より、サユグがトウハを側に置くことはなくなったのだ。
今日の日とて、サユグがトウハに無関心となったから差配できたというのもある。それまでは、自分以外の用事に関わるのをとことん嫌っており、宴の支度の手伝いなどもってのほかであった。
だが今日、もはやトウハを護る者はない。
「どうしたのだ、トウハどの? まさか宦官は差配役としてのつとめも果たせぬか!」
夫君の誹りに、ニルが泣きそうな顔をし、トウハを見た。皆がどっと笑おうとした――そして、はっと一様に息をのんだ。
トウハは、笑っていた。悠然と笑んで、立ち上がった。
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