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国王
しおりを挟む王都への出立の朝、エステルは父に挨拶に行くと、家宝のアダマンタイトの剣を渡された。
「騎士の精神に則り、正しくこの剣を使うように。これまでお前には王家への絶対服従を教えて来たが、もう一つ大事なことを付け加えよう。王家に対して負う義務が、お前の神々に対する義務と争わない限り、と。よいな、エステル」
王の謁見に赴くエステルは、父の言葉を思い返していた。
――騎士に復帰した私に、お父様は何を伝えたかったのだろう。貴種は聖種に仕えるが、神々は聖種より上、至高の存在だ。神々への義務は王家への忠義より勝るということか。
いや、私はレオを手放さないための口実を考えているのだな。王家の命令は、絶対なのに……。
小姓に先導され、エステルとレオは石造りの螺旋階段を登って行く。天井近くの半円アーチ窓は、小さな円形のガラスを鉛のフレームで組み合わせたステンドグラスが嵌め込まれ、光のあふれる空間を作っていた。
そして最上階のフロアは釉薬をかけたタイルで装飾され、華やかな雰囲気を出している。
エステル達が連れて来られたのは、王の私室だった。扉の前に二人兵士が立っている。
入室する前に腰に帯びていたサーベルを小姓に預け、中に入った。
居館の最上階に位置する、王の私室。
王の間と呼ばれるこの応接室は、カウチソファが置かれ、ウォールナット材の寄木細工が施された家具が配置されている。
そして、大きなバラ窓から美しい庭園や建物を見渡せるようになっていた。
立ったまま待っていると、程なくして若き青年王が護衛の騎士達と錬金術師、女官、小姓たちを引き連れて入室した。
「ムーレンハルト国王陛下である! 近衛騎士エステル・コーレインに謁見を賜る」
エステルは、即座に跪き頭を垂れた。斜め後ろにいるレオは、立ったままだ。
国王はカウチソファに座り足を組むと「エステル、面を上げよ」と声を掛けた。
エステルは顔を上げて、王を見る。
先代国王が隠居して、今はフェリシア姫の兄ディーデリックがこの国の王だ。
妹姫と同じストロベリー・ブロンドの王は、袖の膨らんだシャツに白絹のズボンそれに黒革のベルトを締め、ウエストコートに編み上げのブーツというやや砕けた衣装の上に、豹の毛皮の縁取りのあるマントを羽織っていた。
そして、王の後ろに立っている騎士の一人はシェルトだった。もう一人は赤毛の女騎士、エステルの先輩にあたる。
「陛下に拝謁を賜り、誠にありがとうございます」
「妹フェリシアの初陣で、そなたが負傷したことは真に遺憾であった。しかし今日、再び健やかな姿をこの城で見ることが出来、余も嬉しく思う」
「卑小なる身に、過分なお言葉。この上は陛下のご恩に報いるため、この身を粉にして王家にお仕えする所存でございます」
「ふっ、そのように堅苦しくせずともよい。ここは余の私的な部屋だ。こちらに来て座れ。さあ、遠慮せずに」
緊張のあまり、エステルは冷たい汗を掻いていた。
王に言われるまま、椅子に座ろうとすると、「そうではない。こちらへ」とカウチソファの彼の隣を示される。
「そなたには、色々と聞きたいことがあってな。その魔道式機械人形のことも含めて」
――ああ、やはり。レオのことで呼ばれたのだ……。
カウチソファにエステルがおずおずと座ると、王が彼女の腰に手を回す。ディーデリック王の切れ長の碧の瞳が細められた。まるで捕まえた獲物を逃がさないという捕食者のようにギラリと光る。
「その人形は、その昔、古代遺跡から発掘されたもので、実は王家でもわからないことが多い。前回使用されたのが80年前の将軍への貸出だった。そして今回のエステル。二人とも戦の傷が癒えたことは真に僥倖であった」
「はッ、ありがとうございます!」
背筋をピンと伸ばしたまま、固くなっているエステルを引き寄せるディーデリック。
「錬金術師からの報告によれば、人形は自立行動ができるとか」
「はい、いえ、その……」
「その通りにございます、国王陛下。その人形はエステル殿の心情を読んで、行動に移すことが出来ます」
嬉々として答えたのは、錬金術師。
「ほう、人形にそんなことが出来るのか。心があるわけでもないのに」
「これはまだ私の仮説ですが、人形は常に魔力供給者の期待に応えようとし、経験を学習していく能力を持っているようです」
「なるほど、な。エステル、錬金術師の言う通りか?」
エステルは俯き、ぎゅっと手を握りしめた。
「……レオは、私にとても良く、尽くしてくれました」
「そのような顔をするでない。まるで余が、そなたを虐めているようではないか」
はっとして、エステルはソファから降り、床に膝をついた。
「も、申し訳ありません!」
「そなたからその人形を取り上げたりはせぬ。そこのシェルトから聞いておる。コーレイン家で人形と恋人同士のように過ごしていたと」
エステルの視線が、シェルトにちらりと向けられる。シェルトはエステルと目を合わそうとはしなかった。
シェルトのことよりも、エステルにとってはレオを自分から取り上げない……と言った王の言葉の方が重要だった。思わずホッとして脱力のあまり崩れ落ちそうになる。
「だが、興味深い。 愛玩人形は使わなかったのか? 王家の伝承によれば……一度試せば病みつきになると。ふふ、またそんな顔をして。余を煽っているのか」
王の幾つもの宝石の指輪をはめられた手が、エステルの頬を撫でた。
「医師はそなたを純潔だと言ったが、余はそうは思わぬ。伝承によれば人形は聖種を堕落させるほどの性技を持っているとか。故に、王族は人形の使用を固く禁じられているのだが……」
彼女の髪を束ねている紐を、王が解くと金の波打つ髪が背に広がる。
「これも一興だ。そなたに、余の情けを与えよう。余の種で運よく身籠れば、確実に貴種の子を産めよう」
「……! そ、それは、あまりにも畏れ多い……」
「エステル! 有難くお受けせよ!」
断ろうとするエステルを遮ったのは、先輩の女騎士。目で逆らうな、と語り掛け、首を振った。
「できれば合意の上がよいが、嫌がるそなたを同僚の騎士に押さえつけさせて、するのもよいな。余はどちらでもいい」
聖種の圧倒的な魔力のオーラを、エステルはひしひしと感じていた。逆らっても無駄だ、と。
――陛下のこのような色事の話は、今まで聞いたことがない。女騎士に手を出したこともないはずだ。レオを切っ掛けに興味を引いてしまったのか。だとすればおそらく、寵愛などはなく、この一回を耐えれば……。
「分かりました――。では、人払いを、お願いいたします」
諦念してエステルが呟けば。
「ふむ。人が多すぎるか。お前達は行け。護衛は残れ。一国の主たるもの、護衛なしとはいかぬ」
シェルトと赤毛の女騎士を残し、錬金術師と女官、小姓は出て行く。
だがエステルにとって、彼らよりも居て欲しくなかったのは、元許嫁と先輩騎士の方だった。
――貴種が聖種の力に叶うはずはないのに。護衛など、必要ないだろうに……。
赤毛の女騎士は同じ女性でありながら、この状況のエステルに全く同情して居なかった。王の聖種の種を頂き、確実に貴種を身籠るチャンスを頂けるのは、貴種の女性の誉れであると彼女は信じている。
そしてシェルトはと言えば、かつての許嫁が自分の目の前で王に犯されようとしていることに、嫉妬と諦めと、倒錯的な興奮を感じていた。
嗜虐の笑みを浮かべ、ディーデリックはカウチに肘をついた。
「服を脱げ。それから余の前をくつろげて、奉仕してみよ。その愛玩人形に仕込まれた性技を見せるがいい」
震える指先で、エステルはマントを脱ぎ、胸のボタンに手を掛けた。
「――やめろ。エステルが嫌がっている」
この場に居た者全員が、声の主へと一斉に視線を向ける。
これまで黙って立っていたレオが、初めて口を開いたのだ。
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