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016.夏の残滓
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誰でも子供の頃に、生き物を飼うという経験をしたことがあるのではないだろうか。
家で犬や猫を飼っていたという人もいるだろうが、それらの世話は子供ではなく大人がする。
餌やりや散歩くらいなら子供でもできるが、予防接種を受けさせるなどは子供には無理だ。
なにしろ、お金がかかる。
収入がない子供の身分では、犬や猫を飼うことはできない。
せいぜいが、大人が飼っている生き物の世話を手伝うくらいだ。
そういう意味では、もう少し小型の生き物であるインコやハムスターも同様だ。
だから、ここで言う飼うという行為の対象は、他の生き物になる。
たとえば、虫捕りで捕まえたカブトムシ。
たとえば、夏祭りですくった金魚。
そういった生き物だ。
カブトムシは夜行性だ。
夜に捕まえた子供は、それを知っている。
だから、カブトムシを入れた飼育ケースを涼しい場所に置く。
暑い昼は外で遊び、涼しい夜に餌をやりながら、黒い体躯の格好良い姿を眺める。
一方の金魚は夜行性というわけではない。
昼に元気に泳ぎ、夜は水の中を漂いながら、うつらうつらと眠る。
けれど、夜が本番の夏祭りで金魚をすくった子供は、そのことをあまり意識しない。
金魚をすくったのは夜だけど、金魚は元気に泳いでいた。
屋台の灯りを浴びて、陽の光だと勘違いした金魚は、元気に泳いでいた。
それを見た子供は、金魚が夜も元気に泳ぐものだと考える。
そして、金魚をいれた金魚鉢を日当たりの良い窓際に置く。
暑い昼は外で遊び、涼しい夜に餌をやりながら、鮮やかな体躯の美しい姿を眺める。
夏の間、毎日それを繰り返す。
毎日さぼらず飼っている生き物の世話を繰り返す。
だから、子供に落ち度があると責めるのは酷だ。
あえて言うなら、飼い方を調べなかったのが落ち度と言えるだろうか。
しかし、図書館もインターネットも無い田舎で調べものをするのは難しい。
学校の小さな図書室に目的の書籍があることを期待するしかないが、望むは薄い。
やはり、運が悪かったというのが一番の理由と言えるだろう。
「……どうして……」
金魚鉢にぷかぷかと浮かぶ金魚を見つめながら、カエデは茫然する。
水面にひっくり返って浮かぶ金魚を見つめながら、茫然と呟く。
餌は忘れずに与えていた。
水も忘れずに交換していた。
けれど金魚は動かなくなっていた。
その年の夏は特に暑かった。
それが原因かどうかはわからないが、暑かったのは確かだ。
金魚鉢に触れたら反射的に手を離すくらいには、熱かった。
低温調理というものがある。
肉や野菜、あるいは魚を低温で過熱するという調理方法だ。
ジューシーに仕上がるのだという。
暑い夏の窓際に置かれた金魚鉢の水は、低温調理ができそうなくらい熱かった。
低温で加熱された金魚はジューシーに仕上がっていた。
人間は夏バテというものをする。
その状態で動き回れば、倒れるくらい疲労する。
夏祭りの屋台でポイに追いかけられた金魚は、どうだったのだろうか。
「どうしよう……」
カエデは気が強く、男に近い思考をしていた。
そう言うと男女差別だと非難されそうなので、姉御肌だったと言っておこうか。
とにかく、切り替えの早い性格だった。
「……そうだ」
カエデにとって重要なのは、その金魚がアオイから貰ったものだということだった。
その一番重要なこと以外は些末なことだ。
金魚が生きているか、それともそうでないのかは、些末なことだ。
だからカエデは金魚を残すことにした。
その方法は知っていた。
セミを捕まえたときにやったことがあった。
「きっと、これで大丈夫」
遊び道具を入れている箱から昆虫採集セットを取り出す。
そこに入っている注射器の針を刺して防腐剤を流し込む。
そうすれば、標本になって、ずっと残る。
その日から、餌をやる代わりに、水を換える代わりに、注射器の針を刺すことがカエデの日課になった。
「きっと……大丈夫」
魚を茹でて干すと煮干しができる。
できる過程で魚の身肉が熟成する生臭い臭いがするが、できてしまえば良い香りの良い味の出汁が取れる。
陽の熱で煮上がった金魚も、それに近い過程を辿った。
しかし、違うところもあった。
毎日、名ばかりの防腐剤を注入し続けたからだろうか。
さぼらずに、乾燥する余地が無いくらいに注入し続けたからだろうか。
生臭い臭いはしたが、それは身肉が熟成する臭いではなく、腐り落ちる臭いだった。
「大丈夫……大丈夫……」
カエデにとって重要なのは、アオイから貰ったものが残ることだった。
カエデは一日も日課を欠かさなかった。
そのかいあって、金魚は綺麗な形で残った。
日課を欠かさなかったおかげで、身肉が腐り落ちて、内臓が腐り落ちても、ちゃんと残った。
少しずつ腐り落ちていったから、形が崩れることも無かった。
それを確認して、カエデは注射器の針を刺す日課を止めた。
その代わり、残ったものを眺めるという日課を始めた。
残ったものは、思ったより白くは無かった。
作る過程で、色が染み付いてしまったのかも知れない。
漂白でもすれば白くなったのかも知れないが、子供にそんなことは思いつかない。
それに白くなったら金魚じゃない。
「きれい♪」
カエデは毎日、金魚を眺めた。
アオイから貰った金魚を眺め続けた。
色の付いた金魚は綺麗だった。
カエデはアオイから貰った金魚を、とても大切にしていた。
家で犬や猫を飼っていたという人もいるだろうが、それらの世話は子供ではなく大人がする。
餌やりや散歩くらいなら子供でもできるが、予防接種を受けさせるなどは子供には無理だ。
なにしろ、お金がかかる。
収入がない子供の身分では、犬や猫を飼うことはできない。
せいぜいが、大人が飼っている生き物の世話を手伝うくらいだ。
そういう意味では、もう少し小型の生き物であるインコやハムスターも同様だ。
だから、ここで言う飼うという行為の対象は、他の生き物になる。
たとえば、虫捕りで捕まえたカブトムシ。
たとえば、夏祭りですくった金魚。
そういった生き物だ。
カブトムシは夜行性だ。
夜に捕まえた子供は、それを知っている。
だから、カブトムシを入れた飼育ケースを涼しい場所に置く。
暑い昼は外で遊び、涼しい夜に餌をやりながら、黒い体躯の格好良い姿を眺める。
一方の金魚は夜行性というわけではない。
昼に元気に泳ぎ、夜は水の中を漂いながら、うつらうつらと眠る。
けれど、夜が本番の夏祭りで金魚をすくった子供は、そのことをあまり意識しない。
金魚をすくったのは夜だけど、金魚は元気に泳いでいた。
屋台の灯りを浴びて、陽の光だと勘違いした金魚は、元気に泳いでいた。
それを見た子供は、金魚が夜も元気に泳ぐものだと考える。
そして、金魚をいれた金魚鉢を日当たりの良い窓際に置く。
暑い昼は外で遊び、涼しい夜に餌をやりながら、鮮やかな体躯の美しい姿を眺める。
夏の間、毎日それを繰り返す。
毎日さぼらず飼っている生き物の世話を繰り返す。
だから、子供に落ち度があると責めるのは酷だ。
あえて言うなら、飼い方を調べなかったのが落ち度と言えるだろうか。
しかし、図書館もインターネットも無い田舎で調べものをするのは難しい。
学校の小さな図書室に目的の書籍があることを期待するしかないが、望むは薄い。
やはり、運が悪かったというのが一番の理由と言えるだろう。
「……どうして……」
金魚鉢にぷかぷかと浮かぶ金魚を見つめながら、カエデは茫然する。
水面にひっくり返って浮かぶ金魚を見つめながら、茫然と呟く。
餌は忘れずに与えていた。
水も忘れずに交換していた。
けれど金魚は動かなくなっていた。
その年の夏は特に暑かった。
それが原因かどうかはわからないが、暑かったのは確かだ。
金魚鉢に触れたら反射的に手を離すくらいには、熱かった。
低温調理というものがある。
肉や野菜、あるいは魚を低温で過熱するという調理方法だ。
ジューシーに仕上がるのだという。
暑い夏の窓際に置かれた金魚鉢の水は、低温調理ができそうなくらい熱かった。
低温で加熱された金魚はジューシーに仕上がっていた。
人間は夏バテというものをする。
その状態で動き回れば、倒れるくらい疲労する。
夏祭りの屋台でポイに追いかけられた金魚は、どうだったのだろうか。
「どうしよう……」
カエデは気が強く、男に近い思考をしていた。
そう言うと男女差別だと非難されそうなので、姉御肌だったと言っておこうか。
とにかく、切り替えの早い性格だった。
「……そうだ」
カエデにとって重要なのは、その金魚がアオイから貰ったものだということだった。
その一番重要なこと以外は些末なことだ。
金魚が生きているか、それともそうでないのかは、些末なことだ。
だからカエデは金魚を残すことにした。
その方法は知っていた。
セミを捕まえたときにやったことがあった。
「きっと、これで大丈夫」
遊び道具を入れている箱から昆虫採集セットを取り出す。
そこに入っている注射器の針を刺して防腐剤を流し込む。
そうすれば、標本になって、ずっと残る。
その日から、餌をやる代わりに、水を換える代わりに、注射器の針を刺すことがカエデの日課になった。
「きっと……大丈夫」
魚を茹でて干すと煮干しができる。
できる過程で魚の身肉が熟成する生臭い臭いがするが、できてしまえば良い香りの良い味の出汁が取れる。
陽の熱で煮上がった金魚も、それに近い過程を辿った。
しかし、違うところもあった。
毎日、名ばかりの防腐剤を注入し続けたからだろうか。
さぼらずに、乾燥する余地が無いくらいに注入し続けたからだろうか。
生臭い臭いはしたが、それは身肉が熟成する臭いではなく、腐り落ちる臭いだった。
「大丈夫……大丈夫……」
カエデにとって重要なのは、アオイから貰ったものが残ることだった。
カエデは一日も日課を欠かさなかった。
そのかいあって、金魚は綺麗な形で残った。
日課を欠かさなかったおかげで、身肉が腐り落ちて、内臓が腐り落ちても、ちゃんと残った。
少しずつ腐り落ちていったから、形が崩れることも無かった。
それを確認して、カエデは注射器の針を刺す日課を止めた。
その代わり、残ったものを眺めるという日課を始めた。
残ったものは、思ったより白くは無かった。
作る過程で、色が染み付いてしまったのかも知れない。
漂白でもすれば白くなったのかも知れないが、子供にそんなことは思いつかない。
それに白くなったら金魚じゃない。
「きれい♪」
カエデは毎日、金魚を眺めた。
アオイから貰った金魚を眺め続けた。
色の付いた金魚は綺麗だった。
カエデはアオイから貰った金魚を、とても大切にしていた。
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