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ベルリンで出会った人形師
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ドイツのベルリンで日本伝統芸能の公演があった。
歌舞伎や落語、能楽など日本国内でも有名な演目の後、伝統芸能を引き継ぐにはうら若い青年が、大道具を持って舞台に上がった。
青年は舞台の中央に立つと、いたわるような手つきで大道具の黒風呂敷をとる。
大道具だと思っていたのは、人間の女性と見紛うほど精巧に作られた和服の人形だった。人形の高さは青年よりちょっと低いくらいで、街中で並んで歩いていたら、青年と人形はカップルに見えるだろう。
「いひ、びん、やぱーな……」
演者の青年は片言のドイツ語で、自己紹介する。
「まいん、なーむ、いすと、かずきしまむら」
傍らの人形に手を向ける。
「じー、いすと、ゆきこ」
人形に名前がついているとは、驚きだ。やはり若くして伝統芸能を受け継いでいるだけのことはある。思い入れが人並みではない。
演目の冒頭の自己紹介に詰まったのか、青年は黙ってしまった。
「よ、よろしくお願いします」
あげくお辞儀をして、芸に取り掛かった。
会場はざわざわと、若き日本人の公演者に不安を覚え始めた。
しかし青年は観客の騒めきに気を散らすことなく、芸に専念する。
芸が始まってからはどう見てもプロ、といっては日本伝統芸能にはふさわしくないので、名人とでも呼ばせてもらおう。どう見ても名人の芸だった。
取り立てて難しい芸ではないが、観た人が人形が生きていると錯覚してしまうほど、人形に人間味を感じさせる語りをするのだ。
観客のどれくらいが日本語を理解できるのか知らないが、言語を超えて観客に人形の人らしさが伝わっていると思う。
初めて観た青年の人形芸に、僕は感動した。
公演のプログラムがすべて終了した後、僕は人形芸の青年にインタビューをお願いした。
青年から了承が出て、会場近くのバーで落ち合うことになった。
先にバーのテーブル席で安価なワインをすすって青年を待っていると、入り口から若い日本人男性が入ってくる。人形芸の青年だ。件の人形の肩を抱いている。
彼を応対したドアマンに、たどたどしいドイツ語で話して僕の方を指した。
人形を抱きながら、僕のいるテーブルに近づいてきた。
「板倉さん、ですよね?」
青年が僕の名前の確認を取ってくる。
頷いてみせると、恭しい物腰で向かいの席に着いた。
「同じロゼでいいですか?」
僕がワインの種類を尋ねると、不意に困惑する。
「ロゼ、は、はい、いいですよ」
青年の返事を聞き、僕はウエイターを呼ぶ。
ウエイターがグラスとワインを運んでくる前に、挨拶をしておこう。
財布から日本の文字で印刷された名刺を一枚抜き出して、青年に差し出す。
「雑誌記者の板倉(いたくら)朋音(ともね)と言います」
「島村一輝です」
青年も丁寧に頭を下げてくれる。
「日本からはるばる、公演の観賞へお越しになられたんですか?」
名刺を見て、島村は驚いた顔で訊いてきた。
「いやいや、ベルリン在住ですよ。毎号雑誌の記事でドイツの風習や市民の生活を書いています」
「それはすごい」
彼は素直に驚きを顔に表す。
グラスとワインが青年にも運ばれてきたところで、本題のインタビューに入る。
僕はグラスをメモ帳とペンに持ち替え、質問する。
「本日の公演、いかがでしたか?」
「いかがでしたか、と聞かれましても、ドイツと日本じゃ訳が違うから」
「まあ、確かに。それでは聞き方を変えましょう。本日の公演、上手くいきましたか?」
「失敗はありませんでした。でも、ドイツ語ってむずかしいですね」
情けない顔をして答えた。
相槌を打って、次の質問をする。
「公演のたびに心がけていることなどあったら、教えてください」
「そうですね。やはり雪子を雪子として仕立てることでしょうか」
「雪子を雪子として仕立てる? それはどういう意味です?」
彼の言おうとしていることがさっぱりわからない。
「すいません、わかりにくい言い方でしたね」
彼は頭の後ろに手をやって謝った。
詰まるところ彼も日本芸能の名人なのだと、発言を聞いて思ってしまう。
「板倉さん」
彼は説明にいい方法を思い付いたらしく、
「雪子を雪子として仕立てるといことを、今から説明します」
と笑みを浮かべて身を乗り出した。相当、自分の芸を見せたいらしい。
彼は傍らの人形を抱き寄せ、黒い髪をすいてやる。彼が人形の顔を俯かせているからか、観る人に人形が恥じらっているように感じさせる。
「綺麗な髪だな、雪子」
島村の声に愛情が籠る。意図的なのか、無意識なのかは判別つかない。
「随分、溺愛されてるんですね」
板倉はニヤリとして冷やかす。
島村は我に返ったように顔を上げ、真面目な面持ちで言い返す。
「当たり前じゃないですか」
「やはり名人芸は道具を愛することから、生まれるんですね?」
「名人芸とか、そういう大層な事とは関係ないですよ」
照れた笑いを見せて、島村はそう言う。
ますます彼の言わんとすることが、捉えがたいものになった。
「あなたは一人の男性として人形を愛しているのですか?」
「人形を愛しているというより……」
打ち明けづらそうに、言葉の先を言い渋った。
「人形を愛しているというより?」
僕は顔を近づけ、答えを迫る。
彼が人形と僕の顔とでおどおど視線を往復させる。
僕の執拗さに根負けしたのか、島村はいかにも決心がついた顔で僕を見据えた。
「板倉さんがどうしても聞きたのでしたら、お話しますけど」
そこで言葉を切り、右手の人差し指と中指を立てる。
「守ってほしいことが二つあります」
「なんですか?」
「今から話す内容を公にしないことと」
二つ目の条件を重々しい表情で言う。
「話している最中に疑義を挟まないこと」
「わかった」
僕が了解して頷くと、島村は椅子の背で体勢を整える。
彼は視線を何もない斜め上に向け、追憶に浸りながら話し出した。
歌舞伎や落語、能楽など日本国内でも有名な演目の後、伝統芸能を引き継ぐにはうら若い青年が、大道具を持って舞台に上がった。
青年は舞台の中央に立つと、いたわるような手つきで大道具の黒風呂敷をとる。
大道具だと思っていたのは、人間の女性と見紛うほど精巧に作られた和服の人形だった。人形の高さは青年よりちょっと低いくらいで、街中で並んで歩いていたら、青年と人形はカップルに見えるだろう。
「いひ、びん、やぱーな……」
演者の青年は片言のドイツ語で、自己紹介する。
「まいん、なーむ、いすと、かずきしまむら」
傍らの人形に手を向ける。
「じー、いすと、ゆきこ」
人形に名前がついているとは、驚きだ。やはり若くして伝統芸能を受け継いでいるだけのことはある。思い入れが人並みではない。
演目の冒頭の自己紹介に詰まったのか、青年は黙ってしまった。
「よ、よろしくお願いします」
あげくお辞儀をして、芸に取り掛かった。
会場はざわざわと、若き日本人の公演者に不安を覚え始めた。
しかし青年は観客の騒めきに気を散らすことなく、芸に専念する。
芸が始まってからはどう見てもプロ、といっては日本伝統芸能にはふさわしくないので、名人とでも呼ばせてもらおう。どう見ても名人の芸だった。
取り立てて難しい芸ではないが、観た人が人形が生きていると錯覚してしまうほど、人形に人間味を感じさせる語りをするのだ。
観客のどれくらいが日本語を理解できるのか知らないが、言語を超えて観客に人形の人らしさが伝わっていると思う。
初めて観た青年の人形芸に、僕は感動した。
公演のプログラムがすべて終了した後、僕は人形芸の青年にインタビューをお願いした。
青年から了承が出て、会場近くのバーで落ち合うことになった。
先にバーのテーブル席で安価なワインをすすって青年を待っていると、入り口から若い日本人男性が入ってくる。人形芸の青年だ。件の人形の肩を抱いている。
彼を応対したドアマンに、たどたどしいドイツ語で話して僕の方を指した。
人形を抱きながら、僕のいるテーブルに近づいてきた。
「板倉さん、ですよね?」
青年が僕の名前の確認を取ってくる。
頷いてみせると、恭しい物腰で向かいの席に着いた。
「同じロゼでいいですか?」
僕がワインの種類を尋ねると、不意に困惑する。
「ロゼ、は、はい、いいですよ」
青年の返事を聞き、僕はウエイターを呼ぶ。
ウエイターがグラスとワインを運んでくる前に、挨拶をしておこう。
財布から日本の文字で印刷された名刺を一枚抜き出して、青年に差し出す。
「雑誌記者の板倉(いたくら)朋音(ともね)と言います」
「島村一輝です」
青年も丁寧に頭を下げてくれる。
「日本からはるばる、公演の観賞へお越しになられたんですか?」
名刺を見て、島村は驚いた顔で訊いてきた。
「いやいや、ベルリン在住ですよ。毎号雑誌の記事でドイツの風習や市民の生活を書いています」
「それはすごい」
彼は素直に驚きを顔に表す。
グラスとワインが青年にも運ばれてきたところで、本題のインタビューに入る。
僕はグラスをメモ帳とペンに持ち替え、質問する。
「本日の公演、いかがでしたか?」
「いかがでしたか、と聞かれましても、ドイツと日本じゃ訳が違うから」
「まあ、確かに。それでは聞き方を変えましょう。本日の公演、上手くいきましたか?」
「失敗はありませんでした。でも、ドイツ語ってむずかしいですね」
情けない顔をして答えた。
相槌を打って、次の質問をする。
「公演のたびに心がけていることなどあったら、教えてください」
「そうですね。やはり雪子を雪子として仕立てることでしょうか」
「雪子を雪子として仕立てる? それはどういう意味です?」
彼の言おうとしていることがさっぱりわからない。
「すいません、わかりにくい言い方でしたね」
彼は頭の後ろに手をやって謝った。
詰まるところ彼も日本芸能の名人なのだと、発言を聞いて思ってしまう。
「板倉さん」
彼は説明にいい方法を思い付いたらしく、
「雪子を雪子として仕立てるといことを、今から説明します」
と笑みを浮かべて身を乗り出した。相当、自分の芸を見せたいらしい。
彼は傍らの人形を抱き寄せ、黒い髪をすいてやる。彼が人形の顔を俯かせているからか、観る人に人形が恥じらっているように感じさせる。
「綺麗な髪だな、雪子」
島村の声に愛情が籠る。意図的なのか、無意識なのかは判別つかない。
「随分、溺愛されてるんですね」
板倉はニヤリとして冷やかす。
島村は我に返ったように顔を上げ、真面目な面持ちで言い返す。
「当たり前じゃないですか」
「やはり名人芸は道具を愛することから、生まれるんですね?」
「名人芸とか、そういう大層な事とは関係ないですよ」
照れた笑いを見せて、島村はそう言う。
ますます彼の言わんとすることが、捉えがたいものになった。
「あなたは一人の男性として人形を愛しているのですか?」
「人形を愛しているというより……」
打ち明けづらそうに、言葉の先を言い渋った。
「人形を愛しているというより?」
僕は顔を近づけ、答えを迫る。
彼が人形と僕の顔とでおどおど視線を往復させる。
僕の執拗さに根負けしたのか、島村はいかにも決心がついた顔で僕を見据えた。
「板倉さんがどうしても聞きたのでしたら、お話しますけど」
そこで言葉を切り、右手の人差し指と中指を立てる。
「守ってほしいことが二つあります」
「なんですか?」
「今から話す内容を公にしないことと」
二つ目の条件を重々しい表情で言う。
「話している最中に疑義を挟まないこと」
「わかった」
僕が了解して頷くと、島村は椅子の背で体勢を整える。
彼は視線を何もない斜め上に向け、追憶に浸りながら話し出した。
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