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―救いの手―

353話 指輪を通じて

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「ゆび…、え…指輪……?」

一瞬、さくらは竜崎の台詞が理解できなかった。何故、こんな時に指輪の話なんて…。―!

「こ、これですか…!?」

直後、気づいたさくらは首に吊るしている御守りを開き、手の上でひっくり返す。その中からコロンと出てきたのは、飾り気の一切ない、シンプルな指輪であった。



神具の鏡をラケットに改造して貰った際、ソフィアの娘マリアに端材で作ってもらった指輪。それには、特殊な力が籠っていた。魔術が籠められると、大元である鏡へと伝達するという奇妙なる特性が。


しかし今、その神具のラケットは猛る獣人の手の内。竜崎は一体何をする気なのか…。

(あ…!)

ふと、さくらは自身の少し前の行動を思い出す。竜崎が獣人に窮地に追いやられていた際、指輪を通し魔術を送って妨害しようとしていたことを。

しかし残念ながら、それは失敗に終わっていた。焦り過ぎ、指輪を上手く取り出せなかったのだ。

加えて、魔獣がバッグを引きちぎりそうになっているのに気づいてしまった。元の世界とを唯一繋ぐそれを、竜崎の手紙願いも入ったそれを失うわけにはいかず、無我夢中に飛び出し―、結果、今の状況になってしまったのだが…。


そう。ならば恐らく…。竜崎は先程のさくらと同じ行動をしようとしている―。神具の鏡を通じ魔術を送り、獣人の動きを妨害しようとしているのだ。




「そ…う…。そ…れ…」

弱くも頷きながら、震える手を伸ばす竜崎。さくらは指輪を彼に握らせようとする。が―。

「あっ…!」

乗せた瞬間、指輪は地にコロリと落ちる。急ぎ拾って、もう一度持たせようとするが…やはり竜崎は握れず、落としてしまう。

「…っ…。動…け……」

歯を食いしばり、竜崎は必死に手を動かす。だが、とても細かい物を掴める動きではなかった。どうしようと焦ってしまうさくらに、賢者が促した。

「さくらちゃんや、指にはめてやるんじゃ」

「―。はい…!」

頷いたさくらは、すぐさま従う。竜崎の手を優しく支え、薬指に指輪をはめてあげる。と、竜崎は小さく笑った。

「あり…がとう…。……恥ずかし…からずに…、ずっと…はめとけば…よかったよ…」

痛みに耐え続ける苦悶の顔に、自虐と照れ隠しを混ぜっ返したような表情を微かに浮かべた竜崎。彼はそのまま、指輪を親指で押さえた。

「―…―。 ――、ぐっ… ――。」

そして、少しずつ詠唱を紡ぐ。しかし―。

「っ…がほっ…!」

「―! 竜崎さん!」

大きく吐血する竜崎。さくらだけではなく賢者とニアロンも即座に助けに入るが、彼は詠唱を止めなかった。

「フー…フー…。ぐぅっ…、――、――。」

命を消費し、魔術を紡ぐ。まさにそう言うべきな、必死の詠唱。それを見ていられなくなったニアロンが、声を震わせながら訴えた。

―…止めてくれ…清人…! 今、魔術を使うなんて…―

ただでさえ瀕死の状態の竜崎。それなのに魔術を行使する…体力魔力を浪費するなぞ、自殺行為に等しい。

それ故の、ニアロンの訴え。と、竜崎は詠唱を一旦止め、彼女を見つめた。

「ニ…アロン……」

―…くっ…!―

表情を歪ませ、口を噤むニアロン。こういう時の竜崎は、言う事を絶対に聞かない。そんなことはわかっていたというような素振り。

それでも、言わなければ気が済まなかったのだろう。彼女はただ顔を伏せ、心に渦巻く感情から逃れるように、呪いの沈静化作業へと戻った。







「…よ…し…」

魔術の準備が終わったのか、そう呟く竜崎。すると彼は、もう一方の手を動かす。そして別の詠唱を始めた。

「…! それって…風の…」

そう口にするさくら。その術式は幾度も聞き、使っているものであった。中位精霊―、妖精の姿をした精霊の召喚術式である。

と、指輪をはめていない方の竜崎の手に魔法陣が浮かび上がる。緑の光を伴うそこからは、精霊の姿が現れ―。

「――、が…っう…!」

その瞬間、竜崎は悲鳴をあげる。それと同時に、呼び出されかけていた精霊は心配そうな表情を浮かべ消滅していってしまった。


…もう彼に、召喚術式を完成させるほどの余力はなかった。呪いを抑えるのに精神力のほとんどを使っている今、片腕に別の魔術を準備したまま精霊を呼び出すことなぞ…。

「…く…そっ…」

悔しさを露わにしながら、再度試みる竜崎。しかし、今度は魔法陣すらまともに形成されない。20年もの間、最も使い、慣れ親しんだ精霊術。その詠唱が出来ぬほど、彼は弱っているのである。

そんな竜崎の姿を見て、さくらは思わず―。

「竜崎さん…! 私が…私が召喚します!」

そう名乗り出ていた。







「…! お…願い…!」

救いの手を見つけたかのような、安堵の声をあげる竜崎。託されたさくらは、両手を受け皿に詠唱を始めた。しかし―。

「――。――…」
パシュンッ…

「え…!?」

精霊術が、成功しない。普段、それどころかさっきまで使っていたはずのそれが。


異常事態が続く戦況、竜崎を瀕死にしてしまったという呵責、何もできないという鬱屈…。さくらの心は平静ではなかったのだ。集中力が必須となる魔術を行使できないほどに。

加えて、彼女は精霊石の補助に頼ってきた。バッグを奪い返す時は無我夢中で成功させたが、今は少々状況が違う。

竜崎さんから期待を寄せられている、なんとしても成功させなければ…! そんな思いが焦燥を加速させ、術式の成立を妨げていたのであった。



「な、なんで…なんで……!」

もう一度試すさくら。しかし、焦った詠唱が成功するはずもない。繰り返すほどに彼女はパニックに陥り、目から涙を滲ませ―。


「さ…くらさん…! 一度…深…呼吸…!」

そんなさくらを正気へと引き戻したのは、竜崎の喝。苦しみを極力抑え絞り出されたそれは、まるで諭すかのよう。

「教えた…こと…、今までの…経験を…思い出して…。必ず…出来るから…!」

続く竜崎の言葉に、さくらは思わず彼の顔を見る。彼の表情は、生徒を信じる教師のそれであった。


(思い出す…竜崎さんから教わったことを…、あの日のことを…!!)

さくらは、大きく深呼吸。目をつぶり、力を手に注ぐ。

「集中…して…、そう…慎重に…なり過ぎず…そう…その調子…!」

耳に入ってくる竜崎の教示に従いながら、気を研ぎ澄ましていくさくら。もう少し…もっと…今―!

「力を…貸して!」


「―――!」

瞬間、さくらの顔をそよ風が撫で、耳には涼やかな精霊の声が。目を開くと…そこには意気込む風の中位精霊が、軽やかに飛んでいた。



「やった…!」

喜ぶさくらに付き従うように、精霊は舞う。竜崎も笑顔を浮かべた。

「流…石…! あと…は…、ぐぅっ…!」

気を抜いてしまったせいか、苦しみに悶える竜崎。と、そんな彼を支え代わりに口を開いたのはニアロンであった。

―アリシャとソフィアの視界に入るように精霊を飛ばし、円を描きながら3回点滅させろ。それで通じる―

「…! はい!」

さくらは聞いた内容をしっかりと頭に描き、精霊へと祈る。これもまた、竜崎から学んだこと。

「―――!!」

そして任務を受けた風の精霊は、疾風蹴立てて飛び出していった。











「うぷっ…。ヤバいわね…これ…気持ち悪く…ウッ…」

一方の戦い続けている勇者達。機動鎧に乗るソフィアは、明らかに動きが鈍りだしていた。濃すぎる魔力に、魔力酔いの症状が出始めているのである。

ここはほぼ閉じ切った密閉空間、魔力は碌に外に出ていかない。それどころか、獣人が暴れるたびに竜脈が拗れ、今なお大きく噴き出し続けている。

更に不味いことに、先の獣人の一撃により、機動鎧の調整機構がイカレたらしい。このままでは、数分足らずも経たぬうちに戦闘不能に陥ってしまう。

いや、それよりも先に獣人の攻撃を食らい死んでしまうのが先かもしれない。今はアリシャが抑えてくれているが、そんな彼女も苦戦気味。掠り傷程度とはいえ、怪我を負い始めている。


どうすれば―。ソフィアが切羽詰まったその時だった。





ヒュンッ!

「―! 何…!?」

突如、機動鎧の横を何かが掠める。頭部を動かしそれを確認すると―。

「風精霊…!」

その正体、緑に輝く中位精霊。と、その子は俄かに妙な行動をとった。空中で円を描くように周りながら、三度強く点滅したのだ。

「―!それって…!」

反射的に、ソフィアは竜崎の方を見る。しかし、彼は臥したまま。代わりにさくらが祈っているような様子は見えるが…。

「―ま、でも…! 間違いないでしょ!」

ふっと息を吐き、獣人へと顔を戻すソフィア。その言葉には一切の迷いはなく、全幅の信頼が籠められていることすら感じ取れた。

と、全く同じ語勢のアリシャの声が、彼女の名を呼んだ。

「ソフィア!」

「ええ!やりましょ!  頼んだわよ、キヨト!」





不意に、勇者達の動きが変わる。攻めあぐね、なんとか隙を探そうとしていたのが、いきなり獣人へと肉薄せしめたのだ。

「! ガォオッ!」

好機とばかりに吼え、烈々たる勢いで攻撃を仕掛ける獣人。勇者達は紙一重で避け、弾きを繰り返すが―。

ザシュッ!
「―っ…!」

ビキッ!
「うっ…! 関節の接続が…!」


ものの数秒足らずに、アリシャもソフィアも窮地に追いやられる。闇に染まりし4本の、文字通り怪腕による猛攻の前には、隙を突くことはおろか、逃げることすら能わない。

「「くぅっ…!」」

小さく悲鳴を漏らす勇者達。もはや抵抗することすら難しいその状況、死の運命は目前。

「グゥウウッ!」

勝利を確信したかのように吼える獣人は、トドメと言わんばかりに神具の鏡搭載のラケットを振り上げ―。


―その毛ほどの瞬間を、竜崎は逃さなかった。





「今…!!!」

戦況を凝視していた竜崎は、即座に溜めていた魔術を解放、注ぎ込む。刹那、指輪は緑に光り―。


ゴァッッッッッ!!

遠く離れた神具のラケットからは、狂飆きょうひょうの如し爆風が噴き出した。




「グゥッ!?!?!?」

全く予想だにしていない状況での、卒然とした風の一撃。獣人は腕を持っていかれ、俄かに態勢を崩す。

―そう。大きな、隙が出来たのだ。弱点を狙えるほどの。それこそが、勇者達が待ち望んでいたもの。

『風で隙を作る、仕掛けてくれ』―。勇者一行の間で取り決められていた、竜崎の精霊合図。彼女達はそれを信じ、飛び込んでいたのであった。



そして完全に懐に潜り込んでいた2人は、一切の間なく、仕掛けた。


「ぶん殴り機構…最大出力っ!!」

耐えている間に拳へのチャージを終わらせていたソフィアは、その一撃を獣人のみぞおちへと思いっきり叩きこむ。

ドムッッ…!
「ゴケッッッ…!?」

拳は獣人の身体を貫かんばかりに突き刺さり、彼は前のめりになる。そこへ―。



「はああぁっ!!」

ザンッッッッッ!!!


紫光煌めかせた勇者の一閃が、白目になった片瞳ごと、獣人の顔面を深々と叩き切った。

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