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閑話⑩
我が社の日常:市場で取引お買い物③
しおりを挟む「麗しきお嬢様を見間違うはずがございません…! アストお嬢様でいらっしゃいますよね…!?」
―ふと背後より聞こえてきた、思わぬ台詞。そして…社長にとっては初めて聞く声であり…私にとっては、聞き馴染みのある声……!
ハタと足を止め、ゆっくりと…おっかなびっくり身体を向ける。そこに立っていたのは……。
「私めにございます…! お嬢様に…『アスタロト家』にお仕えしております、メイドの『ネヴィリー』にございます!」
……やっぱりぃ…。
もう今更説明するのもアレなのだけど…。私アストの本名は、“アスト・グリモワルス・アスタロト”。魔界大公爵として名を馳せる『アスタロト家』の娘…。
箱入り娘だった私はある時一念発起し、両親を説得したりの紆余曲折を経て、『社会体験』としてミミック派遣会社の社長秘書をやらせて貰っている…。
まあ私の紹介はこれぐらいで良いとして…。今目の前にいる彼女…。ネヴィリーと名乗る、眼鏡をかけメイド服を纏った悪魔族女性は、そのアスタロト家に勤めてくれているメイドさん。
…というか…私の侍女として、長年身の回りの世話をしてくれたメイドの1人である。しかも、ちょっと厳しい系の、教育係長的な……。
……実に……実にマズい……!
何がマズいかというと…。私、社会体験のため家を出たことは伝えてあるけど……どこに勤めているかなんて、というか仕事をしていることなんて、彼女に一切伝えてないのだ。
別に彼女だけではなく、召使全員に。次期公爵である娘が、秘書役とはいえどこぞの会社で事務仕事に従事しているなんて言ったら…必ずや引き止めてくる。
あ、勿論家族には秘書業務をしているのは伝えてある。実はこの仕事を選んだのにも、ちょっとひと騒動あるのだけど…その辺はまた別の機会で。
ただ…幾ら主人の決定とはいえ、召使達にも想いはある。特に…『深窓のご令嬢として、次期当主として』をモットーに私を教育してくれたメイドたちには。
『そのようなお仕事、御身には似合いません!』とかなんとか言って、苦言を呈してくるのは読めていた。その流れがあれば、私の両親も必ず乗ってくる。だから、秘密にしておいたのである。
まあ流石にその親と大喧嘩……ゴホン、説得劇を繰り広げ認めさせた末の今だから、ネヴィリー達も私が仕事をしていることぐらいは察しているだろうけども…。
…本当…どうしよう…。きっと彼女のこと、事情を話しても『ミミックの下に就くなんて、公爵令嬢に相応しくございません!』と私を窘めてくるか、それとも…。
『アストお嬢様の上に立つなど、なんたる不遜! 今すぐ役職を交代なさい!』って、社長に向け言い放ちそうである。下手すれば、強硬手段にも。
――ただ…強硬手段に出たところで、社長が負けるはずは無い。ネヴィリーも護衛格闘術を習得しているとはいえ…戦力は蟻vs象。 いや、蟻vs巨大ドラゴン…。
いやいや、もっと単純で良い。一介のメイドvs魔王様と同等の実力者である。ネヴィリーに勝ち目なぞあるはずがない。
…というか多分、ネヴィリー相手なら私でも圧勝できちゃうし…。
けど、下手に話して変に諍いになるのは避けたい。ならば、適当に誤魔化して逃げるべき…。私がそう考えていると…。
「アストお嬢様。ご健勝な御姿を拝すことができまして、私、感慨無量でございます」
ネヴィリーは恭しく、深い一礼を……あ、駄目だあれ…!
一瞬だけ見えた、彼女の眼鏡の奥の瞳…。あれ、私を叱る時の目…!
ネヴィリー、普段は優しいし色々気にかけてくれるのだけど…あの目になった時は……!
「―ですが。 …嗚呼、邂逅の名誉を頂いた身でありながら、大変不行儀で恐縮なのですが…―」
ゆっくりと顔を上げながら、そう口にするネヴィリー。そして…あぁ…怖い…。
「――そのお召し物は、如何なものでしょうか?」
まずはそこかぁ…! …私が今着ているのは、秘書のスーツ。専用に誂えてもらったものとはいえ、社長を立てるような代物。
シックとはいえ…確かに貴族令嬢が着るようなお洒落な飾り気も、魔族伝統服のような造りもない。そこを見咎められてしまったのである。
何と答えようか迷っていると…。ネヴィリーは更に追撃を…!
「そして…何故、此処へ? 護衛の一人も、お付けになさらずに?」
ひゃ…!やっぱり…凄く怒ってる…! あの眼光の前では、『逃げる』コマンドなんて消えちゃう…!
な、なんとか答えないと…! えっと…えっと…!!
「こ、これは…仕事用の服で…! 来た理由は…その…市場調査で、今は自由時間なんです!」
ほぼほぼ嘘をつけず、そのまま答えてしまう。…なんとか『魔物素材を売りに来た』とか『ミミックを雇いに来た』とかは隠せたけど…。
「――それは大変失礼いたしました。折角の息抜きのお時間、お邪魔する訳にはいきませんね」
あっ…よかった…! 引き下がってくれた…? よし、この流れで……―。
「では、最後に一つだけお聞きしたいことが」
―…え? 目…変わってない……!? これってまだ…問い詰められて……!
「お嬢様がお抱えになっておられます『宝箱』は、如何なる代物なのでしょうか?」
――うん…!そりゃツッコんでこない訳ないよね! 公爵令嬢が市場のど真ん中で宝箱持って歩いているの、変だもの!
この宝箱に居るのは、ご存知の通り社長。 空気を読んでくれてるのか、蓋をしっかり閉じて隠れてるけど…!
「…もしや、お嬢様。何者かに『荷物持ち』をさせられている訳ではございませんよね? もしそのようなことであれば…―!」
い、いや…荷物持ちというか社長持ちというか…! わ、わ…! ネヴィリーから明らかに殺気が漏れて…!明らかに『その犯人を仕置く』と言わんばかりに……!
かといって、『これ、社長です』という訳にもいかない…! というか今明かしたら、間違いなく最悪の事態になる…!
…って、気づいたら、周りの人達が訝しむ感じにこちらを…! と、とりあえず…!!
「ネヴィリー、こっちに!!」
社長の箱を片手で支え、空いた片手でネヴィリーの手を掴み…人目を避けるため、近くの路地裏へと!
「ふぅ……」
「アストお嬢様…?」
「ネヴィリー!この場でちょっと待っていて! あと、聞き耳は絶対立てないで!」
眉を潜めるネヴィリーにそう命じると、彼女ははぁ…と頷き、遵守するように手を耳に。 それを確認し、私はもっと奥、丁度あった角を曲がった辺りへ。
そこで更に、ネヴィリーが不動なのを確認し…パカリと宝箱を開けた。
「しゃ、社長ぅ…! ど、どうしましょうぅぅ…!」
「いや、どうしましょうって言われても…。あなたのメイドでしょうに…」
開幕泣きつく私を撫でてくれながら、社長は呆れ声。でも…本当どうすればいいか…!
他のメイドならまだしも、寄りにもよってネヴィリー…。彼女、こういう時はしつこいのだ…。
私が小さいころ、隠れてグリモアお爺様の元に行った時…。わざわざ私の部屋で腕組みで待っていて、自白して謝るまでおやつ抜きとかしてきたのだもの…。
きっと、適当な誤魔化しでは許してくれない…。多分、いや百パーセント、さっきの私の答えも信用してない…。
なんとかして、なんとかして彼女を鎮め、帰ってもらう方法は……―。
「んー。じゃあもう、もてなしちゃったら? 要は、『ご機嫌とり』!」
「……いやいやいやいや! ネヴィリー、それで解放してくれるタイプじゃないんですよ!」
社長の提案に一瞬頭がフリーズしたが…即座にそう返す。すると社長は、何故か心得顔を。
「そうかしら? あの人きっと、アストの事が心配で心配で仕方ないだけよ。立派にやっているとこを見せたら満足して帰るわよ」
…そ、そんなものなのだろうか…? で、でも…。
「もてなすと言いましても…。会社に連れていくわけには…」
そんな事をしたら、まず間違いなく暴れる…。あと、私の部屋とか掃除しだす…。綺麗にはしてるけど…せっかく私流にコーディネートした部屋が…。
あと今日、新人ミミック達が来てるし…。事を荒立てるのはちょっと……。
そう心配をしていたら…社長はネヴィリーに聞こえぬよう、堪えた笑いを。
「それも面白そうだけど…。別に今、もてなせばいいのよ! 合流時間まではまだたっぷりあるでしょ?」
「そ、そうですけど…。 どうすれば…」
「別に気張る必要はないんじゃない? 今から巡ろうとしていた場所に、一緒に連れてってあげれば!」
えぇー…。折角社長と二人きりショッピングだったのに…。 内心ちょっと頬を膨らませていると、社長はそれを見透かしたように―。
「そんな不満がらないの。 私達はまた次回もあるし、なんならいつでも来れるじゃない。また今度楽しみましょう」
そう微笑んで、私を宥めてくれる。 と、ずずいと顔を寄せ…。
「それに、これは良い機会じゃない! 彼女、ずっとあなたを見守ってくれた方なのでしょ?」
その問いに私はコクリと頷く。それを見た社長はにっこり。
「なら、お世話になっていた召使を労うのも、『のぶれす・おぶりーじゅ』というものじゃないかしら?」
…ノブレス・オブリージュ…。それを持ちだされてしまったならば、もはやなにも言い返せない。けど…。
「普段通りのアストでだいじょーぶ! そうね…後は欲しがってそうな物があったら、買ってあげたり?」
またもこっちの心を読むように励ましてくれ、しかもアドバイスまでしてくれる社長。そして、胸をドンと。
「良いわよ、『接待費』として経費扱いしたげるから! 宝石ぐらい買ってあげなさいな!」
……凄く頼もしい台詞だけど…。その場合は、私の自腹にしとくべきなのだろう。
とりあえず作戦?は決定。社長を信じ、私も一歩を踏み出してみることに。
…ところで。
「社長はどうします…?」
ネヴィリーをエスコートするとなると、必然的に社長は身を隠し続けてなければいけない。ならば、今のうちに別行動をとるのが良いと思ったのだけど…。
「あの調子だと、ここで私がいなくなっても『宝箱はどうしたのですか?』って問い詰められるわよ。『購入した商品』として付いてくわ!」
『丁度、特別な宝石や魔導書を入れる専用箱が欲しかったところだった』とでも言えば彼女も納得するんじゃない? そう助言をしてくれながら、社長は箱の中でモゾモゾ。
するとあら不思議。ぱっと見では中に誰も…もとい、何も入っていないかのように。これなら開けられても問題なし。
「頑張って、アスト『お嬢様』♪ 要所で手助けはしたげるわ♪」
そう言いつつ、蓋はパタリ……。…なんか悪い笑みを浮かべていた気が…。
……あー!! 社長、絶対この状況を楽しんでる! 私があわあわするのを、ニヤニヤしながら見物する気だ!
……けど、心強い味方には変わりなし。箱を抱え直し、服を整え直してと…。よし…!
「お待たせネヴィリー! ちょっと社ちょ…ンン、部下の人達に連絡を入れていたんです」
「まあそれは…! 私め如きがお嬢様のご迷惑となってしまって……」
「それでネヴィリー! まだ自由時間に余裕はあるし、一緒にお買い物をしません?」
小言を言われる前に、それどころか謝罪の言葉を言い切る前に被せて提案する。ついでにこの箱の事とか、見たいところが色々あることとかも付け加えて。
ネヴィリーはまさかの展開に目を丸くしていたが…。断るのも失礼だと思ったのか、微笑みつつ頷いてくれた。
「お嬢様からそのようなお誘いを頂けるなんて、これ以上の誉れはございません。是非に」
ほっ…良かった…。まずは一段階目成功と…。じゃあ早速…。
「ではお嬢様。その宝箱は、私めがお持ちいたします」
……っ!!!! そ、それは…!!!!
「だ、大丈夫! 私が持つので!」
「いえ、そうご遠慮なさらずに。 私を荷物持ちとして、存分にお使いくださいませ」
私が拒否しようとも、箱を受け取ろうとしてくるネヴィリー…! いくら社長が凄くても、ボロが出るかも…!
それに…それに…! 社長、もしもの時は手助けしてくれるって言ってたし…! 社長を抱っこするのは私の仕事…!!
「…お嬢様? お渡しくださいませ…!」
私が頑として手放さないと、ネヴィリーも怪しみだしたのか、目をちょっと変えだした…!多分、変なものを買わされてないかとか警戒してる…!
でも…放すわけには…! このまま、通りへ…―。
スポンッ!!
「「あっ!?」」
嘘…! 狭い路地裏から出て、引っ張り合いに変に力が入ったせいで…! 私とネヴィリーの手が同時に滑って、(社長入りの)宝箱が吹っ飛んで…!!
――させない!!
「は、はぁあ…!! え…!?」
―ふと、背後らへんから、ネヴィリーの焦る声が聞こえてくる。そして、驚愕する声も続いて。
どうやら彼女も、即座に宝箱をキャッチしようと動いてくれていたらしい。 …けど。
「っとと…! …ごめんなさい社長…! 大丈夫ですか…?」
――私の方が、速かった。 瞬間的に地を蹴り、羽を広げ、箱を空中でキャッチをしたのである。ついでに小声で、中の社長の様子も窺った。
「…も、申し訳ございません…!! 大切なお品物を…!」
私がふわりと着地すると、狼狽した様子で平謝りしてくるネヴィリー。
「い、良いんです! やっぱりこの箱、ネヴィリーに一旦預けますね」
そんな彼女を止め、社長の箱を手渡す。 ネヴィリーは困惑しながらも、これ以上ないほど謹んで受け取った。
…実は、今しがた社長を確認した際、笑いながら『渡しちゃいなさいよ!』と言われたのだ。確かにこのまま意地張ってても不自然だし…従うことに。
「ささ、それじゃ行きましょう!」
そう促しつつ、私は先を歩く。―すると…。
「…装飾もとても凝っているし…。見たことが無いぐらいに立派…。…中には…何もないわね…。よかった…壊れていなくて…」
後ろから、ネヴィリーの安堵の息が。傷の確認をしてくれていたらしい。
……そして、社長は見つかっていない様子。流石。
さて、では気を取り直して…。今度こそ…レッツ、ショッピング!!
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