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零章 第四部『加速と収束の戦場』
六十五話 「RD事変 其の六十四 『紅虎の動き④ 人類の守護者』」
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各国のスペースがあるホールは全部で三つあり、貴賓を迎えるために、外観は三つがつながった宮殿のような造りになっている。さすがに各ホールの出口は一つではなく、それぞれ西、東、南の三つが用意されている。
西側のホールから出ると、街に向かう巨大な幹線道路が見える。幅は二百メートル以上はあるので、小型の戦艦なら楽々通れる広さだ。東には郊外の娯楽商店施設につながっている。
ここは郊外とはいえ街に出る必要がないほどの施設が存在し、一つの歓楽街として機能していた。この歓楽街は会議場からの客を想定して作られているので、連盟会議の間も店は開かれている。ただし、現在は緊急避難勧告が出ているので、施設はいっせいにシャッター街に変貌している。
南の出口は港につながるルートで、道幅も西側のものよりも巨大だ。というよりは、もう道路らしい道路はなく、空港のようなだだっ広い舗装された敷地が見渡す限りに広がっている。普通の道路では戦艦が通るには狭いので、港までこうした敷地が続いているのだ。
その敷地も、今は物々しい厳戒態勢を敷いているため、魔人機やら戦車やらでごった返していた。
ダマスカス製ゼタスの初期型、予備のハイカラン、シェイク・エターナルの主力制式魔人機ブルゴーン、ルシア艦隊から派遣されているゲリュオン隊、ロイゼン神聖王国の予備戦力であり、神聖騎士団が扱うカミューなど、各国さまざまな機体が寄せ集められていた。
この中で唯一まともそうなものは、ジュベーヌ・エターナルが所有するブルゴーン隊くらいで、他の五大国家の戦力はあくまで予備という程度にすぎない。すでに戦力を出して損耗してしまったダマスカスにおいては、とりあえず数だけそろえたという掻き集めの様相である。
これだけ見れば、世界最大戦力である五大国家にしてはみすぼらしくも思えるのだが、量産型は近年になってようやく生産が開始されたものばかりなので、品質として上等なものは非常に少ない。本格的なノウハウは、これから蓄積するからだ。
中には独自に開発した特機も存在するが、まだまだ実験的な要素が多く、安定した戦力というには程遠いだろう。こちらも数をこなしながら少しずつ改良していくしか道はない。
それらの技術がタオのオブザバーンシリーズにたどり着くには、軽く五百年はかかるに違いない。賢人の遺産を使った技術は、それほど圧倒的であった。
しかしながら、オブザバーンシリーズの性能は飛び抜けていても、扱える武人が非常に少ないという欠点もあるので、【凶器】としての評価は抜群だろうが、兵器としての評価はあまり高くないだろう。それゆえにタオはあまり評価されなかったのである。
一方、それとは対照的にすでに完成されたカテゴリーも存在する。それがWG製のオーバーギアである。
WGは、世界で唯一魔人機を生産する技術を持った組織である。その全容はいまだ不明な点が多いが、現状で最先端の技術を持っているのは間違いない。
なにせナイトシリーズが作られたのは、もうかなり昔のことである。その段階で現在の技術を超えているのだから、それがいかに卓越しているかを思い知らされる。
この会議には、世界中から国家が集まっている。その中には、当然ながらオーバーギアを所有する国家も多い。これはWGが戦力の均衡を図るために、呂魁のような特機を各国に分配しているからである。
選考基準もいまだ不明だが、各国に最低一機以上はオーバーギアを与えているようである。その中にはナイトシリーズも含まれるのだが、こちらは扱える武人がいなければ支給はされていない。さすがに宝の持ち腐れは防ぎたいようである。
また、あまりに突出した力を持つ国が生まれた場合も、WGは支給や修理請負を止めるなどの措置を取ることがある。オーバーギアといえど、壊れてしまえば使い物にはならない。簡単な修理や改装はできても、ジュエル・モーターなどのコア部分はWGでないと直せないことが多いのだ。
WGからの技術供与が止まってしまえば、さすがの強国も困る。数年は大丈夫だろうが、十年、二十年経てば、その影響は計り知れない。その間に各国の技術が自分たちを上回る可能性も高いのだ。
各国がギリギリのバランスを保っているのは、こうした配慮があるからである。
このような姿勢から、WGは世界の均衡を図りたいと考えているようだった。たしかに多様な国家が存在したほうが、多様な技術が生まれやすい。それは最終的にWGにも還元されるだろう。そこからまた新しいものが生まれるに違いない。
だが、WGからの技術漏洩事件があってから、その均衡も少しずつ崩れる可能性があった。もしWGに頼らずに強力な兵器が量産できるのならば、それに越したことはないに決まっている。
この各国のMGが集まる【見本市】は、見る人々の気持ちをどこか不安にさせた。いつかこれらが世界を破滅に導くのではないか、と。
ただ、それはまだ杞憂だろう。いまだ、まだ、WGは力を保っている。その象徴たる機体が、ここには居並んでいるのだから。
最初に目につくのは、夕焼けに輝く黄金の機体、アカシカル・サロンである。シャーロンが駆る特機で、ネーパリック〈祝福された奇跡〉の称号を持つ超一級品である。
見た目はハイテッシモのようなゴツゴツしたものではなく、もっとすっきりとした姿をしている。武装も巨大なものは存在せず、小型の剣が二本、腰に装備されているだけだ。
それを見て侮ってはならない。ネーパリックの名は伊達ではないのだ。この金色の機体は太陽の光を吸収して、さまざまな力に変えることができる。それを含めた出力はナイトシリーズをたやすく凌駕するだろう。
唯一の懸念材料は、太陽が落ちた夜だとその力が使えないことだ。昼間に充電しておけば問題ないが、使い切ってしまうと、昼間のように常時供給ができないので継戦能力に不安が残る点である。それでもナイトシリーズと同等の力はあるので、名機であることに違いはない。
ちなみにヨシュアのハイテッシモも、あまり目立ちたくないという理由から表には出していないが、ガネリアの巡洋艦ガーバックルには積まれている。本来は権威を示すために出すべきなのだろうが、本国の事情によって隠されていた。
五大国の顔を立てるために、基本的に他の国家は戦力を展開してはいない。ただ、中には自国のオーバーギアを出している国もある。対立している国に対して力を誇示するためと、万一にそなえて準備するためである。
その中には他の各色ナイトシリーズも存在し、普通の量産機とは違う存在感をいかんなく放っていた。当然、乗る武人もどれも一流。各国の騎士団長や豪傑であるのは間違いない。
そんな魔人機の周囲には、防衛準備にあたっているジュベーヌ・エターナルの人員や、ダマスカスから派遣されている整備士などがひしめいている。そんな彼らは黙々と作業に当たっているわけだが、たまに首の角度を変え、ある一点を見つめることがある。
それはなんというのだろうか。奇妙なものを見るような、物珍しいものを観察するような、あるいは場違いなものを見るような、若干の戸惑いを含んだ視線である。
なぜ彼らがそのような視線を向けるかといえば、明らかに【毛色が違う】からである。
ここにいるのは、誰もが魔人機という力に対して信頼を置く者たちだ。物的な力であり、破壊力であり、戦闘力。こうした力こそ戦場では価値を示すと信じる者たちである。
が、一方の視線の先では、それとは対照的な者たちが集まっていた。その数はおよそ三十名といったところだろうか。
(…なぜ、こうなったのだろう)
その奇妙な一団の先頭には、なぜかバラ・エイゾウムの姿があった。彼は今、とても悩んでいる。
バラ・エイゾウム、十五歳。
鳩のような紫がかったダブグレイの灰色の髪は、軽くボブにまとめられ、どこぞのお坊ちゃんのような上品さを醸し出している。黒い瞳には綺麗な光沢が宿り、そのやや垂れた目尻に年齢以上の愛らしさを与えている。
体躯は小さく、線も細い。なんとか大きめのローブをまとうことで威厳を示しているが、大人と子供の中間、その子供寄りに位置する彼の微妙な姿を隠しきれてはいなかった。つまりは、だぼだぼである。
手に持つ杖は、先端に白い人型のような造詣が施された怪しいもの。白い人型のものが複数絡まり、上空に手を伸ばしている姿は、はっきり言ってキモい。デザインは完全に色物である。
しかし、この杖こそ、エイロウ魔法王国の国王だけが持てる伝説の魔具である。
魔具とは術具と同じ意味であるが、魔法王国においては魔具と呼ばれることが多い。実際、魔具と呼ばれる物の大半には、特殊な力が宿っていることがあるからだ。
エイゾウムは、国王である。
ただし、エイロウ魔法王国は王制を敷いているが、あくまで対外的なものであり、なおかつ世襲制でもない。国を立ち上げた英蠟王は子を成さずに他界したし、世襲制にしないように通達もあったからだ。
彼の遺言は二つ。
一つは、この国を魔法国家として存続させること。魔法の研究保存のために作られた国なので、それは至極当然である。もう一つは、国王は出身や血筋に関係なく魔力が高い者であり、英蠟王が持っていた魔杖に選ばれた者に限る、ということ。
魔法王を名乗る以上、それ相応でなくてはならない。また、魔法に対して貪欲であらねばならない。それ以上に、資質がなければならない。いかなる情熱も、素養なしには成し遂げられないことを英蠟王は知っていた。
魔杖は資質を見抜く最高の選別アイテムなのだ。
もし魔杖に選ばれる者がいなかった場合、その空白の期間は、英蠟王が存命中に生み出した人造人間、エイト・パインズ〈八人の魔人形〉によって国が運営されるようになっている。
エイト・パインズたちは、偉大なる者の中に元人造人間がいると知った英蠟王が、その技術を模倣して生み出した者たちである。当然、完成までには相当な時間がかかったし、彼も人生の大半をそれに費やしたと言っても過言ではないほど手間もかけた。
その結果、比較的人間に近い人造人間たちが完成した。その出来が、かつての技術に遠く及ばないことは当人も知っていたが、それでも通常の人間を上回る知能と感情、能力を得ることに成功した。
エイト・パインズたちは、人間のように無駄なことはしないので、実に合理的に国家を運営してくれる。寿命も人間と比較にならないほど長いので(レイアースと同じ不老の術式を使っている)、正直エイゾウムなどいなくても大丈夫だと思うほどに優秀である。
ただ、彼らはエイゾウムが国王(魔杖)に選ばれたときに、盛大に祝ってくれた。感情豊かな彼らは、喜びにむせび泣き、踊り狂い、最後には従者も入れた人間ピラミッドで祝福してくれた。国民全員にお祝いの品を出すくらいの喜びである。
彼らにとって、王の誕生はそれほどまでに偉大なことなのだ。王あっての魔法王国なのだから。
そんなこったで、久しぶりに王が誕生したエイロウ魔法王国は、そのお披露目も兼ねて連盟会議に出席した。さすがにエイト・パインズが出席するわけにもいかないので、ここ十年あまりは会議に出ることもなかったのだ。それだけに喜びもひとしおであった。
そのはずであったのだが、なぜかこうなっている。
紅虎に半ばさらわれ、強制的に連れてこられた。誰も助けてはくれなかった。王になった時はあんなに祝ってくれたのに、こうも簡単に見捨てられるとはショックである。
唯一の救いは、その災難に遭っているのが自分だけではないことだ。周囲には自分と同じく、訳もわからずに連行された者たちがいる。誰もが周囲を見回しながら、心細そうに身を縮込ませている。まるで保護されたばかりの野良猫のような姿に、エイゾウムは親近感さえ覚える。
ほっとして視線を動かすと、一人のローブを羽織った人物と目が合った。
(あっ…)
エイゾウムは、思わず目を伏せる。
伏せる理由は特にないのだが、その人物はなぜかエイゾウムを見つめて、時折微笑みかけてくるのだ。嫌ではない。変でもない。なぜならばその人物の容姿は、むしろ綺麗といっても間違いではないからだ。
エイゾウムが目を伏せたので、何か異常があったのかと、その人物が声をかけてきた。同時にエイゾウムの身体がびくっと震える。
「大丈夫ですか?」
「あっ、は、はい!」
「この季節はまだ冷えますね。日も暮れつつありますし、寒くはないですか?」
「だ、大丈夫です!」
「そうですか。何かありましたら遠慮なくおっしゃってくださいね」
「あ、ありがとうございます…」
と、このようにとても親切である。声音も涼しく穏やかで、聴いている者に落ち着きを与える声だ。ローブから垣間見える顔も端正で、女性的な雰囲気を感じる。
怯えているエイゾウムを心配して、こうして定期的に声をかけてくれるので、悪い心持ちになる必要性はない。むしろ感謝すべきかもしれない。
ただ、普通とは違う面もある。
(この人は、人間…じゃない…よね?)
ローブを羽織っているので確証はないのだが、明らかに普通の人間とは違う気配を放っていた。隠しているので気がついている者は少数だろうが、エイゾウムにはありありとその力が感じられた。
隣にいるのは、琥硝姫が貸し出したアン・アデイモンである。
アン・アデイモンはキトン調の服を着込んでいるが、その能力の特殊性から、さらに能力隠しのローブを羽織っていた。この補助術式がかかった装備を身にまとうと、相手からは能力が見破れなくなる効果がある。
とはいえ具体的な能力を隠すだけであり、そのすべてを隠せるような万能性はない。あくまで誤魔化すといった程度だ。その代わり、かなり高度な探知術にも引っかからないという性質を持つ。人間が使える術式で見破るのは不可能に近い。
それゆえに、ぱっと見ただけではアン・アデイモンの正体に気がつくことは困難である。実際に高レベルの術者が周りにいても、エイゾウムのほかは誰も気がついていないのが、その証左である。
エイゾウムは「みんなも気がついているよね? なら大丈夫なんだよね?」と思っているが、そんなことはまるでない。エイゾウムだけである。
補足しておくのならば、彼は相手が亜人だからと差別するような少年ではない。もともと魔法自体、支配者たちが使う魔術を研究対象にしているので、異形の鬼神たちとの交流もあるのだ。
支配者たちは実に多様な姿をしており、中には生物とは思えない無機質なものから、まさに鬼神と呼ぶべき巨大で恐ろしい者もいる。が、多くの支配者は理性的で知性的だ。人間以上の知識がある彼らは、生命体として人間種以上の進化を遂げている者ばかりである。
しかもエイロウ魔法王国は、定期的に魔王城と交易を行っており、お互いに平和的なやり取りを行っている。魔王城からは魔法の知識や魔具の提供、エイロウ魔法王国からは人間世界の情報や物資、発掘されたが手に負えない前文明の遺物などを提供している。
魔王が人間であり、その関係で人間種もそれなりにいるので、魔王城とはいえ人間界の物資も必要となる。が、魔王城は監視の対象にもなっているので、なかなか自分たちでは取りにいけないし、外界の情報もあまり手に入らない。
そうした面倒なことを引き受ける代わりに、魔法の知識を提供してもらっているのだ。ただし、提供する知識はエイロウ魔法王国が自ら発見し、研究している過程で壁にぶつかったところについてのみ。それ以上のことを教えても害悪にしかならないからだ。
遺物については、現在の人間では扱えず害を及ぼす物(主に霊的な分野)も多くあるので、そうした処理を頼んでいる。それらは支配者たちの技術で浄化され、純粋な素材やエネルギーとなって、彼らの世界創造に利用されている。
一部は彼らが操る鬼神機、鬼機などの兵器にも転用されるらしいが、これらは地上にある神機とは若干違い、彼らの【身体】となるそうだ。
高位の支配者の中には、身体を持たない者がいる。意識や霊体は存在するのだが、彼らが存在する世界の因子の都合上、外界で活動するための媒体を持たない。そうしたときに身体を作る素材として、そうしたものが流用されるらしい。
彼らが外界で活動するには、偽りの肉体を生み出すか、あるいは鬼神機のようなものに本体を顕現するしか手はない。こうした事情が、彼らが魔王城から出ない一つの理由でもある。面倒であるし、その必要性があまりないからだ。
ちなみに鬼神機とは高位の鬼神が操る媒体で、鬼機とは第三支配者階級以下の鬼たちが操る媒体を指す。その差は、神機と量産型魔人機ほど違うらしい。
彼らの中には人間との融和を考える者もおり、交換留学生のようなこともしている。まだお互いに大きな影響を及ぼさない程度の浅い関係だが、それでも人間全体としては画期的なプロジェクトであろう。
そんな国の国王なのだから、エイゾウムも亜人くらい何でもない。しかもアン・アデイモンは人型である。怖れる必要はない。だが…
(なんだろう、この寒気は。何か、何か危険が迫っているような)
アン・アデイモンの視線を感じるたびに、身体がびくっと反応してしまう。身体全体にまとわりつく何か。蛇を目の前にした蛙のような気分になってしまうのだ。
危機を感じたエイゾウムは、少しずつ距離を取ろうとするのだが、なぜかアン・アデイモンもじりじりと距離を詰めてくる。それに合わせて、この場にいる全員が少しずつ動いている、という奇妙な光景だ。
この攻防がいつまで続くのかと恐怖を抱いたとき、ひときわ大きな声が響く。
「こら、動くでない! じっとしていろ!」
「ひっ」
エイゾウムは、その怒声に身体を強張らせる。強張らせたのは彼だけではない。他の者もいっせいに背筋を伸ばした。だが、怒声はさらに続く。
「貴様ら、ただ立つこともできんのか! なさけない! 心が卑しいからだ!」
アン・アデイモンとは種類が違う威圧感を放つのは、エイゾウムの前方にいる存在である。この存在もまた、エイゾウムにとっては謎であり、どうしてよいかわからない状況を生み出していた。
なぜならば、目の前にいるのは【子供】だからだ。
白い肌に黒髪、赤い瞳をした男の子。年齢はおそらくエイゾウムよりも下で、せいぜい十歳程度だろうか。身長も低く、小柄なエイゾウムの胸くらいしかない。
目つきはやや鋭く口調も強いことから、かなり威圧的な印象を受けるが、少年独自の荒々しさと思えば理解もできる。この年頃の少年ならば、大人に対してこうした態度を取ることも珍しくないからだ。
しかし、着ている狩衣――平安時代の衣装――には美しい金の意匠が施され、持っている白い刀も目を見張るほどに美しい。誰がどう見てもただの装備ではないし、術の素養と知識があるこの場の術士たちが鑑定しても、効果がはっきりわからないほどの逸品である。
それどころか、そうした探知系の術式がすべて吸収されているかのように、見ているだけで精神力がどんどん減っていくことのほうが脅威である。そのような術式を彼らは知らないのだから。
「お前らはたるんでいる! 少し稽古をつけてやろう!」
「え? 稽古って…」
「さあ、どんどんかかってくるがよい! オレ様は強いからな。遠慮なく全員でかかってこい! お前ら程度に一秒もかけるものか!」
その言葉に誰もが困惑する。少年の言葉の雰囲気から、おそらく肉体的な接触を伴う稽古の可能性が高い。そもそも一秒で倒してしまうようなものが稽古といえるのか疑問である。
当然ながら誰も前には出られない。
というより、彼らにはわかったのだ。
――中身は子供だが、ガチムチ系の臭いがする――
この場にいるのは全員が術者であり、多くの者は肉体的な鍛錬はあまり行っていない。一応やっているが、戦士の因子が強くなければ常人の域は出ず、せいぜい見た目が細マッチョになるのが精一杯である。
それはそれで役立つのだが、相手が武人の場合は紙装甲でしかない。それよりは強化補助系の術式で身体能力を上げたほうがいいだろう。よって、術者は多分に漏れず肉体派ではないのだ。(例外もいるが)
その彼らだからこそ、術者が一番忌み嫌うガチムチ系の臭いを敏感に感じ取れるわけだ。
この子供は、ガチムチ系だ。間違いない。
これはやばいと誰もがそう思った。しかし、それを直接言えるほどメンタルも強くない。なにせすでに吸い取られそうなのだから。
「ちょっと。そんなの勝手にやっちゃダメでしょ。何言ってるの」
そんな彼らの窮地を救ったのが、男の子の隣にいた、これまた同じ年齢くらいの女の子である。少し甘ったるい、たどたどしい声が響く。
褐色の肌は深くも柔らかい色合いで、不思議と引き込まれる魅力があり、長い抹茶色の髪を大きな珠のついた髪飾りで束ねている。瞳の色は青で、深い深い海の色をしていた。
女の子が普通とは違うのは、額にビンディー――インドで額につける印――のようなものがある点と、男の子同様、着ている服が世間一般で見られるものとは違う点である。
着ている服はサリー――インドの民族衣装――に近く、ゆったりとした服装は少しアン・アデイモンの服に似ているが、所々に珠の装飾品がついており、意匠もかなり趣が違う。加えて腰には、巻物のようなものと筆を持っていた。
その服からも強力な吸引力のようなものがあり、見ている者の精神力を容赦なく磨り減らしてくる。これも鑑定が効かないので、もはや術者たちにとって彼女たちの存在は奇妙を通り越して畏怖である。
「紅虎からは管理を任されている。鍛錬もその一つだ」
「でも、どう見ても弱そうよ。シャインみたいに頑丈そうじゃないし…死んじゃうんじゃない?」
「そうか? そういえば、たしかに弱そうだ」
「そうよ。シュトラは加減できないんだから、やらないほうがいいと思うわ」
「なんだよ。せっかく出てきたのに手持ち無沙汰だな」
そう言ってシュトラと呼ばれた男の子は、白い刀を鞘に納まったまま地面に叩きつける。それは軽く、どすん、と叩きつけただけなのだが――
―――割れた
戦艦が通っても大丈夫なように、コンクリートよりも強固に舗装されている地面が、シュトラの鞘がぶつかった瞬間に、周囲三十メートルに渡って蜘蛛の巣状の亀裂を入れながら粉々に砕けた。
一瞬、地震かと思うような衝撃が起こったあと、ボロボロと足元が崩れていく。
「ひぃ…」
アン・アデイモンを除くすべての術士が息を吐いた。「やらなくてよかった。冗談でも稽古を試さなくてよかった」という安堵の息と、あまりの恐怖にそれしか声が出なかったせいもある。人間、あまりに怖いと、か細い声しか出ないという実例であろう。
「あっ、シュトラが壊したー」
「ち、違う。ちょっと崩れただけだ。そうだ、あれだ。寿命だったんだ!」
「でも、壊したー。怒られるー」
「なんでこんなに脆弱なんだ! シャインのやつは思いきり殴っても大丈夫だったのに!」
シュトラが言うシャイン。もしここにシャイン・ド・ラナーがいたら、遠い目をしながら過去を思い出していたに違いない。「あれで何度もぶん殴られたなぁ」と。
かつてラナーが修行時代、シュトラとも剣の稽古をやっていた。むしろ紅虎当人よりもシュトラとの稽古のほうが多かった。紅虎が結界を維持し、シュトラが稽古をつけるという感じだ。
結果は常にボコボコであった。
毎日ボコボコにされ、涙で枕を濡らすラナーが見られたのは懐かしい記憶だ。そうした修行が、彼に常人を逸する頑強さを与えたのだろう。その代わり、彼は心を失ったが。
(…普通じゃない…よね。え? もしかして鬼神さん? さすがに違うよね。でも…え? 危なくない?)
日常的に支配者たちと触れ合うエイゾウムだからこそ、シュトラたちから感じるオーラが危ないと感じる。攻撃的という意味ではなく、秘められた力が尋常ではないのだ。道で出会ったら、確実に目を逸らすレベルである。
しかし、エイゾウムが目を逸らした先には、アン・アデイモンの目があった。左側を眼帯で隠しているので右目しか見えないが、その目はどこか蛇を彷彿させるものである。
どこを向いても気まずい。結局、真下を見るしかなかった。
「はいはーい、こっち見て~、見て~」
と、エイゾウムが真下を見た瞬間、女の子が前に出てきて大きく両手を広げた。結局、見なくてはならないらしい。どこにも逃げ場などないのだ。
女の子は、両手を腰に当て胸を張りながら、えへんと頷く。
「わたちの名前は、パクシュ。こっちはシュトラね。もう知ってると思うけど紅虎の家族よ。集まってもらったのは、やってもらいたいことがあるからなのよ」
薄々は、というより、もうそれしかないであろう答えをパクシュが述べたので、この場にいる者たちは素直に頷く。
とりあえず逆らってはいけない人物リストに、もれなくパクシュとシュトラが加えられたのは間違いない。(シュトラの言動には気をつけねばならないが)
しかし、一人だけ違う反応をした人物がいた。アン・アデイモンである。
「…やはり本物ですね」
「え?」
アン・アデイモンは、小さな声でエイゾウムだけに聴こえるように呟く。その目の瞳孔は大きく開き、興奮しているのがわかる。いったい何に興奮しているのかがわからないエイゾウムは、ぞっとしたものを感じた。
「こら、そこ、おちゃべりしないの!」
アン・アデイモンがぶつぶつ言っていたので、パクシュに注意された。一緒に注意されたエイゾウムは、まさにとばっちりである。とはいえ、パクシュはさして気にした様子もなく、話を続ける。
「え~っと、みんなにはいろいろやってもらいたいんだけど、んー、えっと、あれとこれと…あとはあれをして…」
「おい、簡単なことだ。あれを封じればよいのだ」
「シュトラは黙ってて! 今考えてるの!」
「お前は要領が悪い。もっとシンプルでよいのだ」
「うー、そんな簡単じゃないもんね!」
「いいから、さっさとあれを渡せって。話が進まんぞ」
シュトラに横槍を入れられて不機嫌だったパクシュだが、たしかに話が進まないと思ったのか、腰から巻物と筆を取り出す。それから巻物を広げ、何やら書き始めた。
パクシュが何かしらの文字を何行か書くと、書かれた文字が空中に浮かび上がり、ぽんっと一枚の札が生まれた。それを何度も続け、あっという間に人数分の札を書き上げる。
「みんな、これを持って」
パクシュが札を放り投げると、そこに集まっていたすべての者の手に収まる。
「これは…符か?」
「うむ、符行術のようだが…」
「だが、こんな術式は見たことがないな」
術者たちは配られた符を見ながら、込められた術式を読み取ろうとする。一流の術者の習性か、術のことになると目の色が変わり、シュトラやパクシュに対する恐れのようなものも消えていた。
符行術というのは、術式を紙に書き込んで術具とするものだ。ジュエルに込めるのとは違い、紙は一度使えば燃え尽きてしまうので、一回ぽっきりの使い捨て術具といえる。
普通の武人はあまり使わず、忍者や暗殺者が術具として使うことが多い。というのも、隠密行動を生業とする彼らは、その痕跡を残さないことが一番大切だからだ。
使い捨てで燃え尽きてしまえば、仮に自分が死んでも証拠は残らない。しかも軽いので、多少かさばることを除けば便利な術具である。さらに使い捨てという概念から、ジュエル以上に強力な術式を込めやすい側面もあった。
欠点は、紙と筆の質によって込められる術式のレベルが極端に変わること。安物では、たいしたものは書き込めない。術に耐えられないからである。また、紋様形式で書き込むので、なかなか作成が難しいというのも挙げられる。
市場では交通安全、家内安全など、お守りの符として売られており、符行術士にとっては良いアルバイトにもなっている。(交通安全は物理防御。家内安全は呪詛返しなどの効果がある)
このように符行術自体は珍しいものではない。されど、パクシュによって書かれた文字は非常に複雑で、かろうじてそれが守護系の術式であることしか読み取れない。
もちろん、彼らが符行術のエキスパートではないことも要因の一つだが、明らかに現在の符術体系とは違う文字で書かれているからだ。
(本当だ。こんなものは見たことがない。でもどこかで…)
エイゾウムも、このような術式は見たことがなかった。周りの者と同じく、それが守護系であることしかわからない。だが、この印はどこかで見覚えがあるような気がした。
そういえば、英蠟王が遺した魔具の中に、このような紋様があったような気がする。もしくは、魔王城から仕入れた物に似たものがあったような気がした。
その疑問に対して、意外なところから回答が出てくる。
「神仏守護の符、ですね」
「ほぉ、わかるか」
エイゾウムの隣にいたアン・アデイモンが符を眺めて呟く。それに感心したのはシュトラだ。わかる者がいるとは思わなかったのだろう。
「虚妍姫様が作られる護符に似ております。ですが、それ以上のことはわかりかねますね…」
虚妍姫とは、育する水晶の里の長である。補助系の術に優れ、彼女が持つ虚蒼の竜眼は、あらゆるものの力を無力化するという。
これは恐るべき力であり、相手の能力を完全に無効にできる。それがどんな相手のいかなる力であってもだ。当然、無力化する能力によって限界はあるが、最低一つはどんな能力であっても無効にできる。
たとえば、術者の術を完全に封じる、ということも可能だし、戦気を封じることもできる。相手がガガーランドであっても、戦気そのものを封じてしまえば、ジャラガンでなくても勝算が出てくるというものである。
ただこれも回数制限があるので、強力な瞳術ほど使いにくいことを実感するものである。その代わりに虚妍姫は、符行術を使って護符を民に配っている。効果はだいぶ落ちるが、相手からの特殊な攻撃を防ぐものらしい。
そして、パクシュの符も、その虚妍姫が書いた護符に似ている。アン・アデイモンがその護符について虚妍姫に尋ねたところ、「かつて存在していた神仏守護の符を真似たもの」と言っていたことがあったのだ。
しばらく忘れていたが、今それを思い出す。
「そう。それは神仏守護の符。わたくち、パクシュの加護が宿ったもの。効果は、みなさんの【眼】を護るものです」
「眼…ですか。なるほど」
アン・アデイモンは竜眼を持つので、その意味がよくわかる。竜眼は強力な力であるが、発動する前に潰されてしまえば意味はない。これはいかなる兵器でも同じだ。MGも、人が乗る前であれば無抵抗なのだから。
パクシュの符は、あらゆる攻撃から眼を護る絶対耐性を与えるものらしい。これは非常に助かる。世の中には、眼潰しの眼、という不思議な力を持った眼力もあるし、そうした攻撃から身を守れるのは大きい。
実はアン・アデイモンの眼帯も、素性を隠すのと同時に、そうした眼潰しから守る目的があった。これもかなり強力な術具ではあるが、今もらったパクシュの符には及ばないので、素直にありがたいと思えた。
しかし、アン・アデイモンならばわかるが、全員に渡す意味がわからなかった。これはかなり高位なものなので、これだけの数を用意するのは大変なはずだ。パクシュにとっては造作もないことなのか、あるいはアン・アデイモンの素性を敵から隠すためのものかもしれない。
どのような意図があるにせよ、神仏守護は最強の護符である。相手が誰であろうとも、これを一撃で破ることは不可能だ。
そして、このような符を作れることから、パクシュたちの正体はすでに判明していた。
(竜爪神様に連なる、本物の偉大なる神々の二柱。ただ、あの光は剣精の盟約だろうか。ならば、あの御二方は御子か)
人間よりも深い神々についての知識と、因子上の関わりが強いアン・アデイモンには、シュトラとパクシュの力が少しばかり視えていた。竜眼を持っていることも、それが右目であるとはいえ多少は影響しているのだろう。
二人は、紅虎が持つ二天真王、それに宿る【神意】である。
意思のある刀、それつまるところ【神剣】なり。神が自らの身をもって剣となった神話の刀。紛れもなく人類の守護者であり、最後まで人間のために戦った偉大なる神々である。
より正確に述べれば、彼らはその神の子ら(分霊)であろう。盟約によって剣に宿り、紅虎を守護する者たちである。力は本体よりは落ちるのだろうが、シュトラやパクシュが見せた力の片鱗は、人間を軽く超越しているものである。
問題は、そのような存在が堂々と表に出てきている事態。それがもっとも恐ろしいのである。
(何かとんでもないことになってきた…)
エイゾウムはアン・アデイモンとは違い、彼らがそんな大物とは知らないが、嫌な予感だけはどんどん強くなっていることだけは理解できた。
彼はただ連盟会議に出席しただけであり、何かをするつもりはまったくなかったのだ。ただ座っていればよいと思っていたのだが、世の中はそんなに甘くはなかったようだ。
そして、その元凶たる者が戻ってきた。
「やーやー、皆の衆。そろっているようだね。感心、感心」
まるで死神のような連中まで連れて。
(あっ、これ、死んだかも)
アプスの面子の登場に、エイゾウムは死すら覚悟したという。
各国のスペースがあるホールは全部で三つあり、貴賓を迎えるために、外観は三つがつながった宮殿のような造りになっている。さすがに各ホールの出口は一つではなく、それぞれ西、東、南の三つが用意されている。
西側のホールから出ると、街に向かう巨大な幹線道路が見える。幅は二百メートル以上はあるので、小型の戦艦なら楽々通れる広さだ。東には郊外の娯楽商店施設につながっている。
ここは郊外とはいえ街に出る必要がないほどの施設が存在し、一つの歓楽街として機能していた。この歓楽街は会議場からの客を想定して作られているので、連盟会議の間も店は開かれている。ただし、現在は緊急避難勧告が出ているので、施設はいっせいにシャッター街に変貌している。
南の出口は港につながるルートで、道幅も西側のものよりも巨大だ。というよりは、もう道路らしい道路はなく、空港のようなだだっ広い舗装された敷地が見渡す限りに広がっている。普通の道路では戦艦が通るには狭いので、港までこうした敷地が続いているのだ。
その敷地も、今は物々しい厳戒態勢を敷いているため、魔人機やら戦車やらでごった返していた。
ダマスカス製ゼタスの初期型、予備のハイカラン、シェイク・エターナルの主力制式魔人機ブルゴーン、ルシア艦隊から派遣されているゲリュオン隊、ロイゼン神聖王国の予備戦力であり、神聖騎士団が扱うカミューなど、各国さまざまな機体が寄せ集められていた。
この中で唯一まともそうなものは、ジュベーヌ・エターナルが所有するブルゴーン隊くらいで、他の五大国家の戦力はあくまで予備という程度にすぎない。すでに戦力を出して損耗してしまったダマスカスにおいては、とりあえず数だけそろえたという掻き集めの様相である。
これだけ見れば、世界最大戦力である五大国家にしてはみすぼらしくも思えるのだが、量産型は近年になってようやく生産が開始されたものばかりなので、品質として上等なものは非常に少ない。本格的なノウハウは、これから蓄積するからだ。
中には独自に開発した特機も存在するが、まだまだ実験的な要素が多く、安定した戦力というには程遠いだろう。こちらも数をこなしながら少しずつ改良していくしか道はない。
それらの技術がタオのオブザバーンシリーズにたどり着くには、軽く五百年はかかるに違いない。賢人の遺産を使った技術は、それほど圧倒的であった。
しかしながら、オブザバーンシリーズの性能は飛び抜けていても、扱える武人が非常に少ないという欠点もあるので、【凶器】としての評価は抜群だろうが、兵器としての評価はあまり高くないだろう。それゆえにタオはあまり評価されなかったのである。
一方、それとは対照的にすでに完成されたカテゴリーも存在する。それがWG製のオーバーギアである。
WGは、世界で唯一魔人機を生産する技術を持った組織である。その全容はいまだ不明な点が多いが、現状で最先端の技術を持っているのは間違いない。
なにせナイトシリーズが作られたのは、もうかなり昔のことである。その段階で現在の技術を超えているのだから、それがいかに卓越しているかを思い知らされる。
この会議には、世界中から国家が集まっている。その中には、当然ながらオーバーギアを所有する国家も多い。これはWGが戦力の均衡を図るために、呂魁のような特機を各国に分配しているからである。
選考基準もいまだ不明だが、各国に最低一機以上はオーバーギアを与えているようである。その中にはナイトシリーズも含まれるのだが、こちらは扱える武人がいなければ支給はされていない。さすがに宝の持ち腐れは防ぎたいようである。
また、あまりに突出した力を持つ国が生まれた場合も、WGは支給や修理請負を止めるなどの措置を取ることがある。オーバーギアといえど、壊れてしまえば使い物にはならない。簡単な修理や改装はできても、ジュエル・モーターなどのコア部分はWGでないと直せないことが多いのだ。
WGからの技術供与が止まってしまえば、さすがの強国も困る。数年は大丈夫だろうが、十年、二十年経てば、その影響は計り知れない。その間に各国の技術が自分たちを上回る可能性も高いのだ。
各国がギリギリのバランスを保っているのは、こうした配慮があるからである。
このような姿勢から、WGは世界の均衡を図りたいと考えているようだった。たしかに多様な国家が存在したほうが、多様な技術が生まれやすい。それは最終的にWGにも還元されるだろう。そこからまた新しいものが生まれるに違いない。
だが、WGからの技術漏洩事件があってから、その均衡も少しずつ崩れる可能性があった。もしWGに頼らずに強力な兵器が量産できるのならば、それに越したことはないに決まっている。
この各国のMGが集まる【見本市】は、見る人々の気持ちをどこか不安にさせた。いつかこれらが世界を破滅に導くのではないか、と。
ただ、それはまだ杞憂だろう。いまだ、まだ、WGは力を保っている。その象徴たる機体が、ここには居並んでいるのだから。
最初に目につくのは、夕焼けに輝く黄金の機体、アカシカル・サロンである。シャーロンが駆る特機で、ネーパリック〈祝福された奇跡〉の称号を持つ超一級品である。
見た目はハイテッシモのようなゴツゴツしたものではなく、もっとすっきりとした姿をしている。武装も巨大なものは存在せず、小型の剣が二本、腰に装備されているだけだ。
それを見て侮ってはならない。ネーパリックの名は伊達ではないのだ。この金色の機体は太陽の光を吸収して、さまざまな力に変えることができる。それを含めた出力はナイトシリーズをたやすく凌駕するだろう。
唯一の懸念材料は、太陽が落ちた夜だとその力が使えないことだ。昼間に充電しておけば問題ないが、使い切ってしまうと、昼間のように常時供給ができないので継戦能力に不安が残る点である。それでもナイトシリーズと同等の力はあるので、名機であることに違いはない。
ちなみにヨシュアのハイテッシモも、あまり目立ちたくないという理由から表には出していないが、ガネリアの巡洋艦ガーバックルには積まれている。本来は権威を示すために出すべきなのだろうが、本国の事情によって隠されていた。
五大国の顔を立てるために、基本的に他の国家は戦力を展開してはいない。ただ、中には自国のオーバーギアを出している国もある。対立している国に対して力を誇示するためと、万一にそなえて準備するためである。
その中には他の各色ナイトシリーズも存在し、普通の量産機とは違う存在感をいかんなく放っていた。当然、乗る武人もどれも一流。各国の騎士団長や豪傑であるのは間違いない。
そんな魔人機の周囲には、防衛準備にあたっているジュベーヌ・エターナルの人員や、ダマスカスから派遣されている整備士などがひしめいている。そんな彼らは黙々と作業に当たっているわけだが、たまに首の角度を変え、ある一点を見つめることがある。
それはなんというのだろうか。奇妙なものを見るような、物珍しいものを観察するような、あるいは場違いなものを見るような、若干の戸惑いを含んだ視線である。
なぜ彼らがそのような視線を向けるかといえば、明らかに【毛色が違う】からである。
ここにいるのは、誰もが魔人機という力に対して信頼を置く者たちだ。物的な力であり、破壊力であり、戦闘力。こうした力こそ戦場では価値を示すと信じる者たちである。
が、一方の視線の先では、それとは対照的な者たちが集まっていた。その数はおよそ三十名といったところだろうか。
(…なぜ、こうなったのだろう)
その奇妙な一団の先頭には、なぜかバラ・エイゾウムの姿があった。彼は今、とても悩んでいる。
バラ・エイゾウム、十五歳。
鳩のような紫がかったダブグレイの灰色の髪は、軽くボブにまとめられ、どこぞのお坊ちゃんのような上品さを醸し出している。黒い瞳には綺麗な光沢が宿り、そのやや垂れた目尻に年齢以上の愛らしさを与えている。
体躯は小さく、線も細い。なんとか大きめのローブをまとうことで威厳を示しているが、大人と子供の中間、その子供寄りに位置する彼の微妙な姿を隠しきれてはいなかった。つまりは、だぼだぼである。
手に持つ杖は、先端に白い人型のような造詣が施された怪しいもの。白い人型のものが複数絡まり、上空に手を伸ばしている姿は、はっきり言ってキモい。デザインは完全に色物である。
しかし、この杖こそ、エイロウ魔法王国の国王だけが持てる伝説の魔具である。
魔具とは術具と同じ意味であるが、魔法王国においては魔具と呼ばれることが多い。実際、魔具と呼ばれる物の大半には、特殊な力が宿っていることがあるからだ。
エイゾウムは、国王である。
ただし、エイロウ魔法王国は王制を敷いているが、あくまで対外的なものであり、なおかつ世襲制でもない。国を立ち上げた英蠟王は子を成さずに他界したし、世襲制にしないように通達もあったからだ。
彼の遺言は二つ。
一つは、この国を魔法国家として存続させること。魔法の研究保存のために作られた国なので、それは至極当然である。もう一つは、国王は出身や血筋に関係なく魔力が高い者であり、英蠟王が持っていた魔杖に選ばれた者に限る、ということ。
魔法王を名乗る以上、それ相応でなくてはならない。また、魔法に対して貪欲であらねばならない。それ以上に、資質がなければならない。いかなる情熱も、素養なしには成し遂げられないことを英蠟王は知っていた。
魔杖は資質を見抜く最高の選別アイテムなのだ。
もし魔杖に選ばれる者がいなかった場合、その空白の期間は、英蠟王が存命中に生み出した人造人間、エイト・パインズ〈八人の魔人形〉によって国が運営されるようになっている。
エイト・パインズたちは、偉大なる者の中に元人造人間がいると知った英蠟王が、その技術を模倣して生み出した者たちである。当然、完成までには相当な時間がかかったし、彼も人生の大半をそれに費やしたと言っても過言ではないほど手間もかけた。
その結果、比較的人間に近い人造人間たちが完成した。その出来が、かつての技術に遠く及ばないことは当人も知っていたが、それでも通常の人間を上回る知能と感情、能力を得ることに成功した。
エイト・パインズたちは、人間のように無駄なことはしないので、実に合理的に国家を運営してくれる。寿命も人間と比較にならないほど長いので(レイアースと同じ不老の術式を使っている)、正直エイゾウムなどいなくても大丈夫だと思うほどに優秀である。
ただ、彼らはエイゾウムが国王(魔杖)に選ばれたときに、盛大に祝ってくれた。感情豊かな彼らは、喜びにむせび泣き、踊り狂い、最後には従者も入れた人間ピラミッドで祝福してくれた。国民全員にお祝いの品を出すくらいの喜びである。
彼らにとって、王の誕生はそれほどまでに偉大なことなのだ。王あっての魔法王国なのだから。
そんなこったで、久しぶりに王が誕生したエイロウ魔法王国は、そのお披露目も兼ねて連盟会議に出席した。さすがにエイト・パインズが出席するわけにもいかないので、ここ十年あまりは会議に出ることもなかったのだ。それだけに喜びもひとしおであった。
そのはずであったのだが、なぜかこうなっている。
紅虎に半ばさらわれ、強制的に連れてこられた。誰も助けてはくれなかった。王になった時はあんなに祝ってくれたのに、こうも簡単に見捨てられるとはショックである。
唯一の救いは、その災難に遭っているのが自分だけではないことだ。周囲には自分と同じく、訳もわからずに連行された者たちがいる。誰もが周囲を見回しながら、心細そうに身を縮込ませている。まるで保護されたばかりの野良猫のような姿に、エイゾウムは親近感さえ覚える。
ほっとして視線を動かすと、一人のローブを羽織った人物と目が合った。
(あっ…)
エイゾウムは、思わず目を伏せる。
伏せる理由は特にないのだが、その人物はなぜかエイゾウムを見つめて、時折微笑みかけてくるのだ。嫌ではない。変でもない。なぜならばその人物の容姿は、むしろ綺麗といっても間違いではないからだ。
エイゾウムが目を伏せたので、何か異常があったのかと、その人物が声をかけてきた。同時にエイゾウムの身体がびくっと震える。
「大丈夫ですか?」
「あっ、は、はい!」
「この季節はまだ冷えますね。日も暮れつつありますし、寒くはないですか?」
「だ、大丈夫です!」
「そうですか。何かありましたら遠慮なくおっしゃってくださいね」
「あ、ありがとうございます…」
と、このようにとても親切である。声音も涼しく穏やかで、聴いている者に落ち着きを与える声だ。ローブから垣間見える顔も端正で、女性的な雰囲気を感じる。
怯えているエイゾウムを心配して、こうして定期的に声をかけてくれるので、悪い心持ちになる必要性はない。むしろ感謝すべきかもしれない。
ただ、普通とは違う面もある。
(この人は、人間…じゃない…よね?)
ローブを羽織っているので確証はないのだが、明らかに普通の人間とは違う気配を放っていた。隠しているので気がついている者は少数だろうが、エイゾウムにはありありとその力が感じられた。
隣にいるのは、琥硝姫が貸し出したアン・アデイモンである。
アン・アデイモンはキトン調の服を着込んでいるが、その能力の特殊性から、さらに能力隠しのローブを羽織っていた。この補助術式がかかった装備を身にまとうと、相手からは能力が見破れなくなる効果がある。
とはいえ具体的な能力を隠すだけであり、そのすべてを隠せるような万能性はない。あくまで誤魔化すといった程度だ。その代わり、かなり高度な探知術にも引っかからないという性質を持つ。人間が使える術式で見破るのは不可能に近い。
それゆえに、ぱっと見ただけではアン・アデイモンの正体に気がつくことは困難である。実際に高レベルの術者が周りにいても、エイゾウムのほかは誰も気がついていないのが、その証左である。
エイゾウムは「みんなも気がついているよね? なら大丈夫なんだよね?」と思っているが、そんなことはまるでない。エイゾウムだけである。
補足しておくのならば、彼は相手が亜人だからと差別するような少年ではない。もともと魔法自体、支配者たちが使う魔術を研究対象にしているので、異形の鬼神たちとの交流もあるのだ。
支配者たちは実に多様な姿をしており、中には生物とは思えない無機質なものから、まさに鬼神と呼ぶべき巨大で恐ろしい者もいる。が、多くの支配者は理性的で知性的だ。人間以上の知識がある彼らは、生命体として人間種以上の進化を遂げている者ばかりである。
しかもエイロウ魔法王国は、定期的に魔王城と交易を行っており、お互いに平和的なやり取りを行っている。魔王城からは魔法の知識や魔具の提供、エイロウ魔法王国からは人間世界の情報や物資、発掘されたが手に負えない前文明の遺物などを提供している。
魔王が人間であり、その関係で人間種もそれなりにいるので、魔王城とはいえ人間界の物資も必要となる。が、魔王城は監視の対象にもなっているので、なかなか自分たちでは取りにいけないし、外界の情報もあまり手に入らない。
そうした面倒なことを引き受ける代わりに、魔法の知識を提供してもらっているのだ。ただし、提供する知識はエイロウ魔法王国が自ら発見し、研究している過程で壁にぶつかったところについてのみ。それ以上のことを教えても害悪にしかならないからだ。
遺物については、現在の人間では扱えず害を及ぼす物(主に霊的な分野)も多くあるので、そうした処理を頼んでいる。それらは支配者たちの技術で浄化され、純粋な素材やエネルギーとなって、彼らの世界創造に利用されている。
一部は彼らが操る鬼神機、鬼機などの兵器にも転用されるらしいが、これらは地上にある神機とは若干違い、彼らの【身体】となるそうだ。
高位の支配者の中には、身体を持たない者がいる。意識や霊体は存在するのだが、彼らが存在する世界の因子の都合上、外界で活動するための媒体を持たない。そうしたときに身体を作る素材として、そうしたものが流用されるらしい。
彼らが外界で活動するには、偽りの肉体を生み出すか、あるいは鬼神機のようなものに本体を顕現するしか手はない。こうした事情が、彼らが魔王城から出ない一つの理由でもある。面倒であるし、その必要性があまりないからだ。
ちなみに鬼神機とは高位の鬼神が操る媒体で、鬼機とは第三支配者階級以下の鬼たちが操る媒体を指す。その差は、神機と量産型魔人機ほど違うらしい。
彼らの中には人間との融和を考える者もおり、交換留学生のようなこともしている。まだお互いに大きな影響を及ぼさない程度の浅い関係だが、それでも人間全体としては画期的なプロジェクトであろう。
そんな国の国王なのだから、エイゾウムも亜人くらい何でもない。しかもアン・アデイモンは人型である。怖れる必要はない。だが…
(なんだろう、この寒気は。何か、何か危険が迫っているような)
アン・アデイモンの視線を感じるたびに、身体がびくっと反応してしまう。身体全体にまとわりつく何か。蛇を目の前にした蛙のような気分になってしまうのだ。
危機を感じたエイゾウムは、少しずつ距離を取ろうとするのだが、なぜかアン・アデイモンもじりじりと距離を詰めてくる。それに合わせて、この場にいる全員が少しずつ動いている、という奇妙な光景だ。
この攻防がいつまで続くのかと恐怖を抱いたとき、ひときわ大きな声が響く。
「こら、動くでない! じっとしていろ!」
「ひっ」
エイゾウムは、その怒声に身体を強張らせる。強張らせたのは彼だけではない。他の者もいっせいに背筋を伸ばした。だが、怒声はさらに続く。
「貴様ら、ただ立つこともできんのか! なさけない! 心が卑しいからだ!」
アン・アデイモンとは種類が違う威圧感を放つのは、エイゾウムの前方にいる存在である。この存在もまた、エイゾウムにとっては謎であり、どうしてよいかわからない状況を生み出していた。
なぜならば、目の前にいるのは【子供】だからだ。
白い肌に黒髪、赤い瞳をした男の子。年齢はおそらくエイゾウムよりも下で、せいぜい十歳程度だろうか。身長も低く、小柄なエイゾウムの胸くらいしかない。
目つきはやや鋭く口調も強いことから、かなり威圧的な印象を受けるが、少年独自の荒々しさと思えば理解もできる。この年頃の少年ならば、大人に対してこうした態度を取ることも珍しくないからだ。
しかし、着ている狩衣――平安時代の衣装――には美しい金の意匠が施され、持っている白い刀も目を見張るほどに美しい。誰がどう見てもただの装備ではないし、術の素養と知識があるこの場の術士たちが鑑定しても、効果がはっきりわからないほどの逸品である。
それどころか、そうした探知系の術式がすべて吸収されているかのように、見ているだけで精神力がどんどん減っていくことのほうが脅威である。そのような術式を彼らは知らないのだから。
「お前らはたるんでいる! 少し稽古をつけてやろう!」
「え? 稽古って…」
「さあ、どんどんかかってくるがよい! オレ様は強いからな。遠慮なく全員でかかってこい! お前ら程度に一秒もかけるものか!」
その言葉に誰もが困惑する。少年の言葉の雰囲気から、おそらく肉体的な接触を伴う稽古の可能性が高い。そもそも一秒で倒してしまうようなものが稽古といえるのか疑問である。
当然ながら誰も前には出られない。
というより、彼らにはわかったのだ。
――中身は子供だが、ガチムチ系の臭いがする――
この場にいるのは全員が術者であり、多くの者は肉体的な鍛錬はあまり行っていない。一応やっているが、戦士の因子が強くなければ常人の域は出ず、せいぜい見た目が細マッチョになるのが精一杯である。
それはそれで役立つのだが、相手が武人の場合は紙装甲でしかない。それよりは強化補助系の術式で身体能力を上げたほうがいいだろう。よって、術者は多分に漏れず肉体派ではないのだ。(例外もいるが)
その彼らだからこそ、術者が一番忌み嫌うガチムチ系の臭いを敏感に感じ取れるわけだ。
この子供は、ガチムチ系だ。間違いない。
これはやばいと誰もがそう思った。しかし、それを直接言えるほどメンタルも強くない。なにせすでに吸い取られそうなのだから。
「ちょっと。そんなの勝手にやっちゃダメでしょ。何言ってるの」
そんな彼らの窮地を救ったのが、男の子の隣にいた、これまた同じ年齢くらいの女の子である。少し甘ったるい、たどたどしい声が響く。
褐色の肌は深くも柔らかい色合いで、不思議と引き込まれる魅力があり、長い抹茶色の髪を大きな珠のついた髪飾りで束ねている。瞳の色は青で、深い深い海の色をしていた。
女の子が普通とは違うのは、額にビンディー――インドで額につける印――のようなものがある点と、男の子同様、着ている服が世間一般で見られるものとは違う点である。
着ている服はサリー――インドの民族衣装――に近く、ゆったりとした服装は少しアン・アデイモンの服に似ているが、所々に珠の装飾品がついており、意匠もかなり趣が違う。加えて腰には、巻物のようなものと筆を持っていた。
その服からも強力な吸引力のようなものがあり、見ている者の精神力を容赦なく磨り減らしてくる。これも鑑定が効かないので、もはや術者たちにとって彼女たちの存在は奇妙を通り越して畏怖である。
「紅虎からは管理を任されている。鍛錬もその一つだ」
「でも、どう見ても弱そうよ。シャインみたいに頑丈そうじゃないし…死んじゃうんじゃない?」
「そうか? そういえば、たしかに弱そうだ」
「そうよ。シュトラは加減できないんだから、やらないほうがいいと思うわ」
「なんだよ。せっかく出てきたのに手持ち無沙汰だな」
そう言ってシュトラと呼ばれた男の子は、白い刀を鞘に納まったまま地面に叩きつける。それは軽く、どすん、と叩きつけただけなのだが――
―――割れた
戦艦が通っても大丈夫なように、コンクリートよりも強固に舗装されている地面が、シュトラの鞘がぶつかった瞬間に、周囲三十メートルに渡って蜘蛛の巣状の亀裂を入れながら粉々に砕けた。
一瞬、地震かと思うような衝撃が起こったあと、ボロボロと足元が崩れていく。
「ひぃ…」
アン・アデイモンを除くすべての術士が息を吐いた。「やらなくてよかった。冗談でも稽古を試さなくてよかった」という安堵の息と、あまりの恐怖にそれしか声が出なかったせいもある。人間、あまりに怖いと、か細い声しか出ないという実例であろう。
「あっ、シュトラが壊したー」
「ち、違う。ちょっと崩れただけだ。そうだ、あれだ。寿命だったんだ!」
「でも、壊したー。怒られるー」
「なんでこんなに脆弱なんだ! シャインのやつは思いきり殴っても大丈夫だったのに!」
シュトラが言うシャイン。もしここにシャイン・ド・ラナーがいたら、遠い目をしながら過去を思い出していたに違いない。「あれで何度もぶん殴られたなぁ」と。
かつてラナーが修行時代、シュトラとも剣の稽古をやっていた。むしろ紅虎当人よりもシュトラとの稽古のほうが多かった。紅虎が結界を維持し、シュトラが稽古をつけるという感じだ。
結果は常にボコボコであった。
毎日ボコボコにされ、涙で枕を濡らすラナーが見られたのは懐かしい記憶だ。そうした修行が、彼に常人を逸する頑強さを与えたのだろう。その代わり、彼は心を失ったが。
(…普通じゃない…よね。え? もしかして鬼神さん? さすがに違うよね。でも…え? 危なくない?)
日常的に支配者たちと触れ合うエイゾウムだからこそ、シュトラたちから感じるオーラが危ないと感じる。攻撃的という意味ではなく、秘められた力が尋常ではないのだ。道で出会ったら、確実に目を逸らすレベルである。
しかし、エイゾウムが目を逸らした先には、アン・アデイモンの目があった。左側を眼帯で隠しているので右目しか見えないが、その目はどこか蛇を彷彿させるものである。
どこを向いても気まずい。結局、真下を見るしかなかった。
「はいはーい、こっち見て~、見て~」
と、エイゾウムが真下を見た瞬間、女の子が前に出てきて大きく両手を広げた。結局、見なくてはならないらしい。どこにも逃げ場などないのだ。
女の子は、両手を腰に当て胸を張りながら、えへんと頷く。
「わたちの名前は、パクシュ。こっちはシュトラね。もう知ってると思うけど紅虎の家族よ。集まってもらったのは、やってもらいたいことがあるからなのよ」
薄々は、というより、もうそれしかないであろう答えをパクシュが述べたので、この場にいる者たちは素直に頷く。
とりあえず逆らってはいけない人物リストに、もれなくパクシュとシュトラが加えられたのは間違いない。(シュトラの言動には気をつけねばならないが)
しかし、一人だけ違う反応をした人物がいた。アン・アデイモンである。
「…やはり本物ですね」
「え?」
アン・アデイモンは、小さな声でエイゾウムだけに聴こえるように呟く。その目の瞳孔は大きく開き、興奮しているのがわかる。いったい何に興奮しているのかがわからないエイゾウムは、ぞっとしたものを感じた。
「こら、そこ、おちゃべりしないの!」
アン・アデイモンがぶつぶつ言っていたので、パクシュに注意された。一緒に注意されたエイゾウムは、まさにとばっちりである。とはいえ、パクシュはさして気にした様子もなく、話を続ける。
「え~っと、みんなにはいろいろやってもらいたいんだけど、んー、えっと、あれとこれと…あとはあれをして…」
「おい、簡単なことだ。あれを封じればよいのだ」
「シュトラは黙ってて! 今考えてるの!」
「お前は要領が悪い。もっとシンプルでよいのだ」
「うー、そんな簡単じゃないもんね!」
「いいから、さっさとあれを渡せって。話が進まんぞ」
シュトラに横槍を入れられて不機嫌だったパクシュだが、たしかに話が進まないと思ったのか、腰から巻物と筆を取り出す。それから巻物を広げ、何やら書き始めた。
パクシュが何かしらの文字を何行か書くと、書かれた文字が空中に浮かび上がり、ぽんっと一枚の札が生まれた。それを何度も続け、あっという間に人数分の札を書き上げる。
「みんな、これを持って」
パクシュが札を放り投げると、そこに集まっていたすべての者の手に収まる。
「これは…符か?」
「うむ、符行術のようだが…」
「だが、こんな術式は見たことがないな」
術者たちは配られた符を見ながら、込められた術式を読み取ろうとする。一流の術者の習性か、術のことになると目の色が変わり、シュトラやパクシュに対する恐れのようなものも消えていた。
符行術というのは、術式を紙に書き込んで術具とするものだ。ジュエルに込めるのとは違い、紙は一度使えば燃え尽きてしまうので、一回ぽっきりの使い捨て術具といえる。
普通の武人はあまり使わず、忍者や暗殺者が術具として使うことが多い。というのも、隠密行動を生業とする彼らは、その痕跡を残さないことが一番大切だからだ。
使い捨てで燃え尽きてしまえば、仮に自分が死んでも証拠は残らない。しかも軽いので、多少かさばることを除けば便利な術具である。さらに使い捨てという概念から、ジュエル以上に強力な術式を込めやすい側面もあった。
欠点は、紙と筆の質によって込められる術式のレベルが極端に変わること。安物では、たいしたものは書き込めない。術に耐えられないからである。また、紋様形式で書き込むので、なかなか作成が難しいというのも挙げられる。
市場では交通安全、家内安全など、お守りの符として売られており、符行術士にとっては良いアルバイトにもなっている。(交通安全は物理防御。家内安全は呪詛返しなどの効果がある)
このように符行術自体は珍しいものではない。されど、パクシュによって書かれた文字は非常に複雑で、かろうじてそれが守護系の術式であることしか読み取れない。
もちろん、彼らが符行術のエキスパートではないことも要因の一つだが、明らかに現在の符術体系とは違う文字で書かれているからだ。
(本当だ。こんなものは見たことがない。でもどこかで…)
エイゾウムも、このような術式は見たことがなかった。周りの者と同じく、それが守護系であることしかわからない。だが、この印はどこかで見覚えがあるような気がした。
そういえば、英蠟王が遺した魔具の中に、このような紋様があったような気がする。もしくは、魔王城から仕入れた物に似たものがあったような気がした。
その疑問に対して、意外なところから回答が出てくる。
「神仏守護の符、ですね」
「ほぉ、わかるか」
エイゾウムの隣にいたアン・アデイモンが符を眺めて呟く。それに感心したのはシュトラだ。わかる者がいるとは思わなかったのだろう。
「虚妍姫様が作られる護符に似ております。ですが、それ以上のことはわかりかねますね…」
虚妍姫とは、育する水晶の里の長である。補助系の術に優れ、彼女が持つ虚蒼の竜眼は、あらゆるものの力を無力化するという。
これは恐るべき力であり、相手の能力を完全に無効にできる。それがどんな相手のいかなる力であってもだ。当然、無力化する能力によって限界はあるが、最低一つはどんな能力であっても無効にできる。
たとえば、術者の術を完全に封じる、ということも可能だし、戦気を封じることもできる。相手がガガーランドであっても、戦気そのものを封じてしまえば、ジャラガンでなくても勝算が出てくるというものである。
ただこれも回数制限があるので、強力な瞳術ほど使いにくいことを実感するものである。その代わりに虚妍姫は、符行術を使って護符を民に配っている。効果はだいぶ落ちるが、相手からの特殊な攻撃を防ぐものらしい。
そして、パクシュの符も、その虚妍姫が書いた護符に似ている。アン・アデイモンがその護符について虚妍姫に尋ねたところ、「かつて存在していた神仏守護の符を真似たもの」と言っていたことがあったのだ。
しばらく忘れていたが、今それを思い出す。
「そう。それは神仏守護の符。わたくち、パクシュの加護が宿ったもの。効果は、みなさんの【眼】を護るものです」
「眼…ですか。なるほど」
アン・アデイモンは竜眼を持つので、その意味がよくわかる。竜眼は強力な力であるが、発動する前に潰されてしまえば意味はない。これはいかなる兵器でも同じだ。MGも、人が乗る前であれば無抵抗なのだから。
パクシュの符は、あらゆる攻撃から眼を護る絶対耐性を与えるものらしい。これは非常に助かる。世の中には、眼潰しの眼、という不思議な力を持った眼力もあるし、そうした攻撃から身を守れるのは大きい。
実はアン・アデイモンの眼帯も、素性を隠すのと同時に、そうした眼潰しから守る目的があった。これもかなり強力な術具ではあるが、今もらったパクシュの符には及ばないので、素直にありがたいと思えた。
しかし、アン・アデイモンならばわかるが、全員に渡す意味がわからなかった。これはかなり高位なものなので、これだけの数を用意するのは大変なはずだ。パクシュにとっては造作もないことなのか、あるいはアン・アデイモンの素性を敵から隠すためのものかもしれない。
どのような意図があるにせよ、神仏守護は最強の護符である。相手が誰であろうとも、これを一撃で破ることは不可能だ。
そして、このような符を作れることから、パクシュたちの正体はすでに判明していた。
(竜爪神様に連なる、本物の偉大なる神々の二柱。ただ、あの光は剣精の盟約だろうか。ならば、あの御二方は御子か)
人間よりも深い神々についての知識と、因子上の関わりが強いアン・アデイモンには、シュトラとパクシュの力が少しばかり視えていた。竜眼を持っていることも、それが右目であるとはいえ多少は影響しているのだろう。
二人は、紅虎が持つ二天真王、それに宿る【神意】である。
意思のある刀、それつまるところ【神剣】なり。神が自らの身をもって剣となった神話の刀。紛れもなく人類の守護者であり、最後まで人間のために戦った偉大なる神々である。
より正確に述べれば、彼らはその神の子ら(分霊)であろう。盟約によって剣に宿り、紅虎を守護する者たちである。力は本体よりは落ちるのだろうが、シュトラやパクシュが見せた力の片鱗は、人間を軽く超越しているものである。
問題は、そのような存在が堂々と表に出てきている事態。それがもっとも恐ろしいのである。
(何かとんでもないことになってきた…)
エイゾウムはアン・アデイモンとは違い、彼らがそんな大物とは知らないが、嫌な予感だけはどんどん強くなっていることだけは理解できた。
彼はただ連盟会議に出席しただけであり、何かをするつもりはまったくなかったのだ。ただ座っていればよいと思っていたのだが、世の中はそんなに甘くはなかったようだ。
そして、その元凶たる者が戻ってきた。
「やーやー、皆の衆。そろっているようだね。感心、感心」
まるで死神のような連中まで連れて。
(あっ、これ、死んだかも)
アプスの面子の登場に、エイゾウムは死すら覚悟したという。
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
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