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零章 第四部『加速と収束の戦場』
八十話 「RD事変 其の七十九 『冷美なる糾弾⑤ ガロッソの理想』」
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ナット兄弟が操るリヴァイアードが地上に降りるや否や、ルシア軍が一斉に取り囲む。
そこに向かって、ビシュナットはスキミカミ・カノン〈天業の裁き〉を発射。肩に取り付けられた簡易イレイザーカノンが、ルシア軍の群れを蹴散らす。
リヴァイアードの最強兵装であるスキミカミ・カノンは、ルシアのブルーゲリュオンを簡単に破壊する威力を持っている。直撃すれば大破はもちろん、触れただけでも、ただでは済まない損傷となる。
しかし、何機かブルーゲリュオンをふっ飛ばしはしたものの、群れを貫通する前に、蹂躙する閃光が消失した。
「一機で受け止めるな! 必ず固まって防御しろ!」
群れの後方から出てきたブルーゲリュオンが持っていたのは、ナイト・オブ・ザ・バーンに対しても使った大型シールドである。武器破壊用のDタイプではないものの、通常のシールドよりも強固で、耐久力の高いG装備であった。
シールドを持っているのは、第一隊ロー・ガインナイツの予備騎士であり、彼らのブルーゲリュオンは、砲戦仕様のロー・アンギャルのものよりも強固に造られている。
ナイト・オブ・ザ・バーンの攻撃を受け止めたように、複数機で防御に徹すれば、一撃で落とされるということはない。ダメージを受けた機体を下がらせ、シールドを持った機体が半包囲態勢を整えていた。
リヴァイアードは、スキミカミ・カノンを連続して発射。巨大な光が放たれるたびに、群れの中に穴が生まれていくが、それは人海戦術によってすぐに埋められていく。
ルシア軍は、統率力の高い軍隊である。血の絶対統治下で暮らす彼らは、飛び抜けた個の力とともに、他のために自己を犠牲することもできる。自ら率先してスキミカミ・カノンを受け、威力を殺したビームを背後の者が受け止める。
受け止める側も、無傷ではない。
お互いに傷だらけ。ボロボロである。
そんな中でも、彼らの戦意は落ちない。騎士たちの犠牲的行為によって、徐々に包囲は狭まっていく。
「あにぃ、やつら捨て身だ! 気にせずに向かってくる! それに、どんどん防がれていく」
「すでに地の利はない。射線が読まれているのだ」
スナイパーの真骨頂は、狙撃である。どこから撃たれるかわからないからこそ、狙撃には価値が出る。また、場所がわかっていたとて、簡単には防げないからこそ脅威となる。
されど、すでに大地に降り立ち、姿を見せた以上、相手からは丸見えの状態である。どこに向かって撃つのかがわかれば、強兵であるルシア騎士にとっては、絶対的脅威にはならないのだ。
いくらビシュナットが天才であっても、地の利を失った今、不利なのはリヴァイアードのほうである。なにせ一機。彼らは、たった一機しかいないのだ。援護のないスナイパーほど、孤独なものはない。
「どんどん撃ち込んで、相手を塔から離すんだ」
ハブシェンメッツは、ブルーゲリュオンにシールドで主砲を防がせつつ、ML-S8によるミサイル攻撃で押し込む作戦に出た。敵の目的は、塔に近づく者を攻撃すること。近寄らせないことである。
姿が見えれば、狙うことは簡単である。ミサイルの雨が、リヴァイアードに降り注ぐ。だが、相手は一流のガンマン。そのすべてが、着弾する前に空中で撃破される。
すごいのは、ビシュナットがこの圧力の中でも、まったく動じていないことである。今にも包囲されそうな状況でありながら、防御をルヴァナットのリフレクターシールドに任せ、自身は完璧な射撃を続けているのだ。
恐るべき精神力。恐るべき信頼感である。
彼らは、まったく撃ち負けるとは思っていない。ミサイルを撃破しつつ、スキミカミ・カノンで反撃すらしてくる。
時々リヒトラッシュの狙撃も狙ってくるので、シールドを突破されればリヴァイアードであっても危険であるのに、それすらも恐れていない。そこには弟に対する信頼感がある。そして弟は、兄に対して絶対の信頼を抱いている。
そうした気配が、外から見ていてわかるのである。溢れ出る二つの戦気が一つになって、大きく躍動している。燃えている。
「弟よ、つらいか?」
「全然問題ない。こんな戦い、何度も経験してきたよ」
「そうだな。我らの戦いはすべて、逆境の中にあった。悪の中に放り込まれ、囲まれても生き残ってきた。それは必然なり。ここに正義が燃えているからだ! 正義の心があるからだ!」
ナット兄弟は、常に厳しい環境の中で戦ってきた。相手が百人であろうが千人であろうが、傭兵であろうがルシア兵であろうが、自身に正義があれば怖れるものは何もない。
武人は、逆境の中でこそ真価を発揮する。絶体絶命の中にあってこそ、その血が正しく燃え上がる。彼らは、そうした危険な戦いを続けていくうちに、強力な力を呼び覚ましたのである。
怯えない。臆さない。退かない。
不退転の戦いにおいて、彼らの右に出る者はいない。
「すごい武人だ。雪騎将クラスだと思ったほうがいいね」
素人のハブシェンメッツにも、その凄みが理解できる。彼らはおそらく、並の雪騎将を凌駕する実力を持っているのだろう。こちらに雪騎将がいるにもかかわらず、事態が好転していないことが、その証拠である。
今のハブシェンメッツは、普通に騎士団を展開している。手加減などはしていない。たしかにハブシェンメッツには、さきほどまでの痺れるような緊迫感はないものの、一般的な戦術士と同じくらいの圧力をかけているつもりだ。
それでも拮抗しているのだから、敵の迫力がいかに凄いかを思い知るだろう。
たった一機でルシアと戦う。二人だけで戦い通す。
それはまさに、糾弾のナット兄弟に相応しい実力であった。
「ああいうタイプは、本当に粘るんだよね。ああ、損害が増える。また紅天位殿から怒られるかもしれないな…」
戦局はすでに決まっている。本来ならば、ハブシェンメッツが制圧した段階で、ルシア側の勝利は決まっているのだ。それを、だだをこねて粘っているのが、現在のラーバーンの現状である。
しかし、そういうときこそ粘るものなのだ。
たとえば、家賃が払えなくて追い出されそうな人間は、ギリギリまで粘るものである。失敗すれば野宿なのだから、それはもう必死で粘る。果ては、人情論、人権論に発展させてまで粘る。まさに見境がないのだ。
ハブシェンメッツも自らの体験によって、それを知っている。どんなに怠けた人間でも、生命の危機に瀕すれば、普段以上の実力が出るものである。それを続けることで、さらに限界が上がっていくのだ。
ナット兄弟は、そうした戦いに慣れている。いつも弱者のために殿を務め、割に合わない仕事を続けていた彼らは、恐るべき耐久力を得るに至ったのだ。彼らがもともと戦士タイプのガンマンであることも、その耐久力に拍車をかけているのだろう。
悪魔が置いた手駒は、まさに最強の防衛線であった。これを破るには、相当な覚悟と犠牲が必要になるに違いない。
ただし、長くはもたないだろう。
最後は、ルシア軍が勝つ。それは決まっていることなのだ。
「相手が防衛策を出してきたということは、やはりアピュラトリスには何かがあるのでしょうか?」
アルザリ・ナムは、ハブシェンメッツが危惧していたことを思い出す。正直、DMOBによるサカトマーク・フィールドの突破は不可能だと思われるが、それでも相手が戦力を出してきたことは事実である。となれば、やはり近寄らせたくないのだろう。
「塔に侵入されたくないのは確実だろう。塔の中には、必ず彼らにとって重要なものがある。でも、打ってきた手が圧倒的というわけじゃない。そこが気になるね」
ハブシェンメッツも、サカトマーク・フィールドが破れるとは思っていない。あの様子では、おそらく侵入は無理だろう。ただし、これはあくまで、相手の手の内を引き出すための策である。
そして、打ってきた手が、リヴァイアード。
彼らは強力な戦力であるが、今まで打ってきた手と比べれば、若干弱いように思える。数はもちろん、質にしてもナイト・オブ・ザ・バーンたちに比べれば、遥かに弱い一手である。
高所から降ろすことさえできれば、こうして囲むこともできる。それはまるで、翼をもがれた鳥のようである。地の利がなければ、スナイパーの実力は半減するのだ。
あの悪魔が、それを理解していないはずがない。いくら急造とはいえ、そうした不利な事態も想定しているはずである。ならばなぜ、新たな動きがないのか。そこが気になって仕方がない。
(捨て駒とは思えない。今までの彼の駒に、意味のない捨て駒は一つもない。では、何が目的なのか)
ハブシェンメッツと対峙してからの悪魔が打ってきた手は、最初から損耗する予定の無人機を除いて、すべて無駄のない一手ばかりである。仮に負けることを想定していても、すべてのことに意味があり、目論見がある。
何より【信念】がある。
そこには、仮に一時的に不利益になろうとも、絶対に示さねばならないという覚悟と信念が宿っている。なればこそナット兄弟という一手が、単なるアピュラトリス防衛によるものなのか、それとも別の意図があるのか、まだわからないのだ。
単純に戦力不足という可能性もあるが、それならば手を打たないという選択肢もあった。これだけの武人を使うのだから、そこには意味があるはずである。
(頭がはっきりしないな。彼の感覚が弱くなったのかな? それとも僕のほうか?)
ハブシェンメッツは、最初の時よりも悪魔の気配を感じられなくなっていた。自分のスイッチが落ちたから、という線が濃厚であるが、悪魔自体が、この戦いに本腰ではないようにも思えたのだ。
(こちらは陽動? いや、それでは今までの戦いの説明がつかない。彼らの目的は、間違いなく富の塔のはず。中で何をやっている? なぜ、時間を稼ぐ?)
ここにきて、今回の騒動の本質が問われている。
―――彼らは、【何が目的】なのか?
という、実に単純明快な謎かけである。
現在は戦闘中である。こんなことを考えている暇はないが、拮抗した状態がハブシェンメッツに危機感を与える。相手に動きがないことが、どんどん不安を加速させていく。
まるで、一人だけで将棋をやっているような感覚なのだ。対戦相手が、突如いなくなったような喪失感を感じる。
(彼らは、アピュラトリスを制圧した。富の塔は交渉材料だが、それ自体の破壊は、彼らの目的を一部ながらでも達成させる。現体制の破壊。経済の破壊だ)
悪魔の要求は、すべての富を分け与えること。
それが連盟側によって明確に否定された以上、アピュラトリスを破壊して経済を麻痺させる。そうすれば、大きな混乱による経済の破壊が生まれる。だがしかし、それはおそらく、弱者をより弱者にさせてしまう危険性をはらんでいる。
悪魔は、それを望んでいるのだろうか?
否、それは手段であり、求める結果ではない。
(目的は、全人類の平等、経済格差の是正、信仰の破壊、人種の統合。その手段が、アピュラトリスの制圧、アナイスメルへの侵入…)
悪魔の目的は、あの会議場で聞いた通り。子供の夢物語のような話で、どれもが理想の域を出ない。しかし、彼が本気であることは間違いないだろう。それが実現可能かはともかく、悪魔が本気であることが重要なのである。
そして、その結果を得るために選んだ手段が、アピュラトリスの制圧とアナイスメルへの侵入である。そのための戦力投入であり、今までの戦いは、すべて富の塔に集中していた。
話によれば、アピュラトリス単体では意味を成さないらしい。肝要なのは、その頭脳ともいえるアナイスメル。そこを押さえられたら、たしかに全世界の経済は麻痺することになるだろう。
ただ、具体的に彼らが何をしているのかは、まったくの不明である。アピュラトリスにしても、中の情報は皆無。アナイスメルにしても、これこそまさに謎の存在である。そこで彼らは、実に根気よく何かをやっているのだ。
ヘインシーの説明から察するに、経済の破壊だけならば、すでに可能な領域にまで到達しているようである。されど、彼らはそこに執着せず、さらに何かを求めてダイバーを送り続けている。
それこそが、彼らの目的であることは理解できる。できるのだが―――ここにきてハブシェンメッツは、あることに気がつく。最初からずっと気になっていた、一つの疑問の回答である。
(手段と目的が、合わないんじゃないか?)
ここに一つのトリックがある。
悪魔の目的を聞いて、誰もが無理だと思った。では、なぜ無理だと思ったのだろう。明らかに理想論であったからなのは当然だが、彼が選んだ手段が、【目的の成就に直結しない】からである。
アピュラトリスの制圧は、脅し文句にはなる。それを使って、富を分配させることも可能かもしれない。彼らはアナイスメルとやらに侵入もできるのだ。何かしらの強制手段を持っているのかもしれない。
天帝に自信たっぷりに述べたことも、何かしらの根拠があるからだろう。それ自体がブラフである可能性も否めないが、その気になれば、何かしらの手段を講じることができるのかもしれない。
だが、それには一生アピュラトリスを占拠し続ける、という荒唐無稽な作戦が必要となる。そんなことは、誰が考えても不可能である。サカトマーク・フィールドとて、このままでは一ヶ月ももたないだろう。こうして攻撃を続ければ、もっと早く消えるかもしれない。
アピュラトリスの制圧。アナイスメルへの干渉。
これを手段とした場合、目的が何かがわからないのだ。
超常的な力で、世の中の不平等が一気に解決する、なんて話こそ、まさに絵本の中でしか起こりえないこと。この世界において、それは絶対にない。
人の努力と苦しみなくして、何かが得られることは絶対にないのだ。ならば、経済の破壊という線はあるものの、それ以外の目的が見えてこない。それだけでは、今までの苦労に見合わない気がする。
ならば、そもそも目的が違うのだ。
少なくとも、悪魔の【今回の目的】は、人類の平等などではない。あるいは、それ自体が目的ではない可能性もある。
(誰もが彼の魅力に惑わされていた。だから、この違和感に気がつかなかったんだ)
悪魔の鮮烈な登場と、その理想に誰もが釘付けになっていた。ハブシェンメッツも、悪魔の真の狙いは違うところにあると思っていたが、彼が目指す理想については本気だと思っていた。
だがしかし、それを彼がやるとは一言も言っていない。
悪魔自身が、人々を平等にするとは言っていない。
彼が言ったのは、「ぜひそうしてください」の一言。
そうしなければ、「すべてを破壊しますよ」の一言。
ナット兄弟は、自らが正すと言っているが、悪魔当人がそうは言っていない。ここで重要なのは、悪魔の意思とバーンの意思が、必ずしも一致する必要はない、ということだ。
悪魔には、悪魔の目的がある。かなりの統率ができていると思われる軍勢であるが、これだけの武人が集まる以上、完全なる一致は不可能であろう。であれば、彼らの言葉を鵜呑みにはできない。
やはり重要なのは、悪魔の言葉である。
(なぜ、悪魔を名乗る? 一般人でさえ殺すからか? 残酷なこともするからか? 悪魔とは、恐怖の象徴。破壊の象徴…?)
そう、悪魔とは、最初からそういう存在なのだ。そういう存在だからこそ、悪魔と呼ばれるのだから。それは市街地を攻撃して、民間人を殺したことからも明らかである。
そうした破壊的な行動が、はたして平等を生み出すだろうか?
そんなテロが、人々の平和を生み出すだろうか?
否。絶対にない。
そして悪魔は、そのことをよく知っている。
(彼は、最初から敵対姿勢を崩さなかった。あんなものは交渉じゃなかった。ならば、彼がやろうとしているのは…もっとシンプルで最悪な―――)
ハブシェンメッツは、初めて戦慄する。
背筋が凍り、悪寒が弾け、吐き気さえ感じる。
今まで悪魔のことを、凄い対局相手だと思っていた。頭脳明晰で、慧眼を持つ天才的な打ち手。アーマイガーに匹敵する好敵手。事実、それは正しい評価だと思われる。これほどまでに楽しい対局は、そう簡単に味わえるものではないからだ。
されど、それはあくまで【人としての部分】である。
悪知恵を働かせ、お互いに騙しあう。ぶつかり合う。そうした欲求と達成感は、あくまで人間だからこそ有する感情である。悪魔が人なれば、それもまたありえることだろう。不思議ではない。
だが、悪魔とは、本当にそうした存在なのか。
悪魔の本質とは、もっと恐ろしいものなのではないだろうか。
ルシア軍が強いから、そこを見誤っていた。対抗できていたから、悪魔が普通の人間の思考回路をしていると思ってしまった。
それがもし、違ったら?
―――悪魔は悪魔でしかない
―――悪魔とは、世界を燃やすもの
―――悪魔とは、人を殺すもの
このことに、今ようやくハブシェンメッツは気がつく。気がついてしまった。悪魔の気配が、彼の人としての気配が消えたことで、まるで亡霊を相手にしていたかのような感覚に陥ったのだ。
だからこそ、気がつけた。
―――彼らの【本当の目的】に。
やり方は、まだわからない。漠然とした部分が多い。それでも、悪魔がやろうとしていることはわかった。そこから逆算すれば、相手が何をしてくるかも、ある程度は計算できる。
その中で一つ、手がかりがある。
これは最初から示唆されていたことである。見せつけていたものである。彼らがなぜ、【ガネリア動乱時の機体を使っているのか】ということだ。
このことの重要性に気がついた者は、そう多くない。なぜならば、ガネリア動乱とは、所詮地方の紛争にすぎないからである。多くのMGが初めて実戦投入されたことで注目されたが、大国の興味を惹くのはそこくらいで、それ以外の要素についてはあまり重要視されていなかった。
しかし、ハブシェンメッツは、そこが気になった。だからイルビリコフに頼んで、監査院の詳細資料を持ってきてもらったのだ。
そこには、【悪魔の正体】も明記されていた。
ハブシェンメッツ自身、さほどガネリア動乱に興味があったわけではなく、新聞やニュースで軽く聞いた程度だ。戦術士として、どんな感じの戦術があったのかを噂で聞いたくらいである。
だから、その名を見ても、さしたる感動も驚きもなかった。ただの事実が、そこに書かれているにすぎないからだ。だが今は、その情報が、とても貴重で価値があるように思えてならない。
(ガネリア動乱を示唆した以上、悪魔の正体は、おそらく【彼】。監査院の推察通りに違いない。では、ガネリア動乱では何が起こった? そこに彼が示唆する、もう一つの何かがあるはずだ)
ハブシェンメッツは、普段あまり使わない頭を必死にフル回転させる。ガネリア動乱という大きな枠組みから、もっと【彼】にフォーカスを合わせて考えてみる。
テロリストであった彼が、ガネリアに行ってから英雄となったこと。理想を持ち、人々を導こうとしたこと。激しい戦いの中で、苦しみ、悶えながらも立ち向かったこと。
なぜか?
その理由は何か?
何が原因か?
なぜ彼は、弱者のために立ち上がったのか。
それを決断させたのは、何か。
答えは明瞭である。
(アリエッサ・ガロッソ。彼の妻…いや、婚約者。結婚式の前に彼女は死んでいる。どちらにせよ、彼女の存在が彼に影響を与えたはず。では、彼女は何だった? ガロッソ王国の王女だった。ガロッソ王国とは、どんな場所だった? どんな国だった?)
ガロッソ王国は、【完全福祉国家】を目指した小国であり、ガネリア地方では最貧困国の一つである。豊かとは程遠い国であったが、国王のコンゴーンと、その娘であるアリエッサによって、人々は精神上健全な生活を送っていた。
驚くべきことに、当初の段階では、彼らは犯罪の意味すら理解していなかったという。厳しい環境で暮らす彼らは、すべてを分け合い、助け合うため、人を疑うということすらしなかったのだ。
小国においては、誰もが家族である。そこに慣習はあれ、誰かを罰する法など不要だったのだ。過ちは正されるが、罪すらなかった。豊かではないが、そんな夢のような国であった。
されど、時代はそれを許さない。
魔人機の発展に伴って高騰していた、希少な燃料石であるアフラライトの鉱脈が見つかってからは、多くの混乱が彼らを襲った。ガネリアの混乱から移民が増え、犯罪も起き、人々の中に不安と疑念が渦巻いた。
それを救ったのが、アリエッサである。
彼女の自己犠牲の心に、多くの人々が賛同したのだ。それを支えたのが彼、【黒の英雄】である。そして、ガロッソという国は二人の人間を中心として、どんどん大きくなっていった。
すべてが燃え尽きた、【あの日】まで。
読んでみれば、非常に簡素な報告書である。ほとんどの事象は、一行程度で記されており、箇条書きのところもある。歴史からすれば、所詮その程度の価値しかなかったことを示している。
されど、ここに手がかりがある。
(完全福祉国家。これこそ彼が求めた理想の国家像だろう。彼とて、それが夢物語だとわかっていたはずだ。あれほどの男だ。わからないはずがない。でも、彼はそこに惹かれたんだ)
悪魔は、それが夢だと知っていた。それでも、守りたかった。信じたかった。愛する者と、その夢である理想の世界を助けたかったのだ。
優しい悪魔。
脳裏には、そんな言葉すら浮かぶ。
(だが、どうなった? それは結局、どうなった?)
現在のガネリア新生帝国に、ガロッソという国は存在しない。国王はすでに隠居しており、アリエッサもいなくなったため、国そのものが消えてしまったのだ。
ガロッソは、ガネリア動乱において連盟側とも争っていた。正確には、シェイク・エターナル率いる連盟軍とも戦っている。そうした軋轢を考えたとき、滅びてしまったほうが得策なのは明白。コンゴーン王も、それを望んだといわれている。
残っているのは、荒れ果てた大地の中に、なぜか一つだけぽつんと生まれた森林地帯にある、一つの碑石と湖だけ。今でもそこには、故人アリエッサ王女を偲んで訪れる人々が大勢おり、祈りの場所となっているという。
―――国は滅んだのだ
―――理想は死んだのだ
国と王女とともに、彼の理想も消えた。
そして、彼は悪魔を名乗った。
その時から、彼は悪魔になったのだ。
では、悪魔となった彼が、真っ先にすることは何であろうか?
(自分ならどうする。自分が彼ならば、何を思う? もし僕がまっとうな人間なら。もっと感受性の強い人間なら―――そう、復讐。でも、それは自分のためじゃない。【彼女】のためだ)
悪魔の性格上、自分のために何かを行うとは思えない。彼は常に自己犠牲を尊び、過激な行動を行うにしても、そこには理念がある。だが、資料の中の彼は、時折論理的に破綻した行動を取ることがある。
愛に心惹かれて。
ハブシェンメッツには理解できないが、世の中には愛で狂う人間は、ごまんといる。愛が深ければ深いほど、人は愛によって破滅的な行動に出てしまうのだ。
本当に愛したから、である。
残念なことに、ハブシェンメッツは、そこまで人を愛したことはない。だからこそ、悪魔の本質に気がつくのが遅れたといえるだろう。
(彼は、こちらを試したのだ。彼女を受け入れるかどうか、を)
悪魔の提示した理想は、アリエッサの理想でもあった。人々の平和と慎ましい暮らしだけを願い、すべてを分け合っていたガロッソ王国。その理念、すなわちアリエッサの美徳を受け入れるかどうかを、連盟側に問うたのである。
結果、拒絶された。
ここでようやく、ハブシェンメッツが抱いていた疑念の一つが解ける。悪魔が提案を拒否されたときに見せた、演技のような態度。それは不快感を隠すものであったが、そこには諦観のようなものがあったため、悪魔の強さを示すものに置き換えられていた。
だが、違った。
悪魔は、あの時にすべてを破壊すると決めたのだ。
アリエッサを拒絶した連盟側に対し、【怒り】を感じたのだ。彼の能面のような笑顔は、まったくあてにならない。その奥底にある怒りは、隠そうにも隠しきれないほど巨大である。
悪魔は、今までずっと平静を装っていた。そのすべてが演技であったのだ。彼の中にあったのは、ただただ破壊への衝動である。
彼こそ、バーンの中のバーン。
主宰などと言われているが、この世でもっとも火が似合う男なのだ。
(彼はけっして、こちらを許さない。最初から妥協点など、いっさいなかったんだ!)
「転移です!」
「―――っまさか!」
ハブシェンメッツは、最悪の事態に思い至り、アルザリ・ナムの叫びに思わず身を硬くする。
だが直後、転移によって現れたものは、再び煙幕であった。映像の視界が真っ白に染まる。
(違った…! 助かった…か?)
ハブシェンメッツが個人的に注目したものは、悪魔の詳細プロフィールであったが、イルビリコフの書類の最初に記載されていたのは、ルシアにとってもっとも危険な可能性である。
(彼らは、【反応兵器】を使うつもりだ)
―――反応兵器
悪魔が開発した、人を間引くための兵器。その存在は、ガネリア動乱の末期に確認されている。ルシアにとって、これこそがもっとも怖れるものであるため、転移で落とされることを常に警戒していた。
しかし、彼らはいまだ、反応兵器を使うそぶりがない。
核兵器が使えない今の時代、もっとも強力で、もっとも危険な兵器である。ただの破壊が目的ならば、即座にそれを使えばいい。されど使わない。
もしかしたら反応兵器の転移は不可能か、あるいは多大なエネルギーを消費するのかもしれない。だから使わない、または使えないのかもしれない。
攻撃はするも、そうした衝動的破壊行為がなかったため、ハブシェンメッツも、彼らの目的が別にあると思っていた。当然、実際にあるのだろう。それでもそれは、彼らの本当の目的のための手段にすぎない。
つまり、彼らの破壊のための準備、でしかないのだ。
なんて自然な回答。本当ならば、誰もが最初に思い描く終末の光景。悪魔が悪魔たる魅力を持っていたがゆえに、そこに人間味があると思ってしまったがゆえの最大のミステイクである。
「また転移です! あっ―――キャンセルされました!」
「キャンセル!? どういうことだい!?」
「法則院から通達です。作戦を開始した、とのことです」
「作戦? そうか…!」
資料の最後のほうに、法則院が対抗策を講じるということが書いてあった。その詳細はわからないが、おそらく妨害策を見いだしたのだろう。
転移への対抗策は、主に二種類存在する。
一つは、逆探知。相手がどこから送り込んでくるのかを、電話のそれと同じように逆探知するものである。これができれば最高である。相手の居場所がわかれば、世界各国にいるルシアの部隊を動かして攻撃を仕掛ければいい。
だが、逆探知には時間がかかるし、相手も多くのダミー情報を送っているので、簡単にできるものではない。相手の術式を解析しなければならないので、高位の術であればあるほど困難である。よって、これは諦めるしかない。
もう一つが、阻害である。
基本的な転移の条件の一つに、出現した先に別の物体情報があると、キャンセルされるというものがある。これは同じ次元と空間に対し、同一の振動数の物体は共存できない、という法則によるものである。
肉体が肉体と触れ合うのは、同じ振動数の物体だからだ。魂と肉体が同時に存在しながらも衝突しないのは、振動数が違うからである。これを利用して、転移先に物体の構築情報を事前に設置しておけば、転移をキャンセルさせることができる。
それは実際の物体でなくてもよい。術式による【予約】でかまわないのだ。最初の条件として、ブッキングは一つまで。ダブルブッキングは許されない。
たとえば、重役が一般客の予約に強引に割り込むように、絶対的にそれができないわけではないが、それを行うためには多大な労力を使用する。通常以上の術式を展開させねばならない。それによって転移に時間がかかれば、相手に探知されるリスクも生まれてしまう。
今の双子に、そのような余裕はないだろう。
同時に、する意味もない。
法則院が行ったのは、この事前予約による転移の阻害。ルシア軍が展開している付近に限定して、対抗措置を企てたのだ。その多大なる労力に見合うだけの効果を発揮し、転移は見事キャンセルされた。
見事だ。さすがルシアの法則院。さすが学院長たるA・N・ヤンバースと、その高弟たちの仕事である。だが、彼らが決死の努力で阻害したものは、たかだか煙幕であった。
悪魔には、この段階に至っても増援を送るそぶりが見られない。その瞬間、ハブシェンメッツの推測が確信に変わる。
「すぐに作戦の中止を法則院に通達するんだ!」
「え!? ど、どうしてですか!? 転移は防げたじゃないですか! すごいですよ、これは! これなら勝てます!」
「違うんだ! ここにはもう戦術的価値はないんだ! 相手はもう、アピュラトリスに執着していない!」
「そんな!? じゃあ、どうして兵力を置いているんですか!?」
「彼らは足止めだ。僕たちを、ここにとどめておくための」
ハブシェンメッツは、悪魔の意思がアピュラトリスから消えた、本当の意味を悟った。
―――もうすべて終わったのだ。
彼らにとって重要だったものは、すべて終えた。アピュラトリスにおいて彼らが求めていたものは、すべて得てしまったのだ。
ならば、その次に彼らがすることは何か。
いや、そもそもの目的は何であったか。
「敵の狙いは、【会議場】だ!」
アリエッサを否定した者たちへの粛清。
悪魔が求めたのは、最初からそれ。国際連盟を分断すること。そんなことは最初からわかっていた。しかし、物的欲求によって結びついた者たちは、それが偽りであっても簡単には壊れない。
お互いのメリットがある限り、彼らは互いを利用し続ける。ならば、そこにメリットがなくなればいい。デメリットのほうを多くしてやればいい。互いに疑心を生じさせ、仲違いさせればいい。
その手段は、とても簡単である。
力で叩き潰せばいい。
それだけの力が、今の悪魔にはあるのだから。
賢人は、彼を悪魔に選んだ。その理由は、とても簡単なのだ。彼は純粋で、合理的で、行動的である。もっとも愛が深く、愛のためならばすべてを犠牲にできる。一度決めたことを、最後まで成し遂げることができる。
もっとも愛しく、もっとも危険な男。
その男に、力を与えたのだ。
世界を焼くために。
「会議場に通達を! 早く離脱するんだ! 下手をすれば、全滅するぞ!」
「っ! わ、わかりました! 今すぐ連絡を―――っ!」
アルザリ・ナムが連絡を入れようとした瞬間―――
―――司令室のドアが吹っ飛んだ
ここは基地内部の司令室である。そこのドアが、何かに切り裂かれたように粉々に分解され、吹っ飛んできた。力のベクトルは、外から中に対して。
会議場につながる連絡通路から、基地内部へと向かって。
「な、何が…」
「退いてろ!!」
アルザリ・ナムが呆然とする中、一番最初に動いたのは、雪騎将であるゾバーク・ミルゲンである。彼は護衛のために司令室に残っていたのだ。
ゾバークは、まったく相手を確認をせず、ぶち破られたドアに向かって拳を打ち放つ。拳圧を戦気と一緒に解き放つ、覇王技、修殺である。修殺は、まっすぐに進み、連絡通路から入ってきたものに衝突。後ろに吹っ飛ばす。
だが、思ったよりも下がらない。ゾバークの拳の威力が弱かったからではない。そのさらに背後から、さらなる敵が迫っていたからである。蟻の行列のように、後ろからどんどん押され、ゾバークに潰されたものと一緒に、同じ姿の物体が姿を見せる。
出現したのは、異形の存在。
まるで亜人のリザードマンのようなトカゲ的な雰囲気を宿し、両手に刀を持った、全長二メートル半はありそうな存在。体は細長く、縦に長く見える。ただし、それは生物的なフォルムはしておらず、機械的な印象を強く受けた。
実際、それは生命体ではない。
「数が多い! やつらを中に入れるな!! 押し出せ!」
ゾバークの命令で、周囲にいた護衛のルシア騎士四名が、その存在に向かって襲いかかる。剣で切り裂き、殴られたそれは、吹っ飛び、半壊する。
さすがルシア騎士たちである。この場にいる者たちは、誰もが手練れ。ゾバークには及ばないが、それでも第一隊の準騎士たちである。ルシア騎士の中から選ばれたエリートたちである。
しかし、安堵したのも束の間。後ろから増援が、わらわらと出現する。それだけならばまだしも、半壊させたはずのそれもまた復元を開始し、数秒後には再び戦列に復帰していた。
「なんだ、こいつらは!!」
「マリオネット…かな?」
「知っているのか?」
「ガネリア動乱の資料に書いてあったよ。あくまで参考資料としてだったから、あまり細かいことは知らないけどね」
ハブシェンメッツに渡された資料には、ガヴァルやリビアルの情報も、簡易情報であるが載せられていた。その中には、目の前の存在によく似た【兵器】の存在もあった。
マリオネット。アグマロアを核に使った機械人形であり、その戦闘力は達験級の剣士に匹敵するという。さらに恐るべきことに、彼らには再生能力があり、簡単に破壊することはできない。達人級の剣の腕前よりも、そちらのほうが厄介な能力である。
レマールの英雄と呼ばれた剣豪サンチョ・ポンデールも、老いたとはいえ、マリオネット十六体を相手に苦戦を強いられた。それは彼らの再生能力ゆえである。
英雄級の剣士でさえ、数がいれば簡単には倒せない相手なのだ。それがわらわらと出現するさまは、絶望すら感じさせる。
されど、この男は動じない。
「相手が何だろうが、ぶっ壊してやる!」
ゾバークは、マリオネットに攻撃を仕掛ける。相手の剣撃をナックルガードで受け止め、腹に重い一撃を放つ。そのまま吹き飛ばすのではなく、左手で掴まえておき、腹を何度も殴る。そのたびに亀裂が入り、マリオネットは何度も大きく揺れる。
「核があるはずだ! そこを壊すんだ!」
「オラオラオラオラ!!」
ゾバークのラッシュ。腹を砕き、胸を砕き、何度も何度も殴りつけ、その中にあった核を破壊した瞬間、マリオネットは、その名の由来のごとく、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「はぁはぁ! タフすぎだろうが! どんだけ手間がかかる!」
ゾバークの拳ですら、一発で倒せない。核が埋まっている部分を見つける必要があるし、装甲を砕くまでも大変である。雪騎将でもこれなのだから、普通の騎士では苦戦は必至であろう。
「上級大尉、どんどん来ます!」
「甘えるんじゃねえ! 死んでも通すな!」
「はっ!」
ゾバークが戦気壁を張り、マリオネットを連絡口にまで押し返す。他のルシア騎士も連携して各個撃破しつつ、戦気壁を生み出して防御を固める。ゾバークの濃厚で強い壁に支えられ、簡単に入ってこられない状況にまで盛り返す。
だが、事態はもっと深刻である。
「風位、会議場と連絡がつきません! 全部の回線が落ちています!」
「接触回線までやられたんだ。今のやつらに、物理的に破壊されたと見るべきだろうね」
「おい、どうなっているんだ! 転移は防いだんじゃないのか!」
「ああ、そうだ。そうだよ。転移は防いだ。でも、もうその必要がないんだ。彼らはもう、我々と戦う意義を失っている」
「話が伝わらないぞ。わかるように話せ!」
「そうだね…。ならば、こう言おうか」
「最初から、我々など眼中になかったんだ」
「彼は、全部を壊すつもりだったんだ」
そして、ハブシェンメッツは、初めて感情を大きく乱す!
「全部が、全部が、全部が!! このためのものか!! 悪魔君!! 君は、なんてことを考えるんだ!! 今までの指し合いも、読み合いも、全部がこのための【ふり】だったんだ! どれだけの犠牲を出して、それをやったんだ!! どんな顔で、それをやったんだ!」
「君は本当に悪魔だ!!」
もっとも恐ろしいことは、そのすべてに意味があったこと。
アピュラトリス制圧にも意味があった。アナイスメル侵入にも意味があった。こうして防衛することも、転移を見せつけることも、全部意味があった。
アリエッサの理想を伝えることも、ルシア天帝を挑発することも、一時的に連盟側を結託させることも、一般人を殺すことも、すべてすべすべて、意味があった。悪魔の行動に無駄はない。
だからこそ、そこに付き合ってきた。相手にやられないように。相手を出し抜くために。
だが、そのすべてが【無意味】だったのだ。
ハブシェンメッツは、心から悔しそうに事態の深刻さを告げる。
「我々は、転移が塔を中心としたものであると思っていた。実際、それは正しい見解だったと今でも思っている。今まで彼が苦戦していたのは、紛れもなく本当だったんだ」
悪魔が、ハブシェンメッツ相手に苦戦していたのは、本当である。与えられた条件の中で戦い、その中においては劣勢であった。悩んで、対処に苦慮していた。だがそれは、将棋盤の上でのゲームでの話だ。
悪魔は楽しんでいた。人として、ハブシェンメッツと戦うことを喜んでいた。されど、悪魔の目的は、けっして人間とゲームをして楽しむことではなかった。
転移でしかMGを移動できなかったのは、間違いのない事実であろう。敵の兵力を削り、強者をおびき出すために必要な戦力は、塔を経由しなければ派遣できなかったのだろう。それはいい。意味があった証拠である。
ならば、マリオネットはどこから来たのか?
その答えも簡単である。
「おそらくこの人形たちは、最初から会議場に潜んでいたんだ。そうとしか考えられない」
「そんな! 万全のチェックをしているはずです! 不可能です! 飲み物の成分すら調べられるんです! 蟻一匹とは言いませんが、動物一匹入り込めません!」
「そうだ。この厳戒態勢の期間に、会議場に入り込むのは誰にも不可能だ。でも、悪魔君がこの経済恐慌を引き起こしたのならば、彼には多くの時間があったことを意味する。首謀者なのだから当然だ。では、彼が今日、ここを攻めるとしよう。その際、計画もなしに動くと思うかい? 一ヶ月や二ヶ月程度の計画で、これだけのことをすると思うかい?」
「ま、まさか…、もうずっと前から…?」
「会議場には、転移ができないと思っていた。それは事実かもしれない。でも、する必要がないんだ。事件が起こる前から、処刑場を用意していればね」
この世界の誰が、経済恐慌が起こるなどと思うだろうか。誰がいったい、一人の人物によって引き起こされると思うだろうか。すべてが悪魔の手の平の上ならば、実際に事を起こす前に準備を整えるはずである。
西側の経済恐慌が始まった段階で、すでに仕込まれていた。そのすべてがアピュラトリスに、ダマスカスに行き着くように。すべての存在が、国際連盟として集結するように。
連盟会議場は、物的、術式的に最高レベルの防御を誇っている。そう、外側からは、ほぼ無敵に近い。だが、内部は違う。中に入られてしまえば、そうした防護策は無意味になる。
「会議場の警戒レベルは最大だったはずだ。簡単にハッキングされるなんて、おかしいと思わないかい? 監査院だって、間者の存在の可能性には思い至ったはずだ。だが、あぶり出せなかった」
それほど前から、悪魔が準備をしていた証拠である。しかも、預言の書を持つザンビエルがいるのだ。ゼッカーがまだ一介のテロリストの頃から、準備を進めることができる。
メラキ〈知者〉やレレメル〈支援者〉、ヤイムス〈隠者〉たちは、普段の生活から世界各国の重要機関に潜り込んでいる。いや、事が起きなければ、普通にそのまま生涯を終えるような人物たちなのである。
いったい誰が敵の間者なのか、過去を洗っても証拠や根拠が出てくるはずがない。人間が生み出した社会システムそのものが、悪魔の味方なのだ。
「最初から会議場を襲うには、いくら彼らでも無理があった。だからわざわざ、このようなセッティングをしたんだ。たぶん、何らかの技術を使って、人形を卵や胚のような状態で置いておけば…」
「風位、御託はいい! それで、どうすればいい!」
「今すぐ塔を捨てて、会議場に戻る。この様子だと、会議場はすでに彼らの襲撃を受けている。だが、僕たちがいないとて、あれだけの戦力があるんだ。すぐに落ちるとは思えない。まだ抵抗しているはずだ」
会議場には、まだシェイクの軍がいる。シャーロンたちがいる。加えて、世界各国の騎士や術士がそろっている。あまつさえ、あのアダ=シャーシカまでいる。彼女が味方になるかは不明だが、戦闘能力という観点からは申し分のない人物である。
彼女たちがいる以上、簡単には落ちない。
しかし、それはまだ【奥の手】を使っていないからだ。
「悪魔君には、まだ奥の手がある。公表されていない兵器だが、一発で数十万の人間を殺せる術式戦術兵器だ。それを会議場内部で使われたら終わりだ」
「なんで、そんなものを持っている! 核じゃないんだろう? そんなもん、聞いたことがないぞ」
「彼が作ったからさ。設計図は、彼が書いたものなんだ。だからルシアは、ずっと彼を追っていたんだ。彼が…天才だから」
ルシアは、ガネリア動乱で反応兵器が使われてから、その製作者である悪魔をずっと追っていた。ルシアがガネリアに報復をしなかったのは、すべて一人の天才のためであったのだ。
世界の構造すら変える、たった一人の天才のため。
悪魔が欲しかったから、である。
「ただし、彼らはまだそれを使わない。使えないんだ」
「条件が必要なんでしょうか?」
「理由はあるはずだ。可能性は高い。ただ、今までのものは、そのための準備であった可能性も否めない。つまり時間がない」
「ちくしょう! 人類の平等とかを謳っていながら、実際は全部ぶっ壊すのが目的か! テロリストらしいぜ、まったくよ!」
「ああ、清々しいまでに彼は悪魔だよ。早く戻ろう。これ以上、ここにいてはいけない」
ルシア軍は、ハブシェンメッツの動物的危機回避能力によって、真実の一端に迫ることができた。そのまま引き返すことができれば、もしかしたら間に合ったかもしれない。
しかし、なぜナット兄弟がここに派遣されたのか。ルシア軍の前に用意されたかを、まだ知らない。
「…風が変わった。弟よ、もうすぐだ」
ビシュナットは、戦場全体の空気が変化したことを見て取った。ルシア軍から、戦意というものが消えつつあったのだ。ハブシェンメッツからの撤退の指令が下ったからであろう。
「ゼッカーからの命令は、事が起こるまで、ここで相手を引きつけること。逃げられるとまずいよ。どうする、あにぃ?」
「スキミカミ・カノンの残弾は、残り八発。頃合だ。残りは温存しておいて、あとは別々にやるぞ」
「了解だ!」
突如、リヴァイアードの動きが止まり、リフレクターが急速回転していく。これは防御を固めているように見えるが、本当の狙いは違う。
いくつかの可変を経て―――
―――リヴァイアードが、分離
大きな一機のMGであったものが、前後に二つに分かれた。前部のものは、スキミカミ・カノンを足として使い、腕はそのままリヴァイアードのものを使用する。後部のものは、前部のものよりも大きく、リビアルの面影を残したまま、そこに両手を付けたような機体となっていた。
リヴァイアードの分離形態、リヴィエイターである。
前者のものを、リヴィエイター甲。ガヴァルの性能を色濃く残し、そこにリビアルの火力を多少植え付けた、高速砲撃戦闘用の機体である。これには、兄のビシュナットが乗っている。
後者の、全体の七割を有する大きな機体を、リヴィエイター乙という。リビアルのパワーを色濃く受け継ぎ、そうでいながらガヴァルの機動性を維持した機体である。リフレクターも、引き続き乙型が保有している。これには、弟のルヴァナットが乗っている。
「弟よ、いつものを頼む」
「おう、いくぜええ!」
ナット兄弟の戦い方は、実に独特であった。普通の戦いにおいては、二人が協力して戦うだけだが、敵が多勢の場合は、少々特殊なやり方で戦っていた。
それはバーンとなった今でも同じ。戦場にたどり着くと、まず弟のルヴァナットがこうして力を発動させる。
「挑発の力、鉄壁の意思、ペード・オブ・マラカイト〈融合と封鎖の魔器〉!!」
ルヴァナットの身体が輝き、緑色の力が発せられる。それはリヴィエイター乙のジュエル・モーターによって加速強化され、瞬く間に周囲に展開されていく。
ペード・オブ・マラカイト〈融合と封鎖の魔器〉。能力付与型のジュエルで、Aランクジュエルの一つである。
与える能力は、皮膚と戦気を硬質化させ、一定期間、防御力と耐久力を数倍に上昇させるものである。生身で使えば、そのまま強い肉体を手に入れられるし、機体に乗って使えば全体の強化にもつながる。
ただし、このジュエルの最大の能力は、もう一つの要素である。これによってペード・オブ・マラカイトは、テラジュエルに匹敵する価値を有することになる。
ルヴァナットを中心に、不思議な磁力が展開される。それは呪力と呼んでも差し支えない強力なもので、触れた者の意識を使い手に集中させることができる、というもの。
これぞ【挑発】の力。
武人の闘争本能を刺激し、すべての攻撃を自分に集中させることができる。これは精神作用の術式であり、耐性のない者を強制的に興奮状態にさせ、攻撃的にさせる力である。
よって、撤退を始めようとしていたルシア軍が、突如としてリヴィエーター乙型に攻撃を開始する。シールドを持っていた者たちすら、それを投げ捨てて、一斉に攻撃を仕掛けるために走ってくる。
「獣と化したならば、仕留めるのは簡単だ」
それをビシュナットのリヴィエイター甲型が、狙い撃ち。無防備となった機体を、一機一機撃墜していく。
当然、この戦術には多くのリスクが伴う。攻撃がルヴァナットに集中するので、彼は一方的に攻撃されることになる。ただ、マラカイトには防御能力を付与させる力もあるので、どんなに攻撃されてもダメージは軽微である。
リヴィエイター乙型は、リフレクターシールドを全開にして、ただただ耐える。
ジュエルの使用時間は、およそ三分。
あまりに強い力のため、制限時間が存在する特異能力である。挑発の力を使わなければ、単に防御力を高めるジュエルとして使えるが、真の価値は挑発にこそある。
「弟よ、耐えられるか?」
「大丈夫だ! いける!」
「ならば、このまま引き付けて―――っ!」
リヴィエイター甲型が、ビームガトリングガンを発射しようとしたとき、一発の弾丸が甲型に向かって放たれた。それは乙型を無視し、明らかな殺意をもって甲型に襲いかかる。
ビシュナットは、ビームガトリングガンの射線をずらし、さらに威力を高めることで反動を増加させ、そのまま倒れるように弾丸を回避。それから有線アームを使って、綺麗に体勢を整えた。
そして、一機の青い機体を見つける。
「相変わらず見事だ。だが、お前は私の獲物だ!」
ライフルを構えたブルーケノシリスが、狂乱した仲間の間を掻き分け、突進してくる。今の銃撃は、リヒトラッシュのものであったのだ。
「あにぃ! なんでだ!? 俺は能力を使っているよ! どうして、こっちに向かってこない!」
「お前のマラカイトには、能力制限があったはずだ。やつは、それを超えているのだ」
ペード・オブ・マラカイトの能力は、強いがゆえに制限がある。それは時間制限だけではなく、相手の能力値によっても効果が異なることである。
リヒトラッシュの能力が、ルヴァナットの能力を超えている証拠である。その精神力、経験、力のすべてが、ルヴァナットを凌駕している。だから、マラカイトも効果を発揮しないのである。
リヒトラッシュは、この時を狙っていた。なぜ、リヴァイアードが拮抗を保てていたかといえば、リヒトラッシュが本気で攻めなかったからである。様子をひたすら観察し、射撃の癖を覚えていたのだ。
その雌伏の瞬間が、ようやく報われる。多くのルシア兵が攻撃に転じたために、相手側にも隙が生まれたのである。ここぞとばかりにリヒトラッシュは突っ込んでくる。
「やつの相手は、私がやろう。幸い、狙いはこちらのようだからな。弟よ、任せていいな?」
「ああ、任せてくれ。耐えるだけじゃなく、ぶち倒してやるさ!」
「その言葉を待っていた」
リヴィエイター甲型が、乙型と距離を取るように移動を開始する。
「来い! 我はここにいるぞ! 正義の御旗を追ってくるがいい!」
「言われずとも、逃がさん! 必ず狩り獲る!!」
それと同時に、リヒトラッシュは司令室に連絡を入れる。
「ゾバーク、そちらは任せる。私は、やつを殺す」
「お前、状況がわかってんのか? 会議場がやばいんだよ!」
「わかっている。だが、放っておけば、私の部隊は壊滅する。この判断は間違っているか? 私は、陛下を哀しませる決断をしているか?」
「…いや。陛下のご命令は、敵を倒すことだ。間違ってない」
「そうだ。陛下は逃げることを望まぬ。この戦いは、まだ続いているのだ。これはけっして、ただの将棋盤の戦いではないのだ!」
天帝は、「自分が危険になったら戻れ」と言っただろうか?
否。
彼は、「天威を示せ」と言ったのだ。ルシア天帝の天威を、武をもって示せと。
悪魔にとって、これがゲームであったとしても、天威のために動く雪騎将にとっては真剣勝負。相手が誰であろうと、目的が何であろうと、目の前にいる敵を屠るのが使命である。
リヒトラッシュは、冷静である。冷静でありながら、その心に強く熱い気持ちを宿していた。だから、ルヴァナットの挑発にも踊らされないのだ。彼が持つキューパス・カイヤナイト〈閃眼の梟〉は、まっすぐに獲物だけを見つめているのだから。
「わかった。こっちはなんとかする。お前は勝て」
「むろん、そのつもりだ」
そして、その戦いを象徴するかのように、空から赤い雨が降ってきた。
今、戦場は赤く染まる。
血と、痛みによって、すべてが染まっていく。
ナット兄弟が操るリヴァイアードが地上に降りるや否や、ルシア軍が一斉に取り囲む。
そこに向かって、ビシュナットはスキミカミ・カノン〈天業の裁き〉を発射。肩に取り付けられた簡易イレイザーカノンが、ルシア軍の群れを蹴散らす。
リヴァイアードの最強兵装であるスキミカミ・カノンは、ルシアのブルーゲリュオンを簡単に破壊する威力を持っている。直撃すれば大破はもちろん、触れただけでも、ただでは済まない損傷となる。
しかし、何機かブルーゲリュオンをふっ飛ばしはしたものの、群れを貫通する前に、蹂躙する閃光が消失した。
「一機で受け止めるな! 必ず固まって防御しろ!」
群れの後方から出てきたブルーゲリュオンが持っていたのは、ナイト・オブ・ザ・バーンに対しても使った大型シールドである。武器破壊用のDタイプではないものの、通常のシールドよりも強固で、耐久力の高いG装備であった。
シールドを持っているのは、第一隊ロー・ガインナイツの予備騎士であり、彼らのブルーゲリュオンは、砲戦仕様のロー・アンギャルのものよりも強固に造られている。
ナイト・オブ・ザ・バーンの攻撃を受け止めたように、複数機で防御に徹すれば、一撃で落とされるということはない。ダメージを受けた機体を下がらせ、シールドを持った機体が半包囲態勢を整えていた。
リヴァイアードは、スキミカミ・カノンを連続して発射。巨大な光が放たれるたびに、群れの中に穴が生まれていくが、それは人海戦術によってすぐに埋められていく。
ルシア軍は、統率力の高い軍隊である。血の絶対統治下で暮らす彼らは、飛び抜けた個の力とともに、他のために自己を犠牲することもできる。自ら率先してスキミカミ・カノンを受け、威力を殺したビームを背後の者が受け止める。
受け止める側も、無傷ではない。
お互いに傷だらけ。ボロボロである。
そんな中でも、彼らの戦意は落ちない。騎士たちの犠牲的行為によって、徐々に包囲は狭まっていく。
「あにぃ、やつら捨て身だ! 気にせずに向かってくる! それに、どんどん防がれていく」
「すでに地の利はない。射線が読まれているのだ」
スナイパーの真骨頂は、狙撃である。どこから撃たれるかわからないからこそ、狙撃には価値が出る。また、場所がわかっていたとて、簡単には防げないからこそ脅威となる。
されど、すでに大地に降り立ち、姿を見せた以上、相手からは丸見えの状態である。どこに向かって撃つのかがわかれば、強兵であるルシア騎士にとっては、絶対的脅威にはならないのだ。
いくらビシュナットが天才であっても、地の利を失った今、不利なのはリヴァイアードのほうである。なにせ一機。彼らは、たった一機しかいないのだ。援護のないスナイパーほど、孤独なものはない。
「どんどん撃ち込んで、相手を塔から離すんだ」
ハブシェンメッツは、ブルーゲリュオンにシールドで主砲を防がせつつ、ML-S8によるミサイル攻撃で押し込む作戦に出た。敵の目的は、塔に近づく者を攻撃すること。近寄らせないことである。
姿が見えれば、狙うことは簡単である。ミサイルの雨が、リヴァイアードに降り注ぐ。だが、相手は一流のガンマン。そのすべてが、着弾する前に空中で撃破される。
すごいのは、ビシュナットがこの圧力の中でも、まったく動じていないことである。今にも包囲されそうな状況でありながら、防御をルヴァナットのリフレクターシールドに任せ、自身は完璧な射撃を続けているのだ。
恐るべき精神力。恐るべき信頼感である。
彼らは、まったく撃ち負けるとは思っていない。ミサイルを撃破しつつ、スキミカミ・カノンで反撃すらしてくる。
時々リヒトラッシュの狙撃も狙ってくるので、シールドを突破されればリヴァイアードであっても危険であるのに、それすらも恐れていない。そこには弟に対する信頼感がある。そして弟は、兄に対して絶対の信頼を抱いている。
そうした気配が、外から見ていてわかるのである。溢れ出る二つの戦気が一つになって、大きく躍動している。燃えている。
「弟よ、つらいか?」
「全然問題ない。こんな戦い、何度も経験してきたよ」
「そうだな。我らの戦いはすべて、逆境の中にあった。悪の中に放り込まれ、囲まれても生き残ってきた。それは必然なり。ここに正義が燃えているからだ! 正義の心があるからだ!」
ナット兄弟は、常に厳しい環境の中で戦ってきた。相手が百人であろうが千人であろうが、傭兵であろうがルシア兵であろうが、自身に正義があれば怖れるものは何もない。
武人は、逆境の中でこそ真価を発揮する。絶体絶命の中にあってこそ、その血が正しく燃え上がる。彼らは、そうした危険な戦いを続けていくうちに、強力な力を呼び覚ましたのである。
怯えない。臆さない。退かない。
不退転の戦いにおいて、彼らの右に出る者はいない。
「すごい武人だ。雪騎将クラスだと思ったほうがいいね」
素人のハブシェンメッツにも、その凄みが理解できる。彼らはおそらく、並の雪騎将を凌駕する実力を持っているのだろう。こちらに雪騎将がいるにもかかわらず、事態が好転していないことが、その証拠である。
今のハブシェンメッツは、普通に騎士団を展開している。手加減などはしていない。たしかにハブシェンメッツには、さきほどまでの痺れるような緊迫感はないものの、一般的な戦術士と同じくらいの圧力をかけているつもりだ。
それでも拮抗しているのだから、敵の迫力がいかに凄いかを思い知るだろう。
たった一機でルシアと戦う。二人だけで戦い通す。
それはまさに、糾弾のナット兄弟に相応しい実力であった。
「ああいうタイプは、本当に粘るんだよね。ああ、損害が増える。また紅天位殿から怒られるかもしれないな…」
戦局はすでに決まっている。本来ならば、ハブシェンメッツが制圧した段階で、ルシア側の勝利は決まっているのだ。それを、だだをこねて粘っているのが、現在のラーバーンの現状である。
しかし、そういうときこそ粘るものなのだ。
たとえば、家賃が払えなくて追い出されそうな人間は、ギリギリまで粘るものである。失敗すれば野宿なのだから、それはもう必死で粘る。果ては、人情論、人権論に発展させてまで粘る。まさに見境がないのだ。
ハブシェンメッツも自らの体験によって、それを知っている。どんなに怠けた人間でも、生命の危機に瀕すれば、普段以上の実力が出るものである。それを続けることで、さらに限界が上がっていくのだ。
ナット兄弟は、そうした戦いに慣れている。いつも弱者のために殿を務め、割に合わない仕事を続けていた彼らは、恐るべき耐久力を得るに至ったのだ。彼らがもともと戦士タイプのガンマンであることも、その耐久力に拍車をかけているのだろう。
悪魔が置いた手駒は、まさに最強の防衛線であった。これを破るには、相当な覚悟と犠牲が必要になるに違いない。
ただし、長くはもたないだろう。
最後は、ルシア軍が勝つ。それは決まっていることなのだ。
「相手が防衛策を出してきたということは、やはりアピュラトリスには何かがあるのでしょうか?」
アルザリ・ナムは、ハブシェンメッツが危惧していたことを思い出す。正直、DMOBによるサカトマーク・フィールドの突破は不可能だと思われるが、それでも相手が戦力を出してきたことは事実である。となれば、やはり近寄らせたくないのだろう。
「塔に侵入されたくないのは確実だろう。塔の中には、必ず彼らにとって重要なものがある。でも、打ってきた手が圧倒的というわけじゃない。そこが気になるね」
ハブシェンメッツも、サカトマーク・フィールドが破れるとは思っていない。あの様子では、おそらく侵入は無理だろう。ただし、これはあくまで、相手の手の内を引き出すための策である。
そして、打ってきた手が、リヴァイアード。
彼らは強力な戦力であるが、今まで打ってきた手と比べれば、若干弱いように思える。数はもちろん、質にしてもナイト・オブ・ザ・バーンたちに比べれば、遥かに弱い一手である。
高所から降ろすことさえできれば、こうして囲むこともできる。それはまるで、翼をもがれた鳥のようである。地の利がなければ、スナイパーの実力は半減するのだ。
あの悪魔が、それを理解していないはずがない。いくら急造とはいえ、そうした不利な事態も想定しているはずである。ならばなぜ、新たな動きがないのか。そこが気になって仕方がない。
(捨て駒とは思えない。今までの彼の駒に、意味のない捨て駒は一つもない。では、何が目的なのか)
ハブシェンメッツと対峙してからの悪魔が打ってきた手は、最初から損耗する予定の無人機を除いて、すべて無駄のない一手ばかりである。仮に負けることを想定していても、すべてのことに意味があり、目論見がある。
何より【信念】がある。
そこには、仮に一時的に不利益になろうとも、絶対に示さねばならないという覚悟と信念が宿っている。なればこそナット兄弟という一手が、単なるアピュラトリス防衛によるものなのか、それとも別の意図があるのか、まだわからないのだ。
単純に戦力不足という可能性もあるが、それならば手を打たないという選択肢もあった。これだけの武人を使うのだから、そこには意味があるはずである。
(頭がはっきりしないな。彼の感覚が弱くなったのかな? それとも僕のほうか?)
ハブシェンメッツは、最初の時よりも悪魔の気配を感じられなくなっていた。自分のスイッチが落ちたから、という線が濃厚であるが、悪魔自体が、この戦いに本腰ではないようにも思えたのだ。
(こちらは陽動? いや、それでは今までの戦いの説明がつかない。彼らの目的は、間違いなく富の塔のはず。中で何をやっている? なぜ、時間を稼ぐ?)
ここにきて、今回の騒動の本質が問われている。
―――彼らは、【何が目的】なのか?
という、実に単純明快な謎かけである。
現在は戦闘中である。こんなことを考えている暇はないが、拮抗した状態がハブシェンメッツに危機感を与える。相手に動きがないことが、どんどん不安を加速させていく。
まるで、一人だけで将棋をやっているような感覚なのだ。対戦相手が、突如いなくなったような喪失感を感じる。
(彼らは、アピュラトリスを制圧した。富の塔は交渉材料だが、それ自体の破壊は、彼らの目的を一部ながらでも達成させる。現体制の破壊。経済の破壊だ)
悪魔の要求は、すべての富を分け与えること。
それが連盟側によって明確に否定された以上、アピュラトリスを破壊して経済を麻痺させる。そうすれば、大きな混乱による経済の破壊が生まれる。だがしかし、それはおそらく、弱者をより弱者にさせてしまう危険性をはらんでいる。
悪魔は、それを望んでいるのだろうか?
否、それは手段であり、求める結果ではない。
(目的は、全人類の平等、経済格差の是正、信仰の破壊、人種の統合。その手段が、アピュラトリスの制圧、アナイスメルへの侵入…)
悪魔の目的は、あの会議場で聞いた通り。子供の夢物語のような話で、どれもが理想の域を出ない。しかし、彼が本気であることは間違いないだろう。それが実現可能かはともかく、悪魔が本気であることが重要なのである。
そして、その結果を得るために選んだ手段が、アピュラトリスの制圧とアナイスメルへの侵入である。そのための戦力投入であり、今までの戦いは、すべて富の塔に集中していた。
話によれば、アピュラトリス単体では意味を成さないらしい。肝要なのは、その頭脳ともいえるアナイスメル。そこを押さえられたら、たしかに全世界の経済は麻痺することになるだろう。
ただ、具体的に彼らが何をしているのかは、まったくの不明である。アピュラトリスにしても、中の情報は皆無。アナイスメルにしても、これこそまさに謎の存在である。そこで彼らは、実に根気よく何かをやっているのだ。
ヘインシーの説明から察するに、経済の破壊だけならば、すでに可能な領域にまで到達しているようである。されど、彼らはそこに執着せず、さらに何かを求めてダイバーを送り続けている。
それこそが、彼らの目的であることは理解できる。できるのだが―――ここにきてハブシェンメッツは、あることに気がつく。最初からずっと気になっていた、一つの疑問の回答である。
(手段と目的が、合わないんじゃないか?)
ここに一つのトリックがある。
悪魔の目的を聞いて、誰もが無理だと思った。では、なぜ無理だと思ったのだろう。明らかに理想論であったからなのは当然だが、彼が選んだ手段が、【目的の成就に直結しない】からである。
アピュラトリスの制圧は、脅し文句にはなる。それを使って、富を分配させることも可能かもしれない。彼らはアナイスメルとやらに侵入もできるのだ。何かしらの強制手段を持っているのかもしれない。
天帝に自信たっぷりに述べたことも、何かしらの根拠があるからだろう。それ自体がブラフである可能性も否めないが、その気になれば、何かしらの手段を講じることができるのかもしれない。
だが、それには一生アピュラトリスを占拠し続ける、という荒唐無稽な作戦が必要となる。そんなことは、誰が考えても不可能である。サカトマーク・フィールドとて、このままでは一ヶ月ももたないだろう。こうして攻撃を続ければ、もっと早く消えるかもしれない。
アピュラトリスの制圧。アナイスメルへの干渉。
これを手段とした場合、目的が何かがわからないのだ。
超常的な力で、世の中の不平等が一気に解決する、なんて話こそ、まさに絵本の中でしか起こりえないこと。この世界において、それは絶対にない。
人の努力と苦しみなくして、何かが得られることは絶対にないのだ。ならば、経済の破壊という線はあるものの、それ以外の目的が見えてこない。それだけでは、今までの苦労に見合わない気がする。
ならば、そもそも目的が違うのだ。
少なくとも、悪魔の【今回の目的】は、人類の平等などではない。あるいは、それ自体が目的ではない可能性もある。
(誰もが彼の魅力に惑わされていた。だから、この違和感に気がつかなかったんだ)
悪魔の鮮烈な登場と、その理想に誰もが釘付けになっていた。ハブシェンメッツも、悪魔の真の狙いは違うところにあると思っていたが、彼が目指す理想については本気だと思っていた。
だがしかし、それを彼がやるとは一言も言っていない。
悪魔自身が、人々を平等にするとは言っていない。
彼が言ったのは、「ぜひそうしてください」の一言。
そうしなければ、「すべてを破壊しますよ」の一言。
ナット兄弟は、自らが正すと言っているが、悪魔当人がそうは言っていない。ここで重要なのは、悪魔の意思とバーンの意思が、必ずしも一致する必要はない、ということだ。
悪魔には、悪魔の目的がある。かなりの統率ができていると思われる軍勢であるが、これだけの武人が集まる以上、完全なる一致は不可能であろう。であれば、彼らの言葉を鵜呑みにはできない。
やはり重要なのは、悪魔の言葉である。
(なぜ、悪魔を名乗る? 一般人でさえ殺すからか? 残酷なこともするからか? 悪魔とは、恐怖の象徴。破壊の象徴…?)
そう、悪魔とは、最初からそういう存在なのだ。そういう存在だからこそ、悪魔と呼ばれるのだから。それは市街地を攻撃して、民間人を殺したことからも明らかである。
そうした破壊的な行動が、はたして平等を生み出すだろうか?
そんなテロが、人々の平和を生み出すだろうか?
否。絶対にない。
そして悪魔は、そのことをよく知っている。
(彼は、最初から敵対姿勢を崩さなかった。あんなものは交渉じゃなかった。ならば、彼がやろうとしているのは…もっとシンプルで最悪な―――)
ハブシェンメッツは、初めて戦慄する。
背筋が凍り、悪寒が弾け、吐き気さえ感じる。
今まで悪魔のことを、凄い対局相手だと思っていた。頭脳明晰で、慧眼を持つ天才的な打ち手。アーマイガーに匹敵する好敵手。事実、それは正しい評価だと思われる。これほどまでに楽しい対局は、そう簡単に味わえるものではないからだ。
されど、それはあくまで【人としての部分】である。
悪知恵を働かせ、お互いに騙しあう。ぶつかり合う。そうした欲求と達成感は、あくまで人間だからこそ有する感情である。悪魔が人なれば、それもまたありえることだろう。不思議ではない。
だが、悪魔とは、本当にそうした存在なのか。
悪魔の本質とは、もっと恐ろしいものなのではないだろうか。
ルシア軍が強いから、そこを見誤っていた。対抗できていたから、悪魔が普通の人間の思考回路をしていると思ってしまった。
それがもし、違ったら?
―――悪魔は悪魔でしかない
―――悪魔とは、世界を燃やすもの
―――悪魔とは、人を殺すもの
このことに、今ようやくハブシェンメッツは気がつく。気がついてしまった。悪魔の気配が、彼の人としての気配が消えたことで、まるで亡霊を相手にしていたかのような感覚に陥ったのだ。
だからこそ、気がつけた。
―――彼らの【本当の目的】に。
やり方は、まだわからない。漠然とした部分が多い。それでも、悪魔がやろうとしていることはわかった。そこから逆算すれば、相手が何をしてくるかも、ある程度は計算できる。
その中で一つ、手がかりがある。
これは最初から示唆されていたことである。見せつけていたものである。彼らがなぜ、【ガネリア動乱時の機体を使っているのか】ということだ。
このことの重要性に気がついた者は、そう多くない。なぜならば、ガネリア動乱とは、所詮地方の紛争にすぎないからである。多くのMGが初めて実戦投入されたことで注目されたが、大国の興味を惹くのはそこくらいで、それ以外の要素についてはあまり重要視されていなかった。
しかし、ハブシェンメッツは、そこが気になった。だからイルビリコフに頼んで、監査院の詳細資料を持ってきてもらったのだ。
そこには、【悪魔の正体】も明記されていた。
ハブシェンメッツ自身、さほどガネリア動乱に興味があったわけではなく、新聞やニュースで軽く聞いた程度だ。戦術士として、どんな感じの戦術があったのかを噂で聞いたくらいである。
だから、その名を見ても、さしたる感動も驚きもなかった。ただの事実が、そこに書かれているにすぎないからだ。だが今は、その情報が、とても貴重で価値があるように思えてならない。
(ガネリア動乱を示唆した以上、悪魔の正体は、おそらく【彼】。監査院の推察通りに違いない。では、ガネリア動乱では何が起こった? そこに彼が示唆する、もう一つの何かがあるはずだ)
ハブシェンメッツは、普段あまり使わない頭を必死にフル回転させる。ガネリア動乱という大きな枠組みから、もっと【彼】にフォーカスを合わせて考えてみる。
テロリストであった彼が、ガネリアに行ってから英雄となったこと。理想を持ち、人々を導こうとしたこと。激しい戦いの中で、苦しみ、悶えながらも立ち向かったこと。
なぜか?
その理由は何か?
何が原因か?
なぜ彼は、弱者のために立ち上がったのか。
それを決断させたのは、何か。
答えは明瞭である。
(アリエッサ・ガロッソ。彼の妻…いや、婚約者。結婚式の前に彼女は死んでいる。どちらにせよ、彼女の存在が彼に影響を与えたはず。では、彼女は何だった? ガロッソ王国の王女だった。ガロッソ王国とは、どんな場所だった? どんな国だった?)
ガロッソ王国は、【完全福祉国家】を目指した小国であり、ガネリア地方では最貧困国の一つである。豊かとは程遠い国であったが、国王のコンゴーンと、その娘であるアリエッサによって、人々は精神上健全な生活を送っていた。
驚くべきことに、当初の段階では、彼らは犯罪の意味すら理解していなかったという。厳しい環境で暮らす彼らは、すべてを分け合い、助け合うため、人を疑うということすらしなかったのだ。
小国においては、誰もが家族である。そこに慣習はあれ、誰かを罰する法など不要だったのだ。過ちは正されるが、罪すらなかった。豊かではないが、そんな夢のような国であった。
されど、時代はそれを許さない。
魔人機の発展に伴って高騰していた、希少な燃料石であるアフラライトの鉱脈が見つかってからは、多くの混乱が彼らを襲った。ガネリアの混乱から移民が増え、犯罪も起き、人々の中に不安と疑念が渦巻いた。
それを救ったのが、アリエッサである。
彼女の自己犠牲の心に、多くの人々が賛同したのだ。それを支えたのが彼、【黒の英雄】である。そして、ガロッソという国は二人の人間を中心として、どんどん大きくなっていった。
すべてが燃え尽きた、【あの日】まで。
読んでみれば、非常に簡素な報告書である。ほとんどの事象は、一行程度で記されており、箇条書きのところもある。歴史からすれば、所詮その程度の価値しかなかったことを示している。
されど、ここに手がかりがある。
(完全福祉国家。これこそ彼が求めた理想の国家像だろう。彼とて、それが夢物語だとわかっていたはずだ。あれほどの男だ。わからないはずがない。でも、彼はそこに惹かれたんだ)
悪魔は、それが夢だと知っていた。それでも、守りたかった。信じたかった。愛する者と、その夢である理想の世界を助けたかったのだ。
優しい悪魔。
脳裏には、そんな言葉すら浮かぶ。
(だが、どうなった? それは結局、どうなった?)
現在のガネリア新生帝国に、ガロッソという国は存在しない。国王はすでに隠居しており、アリエッサもいなくなったため、国そのものが消えてしまったのだ。
ガロッソは、ガネリア動乱において連盟側とも争っていた。正確には、シェイク・エターナル率いる連盟軍とも戦っている。そうした軋轢を考えたとき、滅びてしまったほうが得策なのは明白。コンゴーン王も、それを望んだといわれている。
残っているのは、荒れ果てた大地の中に、なぜか一つだけぽつんと生まれた森林地帯にある、一つの碑石と湖だけ。今でもそこには、故人アリエッサ王女を偲んで訪れる人々が大勢おり、祈りの場所となっているという。
―――国は滅んだのだ
―――理想は死んだのだ
国と王女とともに、彼の理想も消えた。
そして、彼は悪魔を名乗った。
その時から、彼は悪魔になったのだ。
では、悪魔となった彼が、真っ先にすることは何であろうか?
(自分ならどうする。自分が彼ならば、何を思う? もし僕がまっとうな人間なら。もっと感受性の強い人間なら―――そう、復讐。でも、それは自分のためじゃない。【彼女】のためだ)
悪魔の性格上、自分のために何かを行うとは思えない。彼は常に自己犠牲を尊び、過激な行動を行うにしても、そこには理念がある。だが、資料の中の彼は、時折論理的に破綻した行動を取ることがある。
愛に心惹かれて。
ハブシェンメッツには理解できないが、世の中には愛で狂う人間は、ごまんといる。愛が深ければ深いほど、人は愛によって破滅的な行動に出てしまうのだ。
本当に愛したから、である。
残念なことに、ハブシェンメッツは、そこまで人を愛したことはない。だからこそ、悪魔の本質に気がつくのが遅れたといえるだろう。
(彼は、こちらを試したのだ。彼女を受け入れるかどうか、を)
悪魔の提示した理想は、アリエッサの理想でもあった。人々の平和と慎ましい暮らしだけを願い、すべてを分け合っていたガロッソ王国。その理念、すなわちアリエッサの美徳を受け入れるかどうかを、連盟側に問うたのである。
結果、拒絶された。
ここでようやく、ハブシェンメッツが抱いていた疑念の一つが解ける。悪魔が提案を拒否されたときに見せた、演技のような態度。それは不快感を隠すものであったが、そこには諦観のようなものがあったため、悪魔の強さを示すものに置き換えられていた。
だが、違った。
悪魔は、あの時にすべてを破壊すると決めたのだ。
アリエッサを拒絶した連盟側に対し、【怒り】を感じたのだ。彼の能面のような笑顔は、まったくあてにならない。その奥底にある怒りは、隠そうにも隠しきれないほど巨大である。
悪魔は、今までずっと平静を装っていた。そのすべてが演技であったのだ。彼の中にあったのは、ただただ破壊への衝動である。
彼こそ、バーンの中のバーン。
主宰などと言われているが、この世でもっとも火が似合う男なのだ。
(彼はけっして、こちらを許さない。最初から妥協点など、いっさいなかったんだ!)
「転移です!」
「―――っまさか!」
ハブシェンメッツは、最悪の事態に思い至り、アルザリ・ナムの叫びに思わず身を硬くする。
だが直後、転移によって現れたものは、再び煙幕であった。映像の視界が真っ白に染まる。
(違った…! 助かった…か?)
ハブシェンメッツが個人的に注目したものは、悪魔の詳細プロフィールであったが、イルビリコフの書類の最初に記載されていたのは、ルシアにとってもっとも危険な可能性である。
(彼らは、【反応兵器】を使うつもりだ)
―――反応兵器
悪魔が開発した、人を間引くための兵器。その存在は、ガネリア動乱の末期に確認されている。ルシアにとって、これこそがもっとも怖れるものであるため、転移で落とされることを常に警戒していた。
しかし、彼らはいまだ、反応兵器を使うそぶりがない。
核兵器が使えない今の時代、もっとも強力で、もっとも危険な兵器である。ただの破壊が目的ならば、即座にそれを使えばいい。されど使わない。
もしかしたら反応兵器の転移は不可能か、あるいは多大なエネルギーを消費するのかもしれない。だから使わない、または使えないのかもしれない。
攻撃はするも、そうした衝動的破壊行為がなかったため、ハブシェンメッツも、彼らの目的が別にあると思っていた。当然、実際にあるのだろう。それでもそれは、彼らの本当の目的のための手段にすぎない。
つまり、彼らの破壊のための準備、でしかないのだ。
なんて自然な回答。本当ならば、誰もが最初に思い描く終末の光景。悪魔が悪魔たる魅力を持っていたがゆえに、そこに人間味があると思ってしまったがゆえの最大のミステイクである。
「また転移です! あっ―――キャンセルされました!」
「キャンセル!? どういうことだい!?」
「法則院から通達です。作戦を開始した、とのことです」
「作戦? そうか…!」
資料の最後のほうに、法則院が対抗策を講じるということが書いてあった。その詳細はわからないが、おそらく妨害策を見いだしたのだろう。
転移への対抗策は、主に二種類存在する。
一つは、逆探知。相手がどこから送り込んでくるのかを、電話のそれと同じように逆探知するものである。これができれば最高である。相手の居場所がわかれば、世界各国にいるルシアの部隊を動かして攻撃を仕掛ければいい。
だが、逆探知には時間がかかるし、相手も多くのダミー情報を送っているので、簡単にできるものではない。相手の術式を解析しなければならないので、高位の術であればあるほど困難である。よって、これは諦めるしかない。
もう一つが、阻害である。
基本的な転移の条件の一つに、出現した先に別の物体情報があると、キャンセルされるというものがある。これは同じ次元と空間に対し、同一の振動数の物体は共存できない、という法則によるものである。
肉体が肉体と触れ合うのは、同じ振動数の物体だからだ。魂と肉体が同時に存在しながらも衝突しないのは、振動数が違うからである。これを利用して、転移先に物体の構築情報を事前に設置しておけば、転移をキャンセルさせることができる。
それは実際の物体でなくてもよい。術式による【予約】でかまわないのだ。最初の条件として、ブッキングは一つまで。ダブルブッキングは許されない。
たとえば、重役が一般客の予約に強引に割り込むように、絶対的にそれができないわけではないが、それを行うためには多大な労力を使用する。通常以上の術式を展開させねばならない。それによって転移に時間がかかれば、相手に探知されるリスクも生まれてしまう。
今の双子に、そのような余裕はないだろう。
同時に、する意味もない。
法則院が行ったのは、この事前予約による転移の阻害。ルシア軍が展開している付近に限定して、対抗措置を企てたのだ。その多大なる労力に見合うだけの効果を発揮し、転移は見事キャンセルされた。
見事だ。さすがルシアの法則院。さすが学院長たるA・N・ヤンバースと、その高弟たちの仕事である。だが、彼らが決死の努力で阻害したものは、たかだか煙幕であった。
悪魔には、この段階に至っても増援を送るそぶりが見られない。その瞬間、ハブシェンメッツの推測が確信に変わる。
「すぐに作戦の中止を法則院に通達するんだ!」
「え!? ど、どうしてですか!? 転移は防げたじゃないですか! すごいですよ、これは! これなら勝てます!」
「違うんだ! ここにはもう戦術的価値はないんだ! 相手はもう、アピュラトリスに執着していない!」
「そんな!? じゃあ、どうして兵力を置いているんですか!?」
「彼らは足止めだ。僕たちを、ここにとどめておくための」
ハブシェンメッツは、悪魔の意思がアピュラトリスから消えた、本当の意味を悟った。
―――もうすべて終わったのだ。
彼らにとって重要だったものは、すべて終えた。アピュラトリスにおいて彼らが求めていたものは、すべて得てしまったのだ。
ならば、その次に彼らがすることは何か。
いや、そもそもの目的は何であったか。
「敵の狙いは、【会議場】だ!」
アリエッサを否定した者たちへの粛清。
悪魔が求めたのは、最初からそれ。国際連盟を分断すること。そんなことは最初からわかっていた。しかし、物的欲求によって結びついた者たちは、それが偽りであっても簡単には壊れない。
お互いのメリットがある限り、彼らは互いを利用し続ける。ならば、そこにメリットがなくなればいい。デメリットのほうを多くしてやればいい。互いに疑心を生じさせ、仲違いさせればいい。
その手段は、とても簡単である。
力で叩き潰せばいい。
それだけの力が、今の悪魔にはあるのだから。
賢人は、彼を悪魔に選んだ。その理由は、とても簡単なのだ。彼は純粋で、合理的で、行動的である。もっとも愛が深く、愛のためならばすべてを犠牲にできる。一度決めたことを、最後まで成し遂げることができる。
もっとも愛しく、もっとも危険な男。
その男に、力を与えたのだ。
世界を焼くために。
「会議場に通達を! 早く離脱するんだ! 下手をすれば、全滅するぞ!」
「っ! わ、わかりました! 今すぐ連絡を―――っ!」
アルザリ・ナムが連絡を入れようとした瞬間―――
―――司令室のドアが吹っ飛んだ
ここは基地内部の司令室である。そこのドアが、何かに切り裂かれたように粉々に分解され、吹っ飛んできた。力のベクトルは、外から中に対して。
会議場につながる連絡通路から、基地内部へと向かって。
「な、何が…」
「退いてろ!!」
アルザリ・ナムが呆然とする中、一番最初に動いたのは、雪騎将であるゾバーク・ミルゲンである。彼は護衛のために司令室に残っていたのだ。
ゾバークは、まったく相手を確認をせず、ぶち破られたドアに向かって拳を打ち放つ。拳圧を戦気と一緒に解き放つ、覇王技、修殺である。修殺は、まっすぐに進み、連絡通路から入ってきたものに衝突。後ろに吹っ飛ばす。
だが、思ったよりも下がらない。ゾバークの拳の威力が弱かったからではない。そのさらに背後から、さらなる敵が迫っていたからである。蟻の行列のように、後ろからどんどん押され、ゾバークに潰されたものと一緒に、同じ姿の物体が姿を見せる。
出現したのは、異形の存在。
まるで亜人のリザードマンのようなトカゲ的な雰囲気を宿し、両手に刀を持った、全長二メートル半はありそうな存在。体は細長く、縦に長く見える。ただし、それは生物的なフォルムはしておらず、機械的な印象を強く受けた。
実際、それは生命体ではない。
「数が多い! やつらを中に入れるな!! 押し出せ!」
ゾバークの命令で、周囲にいた護衛のルシア騎士四名が、その存在に向かって襲いかかる。剣で切り裂き、殴られたそれは、吹っ飛び、半壊する。
さすがルシア騎士たちである。この場にいる者たちは、誰もが手練れ。ゾバークには及ばないが、それでも第一隊の準騎士たちである。ルシア騎士の中から選ばれたエリートたちである。
しかし、安堵したのも束の間。後ろから増援が、わらわらと出現する。それだけならばまだしも、半壊させたはずのそれもまた復元を開始し、数秒後には再び戦列に復帰していた。
「なんだ、こいつらは!!」
「マリオネット…かな?」
「知っているのか?」
「ガネリア動乱の資料に書いてあったよ。あくまで参考資料としてだったから、あまり細かいことは知らないけどね」
ハブシェンメッツに渡された資料には、ガヴァルやリビアルの情報も、簡易情報であるが載せられていた。その中には、目の前の存在によく似た【兵器】の存在もあった。
マリオネット。アグマロアを核に使った機械人形であり、その戦闘力は達験級の剣士に匹敵するという。さらに恐るべきことに、彼らには再生能力があり、簡単に破壊することはできない。達人級の剣の腕前よりも、そちらのほうが厄介な能力である。
レマールの英雄と呼ばれた剣豪サンチョ・ポンデールも、老いたとはいえ、マリオネット十六体を相手に苦戦を強いられた。それは彼らの再生能力ゆえである。
英雄級の剣士でさえ、数がいれば簡単には倒せない相手なのだ。それがわらわらと出現するさまは、絶望すら感じさせる。
されど、この男は動じない。
「相手が何だろうが、ぶっ壊してやる!」
ゾバークは、マリオネットに攻撃を仕掛ける。相手の剣撃をナックルガードで受け止め、腹に重い一撃を放つ。そのまま吹き飛ばすのではなく、左手で掴まえておき、腹を何度も殴る。そのたびに亀裂が入り、マリオネットは何度も大きく揺れる。
「核があるはずだ! そこを壊すんだ!」
「オラオラオラオラ!!」
ゾバークのラッシュ。腹を砕き、胸を砕き、何度も何度も殴りつけ、その中にあった核を破壊した瞬間、マリオネットは、その名の由来のごとく、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「はぁはぁ! タフすぎだろうが! どんだけ手間がかかる!」
ゾバークの拳ですら、一発で倒せない。核が埋まっている部分を見つける必要があるし、装甲を砕くまでも大変である。雪騎将でもこれなのだから、普通の騎士では苦戦は必至であろう。
「上級大尉、どんどん来ます!」
「甘えるんじゃねえ! 死んでも通すな!」
「はっ!」
ゾバークが戦気壁を張り、マリオネットを連絡口にまで押し返す。他のルシア騎士も連携して各個撃破しつつ、戦気壁を生み出して防御を固める。ゾバークの濃厚で強い壁に支えられ、簡単に入ってこられない状況にまで盛り返す。
だが、事態はもっと深刻である。
「風位、会議場と連絡がつきません! 全部の回線が落ちています!」
「接触回線までやられたんだ。今のやつらに、物理的に破壊されたと見るべきだろうね」
「おい、どうなっているんだ! 転移は防いだんじゃないのか!」
「ああ、そうだ。そうだよ。転移は防いだ。でも、もうその必要がないんだ。彼らはもう、我々と戦う意義を失っている」
「話が伝わらないぞ。わかるように話せ!」
「そうだね…。ならば、こう言おうか」
「最初から、我々など眼中になかったんだ」
「彼は、全部を壊すつもりだったんだ」
そして、ハブシェンメッツは、初めて感情を大きく乱す!
「全部が、全部が、全部が!! このためのものか!! 悪魔君!! 君は、なんてことを考えるんだ!! 今までの指し合いも、読み合いも、全部がこのための【ふり】だったんだ! どれだけの犠牲を出して、それをやったんだ!! どんな顔で、それをやったんだ!」
「君は本当に悪魔だ!!」
もっとも恐ろしいことは、そのすべてに意味があったこと。
アピュラトリス制圧にも意味があった。アナイスメル侵入にも意味があった。こうして防衛することも、転移を見せつけることも、全部意味があった。
アリエッサの理想を伝えることも、ルシア天帝を挑発することも、一時的に連盟側を結託させることも、一般人を殺すことも、すべてすべすべて、意味があった。悪魔の行動に無駄はない。
だからこそ、そこに付き合ってきた。相手にやられないように。相手を出し抜くために。
だが、そのすべてが【無意味】だったのだ。
ハブシェンメッツは、心から悔しそうに事態の深刻さを告げる。
「我々は、転移が塔を中心としたものであると思っていた。実際、それは正しい見解だったと今でも思っている。今まで彼が苦戦していたのは、紛れもなく本当だったんだ」
悪魔が、ハブシェンメッツ相手に苦戦していたのは、本当である。与えられた条件の中で戦い、その中においては劣勢であった。悩んで、対処に苦慮していた。だがそれは、将棋盤の上でのゲームでの話だ。
悪魔は楽しんでいた。人として、ハブシェンメッツと戦うことを喜んでいた。されど、悪魔の目的は、けっして人間とゲームをして楽しむことではなかった。
転移でしかMGを移動できなかったのは、間違いのない事実であろう。敵の兵力を削り、強者をおびき出すために必要な戦力は、塔を経由しなければ派遣できなかったのだろう。それはいい。意味があった証拠である。
ならば、マリオネットはどこから来たのか?
その答えも簡単である。
「おそらくこの人形たちは、最初から会議場に潜んでいたんだ。そうとしか考えられない」
「そんな! 万全のチェックをしているはずです! 不可能です! 飲み物の成分すら調べられるんです! 蟻一匹とは言いませんが、動物一匹入り込めません!」
「そうだ。この厳戒態勢の期間に、会議場に入り込むのは誰にも不可能だ。でも、悪魔君がこの経済恐慌を引き起こしたのならば、彼には多くの時間があったことを意味する。首謀者なのだから当然だ。では、彼が今日、ここを攻めるとしよう。その際、計画もなしに動くと思うかい? 一ヶ月や二ヶ月程度の計画で、これだけのことをすると思うかい?」
「ま、まさか…、もうずっと前から…?」
「会議場には、転移ができないと思っていた。それは事実かもしれない。でも、する必要がないんだ。事件が起こる前から、処刑場を用意していればね」
この世界の誰が、経済恐慌が起こるなどと思うだろうか。誰がいったい、一人の人物によって引き起こされると思うだろうか。すべてが悪魔の手の平の上ならば、実際に事を起こす前に準備を整えるはずである。
西側の経済恐慌が始まった段階で、すでに仕込まれていた。そのすべてがアピュラトリスに、ダマスカスに行き着くように。すべての存在が、国際連盟として集結するように。
連盟会議場は、物的、術式的に最高レベルの防御を誇っている。そう、外側からは、ほぼ無敵に近い。だが、内部は違う。中に入られてしまえば、そうした防護策は無意味になる。
「会議場の警戒レベルは最大だったはずだ。簡単にハッキングされるなんて、おかしいと思わないかい? 監査院だって、間者の存在の可能性には思い至ったはずだ。だが、あぶり出せなかった」
それほど前から、悪魔が準備をしていた証拠である。しかも、預言の書を持つザンビエルがいるのだ。ゼッカーがまだ一介のテロリストの頃から、準備を進めることができる。
メラキ〈知者〉やレレメル〈支援者〉、ヤイムス〈隠者〉たちは、普段の生活から世界各国の重要機関に潜り込んでいる。いや、事が起きなければ、普通にそのまま生涯を終えるような人物たちなのである。
いったい誰が敵の間者なのか、過去を洗っても証拠や根拠が出てくるはずがない。人間が生み出した社会システムそのものが、悪魔の味方なのだ。
「最初から会議場を襲うには、いくら彼らでも無理があった。だからわざわざ、このようなセッティングをしたんだ。たぶん、何らかの技術を使って、人形を卵や胚のような状態で置いておけば…」
「風位、御託はいい! それで、どうすればいい!」
「今すぐ塔を捨てて、会議場に戻る。この様子だと、会議場はすでに彼らの襲撃を受けている。だが、僕たちがいないとて、あれだけの戦力があるんだ。すぐに落ちるとは思えない。まだ抵抗しているはずだ」
会議場には、まだシェイクの軍がいる。シャーロンたちがいる。加えて、世界各国の騎士や術士がそろっている。あまつさえ、あのアダ=シャーシカまでいる。彼女が味方になるかは不明だが、戦闘能力という観点からは申し分のない人物である。
彼女たちがいる以上、簡単には落ちない。
しかし、それはまだ【奥の手】を使っていないからだ。
「悪魔君には、まだ奥の手がある。公表されていない兵器だが、一発で数十万の人間を殺せる術式戦術兵器だ。それを会議場内部で使われたら終わりだ」
「なんで、そんなものを持っている! 核じゃないんだろう? そんなもん、聞いたことがないぞ」
「彼が作ったからさ。設計図は、彼が書いたものなんだ。だからルシアは、ずっと彼を追っていたんだ。彼が…天才だから」
ルシアは、ガネリア動乱で反応兵器が使われてから、その製作者である悪魔をずっと追っていた。ルシアがガネリアに報復をしなかったのは、すべて一人の天才のためであったのだ。
世界の構造すら変える、たった一人の天才のため。
悪魔が欲しかったから、である。
「ただし、彼らはまだそれを使わない。使えないんだ」
「条件が必要なんでしょうか?」
「理由はあるはずだ。可能性は高い。ただ、今までのものは、そのための準備であった可能性も否めない。つまり時間がない」
「ちくしょう! 人類の平等とかを謳っていながら、実際は全部ぶっ壊すのが目的か! テロリストらしいぜ、まったくよ!」
「ああ、清々しいまでに彼は悪魔だよ。早く戻ろう。これ以上、ここにいてはいけない」
ルシア軍は、ハブシェンメッツの動物的危機回避能力によって、真実の一端に迫ることができた。そのまま引き返すことができれば、もしかしたら間に合ったかもしれない。
しかし、なぜナット兄弟がここに派遣されたのか。ルシア軍の前に用意されたかを、まだ知らない。
「…風が変わった。弟よ、もうすぐだ」
ビシュナットは、戦場全体の空気が変化したことを見て取った。ルシア軍から、戦意というものが消えつつあったのだ。ハブシェンメッツからの撤退の指令が下ったからであろう。
「ゼッカーからの命令は、事が起こるまで、ここで相手を引きつけること。逃げられるとまずいよ。どうする、あにぃ?」
「スキミカミ・カノンの残弾は、残り八発。頃合だ。残りは温存しておいて、あとは別々にやるぞ」
「了解だ!」
突如、リヴァイアードの動きが止まり、リフレクターが急速回転していく。これは防御を固めているように見えるが、本当の狙いは違う。
いくつかの可変を経て―――
―――リヴァイアードが、分離
大きな一機のMGであったものが、前後に二つに分かれた。前部のものは、スキミカミ・カノンを足として使い、腕はそのままリヴァイアードのものを使用する。後部のものは、前部のものよりも大きく、リビアルの面影を残したまま、そこに両手を付けたような機体となっていた。
リヴァイアードの分離形態、リヴィエイターである。
前者のものを、リヴィエイター甲。ガヴァルの性能を色濃く残し、そこにリビアルの火力を多少植え付けた、高速砲撃戦闘用の機体である。これには、兄のビシュナットが乗っている。
後者の、全体の七割を有する大きな機体を、リヴィエイター乙という。リビアルのパワーを色濃く受け継ぎ、そうでいながらガヴァルの機動性を維持した機体である。リフレクターも、引き続き乙型が保有している。これには、弟のルヴァナットが乗っている。
「弟よ、いつものを頼む」
「おう、いくぜええ!」
ナット兄弟の戦い方は、実に独特であった。普通の戦いにおいては、二人が協力して戦うだけだが、敵が多勢の場合は、少々特殊なやり方で戦っていた。
それはバーンとなった今でも同じ。戦場にたどり着くと、まず弟のルヴァナットがこうして力を発動させる。
「挑発の力、鉄壁の意思、ペード・オブ・マラカイト〈融合と封鎖の魔器〉!!」
ルヴァナットの身体が輝き、緑色の力が発せられる。それはリヴィエイター乙のジュエル・モーターによって加速強化され、瞬く間に周囲に展開されていく。
ペード・オブ・マラカイト〈融合と封鎖の魔器〉。能力付与型のジュエルで、Aランクジュエルの一つである。
与える能力は、皮膚と戦気を硬質化させ、一定期間、防御力と耐久力を数倍に上昇させるものである。生身で使えば、そのまま強い肉体を手に入れられるし、機体に乗って使えば全体の強化にもつながる。
ただし、このジュエルの最大の能力は、もう一つの要素である。これによってペード・オブ・マラカイトは、テラジュエルに匹敵する価値を有することになる。
ルヴァナットを中心に、不思議な磁力が展開される。それは呪力と呼んでも差し支えない強力なもので、触れた者の意識を使い手に集中させることができる、というもの。
これぞ【挑発】の力。
武人の闘争本能を刺激し、すべての攻撃を自分に集中させることができる。これは精神作用の術式であり、耐性のない者を強制的に興奮状態にさせ、攻撃的にさせる力である。
よって、撤退を始めようとしていたルシア軍が、突如としてリヴィエーター乙型に攻撃を開始する。シールドを持っていた者たちすら、それを投げ捨てて、一斉に攻撃を仕掛けるために走ってくる。
「獣と化したならば、仕留めるのは簡単だ」
それをビシュナットのリヴィエイター甲型が、狙い撃ち。無防備となった機体を、一機一機撃墜していく。
当然、この戦術には多くのリスクが伴う。攻撃がルヴァナットに集中するので、彼は一方的に攻撃されることになる。ただ、マラカイトには防御能力を付与させる力もあるので、どんなに攻撃されてもダメージは軽微である。
リヴィエイター乙型は、リフレクターシールドを全開にして、ただただ耐える。
ジュエルの使用時間は、およそ三分。
あまりに強い力のため、制限時間が存在する特異能力である。挑発の力を使わなければ、単に防御力を高めるジュエルとして使えるが、真の価値は挑発にこそある。
「弟よ、耐えられるか?」
「大丈夫だ! いける!」
「ならば、このまま引き付けて―――っ!」
リヴィエイター甲型が、ビームガトリングガンを発射しようとしたとき、一発の弾丸が甲型に向かって放たれた。それは乙型を無視し、明らかな殺意をもって甲型に襲いかかる。
ビシュナットは、ビームガトリングガンの射線をずらし、さらに威力を高めることで反動を増加させ、そのまま倒れるように弾丸を回避。それから有線アームを使って、綺麗に体勢を整えた。
そして、一機の青い機体を見つける。
「相変わらず見事だ。だが、お前は私の獲物だ!」
ライフルを構えたブルーケノシリスが、狂乱した仲間の間を掻き分け、突進してくる。今の銃撃は、リヒトラッシュのものであったのだ。
「あにぃ! なんでだ!? 俺は能力を使っているよ! どうして、こっちに向かってこない!」
「お前のマラカイトには、能力制限があったはずだ。やつは、それを超えているのだ」
ペード・オブ・マラカイトの能力は、強いがゆえに制限がある。それは時間制限だけではなく、相手の能力値によっても効果が異なることである。
リヒトラッシュの能力が、ルヴァナットの能力を超えている証拠である。その精神力、経験、力のすべてが、ルヴァナットを凌駕している。だから、マラカイトも効果を発揮しないのである。
リヒトラッシュは、この時を狙っていた。なぜ、リヴァイアードが拮抗を保てていたかといえば、リヒトラッシュが本気で攻めなかったからである。様子をひたすら観察し、射撃の癖を覚えていたのだ。
その雌伏の瞬間が、ようやく報われる。多くのルシア兵が攻撃に転じたために、相手側にも隙が生まれたのである。ここぞとばかりにリヒトラッシュは突っ込んでくる。
「やつの相手は、私がやろう。幸い、狙いはこちらのようだからな。弟よ、任せていいな?」
「ああ、任せてくれ。耐えるだけじゃなく、ぶち倒してやるさ!」
「その言葉を待っていた」
リヴィエイター甲型が、乙型と距離を取るように移動を開始する。
「来い! 我はここにいるぞ! 正義の御旗を追ってくるがいい!」
「言われずとも、逃がさん! 必ず狩り獲る!!」
それと同時に、リヒトラッシュは司令室に連絡を入れる。
「ゾバーク、そちらは任せる。私は、やつを殺す」
「お前、状況がわかってんのか? 会議場がやばいんだよ!」
「わかっている。だが、放っておけば、私の部隊は壊滅する。この判断は間違っているか? 私は、陛下を哀しませる決断をしているか?」
「…いや。陛下のご命令は、敵を倒すことだ。間違ってない」
「そうだ。陛下は逃げることを望まぬ。この戦いは、まだ続いているのだ。これはけっして、ただの将棋盤の戦いではないのだ!」
天帝は、「自分が危険になったら戻れ」と言っただろうか?
否。
彼は、「天威を示せ」と言ったのだ。ルシア天帝の天威を、武をもって示せと。
悪魔にとって、これがゲームであったとしても、天威のために動く雪騎将にとっては真剣勝負。相手が誰であろうと、目的が何であろうと、目の前にいる敵を屠るのが使命である。
リヒトラッシュは、冷静である。冷静でありながら、その心に強く熱い気持ちを宿していた。だから、ルヴァナットの挑発にも踊らされないのだ。彼が持つキューパス・カイヤナイト〈閃眼の梟〉は、まっすぐに獲物だけを見つめているのだから。
「わかった。こっちはなんとかする。お前は勝て」
「むろん、そのつもりだ」
そして、その戦いを象徴するかのように、空から赤い雨が降ってきた。
今、戦場は赤く染まる。
血と、痛みによって、すべてが染まっていく。
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