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「英才教育」編
97話 「体感、武人の戦い その1『戦闘速度』」
しおりを挟む森に入ったアンシュラオンとサナは、どんどん奥に入っていく。
目印となるのが『血液の痕跡』だ。
おそらく連れ去られた者たちの血なのだろう。所々に飛び散った血痕が地面や植物に残っていた。
(人間を食べないって言っていたけど、それなら襲う理由はあまりないよな。攻撃されて反撃とかならありえるけど…普通に移動していただけだし、そもそも慎重な性格らしいからね。それとも下の世界の魔獣には違う行動パターンがあるのかな? それはそれで興味深いけど)
火怨山ではさまざまなタイプの魔獣と戦ってきたが、食料と縄張り問題以外で攻撃してくるケースは少ない。
ここも長年、魔獣と人間の棲み分けが確立していた以上、いきなり攻撃的になるには何かしらの理由があるはずだ。
「サナ、前の復習だ。『同心』を意識して進むんだよ」
「…こくり」
すでに危険な魔獣がいることはわかっている。あくまでサナの場合ではあるが、最大限の警戒をもって臨むべきだろう。
彼女は教えられた通り、クロスボウを構えながら気配を殺して歩く。
まだまだ周囲への注意力にはムラがあるものの、基本の形はだいぶさまになってきていた。
だが、これだけではまだ足りない。前回とは状況が異なるのだ。
(傭兵連中が負けた以上、普通に戦っても勝てない魔獣なんだろう。たぶん通常武器は通じない。クロスボウが役立つとは思えないな。もしそうなら術符を試したいところだが、枚数が限られているから敵の数次第か)
ジョイたちの会話から通常武器では対応できない魔獣もいることがわかる。
仮にもう少しまともな武器、たとえばガンプドルフたちが所有している戦車や重火器を使えば倒せるかもしれないが、さらに上のレベルになればどうせ通じなくなる。
そこで役立つのが『術具』だ。
コッペパンでいろいろ購入したのは、サナをさらに上の段階に引き上げるためである。
(しかし、これも根本的な解決にはならない。術符を使っても常人は所詮常人。より強い力には対抗できない。やはりサナには『武人』になってもらうしかない。その実験に相応しい魔獣だといいけど…)
アンシュラオンたちは、さらに森の奥深くに進む。
まだ昼間だというのに太陽の光は大きな木々に遮られているため、まるで夜のように暗い。まさに鬱蒼とした森と呼ぶに相応しい場所だ。
そのまま進むこと、約二キロ。
ついに魔獣を発見。
木の上に多数の気配を確認する。
(大きな目が特徴か。あれがターゲットで間違いないな)
デリッジホッパー〈森跳大目蛙〉は、ジョイから聞いた特徴そのままの魔獣だった。
見た目は大きなカエルだが、目は一つしかなく、身体の三分の一を占めるほど大きい。
前足は腕のように横に伸びており、水かきは存在せず、しっかりと枝を掴んでぶら下がることができる構造になっている。これはもう手と呼んで差し支えないだろう。
水辺にいるわけではないので体表に粘液は存在せず、変わりにふさふさの毛が生えている。そのせいか全体的に蛙というよりは獣に近い印象を受ける。
口は大きく、サメのようなギザギザな歯が生えている。本来はこれで木の表面を削り取ったり、主食となる硬い木の実を砕いたりするのだが、今現在彼らの口にあるのは―――人間
かつて人であった存在である。
だが、彼らの消化器官は人を食べるようには出来ていないため、そのまま飲み込むことはせずに、ぺっと口から吐き出す。
べちゃっと湿った音を立てて、地面に肉塊が落ちた。
地面には連れ去られた者たちの死体が転がっている。死体といっても『部位』ばかりなので、どうやら生きている者はいないらしい。
(さすがに二日経っていると生存者はいないか。さて、こちらが先に見つけたからサナに奇襲させようと思ったが、やはり相手が強すぎるか。予定変更だ。プランBでいこう)
「サナ、よく見ておけ。なぜあいつらは死んだ? 悪いことをしたから殺されたのか? それとも性格が悪かったから殺されたのか? いいや、違う。どんなに徳があろうが性格が良かろうが、弱い者は強い者に蹂躙されるのが絶対の定めなんだ。あれが弱者が辿る末路だ。あいつらは弱いから死んだんだ」
「…こくり」
「今この瞬間においては富も権力も役には立たない。唯一頼れるのは純粋な力だ。武を示す力だ。相手を叩きのめす物理的な手段だ。もし自分が正しいと思うのならば、まずは武力を手に入れなければならない。負ければどんな正義さえも無価値だ。力を示した者だけが発言を許される。生きることが許される。その先を歩むことができる。わかるな? 目の前の光景こそがその証拠だ」
「…こくり」
「行くぞ、サナ。お兄ちゃんがお前に力のなんたるかを教えてやろう」
アンシュラオンは奇襲はせず、堂々と魔獣の前に姿を見せる。
それに気づいた一匹のデリッジホッパーは、その大きな目をぎょろりと動かし、縄張りへの侵入者を睨む。
その瞳には妙な色合いが宿っていた。
怒りのような憎しみのような『人間という種そのものを嫌う感情』である。
―――――――――――――――――――――――
名前 :デリッジホッパー 〈森跳大目蛙〉
レベル:42/50
HP :830/830
BP :220/220
統率:D 体力: D
知力:F 精神: D
魔力:E 攻撃: D
魅力:F 防御: E
工作:D 命中: D
隠密:D 回避: D
☆総合:第四級 根絶級魔獣
異名:森跳ぶ大目玉蛙
種族:魔獣
属性:土、水、風
異能:凝視、跳躍移動、噛み砕き、伸縮腕、人間憎悪
―――――――――――――――――――――――
(『人間憎悪』…か。たしかに凄まじい殺気だな。魔獣がここまで敵意を剥き出しにすることも珍しい。もしかしたら、これが襲われた原因なのか? だが、今までトラブルがなかったというジョイさんたちの話とは大きく食い違う。まあいいか。オレの目的は原因の究明ではなく、対象の排除だ)
「サナ、両手足を伸ばしてごらん」
「…こくり」
アンシュラオンがサナの後ろに立ち、同じく両手足を伸ばす。
互いの手足が―――命気で合体
サナは小さいため、すっぽりと包まれるようにアンシュラオンの前面に身体が引っ付いた。
アンシュラオンが右手を動かすと、サナの右手も動く。左手を動かすと、サナの左手も動く。足も同じだ。
その姿はまるで二人羽織だが、実際にサナの手足も動くところがポイントだ。
「ゴゴゴ、ギギギッ!」
デリッジホッパーが喉を鳴らして警戒音を発する。
音を聴いた他の個体の目の色が赤に染まり、こちらに対する敵意が急上昇。木の上にいた数十体が一斉にアンシュラオンを睨みつける。
「サナ、これからお前に武人の世界を見せる。しっかりと脳裏に刻み付けておくんだよ」
「…こく―――」
サナが頷く暇もなく、急加速。
遊園地のフリーフォールに乗った時のような浮遊感が生まれ、サナの身体が急激に後ろに引っ張られる。
一秒後、その場所にデリッジホッパーが突っ込んできた。衝撃で地面が抉れるほどの威力だ。
それを契機に、次々と木の上からデリッジホッパーが降ってくる。彼らは脚力もかなり強く、瞬発力と跳躍力に関しては優れた力を有しているようだ。
が、そのすべてを悠々と回避。群れに襲われているにもかかわらず、まったく掠りもしない。
なぜならば、それ以上の速度で動いているからだ。
武人の足腰の強さは常人のそれとは別物だ。一瞬で数十メートルも跳躍する脚力は、ひと蹴りで岩を砕くことも可能とし、百メートルも一秒以内で走り抜ける。
しかもそこに戦気が加われば、身体能力が三倍以上にも引き上げられるのだ。相手が魔獣とはいえ、たかが根絶級相手に遅れを取るわけがない。
ただし、その速度は一般人にとっては戦闘機と同じ。
「っ―――! ―――っっ!?」
サナの視界が、がくんがくんと揺れる。
上下前後左右、あらゆる方向から強烈な重力加速度がかかり、目がチカチカして、呼吸が出来なくなり、腕や足の一部からは内出血が起こる。
一般的に人間が耐えられるのは、9~12Gが限界ともいわれている。それも耐Gスーツを着ての数字だ。それを生身でやるのだから、サナが受けている負荷は相当なものに違いない。
だが、これが武人の【通常速度】。
アンシュラオンでなくても、ラブヘイア程度ならば同じことができる一般的なレベルの戦闘速度であった。
「大丈夫か、サナ? ちょっとびっくりしちゃったな。命気で保護してやるから安心しろ」
サナが負った怪我も命気があればすべて解決する。
身体中の細胞すべてに浸透させることにより、怪我を治し、脳や目、あらゆる臓器と神経を保護する。
それによって視力が戻り、なおかつ脳への衝撃が減ったのでブレが激減。目の乾燥も防ぐため瞬きする必要もなくなる。
「まずはこの動きに慣れよう。相手がかなり好戦的だし、しばらく回避に専念するぞ」
アンシュラオンは攻撃はせず、ひたすら防御と回避に専念する。
これは今までサナに教えたことをそのまま実践しているのだ。
「初めての敵と戦う場合、相手の能力がわからないことが一番怖い。戦いは一瞬の油断と一回のミスで流れが一気に変わる。最初は相手の動きを見定めることに注力するんだ」
もちろん相手が弱い場合、じっくり時間をかけることが下策になることもある。だが、アンシュラオンがサナに教えるのは『生存するための戦い方』だ。
相手を滅することを主眼には置いていない。それは最低限の防御ができるようになってからで十分である。
デリッジホッパーが強靭な後ろ足で跳躍。一気に間合いを詰めてから、両手でバシン!
まるでハエ叩きをするかのような攻撃を繰り出す。
アンシュラオンはバックステップで回避。
直後、攻撃によって押し出された空圧がサナの髪を揺らす。それだけ魔獣の攻撃の威力が高かったことを示している。
これを普通の人間が受ければ頭は粉々。原形すら残さず一発で即死であろう。
だが、相手は一体ではない。何体ものデリッジホッパーが襲いかかってくる。
右から飛んできた個体をかわすと、違う個体が左から大きな口を開けて噛み付いてくる。それも空中で回転して見事にかわすと、今度は他の個体が木を使って真上から突っ込んでくる。
事前にわかっていたように、それも軽々回避。
「…ふー! ふー!」
もしサナが戦っていれば、一発でも受ければ即死の攻撃が連続して続く。
彼女に恐怖心は存在しないが、その圧力の強さだけは肌を通してひしひしと伝わってくる。汗が滲む、呼吸が荒くなる、心臓が高鳴る。
「…?」
ふと、サナは気づいた。
この一瞬、この刹那の空間の中において、いくつもの『煌き』があることを。
光輝く筋は、デリッジホッパーからアンシュラオンに向かって伸びている。弧を描くような変則的な軌道だった。
アンシュラオンは、その光の筋をかわす。
その一秒後、まったく同じ軌跡を通ってデリッジホッパーが突っ込んできた。大きな手を真上から叩きつけ、その衝撃で地面が大きく抉れる。
次もまた光の筋が見える。
右から左から、流れる光の筋が次々と生まれては、アンシュラオンが回避した直後に敵がそこを通り抜ける。
「…はっ、はっ、はぁはぁ!」
「サナ、オレが生み出す戦いの軌跡が見えるか?」
「…こくり、はぁはぁ!」
「ようこそ、武人の世界へ。これが常人を超えた領域だ。オレたちは常に数秒先の未来を見て動いているんだ。この軌跡はオレがお前の目に表示させている『ガイドライン』さ」
パミエルキたちの戦いを見ていればわかるように、武人の攻撃は音速を超えて光よりも速いことがある。
ボクシング同様、攻撃を見てから回避しては間に合わないのだ。
そこで重要なものが―――【行動予測能力】
相手の情報を常に収集しながら、目線や筋肉の動きを観察して次の行動を予測する。優れた武人ほどこの能力が高く、よほど身体能力に差がなければ回避することが可能になる。
ガンプドルフほどの凄腕の剣豪が、アンシュラオンに攻撃を当てるだけでも苦労したのは、まさに人並み外れた行動予測によるものだ。
常人を超えたスピードに加え、一瞬で相手の情報を読み取り、攻撃を予測する分析力と思考力。そして、いくつもの光の筋の中から正しい選択をする判断力。
これが生存するにあたり最低限必要な能力なのである。
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