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第2章 狩って狩られて弱肉強食

第26話 解除

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 いたるところに突き刺さった黒い槍が、霞となってかき消えていく。
「ごめん人狼くん! そっちまで手が回らなかった! 大丈夫!?」
「なんとか……」
 後ろからの千春の声に、牙人はこもった声で返事をした。
 千春の“ゲート”ならば、こういった攻撃は捌き切れるはず。一緒にいた栞の心配もしなくていいだろう。
 牙人はというと、さすがにすべてをよけきることはできず、何発かもらってしまった。見ると、左半身の装甲に大きなひびが入っている。
 この装甲は、単なる鎧ではない。変身中は、牙人の体の一部なのだ。いわば生体装甲。それが傷つくということはつまり……。

「あー、いってぇ……」
 当然、無事とは言い難い。
 ふらついた足を、気合で抑え込む。これだけのダメージを受けたのは、本当に久しぶりだ。
「なんだってんだ今のは……」
 有悟がぼやきながら歩いてきて、首をこきりと鳴らした。
「さすがっすね、隊長……」
「あん? 当たり前だ」
 余裕のない表情ながら、有悟はニヒルに口角を上げてみせた。

「ちっ! しつこいんだよ……早く片付けろ!」
 わめく周郷に応えて、ドラゴンの横に少し大きめの魔法陣が現れる。
 さすがに何度も食らうのはまずい。やられる前にやる、といきたいところだが、残念ながら今のままでは有効打を与えられそうにない。
 そんなことを考えているうちに、魔法陣が妖しく輝いた。
「くそっ」
 発射されたのは、例のごとく闇のような黒。だが、今度は槍のような塊ではなかった。
 だ。そうとしか表現しようのないものが、牙人に向けて照射された。
 寸前で、牙人の眼前に“ゲート”が開かれ、ドラゴンの体付近につなげられる。少しずれて床に当たった。じゅう、というおよそコンクリートにふさわしくない音を立てて、煤のように変色するのが見えた。

「今度はビームかよ!?」
 もう、なんでもありだ。
 当のドラゴンの方は、それを食らっても、当然のように平然としているのだが。というか、直撃したところからビームが拡散しているようにも見える。
 正直、牙人たちがまだ全員生きているのは、九割方が千春の功績だ。このまま攻撃を凌ぐこともできるだろう。とはいえそれではジリ貧。今のままでは、有効打を与えるのは難しい。
 となれば……。

「出し惜しみもしてらんない、か……」
 牙人は独り言ちて、乾いた笑みを漏らした。
 右手を挙げて、「あのさ」と声を張る。視線が自身に集まるのを感じつつ、牙人はつとめて明るく言った。

「これやった後、たぶん俺ぶっ倒れると思うけどよろしく」
「はあ?」
「んじゃ、そういうことなんで」
「何を……」
 困惑の声にひらひらと手を振ってから、深呼吸を一つ。なにせ、もう長いことやってこなかったのだ。
 だが、そんなことも言っていられない。

「——リミッター解除」

 牙人の胸部に埋め込まれた深紅の“血核”が、どくんと強く脈打った。
 胸の周りの装甲が、システムからの命令を受けて、重い機械音とともに変形していく。解き放たれた“獣因子”が、体内でさらに活性化。体が燃えるような熱さに包まれた。
 抑え込めなくなった膨大なエネルギーが、牙人の全身に、血管のように走る煌々とした紅いラインとなって現れる。
 背中の装甲が開き、排熱口から呼吸でもするかのように、しゅう、と蒸気が噴き出した。

「——さあ、しとめる時間だ」


 そもそも、“Blood”の技術の粋を集めて作られたのが、この“血核”だ。適合できなかった者は異形化して死亡し、適合したとしても放置すれば人体を破壊しつくす“獣因子”。“血核”はその暴走を抑え、純粋な肉体強化とエネルギー源としての有効利用を可能とした。
 これがなければ“Blood”は生まれなかったし、これこそが文字通り組織の「核」となったものだった。
 そして、リミッター解除とは、その“血核”による“獣因子”の制御をということ。
 莫大なエネルギーを手にする代償に、限界を超えて活性化した“獣因子”は肉体を蝕んでいく。
 将来的な健康に影響を及ぼさない活動限界時間は——約三分。


「なんか赤くなった!」
「おい、お前それ……」
「か、みや……?」
 驚きを背に、牙人はドラゴンをまっすぐに見据えた。
「へーなんそれ。覚醒ってやつ? そんなことしても無駄無駄。ワロタ」
 バカにしたように目を細めて、周郷は声を上げて笑った。
「……」
 そんな周郷を一瞥もせず、牙人はおもむろにその場にしゃがみ込んだ。
 無視されて顔を少しゆがめた周郷が、不快そうに舌打ちをした。
「しゃがんでるだけじゃなんもできないぞ~」
 煽る言葉を聞き流しつつ、重心を前に移動。

 ——刹那。

 ドラゴンの頭が、後方に大きくのけぞった。

「……ぇあ?」
 横を見てぽかんと口を開けた周郷が、慌てた様子で視線を戻す。
 が、そこに牙人はいない。
 あたりを見回す周郷を嗤うように、再度、廃工場内に鋭い打撃音が響き渡る。
「グルルルルァ……!」
 喉の奥で呻きながら、ドラゴンの体が傾いた。前足を踏み鳴らして、体勢が立て直される。
 建物の真ん中に、たん、と軽い音を立てて、赫色の影が降り立った。

「お、お、お、おま……」
 震えながら指をさした周郷は、体に走る線と同じ色をした鋭利なまなざしに射抜かれ、呼吸を詰まらせる。
「ああああああああ! やめ、やめろぉ!」
「……」
 周郷のくぼんだ目から、ぼたぼたと涙が落ちた。ぐちゃぐちゃに歪んだ顔の中心から鼻水が流れる。
 まるで幼い子供のような情緒だが、大の大人がそれをやっても見苦しいだけだ。
 絶望したように両手を顔に当て、「やめてくれぇ……」と弱々しく懇願する周郷を歯牙にもかけず、牙人は無言で追い打ちをかけるべく駆け出した。

 助走に乗せて、天井ぎりぎりまで跳躍。空中で大きく腰を捻り、右拳を握り締める。
 重力加速度を味方につけ、牙人の鉄拳がドラゴンの頭を打ち抜かんとした瞬間。
「——なーんてね」
 顔を覆って泣き叫んでいた周郷の口端が、不気味に歪んだ。

 渾身の一撃は、確かに直撃した。
 確かな手ごたえを感じて、牙人の、そして後ろの仲間たちの胸に希望が差した、その時だった。

「な、んだ……?」
 着地した牙人の体から、急速に力が抜ける。驚きを隠せないまま、呆然と膝をついた。
 全身に力が入らない。立とうとしても、膝が笑ってしまう。
 まだ、活動限界時間は過ぎていないはず。それに、リミッター解除の反動はこうではなかったはずだ。ということはつまり……。

「何をした……!」
「さ~て、なんだろうね~」
 心底愉快そうに、周郷が笑いをこらえるような声で語りかけてきた。
 顔を上げると、そこにはいまだ倒れずにこちらを虚ろな黄金の瞳で見つめるドラゴンの姿。
「うっそだろ……。さすがに、しとめたと思ったんだが……」
「僕もさすがに焦ったよ。何なの? その力」
 ふらつきながらもなんとか立ち上がった牙人は、前傾の戦闘姿勢を取った。
「……なんで立てるんだよお前」
「さあな」
 面白くなさそうな周郷を見て、牙人は逆に笑えてきた。
「しつこいなあ! さっさと……」

 ——ちゃららららん、ちゃららん、ららん。

「あ?」
 唐突に鳴り響く、キャッチーなメロディー。
 シンセの音に乗せて、可愛らしい声が流れ始める。
 少し前に流行った美少女アニメのオープニングテーマだ。
 あまりにも場違いな音楽は、ポケットからスマホを取り出した周郷が画面をタップすると、ぴたりと鳴りやんだ。

「……もしもし」
 スマホを耳に当てて、周郷が不機嫌そうに口を開いた。
 しばらく黙って聞いていたが、次第に眉をひそめていく。
「え? 今すぐですか? しかし……」
 牙人の方を見ながら続けようとしたところで、突然「え、あ……」と焦り始める。
「そ、そういうわけじゃ……行きます! 行きますよ!」
 ヤケクソと言った様子で叫んで、周郷は電話を切った。
 深いため息をついてから、だるそうにこちらに目を向ける。

「急用が入ったからもう遊べなくなっちゃったよ。スマソー」
「は?」
 棒読みで一方的にそう告げると、周郷は「戻っていいよ」とドラゴンに語りかけた。
 光に包まれたドラゴンの体がしゅるしゅると小さくなっていき、トカゲサイズになって周郷の方に乗る。

「おい、お前……」
 去り行く周郷を追いかけようとした牙人に、有悟から「待て!」と声がかかる。反射的に足を止めた。
 周郷が振り向いて、気味の悪い笑みを浮かべる。
「うん、隊長だけあって賢明な判断だと思うよ」
 偉そうに笑うと、周郷は咳をしながら去っていった。


 ……こうして、牙人の二回目の仕事は、なんとも苦い終わりを迎えた。
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