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戦略は、馬刺しと囲碁。

14話

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「ケガは」
 不安げな顔でわたしを見つめる織部くんに、わたしは勢いよく首を横に振った。
「織部くんこそ、病院行かなきゃ」
「俺なら、大丈夫ですから」
「だめよ、さっきの乱闘で内臓破裂でもしていたらどうするの。人間の体って案外もろいものなんだから」
 まくし立てるように力説するわたしを見て、織部くんは苦笑いする。
 今になって考えてみたら、あの時のわたしは涙と鼻水でとんでもない顔をしていたのだと思う。

「判りました。でも、志野さんを送るのが先です」
「わたしより、織部くんのほうが……」
「立てますか?」
 織部くんは手を差し伸べてくれる。
 その手に捕まって、わたしは立ち上がった。――つもりだった。
 膝に力が入らない。
 自分の意志とは関係なくカクカクと震えてしまう。
「あ、あの」
「どうしました?」
「た、……立てない」




 結局、内臓破裂の危険性のある高校生に、わたしは負ぶってもらって自宅に帰った。
 何度も降ろして欲しいと言ったが、まったく聞き入れてもらえない。
 家までの距離があれほど遠く感じたことはなかった。
 歩いて通えるほどの近さなのだけど、背負っている織部くんからすれば、さらに遠い道のりだと思う。
 わたしのせいで、ケガをした織部くんに負担をかけてしまうことに、申し訳なく、心苦しい思いでいっぱいだった。
 それでいて、彼の広い背中や体温を感じられることを嬉しいと感じてしまう。
 こんな幸運は、きっともう二度とないだろう。
 そう思うと、幸せでいっぱいに膨れ上がった風船が急にしぼんでいくようで切なくて、たまらない。泣いてしまいたくなる。
 帰る道すがら、わたしが話したのは「重くない?」とか「もう大丈夫だから降ろして」とかそんなことばかりで、織部くんからは「別に」という愛想のない返事だけだった。

 制服姿の高校生に、背負われて帰ってきたわたしを見た両親は、腰を抜かさんばかりに驚いていた。
 事情を聞いた父は、拝まんばかりに、織部くんにお礼を言う。
 無理やり引き止めて夕食を勧める母に、病院に行ってもらう方が先だと、父があわてて車を出す。
 パニック状態にある両親に対して、織部くんは、いたって冷静だった。
 もう遅いしケガもないので織部くんは、そのまま帰るという。
 改めてお礼にと両親が頭を下げると、彼は丁重に断った。

 せめて車で送らせてほしいと頼むと、織部くんはようやく応じてくれた。
 父の車で織部くんが行ってしまった後、母はわたしの体をぎゅっと抱きしめてくれる。
 母の優しさに触れながらも、この手が織部くんだったらな……などと不埒なことを考えてしまった。
 織部くんのおかげで、痴漢の恐怖はわたしのトラウマにならずに済んだのだ。



 それから、織部くんとの距離は近くなったのかもしれない。
 後日、病院で精密検査を受けたという織部くんは、どこにも異常はなかったと報告してくれた。
 わたしは、砕けた話し方をするようになったけど、彼の方は、相変わらず敬語を止めない。
 それがちょっと寂しい。
 わたしの方が年上だし、社会人だから当たり前なのだとは思うけど……。

 痴漢騒ぎの後、勤務が遅い日は両親が迎えに来てくれるようになった。
 そんなとき、彼が図書館にくるとわたしは“お礼”と称して、こっそり家に誘う。
 同僚たちに見つかると、うるさいからだ。
 バイトの大学生たちは、早くも織部くんに目をつけている。
 大学生と高校生の織部くんなら、なんとか付き合えなくもない。
 あれほど大人びた高校生は、他にいないだろうし。

 わたしは、早くも戦線を離脱している。
 彼から見れば、わたしは図書館のお姉さんに過ぎない。
 けれど、いずれ織部くんにも恋人ができる。
 そうなったら、わたしは、笑って祝福しよう。
 きっと、この物思いから解放される。
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