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地獄における人の自己欺瞞
10の巻
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「……公爵? 本当にアスタロトなの」
あたしは、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていたに違いない。
開きっぱなしの口が閉じられなかった。
男も女も超越したような艶やかな美貌を前にあたしは、息を呑むしかない。
「そうだ。“そなたのアスタロト”じゃ」
…………。
“あたしのもの”なわけなのね。
ツッコミどころだと思ったが、完全に毒気を抜かれた。
「そなたを怯えさせたくはなかったが、つい我慢ができなくてな」
「へ、へ、へへへへ……へ、平気よ」
不自然なくらいどもりながら、あたしは答えた。
口で言っていることと、内心は裏腹だ。
じつのところ、まったく平気ではない。
頭の中は収集がつかないほど混乱している。
これで、こいつがニューハーフでしたとかいうオチなら、まだ判りやすかったかもしれない。
いきなり目の前で、女の身体から男のものに変わったのだ。
“男の娘”というやつか。
いや違うな。
まったく違うぞ。
今、いちばんあたしがうろたえているのは、そんなことではない。
「ちょっと驚いただけだわ」
そうよ。
なんてことないわ。
キスくらい、どうってことないわよ。
そんなもんでいちいち、どうこういうほど初心じゃないわよ。
「ならばよい」
よい……って、ずいぶん勝手じゃない。
そう言ってやりたかったのだが、こちらが口を開く前に、また唇が押し付けられる。
冷たい唇。
熱い舌と唾液が絡まる。
まるで媚薬のようなくちづけ。
全身が焼けるような熱さを感じた。
不安と恐ろしさに震えるあたしを、なだめるように舌は蠢く。
それは、まるで蛇のようでいっそう蕩けさせる。
なんて、キスをするんだろう。
油断すると足の力が抜けそうだった。
大人のキスというやつか?
いや。
まさしく悪魔のキスだ。
唇が離れる時、思わず彼の舌を追ってしまった。
それが堪らなく恥ずかしい。
それを見てアスタロトは、耳に息を吹き込むように囁く。
「そなたの唇は、甘い味がする……」
片手であたしの腰を支え、もう片方の手は胸に触れた。
「いつまでも菓子をほおばる子供じゃな。口寂しければ、わしが慰めてやる」
いや、触れるなどというものではない。
公爵の手は、はっきりと愛撫している。
すでに足ががくがくと震えているあたしは、それだけで立っていられなくなりそうだ。
やがて、その手がゆっくりと服の下へ潜ろうとしている。
もう、それもいいか……とあたしは、心の底で思っていた。
血の臭いに酔ったのかもしれない。
身体の芯が疼くような、そんな生々しい感覚。
もっと、さっきのキスをしてもらえたら、あたしの知らない愉楽があるのかもしれない。
女だった時とは違うアスタロトの手。
触れられているだけで、たまらない。
もっと深くまで触って欲しい。
うっとりと、彼の手に身をゆだねかけた時、わたしは我に返った。
彼の背後に、地獄の蠢く大勢の亡者が見えたからだ。
「何やってんのよ。馬鹿っ!!!!!」
考える前に手が出ていた。
あたしは、アスタロトに平手をかましていたのだ。
自分のしたことにもびっくりしたが、殴られたアスタロトのほうは瞠目している。
心底驚いたのだろう。
サドっけのある男ほど打たれ弱いという。
まさにアスタロトがそのタイプなのか。
張り飛ばした手がじんじんと、熱くなって痛い。
よけもせず、殴られた頬を押さえたままアスタロトは、あたしを見下ろしている。
ストックホルム症候群なら、解放されたときに今の好意は憎悪に変わるそうだ。
恐ろしげな甲冑と黒衣をまとった美しい男は、まるで捨てられた仔犬のように情けない顔をしていた。
……いや、仔悪魔というべきか?
あたしは、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていたに違いない。
開きっぱなしの口が閉じられなかった。
男も女も超越したような艶やかな美貌を前にあたしは、息を呑むしかない。
「そうだ。“そなたのアスタロト”じゃ」
…………。
“あたしのもの”なわけなのね。
ツッコミどころだと思ったが、完全に毒気を抜かれた。
「そなたを怯えさせたくはなかったが、つい我慢ができなくてな」
「へ、へ、へへへへ……へ、平気よ」
不自然なくらいどもりながら、あたしは答えた。
口で言っていることと、内心は裏腹だ。
じつのところ、まったく平気ではない。
頭の中は収集がつかないほど混乱している。
これで、こいつがニューハーフでしたとかいうオチなら、まだ判りやすかったかもしれない。
いきなり目の前で、女の身体から男のものに変わったのだ。
“男の娘”というやつか。
いや違うな。
まったく違うぞ。
今、いちばんあたしがうろたえているのは、そんなことではない。
「ちょっと驚いただけだわ」
そうよ。
なんてことないわ。
キスくらい、どうってことないわよ。
そんなもんでいちいち、どうこういうほど初心じゃないわよ。
「ならばよい」
よい……って、ずいぶん勝手じゃない。
そう言ってやりたかったのだが、こちらが口を開く前に、また唇が押し付けられる。
冷たい唇。
熱い舌と唾液が絡まる。
まるで媚薬のようなくちづけ。
全身が焼けるような熱さを感じた。
不安と恐ろしさに震えるあたしを、なだめるように舌は蠢く。
それは、まるで蛇のようでいっそう蕩けさせる。
なんて、キスをするんだろう。
油断すると足の力が抜けそうだった。
大人のキスというやつか?
いや。
まさしく悪魔のキスだ。
唇が離れる時、思わず彼の舌を追ってしまった。
それが堪らなく恥ずかしい。
それを見てアスタロトは、耳に息を吹き込むように囁く。
「そなたの唇は、甘い味がする……」
片手であたしの腰を支え、もう片方の手は胸に触れた。
「いつまでも菓子をほおばる子供じゃな。口寂しければ、わしが慰めてやる」
いや、触れるなどというものではない。
公爵の手は、はっきりと愛撫している。
すでに足ががくがくと震えているあたしは、それだけで立っていられなくなりそうだ。
やがて、その手がゆっくりと服の下へ潜ろうとしている。
もう、それもいいか……とあたしは、心の底で思っていた。
血の臭いに酔ったのかもしれない。
身体の芯が疼くような、そんな生々しい感覚。
もっと、さっきのキスをしてもらえたら、あたしの知らない愉楽があるのかもしれない。
女だった時とは違うアスタロトの手。
触れられているだけで、たまらない。
もっと深くまで触って欲しい。
うっとりと、彼の手に身をゆだねかけた時、わたしは我に返った。
彼の背後に、地獄の蠢く大勢の亡者が見えたからだ。
「何やってんのよ。馬鹿っ!!!!!」
考える前に手が出ていた。
あたしは、アスタロトに平手をかましていたのだ。
自分のしたことにもびっくりしたが、殴られたアスタロトのほうは瞠目している。
心底驚いたのだろう。
サドっけのある男ほど打たれ弱いという。
まさにアスタロトがそのタイプなのか。
張り飛ばした手がじんじんと、熱くなって痛い。
よけもせず、殴られた頬を押さえたままアスタロトは、あたしを見下ろしている。
ストックホルム症候群なら、解放されたときに今の好意は憎悪に変わるそうだ。
恐ろしげな甲冑と黒衣をまとった美しい男は、まるで捨てられた仔犬のように情けない顔をしていた。
……いや、仔悪魔というべきか?
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