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第二十二章 願いは一つ 二

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     二

「ヴォルペ、どうした、早いな」
 財務担当大臣オーロ伯モッルスコは、最年少大臣の姿を見て、片眉を上げた。
「モッルスコ様こそ、お早いですね」
 山林担当大臣ヴォルペは、小柄な体を曲げて、ぺこりと頭を下げる。癖のある黄褐色の髪が、差し始めた朝日の中、ふわりと揺れた。このヴォルペや農産担当大臣ズッケロ、その双子の弟の畜産担当大臣ゾッコロ、工業担当大臣チェラーミカ伯ディアマンテ、水産担当大臣プリトは、アッズーロの御代になってから任じられた大臣達だ。皆、有能で誠実で、どこから見つけてきた人材かと、当初は驚いたものだった。
「わしがおらねば、何一つ進まんからな」
 モッルスコは、誇りと疲れが相半ばした愚痴を零して、王城の一階にある自身の大臣室へと向かった。軍を運用するにも、反乱民によって市街が荒らされた侯領を支援するにも、住処を離れて難民となった人々を救済するにも、何をするにも金が要る。財務担当大臣を仰せ付かっている自分に、休む暇はない――。
「お忙しくても、一日に一度は帰宅なさるという噂は、本当なのですね」
 ヴォルペは、とことこと同じ方向へ歩きながら、親しげに話し掛けてきた。十二人の大臣達は皆、王城の一階に大臣室を与えられているので、王城側面の同じ通用口を使うことになる。
「妻との約束だからな。違える訳にはいかん」
 モッルスコは、淡々と答えた。自分が財務担当大臣に任じられたのは、先々々代王ザッフィロの御代のこと。当時、結婚したばかりだった妻に、たった一つ約束させられたことが、どれほど忙しくとも、王城近くに構えたわが家に一日一度は帰るということだった。以来、先々代王マーレの御代にも、先王チェーロの御代にも、ずっと守り続けてきた約束を、アッズーロの御代となっても守っている。
(これほど忙しい思いをさせられたことも、そうはなかったが)
 そもそも、チェーロからアッズーロへ代替わりした際に、自分は大臣を外されるものと思っていた。十二人中では最高齢であり、決して媚びへつらうことをしない自分を、しかし、あの青年は財務担当大臣に留め置いた。
(お陰で、未だ、妻とゆっくり過ごすこと叶わん……)
 密やかに嘆息したモッルスコに、傍らを歩くヴォルペが心配そうな表情になった。
「お疲れが溜まっていらっしゃいますか……?」
「いや」
 モッルスコは憮然として答える。
「あの王の顔を思い浮かべれば、疲れなど吹き飛ぶわ。どうせ今も、ナーヴェ様にべたべたとくっ付いておられよう。わしが妻とこうして引き離されておるというに」
 未だ少女のような最年少大臣は、分かり易い苦笑を浮かべた。
「まあ、大怪我を負っていらっしゃるのですし……、ジョールノの報告に拠れば、ナーヴェ様も一時期、死の淵を彷徨われたとか。ともに死地を乗り越えられて、お二人の愛は、更に深まっておられることでしょう」
 モッルスコは鼻を鳴らした。さもありなん、だ。だがそれでも、あの王と王の宝は、決して政務を疎かにはしない。
(であれば、こちらも手は抜けん――)
「寝室からつやつやとした顔で出てきたあの王の前に、裁可待ちの財務書類を山と積み上げてやるのが、近頃の、わしの楽しみの一つだ」
 言い放って、モッルスコはヴォルペを従え、広い庭園を通用口へと急いだ。財務担当大臣室では、徹夜した配下の官僚達が、今か今かと自分を待っていることだろう。
 青々とした庭木の向こうに、鎮座した惑星調査船の美しい姿が見えた。篝火の灯りだけで見た昨夜は、はっきりとは分からなかったが、損傷などは特にないようだ。モッルスコは微笑み、ヴォルペとともに通用口を入った。


「ぼくも、エゼルチトの尋問に立ち会ったら駄目かな……?」
 伴侶から控えめに強請られ、アッズーロは憮然として、朝粥を掬った匙を止めた。
「そなた、身重なのだぞ? 地下牢なぞ、体に悪い」
「何故、体に悪いんだい?」
 宝は、怪訝そうに訊いてきた。
「悪いに決まっておろう。あのような窓もない、じめじめとした地下なぞ。その上、益体もない者どもが捕まっておるのだぞ?」
 アッズーロは言い聞かせたが、最愛は匙を持ったまま肩を竦めた。
「窓がないのは、王太子だったきみが反対したからだよ。捕虜の脱出を容易にしてしまうってね。チェーロは、ぼくの進言を入れて、捕虜のみんなの人権を侵害し過ぎないように、地下牢を改装したのに」
 アッズーロは記憶を手繰った。言われてみれば、そんなこともあった。
「父上が、急に地下牢の改装なぞ始めて、何をとち狂うたかと思うていたが、そなたの差し金だったか」
「まるで、悪いことをしたみたいに言わないでほしいんだけれど」
 眉をひそめて、ナーヴェは反論してくる。
「それに、『益体もない者ども』と言っても、今はエゼルチトとラーモしかいないはずだよね? なら、問題はないよ。ぼくはどっちとも話したいと思っているから」
「大いに問題があろう」
 アッズーロは憤慨した。そもそも、ナーヴェの本体がミニエラ・ディ・カルボーネ鉱山の坑道に閉じ込められたのは、エゼルチト及びラーモと接触してしまった所為だ。博愛主義の宝は、益体もない者の口車によって、簡単に行動不能にさせられてしまう。
「そなたは奴らと口を利くな。また訳の分からん人質の取られ方をして、どこぞに閉じ込められては敵わん」
 最愛は、目に見えて、しゅんと落ち込んだ。反省は充分にしているらしい。抗弁どころか、目を伏せて話もしなくなった宝の様子に、アッズーロは少しばかり胸が痛んだ。
「……奴らに姿を見せず、黙って遠くから、尋問の遣り取りを聞くだけならば、問題はなかろう」
 つい譲歩してしまったアッズーロに、ナーヴェは目を上げ、顔を輝かせた。
「いいのかい……?」
「王に二言はない」
「ありがとう、愛しているよ、アッズーロ」
 礼を述べた最愛に、アッズーロは逆に顔をしかめた。どうも昨夜辺りから、ナーヴェは「愛している」を頻繁に使い過ぎる。ともすれば、今までの、たまにしか言わなかった「愛している」より軽く聞こえるのが、気に食わない。
「そなた、愛を告げる言葉はそう多用するものではない。慎みがなかろう」
「――きみは、とても頻繁に口にするのに……?」
 最愛に不審そうに見つめられて、アッズーロは溜め息をついた。
「われは、そなたを成長させるため、敢えて頻繁に口にしておるのだ。そなたには、そうした必要性がなかろう」
「――ぼくも、できればきみを成長させたいけれど……」
 ナーヴェはぶつぶつと呟く。
「まあ、確かに、『愛している』と言うことで、きみを成長させることはできなさそうだね。分かったよ。とにかく、尋問への立ち会いを許してくれてありがとう」
 素直に了承して、ナーヴェは再び粥を口に運び始めた。
(少々、言い方がまずかったか……)
 アッズーロも止めていた匙を動かしつつ、考える。ナーヴェが以前よりもアッズーロへの愛を表明し出したことは、歓迎すべきことのはずだ。アッズーロは粥を食べる合間に付け加えた。
「……ただ、言いたくなった時には、我慢せず言うがよい。われは、そなたの全てを受け入れるゆえ」
 ナーヴェは持ち上げた匙を止め、困惑した面持ちで尋ねてきた。
「ぼくは、言いたくなった時にしか、『愛している』とは言っていないんだけれど、結局、どうすればいいんだい……?」
 アッズーロは一瞬悩んでから、厳かに告げた。
「そなたが『愛している』と言うた時の、われの表情を見て学ぶがよい。それが言うべき時であったかどうかを、な。そうした積み重ねこそが、そなたの成長に繋がろう。愛を告げる言葉は、一方的に言うものではなく、相手を喜ばせてこそだからな」
 最愛は、はっとした表情になった。
「そうだね……。心は、きみとぼくの間にある。愛の言葉は、自分の気持ちだけで一方的に言ってはいけないんだね……。確かに、きみの愛の言葉は、いつもぼくを幸せにしてくれる。とても勉強になったよ」
 まだまだ純真な宝に真剣に感謝されて、アッズーロは少々後ろめたさを感じながら粥を平らげた。控えているフィオーレとミエーレが、憐れむような眼差しをナーヴェに注いでいる。麦を羊乳で炊いて乾酪をまぶし、阿利襪果実の塩漬けを添えた粥は、優しい味で胃の腑に収まった。


「まずはエゼルチトの尋問を行なう。それから大臣会議だ。招集を掛けずとも、どうせその辺りに全員おろう。心積もりだけさせておけ。特に羊の薬の配布状況については細かく確認する旨、予め伝えておくがよい。会議が長引かん限りは、会議の後に昼食だ。ただ、その前にナーヴェの本体で混線の修正をする。午後は会議がどうなるか次第だが、一度ティンブロとも話しておいたほうがよかろう。そちらも心積もりをさせておけ」
 アッズーロは、朝食後、来室したレーニョに、すらすらと一日の予定を告げた。
(きみはまだ安静にしていなければいけない身で、本当に忙しいのに、ぼくの混線の修正まで……)
 ナーヴェは申し訳ない思いで青年王を見つめる。すると、レーニョのほうに視線を向けていた王が、ふと振り向いた。
「そのような憂い顔を致すな。そなたのために時間を割くは、わが喜びだ。テゾーロのためにもセーメのためにも、微笑んでおるがよい」
 呼応するように、ミエーレにあやされていたテゾーロが揺り篭から笑い声を立てた。ラディーチェが朝一番に来て授乳してくれたので、機嫌がいいようだ。
「……うん。ありがとう、努力するよ」
 ナーヴェは無理に微笑んで頷いた。
「地下はここより冷える。上着を羽織って参れ」
 アッズーロは、フィオーレに歯を磨かれるナーヴェに命じる。
「座っておく椅子も必要であろう。フィオーレはナーヴェを支え、ミエーレは椅子を一脚持って、ともに参れ」
「仰せのままに」
「畏まりました」
 それぞれ一礼した女官達の間で、ナーヴェは目を瞬いた。
(仲夏の月だから、寒いというほどではないし、椅子も、まだ妊娠初期だから大丈夫なのに……)
 ナーヴェの口を濯ぎ終わったフィオーレは手桶と楊枝、木杯の片付けをミエーレに頼み、自らは衣装箱の中から適当な上着を探し始める。自由になったナーヴェは、寝台に腰掛けたまま、青年王を見つめた。
「アッズーロ、きみも椅子が必要だよ」
「そうだな。レーニョに持っていかせよう」
 己の寝台に腰掛け、自分で歯を磨いた青年は、ミエーレに後片付けを任せて、ナーヴェの仕度完了を待っている。
「レーニョ、そこの椅子を持って参れ」
「椅子は二脚ともミエーレ殿に頼みます。わたくしは、陛下を支えます」
 有能な侍従は淡々と王に応じ、いつも食事を取る卓に備えられたアッズーロとナーヴェの椅子を、寝室の入り口まで移動させた。
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