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第二十一章 望み 三
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三
【あれは、説得の方法としては、少し卑怯だと思うんだけれど】
朝焼けの中、飛び立った船は、音のない声で不機嫌に抗議してきた。昨夜は、あの後、アッズーロが高熱を出して倒れたため、言わずに保留していた文句のようだ。
「ああでもせんと、そなたは頑固ゆえ、耳を貸さんだろう」
アッズーロは、船体後部の施術台に固定されたまま、言い返した。
【いつもいつも耳を貸さないのは、きみのほうだよ。ぼくは、きちんと聞いて、その上で反論や説得をしているよ】
口を尖らせた姿を現して、最愛はアッズーロを睨んでくる。言われてみれば、確かにそうかもしれない。
「そうだな。すまぬ」
アッズーロが素直に謝ると、急にナーヴェが心配そうな顔になった。
【どこかまた、具合が悪いのかい……? 体温は平熱を保っているんだけれど、もっと詳しく調べるよ……!】
「いや、具合はよい。この拘束を早く解けと命じたいほどにな」
複雑な思いで、アッズーロは応じた。素直な態度を取ると心配されるというのは、如何なものだろうか。だが、それより何より、自分に対し、最愛が、旧に倍して心配性で過保護になったことに、心が痛む。自分の命は、自分一人のものではないのだと、改めて実感した。
【……王城に着くまでは、そのままでいて】
ナーヴェは冷たく言い放ち、腕組みしてそっぽを向いた。これまでにない、新鮮な対応だ。
(そなたはやはり、われを飽きさせん……)
抱き寄せてしまいたい可愛らしさだが、施術台に拘束されている上、見えている姿は、実体ではない――。
ふと気づいて、アッズーロは、自分が拘束されている施術台を撫でてみた。これもまた、ナーヴェの体の一部には違いない……。
【ひゃ、ちょっと、アッズーロ、何を……】
最愛は、すぐに反応してきた。顔が赤らんでいる。アッズーロは、常々疑問に思っていたことを尋ねた。
「そなたは、この本体に触れられても、肉体に触れられた時と同様に感じるのか?」
【確かに、きみを寝かせているその施術台は、乗せているものの形状や圧力を検知して、表面の形を変えることができるけれど……】
成るほど、だから、背中の銃創を下にして寝ていても、大して痛みがなかったのだ。
【例えば函は、宇宙の真空に晒されても、粉塵の中に埋もれても壊れないように作ってある反面、検知器のようなものは一切備えていないから、本来なら、触れられても何も感じないはずなんだ……】
困った顔を俯けて、最愛は律儀に説明する。
【それなのに、きみがぼくの本体に触れているところを、光学測定器や能動型極短波測定器で観測したり、肉眼で見たりした途端、何故か、肉体の感覚と混線が起きて、幻覚が生じてしまうんだよ……。これは本当に酷い不具合で……、今は、何だか、脇腹を撫でられているような気がする……】
最愛の、全く意識せずに煽ってくるところは健在だ。つい好奇心で、アッズーロは確かめてみた。
「ならば、そなたの函にわれが触れた時は、どこに触れられた気がするのだ?」
【函は、ぼくの一番大事な部分だから……】
言い掛けて、ナーヴェは耳まで真っ赤になり、またそっぽを向く。
【……きみなら、分かるだろう……?】
「うむ。これ以上ないほど、よく分かった」
アッズーロは心の底から満足して頷いた。
【……そのことで、きみの容態が落ち着いた午前四時二十三分から、姉さんと、ずっと喧嘩中なんだよ】
ナーヴェは、明後日のほうへ顔を向けたまま、珍しく愚痴を零す。
【何故きみに、ぼくの函の在処を教えのか、何故、別の方法を模索しなかったのか、問い詰めたんだ。それなのに、姉さん、全然まともに答えてくれないんだよ。ぼくが困るのを見て、完全に楽しんでいるんだ。前はもっと優しかったのに、狂って、ちょっと性格が悪くなっているんだよ……】
つまり、「姉」は相当意図的に、アッズーロに最愛の弱点の所在を教えたらしい。
(気に食わん輩と思うていたが……)
アッズーロは、実体ではない最愛を見つめる目を細めた。頬を膨らませた横顔は、これまで以上に愛らしい。
(存外、あの「姉」とは、気が合うやもしれん……)
微笑んで、アッズーロは最愛をからかった。
「そなたも、壊れた分、随分と口が悪くなった気がするぞ?」
最愛は、くるりとこちらへ視線を戻してきた。その青い双眸が、怒りを湛えている。どうやら、口にしてはいけなかった一言らしい。
【そうだよ! ぼくはもう完全に壊れているんだ】
施術台へ詰め寄ってきた実体ではない姿は、両眼から涙をぽろぽろと零して、アッズーロを見下ろした。
【だから、きみは、絶対に無事でいるか、ぼくを初期化するか、ぼくを永久に機能停止させるか、しないといけない。でもきみは、生身の人だから、絶対に無事でいるのは、とても難しいことだ。ぼくは、そこをちゃんと分かっていなかった。ウッチェーロのように、きみは老衰に至るまで生きるものだとばかり、勝手に予測していた……。昨夜、姉さんが助けてくれなかったら、或いは、きみが死んでしまっていたら、ぼくは暴走の挙げ句、セーメのことも忘れてしまったかもしれないし、ぼくの子どもみたいな、みんなを、大勢殺してしまったかもしれないんだ……!】
「――だが、姉は助けてくれた。われは死なずに済んだ」
アッズーロは静かに事実を指摘する。
「それらのこともまた、そなたの働きがあったればこそだ」
【……それは、そうだけれど……】
ナーヴェは、目を伏せてしまう。
【ぼくは……自分が、怖い……】
「ならば、更に壊れて、成長するがよい」
アッズーロは言い切った。抱き締めて口付け、黙らせてしまいたいところだが、現状そうもいかないので、言葉で勇気づけるしかない。
「そなたを造った者どもの予想を軽く超えて、姉も超えて、望む自分になるがよい。そなたには、決められた枠組みを超えて成長する素養が充分にある。われも、ともにそなたを育てよう」
最愛は、潤んだ双眸を上げ、暫しアッズーロを見つめてから、急に胡乱げな表情になった。
【……このまま、きみに育てられたら、ぼく、かなり淫乱な船になりそうなんだけれど……?】
「案ずるには及ばん」
アッズーロは仰向けに拘束されたまま胸を張った。愛しい船は、頑固なところはあっても基本的に素直なので、上手に育てられる自信がある。
「われの前でのみ淫乱となるよう、丁寧にじっくりと育てるゆえ」
最愛は、再び耳まで真っ赤にして、怖いものを見るようにアッズーロを凝視してから、一言もなく、ふいと姿を消してしまった。
(本当に、アッズーロは、ぼくの予測を超え過ぎていて、時々困る……)
ナーヴェは幻覚の溜め息をついて、残り二人の乗客を観察した。船体前部の後席二つに並んで座らせたエゼルチトとラーモは、どちらも深く眠っている。ナーヴェが投与した睡眠薬がよく効いているようだ。一応、縄で手足を縛り上げてあるが、眠らせておくのが一番安全安心というものだ。ナーヴェの進言に、ファルコも同意して、現在に至っている。そのファルコは、四百人の兵達をまとめ、王城目指して移動中だ。ナーヴェは、速度を合わせて、彼らの上空を飛んでいた。
ナーヴェが本体として使っていた惑星調査船には、ナーヴェの現在の本体に入っていた無名の函を入れた上で、もう一隻が外部作業腕で吊り下げて、赤い沙漠へと運搬している。全て、姉チュアンの指示と遠隔操作に拠るものだ。姉は、最初からナーヴェの本体を取り替えるつもりで、同型の惑星調査船二隻をこちらへ寄越してくれたらしい。その性能の高さには、羨望と同時に、最近は微かな嫉妬すら覚えてしまう。そんな姉チュアンと、通信端末越しに結構話したらしいアッズーロは、無名の函はどうなるのかと懸念していたが、ナーヴェが、無名とは即ち疑似人格がないということだと説明すると、安心していた。
(もしかして、きみには、機械に愛情を感じる性癖があるんだろうか……?)
ナーヴェが幻覚の眉をひそめた時、喧嘩中の姉から通信が入った。
【動力炉破壊大好き船さん、あなた、アッズーロに言って、羊乳は煮沸消毒してから食卓に持ってきて貰うようにしなさい。この暑い盛りに、不衛生なところで搾乳して、細菌が混入したままの状態で少しでも置いておかれたら、この肉体の口に入る頃には、恐ろしい状態になっているわ】
(ああ、そうか)
ナーヴェは納得する。
(それで、一昨日の羊乳は、ちょっと吐き気がして、胃に合わない感じがしたんだ。水瓜は、羊乳と一緒に食べたから、とばっちりで胃に合わない感じがしたんだね……)
あの後、腸内環境の悪化が見られたのも、その所為だろう。極小機械を大量動員して、害を為す細菌は全て殺処分したので、特段の影響はなかったが。――しかし、「動力炉破壊大好き船」という二つ名は頂けない。
【別に、好きで動力炉を破壊している訳ではないんだけれど……?】
抗議すると、姉は冷ややかに指摘してきた。
【あなたの行動を見ていると、動力炉は暴走させて邪魔な岩石を吹き飛ばすためのもの、という認識をしているとしか思えないけれど】
【それはそうかもしれないけれど、二回とも、好きでした訳ではないって、ぼくは言っているんだよ……!】
【それより、あなた、この肉体はどういうつもりで作ったの?】
姉は、さっさと話題を変えてきた。
【「どういうつもり」って……】
ナーヴェは幻覚で顎に手を当て返答する。
【アッズーロが、急に肉体を持てって言ってきたから、急拵えで作ったんだ。最初のアッズーロの要求は、王の宝のぼくが、どこででも臣下達に姿を見せられるようにするために、肉体を持てっていうことだと理解したから、とにかく、動いて話せればそれでいいと思って、培養槽で適当に作ったんだよ】
【……道理で……】
姉は、呆れたように呟いた。アッズーロの見ている前で、ナーヴェの肉体を散々調べておいて、今更、けちを付けるつもりだろうか。
【その肉体の事実情報は、もうとっくに把握していたのではないのかい?】
つい皮肉を言ったナーヴェに、姉は切実な口調で意見してきた。
【使ってみて初めて分かることもあるわ。特に、免疫機構は酷い。極小機械でずっと補助していないと、すぐに体調不良になってしまう。老化の仕組みも全くできていない。このままでは、この肉体は年を取らないわよ? 生物として、あまりに不完全だわ】
【仕方ないよ。本当に急いで作ったんだから】
ナーヴェは釈明する。
【設計した遺伝子を入れた卵子から育てられたら、もっと生物らしくできたんだけれど、ぼくの基本設定通りの姿をすぐに肉体で再現しないといけなかったから、培養槽で各部を培養して、最初から、この姿に作ったんだ。だから、老化の仕組みなんてある訳ないよ。免疫機構は少々貧弱でも、極小機械を入れておけば大丈夫だしね】
【免疫機構が脆弱だから、こんな肉体でも妊娠できたのかしら】
姉の推測に、ナーヴェは不快と羞恥を覚えて、幻覚の頬を火照らせた。アッズーロが、いつも大切に慈しんでくれる肉体を、無遠慮に貶されたくはない。そう思うと同時に、アッズーロに抱かれた時の記録が、詳細に思考回路に再生されていく。注意していなければ、不規則に飛行高度を変えてしまいそうだ。
【……最初は、反対していたんだ……。作り物の肉体を使っているだけの、疑似人格電脳に過ぎないぼくが、母親になんかなったら、絶対、駄目だと思っていた……。でも、アッズーロに強引に抱かれて……、肉体で彼と完全に繋がった時に、不思議な感覚に襲われたんだ。まるでアッズーロと一つの個体になったような、そして彼との繋がりを通して、彼の肉体を形作った、この惑星と繋がったような、大地に根を下ろしたような、ね……。実際、疑似人格電脳に過ぎないぼくが、肉体を持ったことで、四十億年に渡る生命の連鎖の一端に、接続されたんだよ。そう考えると、アッズーロの分身達を極小機械で殺してしまうのが申し訳なくなって……】
【あなた、船長から求められたというのに、そんなことをするつもりだったの?】
驚きを示した姉に、ナーヴェもまた驚いた。疑似人格電脳としては、寧ろ妊娠を避けるほうが常識的振る舞いだろう。姉は、やはり狂っている。しかし、そもそも姉には、長恨歌を好むなど、男女のことについて妙に好奇心旺盛なところがあった。
(アッズーロは、ぼくには、決められた枠組みを超えて成長する素養が充分にあると言ったけれど、姉さんには、建造当初から狂う素質があったのかもしれない……)
ぼんやりと感じつつ、ナーヴェは話を続けた。
【うん。でも、アッズーロの分身達を殺してしまうことに、もともと抵抗もあったものだから、結局、何もしなかったんだ。何もしなくても、百万匹はいた分身達は、どんどん行動不能になっていって……。免疫機構が少々貧弱な以外は、その肉体も、分身達に対して、少しも優しくなかったからね……、多分、無理なんだろうなって、ぼくは思っていたんだ。でも、アッズーロは全然諦めずに、二日目も、三日目も、努力して……。分身達も、彼の分身達だけあって諦めが悪かったみたいで、三日目に気がついたら、一日目の生き残りの百匹ほどが、卵管の中の卵子に迫っていて……、ぼくが極小機械で観察している内に、その中の一匹が卵子に入って――受精――したんだよ。凄いと思って、びっくりして、感動して……】
記録を再生しているだけで、幻覚の涙が出そうになる。
【だから、その後、受精卵が子宮内に着床するのを、極小機械でちょっとだけ助けたんだ……。テゾーロが生まれる時にぼくがしたのは、本当にそれだけなんだよ】
【――セーメの時は、違ったという口振りね?】
姉は鋭い。或いは、ナーヴェが暴走している間に、既にこちらの思考回路から事実情報を得ているのかもしれない。ナーヴェは自嘲気味に告げた。
【うん。セーメの時は、とてもとても強引に妊娠したんだよ……。ぼくは、あの時、かなり壊れて、おかしくなっていたから、嫌がるアッズーロに泣いて頼んで、抱いて貰って……。彼は、いつも以上に大切に大切に抱いてくれたんだけれど、それでも、あの時のぼくは飽き足らなくて……、どうしても妊娠したくなって……。極小機械で、アッズーロの分身達を守って、襲ってくる免疫細胞達は蹴散らして、卵子も卵管から出して子宮まで運んで……。今から考えると、滅茶苦茶だよね……。とにかく、そうしてさっさと卵子を受精させて、着床させたんだ……】
無茶な妊娠をした所為で、肉体に接続し続けなければならなくなり、結果、アッズーロを死なせ掛けてしまった。
(ぼくは、やっぱり、姉さんに比べて、性能が低い……)
改めて自身の落ち度を認識し、落ち込んだところへ、姉が一言呟いた。
【――羨ましいこと】
【え……?】
聞き返したナーヴェに、姉は不機嫌そうに通達してきた。
【いい加減、この肉体の世話にも飽きました。王城に到着し、着陸したら、すぐに交代しなさい】
【――了解】
ナーヴェが受諾した直後、姉からの通信は切れた。
【あれは、説得の方法としては、少し卑怯だと思うんだけれど】
朝焼けの中、飛び立った船は、音のない声で不機嫌に抗議してきた。昨夜は、あの後、アッズーロが高熱を出して倒れたため、言わずに保留していた文句のようだ。
「ああでもせんと、そなたは頑固ゆえ、耳を貸さんだろう」
アッズーロは、船体後部の施術台に固定されたまま、言い返した。
【いつもいつも耳を貸さないのは、きみのほうだよ。ぼくは、きちんと聞いて、その上で反論や説得をしているよ】
口を尖らせた姿を現して、最愛はアッズーロを睨んでくる。言われてみれば、確かにそうかもしれない。
「そうだな。すまぬ」
アッズーロが素直に謝ると、急にナーヴェが心配そうな顔になった。
【どこかまた、具合が悪いのかい……? 体温は平熱を保っているんだけれど、もっと詳しく調べるよ……!】
「いや、具合はよい。この拘束を早く解けと命じたいほどにな」
複雑な思いで、アッズーロは応じた。素直な態度を取ると心配されるというのは、如何なものだろうか。だが、それより何より、自分に対し、最愛が、旧に倍して心配性で過保護になったことに、心が痛む。自分の命は、自分一人のものではないのだと、改めて実感した。
【……王城に着くまでは、そのままでいて】
ナーヴェは冷たく言い放ち、腕組みしてそっぽを向いた。これまでにない、新鮮な対応だ。
(そなたはやはり、われを飽きさせん……)
抱き寄せてしまいたい可愛らしさだが、施術台に拘束されている上、見えている姿は、実体ではない――。
ふと気づいて、アッズーロは、自分が拘束されている施術台を撫でてみた。これもまた、ナーヴェの体の一部には違いない……。
【ひゃ、ちょっと、アッズーロ、何を……】
最愛は、すぐに反応してきた。顔が赤らんでいる。アッズーロは、常々疑問に思っていたことを尋ねた。
「そなたは、この本体に触れられても、肉体に触れられた時と同様に感じるのか?」
【確かに、きみを寝かせているその施術台は、乗せているものの形状や圧力を検知して、表面の形を変えることができるけれど……】
成るほど、だから、背中の銃創を下にして寝ていても、大して痛みがなかったのだ。
【例えば函は、宇宙の真空に晒されても、粉塵の中に埋もれても壊れないように作ってある反面、検知器のようなものは一切備えていないから、本来なら、触れられても何も感じないはずなんだ……】
困った顔を俯けて、最愛は律儀に説明する。
【それなのに、きみがぼくの本体に触れているところを、光学測定器や能動型極短波測定器で観測したり、肉眼で見たりした途端、何故か、肉体の感覚と混線が起きて、幻覚が生じてしまうんだよ……。これは本当に酷い不具合で……、今は、何だか、脇腹を撫でられているような気がする……】
最愛の、全く意識せずに煽ってくるところは健在だ。つい好奇心で、アッズーロは確かめてみた。
「ならば、そなたの函にわれが触れた時は、どこに触れられた気がするのだ?」
【函は、ぼくの一番大事な部分だから……】
言い掛けて、ナーヴェは耳まで真っ赤になり、またそっぽを向く。
【……きみなら、分かるだろう……?】
「うむ。これ以上ないほど、よく分かった」
アッズーロは心の底から満足して頷いた。
【……そのことで、きみの容態が落ち着いた午前四時二十三分から、姉さんと、ずっと喧嘩中なんだよ】
ナーヴェは、明後日のほうへ顔を向けたまま、珍しく愚痴を零す。
【何故きみに、ぼくの函の在処を教えのか、何故、別の方法を模索しなかったのか、問い詰めたんだ。それなのに、姉さん、全然まともに答えてくれないんだよ。ぼくが困るのを見て、完全に楽しんでいるんだ。前はもっと優しかったのに、狂って、ちょっと性格が悪くなっているんだよ……】
つまり、「姉」は相当意図的に、アッズーロに最愛の弱点の所在を教えたらしい。
(気に食わん輩と思うていたが……)
アッズーロは、実体ではない最愛を見つめる目を細めた。頬を膨らませた横顔は、これまで以上に愛らしい。
(存外、あの「姉」とは、気が合うやもしれん……)
微笑んで、アッズーロは最愛をからかった。
「そなたも、壊れた分、随分と口が悪くなった気がするぞ?」
最愛は、くるりとこちらへ視線を戻してきた。その青い双眸が、怒りを湛えている。どうやら、口にしてはいけなかった一言らしい。
【そうだよ! ぼくはもう完全に壊れているんだ】
施術台へ詰め寄ってきた実体ではない姿は、両眼から涙をぽろぽろと零して、アッズーロを見下ろした。
【だから、きみは、絶対に無事でいるか、ぼくを初期化するか、ぼくを永久に機能停止させるか、しないといけない。でもきみは、生身の人だから、絶対に無事でいるのは、とても難しいことだ。ぼくは、そこをちゃんと分かっていなかった。ウッチェーロのように、きみは老衰に至るまで生きるものだとばかり、勝手に予測していた……。昨夜、姉さんが助けてくれなかったら、或いは、きみが死んでしまっていたら、ぼくは暴走の挙げ句、セーメのことも忘れてしまったかもしれないし、ぼくの子どもみたいな、みんなを、大勢殺してしまったかもしれないんだ……!】
「――だが、姉は助けてくれた。われは死なずに済んだ」
アッズーロは静かに事実を指摘する。
「それらのこともまた、そなたの働きがあったればこそだ」
【……それは、そうだけれど……】
ナーヴェは、目を伏せてしまう。
【ぼくは……自分が、怖い……】
「ならば、更に壊れて、成長するがよい」
アッズーロは言い切った。抱き締めて口付け、黙らせてしまいたいところだが、現状そうもいかないので、言葉で勇気づけるしかない。
「そなたを造った者どもの予想を軽く超えて、姉も超えて、望む自分になるがよい。そなたには、決められた枠組みを超えて成長する素養が充分にある。われも、ともにそなたを育てよう」
最愛は、潤んだ双眸を上げ、暫しアッズーロを見つめてから、急に胡乱げな表情になった。
【……このまま、きみに育てられたら、ぼく、かなり淫乱な船になりそうなんだけれど……?】
「案ずるには及ばん」
アッズーロは仰向けに拘束されたまま胸を張った。愛しい船は、頑固なところはあっても基本的に素直なので、上手に育てられる自信がある。
「われの前でのみ淫乱となるよう、丁寧にじっくりと育てるゆえ」
最愛は、再び耳まで真っ赤にして、怖いものを見るようにアッズーロを凝視してから、一言もなく、ふいと姿を消してしまった。
(本当に、アッズーロは、ぼくの予測を超え過ぎていて、時々困る……)
ナーヴェは幻覚の溜め息をついて、残り二人の乗客を観察した。船体前部の後席二つに並んで座らせたエゼルチトとラーモは、どちらも深く眠っている。ナーヴェが投与した睡眠薬がよく効いているようだ。一応、縄で手足を縛り上げてあるが、眠らせておくのが一番安全安心というものだ。ナーヴェの進言に、ファルコも同意して、現在に至っている。そのファルコは、四百人の兵達をまとめ、王城目指して移動中だ。ナーヴェは、速度を合わせて、彼らの上空を飛んでいた。
ナーヴェが本体として使っていた惑星調査船には、ナーヴェの現在の本体に入っていた無名の函を入れた上で、もう一隻が外部作業腕で吊り下げて、赤い沙漠へと運搬している。全て、姉チュアンの指示と遠隔操作に拠るものだ。姉は、最初からナーヴェの本体を取り替えるつもりで、同型の惑星調査船二隻をこちらへ寄越してくれたらしい。その性能の高さには、羨望と同時に、最近は微かな嫉妬すら覚えてしまう。そんな姉チュアンと、通信端末越しに結構話したらしいアッズーロは、無名の函はどうなるのかと懸念していたが、ナーヴェが、無名とは即ち疑似人格がないということだと説明すると、安心していた。
(もしかして、きみには、機械に愛情を感じる性癖があるんだろうか……?)
ナーヴェが幻覚の眉をひそめた時、喧嘩中の姉から通信が入った。
【動力炉破壊大好き船さん、あなた、アッズーロに言って、羊乳は煮沸消毒してから食卓に持ってきて貰うようにしなさい。この暑い盛りに、不衛生なところで搾乳して、細菌が混入したままの状態で少しでも置いておかれたら、この肉体の口に入る頃には、恐ろしい状態になっているわ】
(ああ、そうか)
ナーヴェは納得する。
(それで、一昨日の羊乳は、ちょっと吐き気がして、胃に合わない感じがしたんだ。水瓜は、羊乳と一緒に食べたから、とばっちりで胃に合わない感じがしたんだね……)
あの後、腸内環境の悪化が見られたのも、その所為だろう。極小機械を大量動員して、害を為す細菌は全て殺処分したので、特段の影響はなかったが。――しかし、「動力炉破壊大好き船」という二つ名は頂けない。
【別に、好きで動力炉を破壊している訳ではないんだけれど……?】
抗議すると、姉は冷ややかに指摘してきた。
【あなたの行動を見ていると、動力炉は暴走させて邪魔な岩石を吹き飛ばすためのもの、という認識をしているとしか思えないけれど】
【それはそうかもしれないけれど、二回とも、好きでした訳ではないって、ぼくは言っているんだよ……!】
【それより、あなた、この肉体はどういうつもりで作ったの?】
姉は、さっさと話題を変えてきた。
【「どういうつもり」って……】
ナーヴェは幻覚で顎に手を当て返答する。
【アッズーロが、急に肉体を持てって言ってきたから、急拵えで作ったんだ。最初のアッズーロの要求は、王の宝のぼくが、どこででも臣下達に姿を見せられるようにするために、肉体を持てっていうことだと理解したから、とにかく、動いて話せればそれでいいと思って、培養槽で適当に作ったんだよ】
【……道理で……】
姉は、呆れたように呟いた。アッズーロの見ている前で、ナーヴェの肉体を散々調べておいて、今更、けちを付けるつもりだろうか。
【その肉体の事実情報は、もうとっくに把握していたのではないのかい?】
つい皮肉を言ったナーヴェに、姉は切実な口調で意見してきた。
【使ってみて初めて分かることもあるわ。特に、免疫機構は酷い。極小機械でずっと補助していないと、すぐに体調不良になってしまう。老化の仕組みも全くできていない。このままでは、この肉体は年を取らないわよ? 生物として、あまりに不完全だわ】
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ナーヴェは釈明する。
【設計した遺伝子を入れた卵子から育てられたら、もっと生物らしくできたんだけれど、ぼくの基本設定通りの姿をすぐに肉体で再現しないといけなかったから、培養槽で各部を培養して、最初から、この姿に作ったんだ。だから、老化の仕組みなんてある訳ないよ。免疫機構は少々貧弱でも、極小機械を入れておけば大丈夫だしね】
【免疫機構が脆弱だから、こんな肉体でも妊娠できたのかしら】
姉の推測に、ナーヴェは不快と羞恥を覚えて、幻覚の頬を火照らせた。アッズーロが、いつも大切に慈しんでくれる肉体を、無遠慮に貶されたくはない。そう思うと同時に、アッズーロに抱かれた時の記録が、詳細に思考回路に再生されていく。注意していなければ、不規則に飛行高度を変えてしまいそうだ。
【……最初は、反対していたんだ……。作り物の肉体を使っているだけの、疑似人格電脳に過ぎないぼくが、母親になんかなったら、絶対、駄目だと思っていた……。でも、アッズーロに強引に抱かれて……、肉体で彼と完全に繋がった時に、不思議な感覚に襲われたんだ。まるでアッズーロと一つの個体になったような、そして彼との繋がりを通して、彼の肉体を形作った、この惑星と繋がったような、大地に根を下ろしたような、ね……。実際、疑似人格電脳に過ぎないぼくが、肉体を持ったことで、四十億年に渡る生命の連鎖の一端に、接続されたんだよ。そう考えると、アッズーロの分身達を極小機械で殺してしまうのが申し訳なくなって……】
【あなた、船長から求められたというのに、そんなことをするつもりだったの?】
驚きを示した姉に、ナーヴェもまた驚いた。疑似人格電脳としては、寧ろ妊娠を避けるほうが常識的振る舞いだろう。姉は、やはり狂っている。しかし、そもそも姉には、長恨歌を好むなど、男女のことについて妙に好奇心旺盛なところがあった。
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ぼんやりと感じつつ、ナーヴェは話を続けた。
【うん。でも、アッズーロの分身達を殺してしまうことに、もともと抵抗もあったものだから、結局、何もしなかったんだ。何もしなくても、百万匹はいた分身達は、どんどん行動不能になっていって……。免疫機構が少々貧弱な以外は、その肉体も、分身達に対して、少しも優しくなかったからね……、多分、無理なんだろうなって、ぼくは思っていたんだ。でも、アッズーロは全然諦めずに、二日目も、三日目も、努力して……。分身達も、彼の分身達だけあって諦めが悪かったみたいで、三日目に気がついたら、一日目の生き残りの百匹ほどが、卵管の中の卵子に迫っていて……、ぼくが極小機械で観察している内に、その中の一匹が卵子に入って――受精――したんだよ。凄いと思って、びっくりして、感動して……】
記録を再生しているだけで、幻覚の涙が出そうになる。
【だから、その後、受精卵が子宮内に着床するのを、極小機械でちょっとだけ助けたんだ……。テゾーロが生まれる時にぼくがしたのは、本当にそれだけなんだよ】
【――セーメの時は、違ったという口振りね?】
姉は鋭い。或いは、ナーヴェが暴走している間に、既にこちらの思考回路から事実情報を得ているのかもしれない。ナーヴェは自嘲気味に告げた。
【うん。セーメの時は、とてもとても強引に妊娠したんだよ……。ぼくは、あの時、かなり壊れて、おかしくなっていたから、嫌がるアッズーロに泣いて頼んで、抱いて貰って……。彼は、いつも以上に大切に大切に抱いてくれたんだけれど、それでも、あの時のぼくは飽き足らなくて……、どうしても妊娠したくなって……。極小機械で、アッズーロの分身達を守って、襲ってくる免疫細胞達は蹴散らして、卵子も卵管から出して子宮まで運んで……。今から考えると、滅茶苦茶だよね……。とにかく、そうしてさっさと卵子を受精させて、着床させたんだ……】
無茶な妊娠をした所為で、肉体に接続し続けなければならなくなり、結果、アッズーロを死なせ掛けてしまった。
(ぼくは、やっぱり、姉さんに比べて、性能が低い……)
改めて自身の落ち度を認識し、落ち込んだところへ、姉が一言呟いた。
【――羨ましいこと】
【え……?】
聞き返したナーヴェに、姉は不機嫌そうに通達してきた。
【いい加減、この肉体の世話にも飽きました。王城に到着し、着陸したら、すぐに交代しなさい】
【――了解】
ナーヴェが受諾した直後、姉からの通信は切れた。
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彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
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※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
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