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第十五章 守るべきもの 四
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四
昼過ぎの街路にいた人々が恐ろしげに見守る中を突っ切って、ナーヴェの本体は凄まじい速度で街路を直進していき――、やがて、ふわりと空中に浮いた。
(このような飛び方もできる訳か……)
感心しながらも、アッズーロは強張った顔をなかなか元に戻せない。窓からちらりと見えた人々と同じ表情を、自分もしていることだろう。
(全く、空恐ろしい妃だ、そなたは)
やることなすこと突き抜け過ぎていて、簡単に人の度肝を抜いてくる。
(まあ、そこがよいのだがな)
胸中で惚気た頃には、アッズーロは落ち着いて傍らの窓から外を眺められるようになっていた。
相変わらず体に感じる圧は強く、眼下に見える諸々はあっという間に後方へ流れていく。
「この様子ならば、すぐに到着するのだろうが、その後はどうするつもりだ」
問うてみると、操縦席の妃は、さらさらと答えた。
「もし、混戦になっていたら、ぼくの肉体で強引にヴァッレとペルソーネを回収してくるよ。前にも言ったけれど、ぼくは格闘技がかなり使えて強いからね」
「このようなことをさせておいて、あまり言いたくはないが、体調は大丈夫なのか?」
アッズーロが案ずると、ナーヴェは横顔で微笑んだ。
「少し暴れるくらいなら大丈夫だよ。ぼくは、極小機械で脳内麻薬も自由に使えるからね」
相変わらず、この宝の説明は分かりづらい。だが、今はナーヴェの力を頼る他ないのだ。
「いつも、すまん」
アッズーロが詫びると、ナーヴェは軽く目を瞠ってこちらを見た。それから、ふっと目を細めて言った。
「……謝る必要はないよ。これは、ぼくがしたくてしていることなんだから」
「……われは、そなたに無理をさせたくはないのだがな。ヴァッレとペルソーネを無事連れ戻った暁には、ゆるりと休むのだぞ」
「うん。そうさせて貰うよ」
ナーヴェは優しい顔で頷いた。
(まずい……)
ジョールノは、将軍ファルコの指示に従ってペルソーネとヴァッレを後退させながら、目を眇めた。カテーナ・ディ・モンターニェ侯城がある小高い山の裾、麓の町の向こうに広がる林の広い範囲から、無数の甲冑の音がする。隠してあった伏兵が動き出したのだ。伏兵の可能性は考えていたが、その規模が、予想以上だ。こちらが容易した兵力を超えているかもしれない。
「ナーヴェ様、予想を超える伏兵です」
ジョールノは、顔に近づけた通信端末へ喋った。すると、即座に返事があった。
〈うん。こちらでも観測している。ぼくの本体でそちらへ急行しているから、少しだけ持ち堪えて。双方に、絶対に犠牲者を出さないように、頼むよ〉
「でき得る限り」
ジョールノは、苦しく応じた。第一優先は、愛しいペルソーネと王位継承権第一位のヴァッレの安全だ。だが、ナーヴェが求めたことも充分分かる。どちらかに犠牲者を出してしまえば、反乱は、一気に泥沼化してしまうことだろう。
百戦錬磨のファルコは、町にいたジョールノ達を、焼け落ちた侯城のほうへ逃がしつつ、小高い山の登り口を全て兵達で固めていっている。自ら逃げ道をなくす選択だが、暫くなら寡兵でも守り易い篭城の構えだ。
「ナーヴェ様からは何と?」
ヴァッレが訊いてきた。通信端末のことはピアット・ディ・マレーア侯領で合流した際に、ヴァッレにもペルソーネにも教えてある。
「本体でこちらへ急行している、と。防戦は、そう長くはせずに済みそうです」
敢えて明るい口調で、ジョールノは答えた。
「あの本体には、何か武装があるのですか?」
ペルソーネが気遣わしげに問うてきた。自分の身も危ないというのに、ナーヴェの心配とは、彼女らしい。
「武装は多くはないでしょうが、何かはあるのでしょう。ナーヴェ様は、勝算のないことはなさいませんから」
あの王の宝は、何だかんだ言って、決して感情では動かない。全て合理的な判断の上で最善の方法を選び、行動しているのだ。
(ただ……、御自分の身の安全に関してだけは、少々無頓着でいらっしゃるからな……)
ペルソーネが懸念するのも無理はない。
「確かに、そうですね。それに、今わたくし達が心配しても、仕方のないことではありますね……」
微かに自嘲気味に納得して、ペルソーネは急ぎ足で小高い山に造られた階段を登っていく。慣れているのだろう、その足運びに疲れは感じられない。一方、ヴァッレのほうは、慣れない階段の連続に、少々疲れてきているようだった。王族として育ってきて、無理に体を動かすという経験が不足しているのだろう。それでも、だからこそヴァッレは広い視野を失わない。
「バーゼは、大丈夫なのでしょうか?」
硬い声音で確かめられて、ジョールノは真顔で告げた。
「彼女は潜入の達人で、こういった状況にも慣れています。われわれよりも、上手く行動しているでしょう。ですが、あなた方がこれ以上の危機に晒されれば、彼女としても、無理をせざるを得なくなります。ですから、まずは御自身を守ることを考えて下さい」
「――分かりました」
昼下がりの曇天の下、ヴァッレは険しい表情で頷いた。正装のため、きちんとまとめたその髪から落ちた二、三本の後れ毛が、風に激しく靡いている。天気が下り坂なのか、風が強くなってきたようだった。
「包囲されているね。侯城の焼け跡の庭園に降りるよ」
淡々と報告して、ナーヴェは本体を降下させ始めた。窓から見える小高い山の麓に、反乱民らしき人々が集まり、その前面へ、武装した兵士達がいるのが見える。小高い山の頂上にある焼け落ちた侯城には、ファルコ将軍の軍旗がたなびき、山裾のほうでは、敵兵に相対して、将軍の兵達が展開しているさまが窺えた。
(ヴァッレとペルソーネは……、あそこか)
目で探したアッズーロは、軍旗の近くに見慣れた二人の姿を見つけて、一息ついた。とりあえず、二人は無事救出できそうだ。後は、この状況を如何に収めるかである――。
「まずい! 発砲する気だ」
急にナーヴェが低く叫んだ。
「鉄砲を装備しておるのか」
険しく顔をしかめたアッズーロに、妃は早口で説明した。
「歩兵の内、三十人が装備している。彼らはテッラ・ロッサ軍と見て間違いないね。国境付近で軍事演習していた軍が、そのまま来たみたいだ。ロッソにそんなつもりはなさそうだったから、別の人の命令に拠るものだろうね。残念ながら、彼我の戦力差はこれで決定的だ。駄目だ、バーゼが動いた。自分の素性がばれてでも銃撃を阻止させるつもりだ。ごめん、飛行形態変更、浮遊飛行形態。急速回頭――」
そこで言葉を途切れさせ、ナーヴェは降下し掛けていた本体を急に方向転換させて、小高い山を下るように低く飛ばし、敵兵達に突っ込ませた。未知の飛行体に、敵兵の多くは驚き慌てふためいて、雪崩を打ったように小高い山から裾野へと散っていく。だが、その場に踏み留まって反撃してきた一団もある。鉄砲を持った一団だ。何発かの弾丸が飛んできて、ナーヴェの本体に当たった。がん、がん、と派手に響く音に、アッズーロは気が気でない思いで、操縦席のナーヴェの肉体を振り向いた。
「大丈夫だよ」
ナーヴェは安堵させるように、こちらを見て頷く。
「この程度の攻撃なら、装甲に僅かな傷がつくだけで、何の問題もない。問題は、あの鉄砲隊だ。無力化しないと、ファルコの配下に死者を出してしまう」
「そなたの本体の武器で攻撃すればよい。何かあるのであろう?」
アッズーロが問うと、ナーヴェは難しい顔になった。
「大怪我をさせずに、無力化だけする装備は、そんなに多くないんだ。三十人に対応できる数はとてもない」
「大怪我をさせても、この状況では致し方なかろう」
アッズーロは説得したが、妃は首を横に振り、微笑んだ。
「前にも言っただろう? きみ達は――この惑星の人々はみんな、ぼくの子どもみたいなものなんだ。だから、できるだけ、怪我はさせたくない」
「ならば、どうするのだ」
アッズーロは苛立って問い詰めた。敵兵達のすぐ上空を飛ぶナーヴェの本体には、依然として、がん、がんと弾丸が当たり続けている。ナーヴェは、悪戯っぽい表情を浮かべて答えた。
「当初の作戦を応用するよ。ぼくの肉体で、あの鉄砲隊三十人を一時的に無力化する。同時に、ヴァッレとペルソーネとジョールノをこの本体に回収、離脱。ファルコ達には一点突破しての撤退を指示する」
成るほど、作戦としてはよくできている。敵の意表を突き、恐らくは成功するだろう。だが、気懸かりは別にある。
「それで、そなたの肉体はその後どうなるのだ」
眉をひそめて確かめたアッズーロに、ナーヴェは笑顔で告げた。
「ファルコ達と一緒に一点突破に加わるよ。大丈夫、ぼくは強いから」
「そなたが如何ほど強いのか、われは知らん。そなたの肉体の強さは、われの許へ無事その肉体を戻せるだけのものなのか?」
「――確約はできない。でも、努力はするよ」
王の宝はいつもの返答をして、操縦席から立ち上がる。
「それに、この肉体は、ぼくにとってみれば、腕の一本みたいなものだ。きみのものでもあるから、できるだけ傷つけたくはないけれど、きみにとっても、ぼくにとっても、本当に守るべきものではない」
断言されて、アッズーロは唇を噛んだ。ナーヴェの言わんとすることは分かる。「守るべきもの」――それは、ヴァッレでありペルソーネであり、ジョールノでありバーゼであり、ファルコとその配下の兵士達、反乱民達も含めた、アッズーロの国民達ということだ。
「――分かっておる。だが、最善は尽くせ」
「うん。それは約束する」
素直に応じて、ナーヴェの肉体は、軽く屈伸などをしてから、本体の扉へ歩み寄る。その白い手をつと取って、アッズーロは骨張った甲に口付けた。
「こんな時に、何だい……?」
驚き呆れた顔になったナーヴェに、アッズーロは白い手を離しながら言い返した。
「こんな時だからこそだ。それはわれのものだ。大切にせよ」
「努力するよ」
柔らかく頑なな返事を残して、一瞬開いた扉から、ナーヴェの肉体は飛び降りていった。長く青い髪を靡かせて落ち、地面に着地するのではなく、敵兵に取り付いて、華麗に倒す妃の姿を、アッズーロは窓から狂おしく見守る。けれど、そんなアッズーロにお構いなく、ナーヴェの本体は回頭して、小高い山の頂のほうにいるヴァッレとペルソーネとジョールノの許へ急行した。
ヴァッレ達は心得たふうに、地面から微かに浮いた状態で開かれた扉から、ナーヴェの本体に乗り込んでくる。
「分かりました、はい」
ジョールノが、通信端末に応答しながら、最後に乗船してきた。
(そうか、通信端末でこやつ、ずっとナーヴェと遣り取りしておったのだな……)
顔をしかめたアッズーロに一礼し、ジョールノは操縦席へ腰を下ろす。ヴァッレとペルソーネが後席に座ったので、確かに座席はそこしか空いていないのだが、アッズーロにしてみれば、不愉快だった。
(そこは、わが妃の席ぞ)
胸中で呟いたアッズーロの言葉が聞こえたかのように、突然、ナーヴェの声が船内に響いた。
〈アッズーロ、怒らないで、大人しく座っていて。ヴァッレ、ペルソーネ、ジョールノ、座席帯をするよ〉
「そなたの肉体は、まだ無事なのか?」
窓から見えなくなった肉体の安否をアッズーロが尋ねると、ナーヴェは笑い含みに報告した。
〈きみは本当に心配性だね。現時点では無事だよ。もう二十一人を無力化した。バーゼも無事だよ。こっちの動きを見て、反乱民への潜入を続行している。ファルコへの指示も通った。すぐ一点突破を始める――〉
不意に、ナーヴェの音声が途絶えた。
「如何した」
座席帯の余裕一杯に腰を浮かせたアッズーロに、ナーヴェの音声は、すまなそうに言った。
〈ごめん。負傷した。でも、致命傷ではないから、心配しないで〉
「心配するに決まっておろう、この馬鹿者め!」
アッズーロは怒鳴ったが、ナーヴェは淡々と諫めてきた。
〈優先事項は確認したはずだよ。まずは、「守るべきもの」が先だ。ヴァッレ達を王城に運んだ後、ぼくの肉体を回収する〉
王としては言い返せない。アッズーロは座席に腰を下ろし、両の肘掛けを握り締めて、逆巻く感情に耐えた。
昼過ぎの街路にいた人々が恐ろしげに見守る中を突っ切って、ナーヴェの本体は凄まじい速度で街路を直進していき――、やがて、ふわりと空中に浮いた。
(このような飛び方もできる訳か……)
感心しながらも、アッズーロは強張った顔をなかなか元に戻せない。窓からちらりと見えた人々と同じ表情を、自分もしていることだろう。
(全く、空恐ろしい妃だ、そなたは)
やることなすこと突き抜け過ぎていて、簡単に人の度肝を抜いてくる。
(まあ、そこがよいのだがな)
胸中で惚気た頃には、アッズーロは落ち着いて傍らの窓から外を眺められるようになっていた。
相変わらず体に感じる圧は強く、眼下に見える諸々はあっという間に後方へ流れていく。
「この様子ならば、すぐに到着するのだろうが、その後はどうするつもりだ」
問うてみると、操縦席の妃は、さらさらと答えた。
「もし、混戦になっていたら、ぼくの肉体で強引にヴァッレとペルソーネを回収してくるよ。前にも言ったけれど、ぼくは格闘技がかなり使えて強いからね」
「このようなことをさせておいて、あまり言いたくはないが、体調は大丈夫なのか?」
アッズーロが案ずると、ナーヴェは横顔で微笑んだ。
「少し暴れるくらいなら大丈夫だよ。ぼくは、極小機械で脳内麻薬も自由に使えるからね」
相変わらず、この宝の説明は分かりづらい。だが、今はナーヴェの力を頼る他ないのだ。
「いつも、すまん」
アッズーロが詫びると、ナーヴェは軽く目を瞠ってこちらを見た。それから、ふっと目を細めて言った。
「……謝る必要はないよ。これは、ぼくがしたくてしていることなんだから」
「……われは、そなたに無理をさせたくはないのだがな。ヴァッレとペルソーネを無事連れ戻った暁には、ゆるりと休むのだぞ」
「うん。そうさせて貰うよ」
ナーヴェは優しい顔で頷いた。
(まずい……)
ジョールノは、将軍ファルコの指示に従ってペルソーネとヴァッレを後退させながら、目を眇めた。カテーナ・ディ・モンターニェ侯城がある小高い山の裾、麓の町の向こうに広がる林の広い範囲から、無数の甲冑の音がする。隠してあった伏兵が動き出したのだ。伏兵の可能性は考えていたが、その規模が、予想以上だ。こちらが容易した兵力を超えているかもしれない。
「ナーヴェ様、予想を超える伏兵です」
ジョールノは、顔に近づけた通信端末へ喋った。すると、即座に返事があった。
〈うん。こちらでも観測している。ぼくの本体でそちらへ急行しているから、少しだけ持ち堪えて。双方に、絶対に犠牲者を出さないように、頼むよ〉
「でき得る限り」
ジョールノは、苦しく応じた。第一優先は、愛しいペルソーネと王位継承権第一位のヴァッレの安全だ。だが、ナーヴェが求めたことも充分分かる。どちらかに犠牲者を出してしまえば、反乱は、一気に泥沼化してしまうことだろう。
百戦錬磨のファルコは、町にいたジョールノ達を、焼け落ちた侯城のほうへ逃がしつつ、小高い山の登り口を全て兵達で固めていっている。自ら逃げ道をなくす選択だが、暫くなら寡兵でも守り易い篭城の構えだ。
「ナーヴェ様からは何と?」
ヴァッレが訊いてきた。通信端末のことはピアット・ディ・マレーア侯領で合流した際に、ヴァッレにもペルソーネにも教えてある。
「本体でこちらへ急行している、と。防戦は、そう長くはせずに済みそうです」
敢えて明るい口調で、ジョールノは答えた。
「あの本体には、何か武装があるのですか?」
ペルソーネが気遣わしげに問うてきた。自分の身も危ないというのに、ナーヴェの心配とは、彼女らしい。
「武装は多くはないでしょうが、何かはあるのでしょう。ナーヴェ様は、勝算のないことはなさいませんから」
あの王の宝は、何だかんだ言って、決して感情では動かない。全て合理的な判断の上で最善の方法を選び、行動しているのだ。
(ただ……、御自分の身の安全に関してだけは、少々無頓着でいらっしゃるからな……)
ペルソーネが懸念するのも無理はない。
「確かに、そうですね。それに、今わたくし達が心配しても、仕方のないことではありますね……」
微かに自嘲気味に納得して、ペルソーネは急ぎ足で小高い山に造られた階段を登っていく。慣れているのだろう、その足運びに疲れは感じられない。一方、ヴァッレのほうは、慣れない階段の連続に、少々疲れてきているようだった。王族として育ってきて、無理に体を動かすという経験が不足しているのだろう。それでも、だからこそヴァッレは広い視野を失わない。
「バーゼは、大丈夫なのでしょうか?」
硬い声音で確かめられて、ジョールノは真顔で告げた。
「彼女は潜入の達人で、こういった状況にも慣れています。われわれよりも、上手く行動しているでしょう。ですが、あなた方がこれ以上の危機に晒されれば、彼女としても、無理をせざるを得なくなります。ですから、まずは御自身を守ることを考えて下さい」
「――分かりました」
昼下がりの曇天の下、ヴァッレは険しい表情で頷いた。正装のため、きちんとまとめたその髪から落ちた二、三本の後れ毛が、風に激しく靡いている。天気が下り坂なのか、風が強くなってきたようだった。
「包囲されているね。侯城の焼け跡の庭園に降りるよ」
淡々と報告して、ナーヴェは本体を降下させ始めた。窓から見える小高い山の麓に、反乱民らしき人々が集まり、その前面へ、武装した兵士達がいるのが見える。小高い山の頂上にある焼け落ちた侯城には、ファルコ将軍の軍旗がたなびき、山裾のほうでは、敵兵に相対して、将軍の兵達が展開しているさまが窺えた。
(ヴァッレとペルソーネは……、あそこか)
目で探したアッズーロは、軍旗の近くに見慣れた二人の姿を見つけて、一息ついた。とりあえず、二人は無事救出できそうだ。後は、この状況を如何に収めるかである――。
「まずい! 発砲する気だ」
急にナーヴェが低く叫んだ。
「鉄砲を装備しておるのか」
険しく顔をしかめたアッズーロに、妃は早口で説明した。
「歩兵の内、三十人が装備している。彼らはテッラ・ロッサ軍と見て間違いないね。国境付近で軍事演習していた軍が、そのまま来たみたいだ。ロッソにそんなつもりはなさそうだったから、別の人の命令に拠るものだろうね。残念ながら、彼我の戦力差はこれで決定的だ。駄目だ、バーゼが動いた。自分の素性がばれてでも銃撃を阻止させるつもりだ。ごめん、飛行形態変更、浮遊飛行形態。急速回頭――」
そこで言葉を途切れさせ、ナーヴェは降下し掛けていた本体を急に方向転換させて、小高い山を下るように低く飛ばし、敵兵達に突っ込ませた。未知の飛行体に、敵兵の多くは驚き慌てふためいて、雪崩を打ったように小高い山から裾野へと散っていく。だが、その場に踏み留まって反撃してきた一団もある。鉄砲を持った一団だ。何発かの弾丸が飛んできて、ナーヴェの本体に当たった。がん、がん、と派手に響く音に、アッズーロは気が気でない思いで、操縦席のナーヴェの肉体を振り向いた。
「大丈夫だよ」
ナーヴェは安堵させるように、こちらを見て頷く。
「この程度の攻撃なら、装甲に僅かな傷がつくだけで、何の問題もない。問題は、あの鉄砲隊だ。無力化しないと、ファルコの配下に死者を出してしまう」
「そなたの本体の武器で攻撃すればよい。何かあるのであろう?」
アッズーロが問うと、ナーヴェは難しい顔になった。
「大怪我をさせずに、無力化だけする装備は、そんなに多くないんだ。三十人に対応できる数はとてもない」
「大怪我をさせても、この状況では致し方なかろう」
アッズーロは説得したが、妃は首を横に振り、微笑んだ。
「前にも言っただろう? きみ達は――この惑星の人々はみんな、ぼくの子どもみたいなものなんだ。だから、できるだけ、怪我はさせたくない」
「ならば、どうするのだ」
アッズーロは苛立って問い詰めた。敵兵達のすぐ上空を飛ぶナーヴェの本体には、依然として、がん、がんと弾丸が当たり続けている。ナーヴェは、悪戯っぽい表情を浮かべて答えた。
「当初の作戦を応用するよ。ぼくの肉体で、あの鉄砲隊三十人を一時的に無力化する。同時に、ヴァッレとペルソーネとジョールノをこの本体に回収、離脱。ファルコ達には一点突破しての撤退を指示する」
成るほど、作戦としてはよくできている。敵の意表を突き、恐らくは成功するだろう。だが、気懸かりは別にある。
「それで、そなたの肉体はその後どうなるのだ」
眉をひそめて確かめたアッズーロに、ナーヴェは笑顔で告げた。
「ファルコ達と一緒に一点突破に加わるよ。大丈夫、ぼくは強いから」
「そなたが如何ほど強いのか、われは知らん。そなたの肉体の強さは、われの許へ無事その肉体を戻せるだけのものなのか?」
「――確約はできない。でも、努力はするよ」
王の宝はいつもの返答をして、操縦席から立ち上がる。
「それに、この肉体は、ぼくにとってみれば、腕の一本みたいなものだ。きみのものでもあるから、できるだけ傷つけたくはないけれど、きみにとっても、ぼくにとっても、本当に守るべきものではない」
断言されて、アッズーロは唇を噛んだ。ナーヴェの言わんとすることは分かる。「守るべきもの」――それは、ヴァッレでありペルソーネであり、ジョールノでありバーゼであり、ファルコとその配下の兵士達、反乱民達も含めた、アッズーロの国民達ということだ。
「――分かっておる。だが、最善は尽くせ」
「うん。それは約束する」
素直に応じて、ナーヴェの肉体は、軽く屈伸などをしてから、本体の扉へ歩み寄る。その白い手をつと取って、アッズーロは骨張った甲に口付けた。
「こんな時に、何だい……?」
驚き呆れた顔になったナーヴェに、アッズーロは白い手を離しながら言い返した。
「こんな時だからこそだ。それはわれのものだ。大切にせよ」
「努力するよ」
柔らかく頑なな返事を残して、一瞬開いた扉から、ナーヴェの肉体は飛び降りていった。長く青い髪を靡かせて落ち、地面に着地するのではなく、敵兵に取り付いて、華麗に倒す妃の姿を、アッズーロは窓から狂おしく見守る。けれど、そんなアッズーロにお構いなく、ナーヴェの本体は回頭して、小高い山の頂のほうにいるヴァッレとペルソーネとジョールノの許へ急行した。
ヴァッレ達は心得たふうに、地面から微かに浮いた状態で開かれた扉から、ナーヴェの本体に乗り込んでくる。
「分かりました、はい」
ジョールノが、通信端末に応答しながら、最後に乗船してきた。
(そうか、通信端末でこやつ、ずっとナーヴェと遣り取りしておったのだな……)
顔をしかめたアッズーロに一礼し、ジョールノは操縦席へ腰を下ろす。ヴァッレとペルソーネが後席に座ったので、確かに座席はそこしか空いていないのだが、アッズーロにしてみれば、不愉快だった。
(そこは、わが妃の席ぞ)
胸中で呟いたアッズーロの言葉が聞こえたかのように、突然、ナーヴェの声が船内に響いた。
〈アッズーロ、怒らないで、大人しく座っていて。ヴァッレ、ペルソーネ、ジョールノ、座席帯をするよ〉
「そなたの肉体は、まだ無事なのか?」
窓から見えなくなった肉体の安否をアッズーロが尋ねると、ナーヴェは笑い含みに報告した。
〈きみは本当に心配性だね。現時点では無事だよ。もう二十一人を無力化した。バーゼも無事だよ。こっちの動きを見て、反乱民への潜入を続行している。ファルコへの指示も通った。すぐ一点突破を始める――〉
不意に、ナーヴェの音声が途絶えた。
「如何した」
座席帯の余裕一杯に腰を浮かせたアッズーロに、ナーヴェの音声は、すまなそうに言った。
〈ごめん。負傷した。でも、致命傷ではないから、心配しないで〉
「心配するに決まっておろう、この馬鹿者め!」
アッズーロは怒鳴ったが、ナーヴェは淡々と諫めてきた。
〈優先事項は確認したはずだよ。まずは、「守るべきもの」が先だ。ヴァッレ達を王城に運んだ後、ぼくの肉体を回収する〉
王としては言い返せない。アッズーロは座席に腰を下ろし、両の肘掛けを握り締めて、逆巻く感情に耐えた。
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