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第十五章 守るべきもの 一

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     一

「ボルドが先に到着している。これで、混乱なく迎えて貰えるね」
 近づいてきた王城の庭園に、少年侍従の姿を見つけて、ナーヴェが頬を弛めた。
「降りたら、すぐに大臣会議を行なうが、そなたは休め」
 アッズーロは有無を言わさずナーヴェに命じた。体力が戻り掛けたばかりの肉体に、随分と無理をさせてきた自覚がある。
「会議での決定事項は、後で伝えるゆえ」
「――分かったよ」
 ナーヴェは素直に了承した。肉体の疲れを、自身でも感じているのだろう。
「ティンブロは、われとともに大臣会議に出席せよ。奥方の案内は、ナーヴェ、任せてよいか? フィオーレに言えば、適当な部屋を用意するであろう」
「了解」
 ナーヴェは笑顔で頷いた。
 王城の中から人々が出てきて見守る中、ナーヴェは惑星調査船を、ゆっくりと庭園に着地させた。直後に開いた扉から、アッズーロは外へ出る。後ろから、ティンブロとジラソーレも降りてきた。
「御無事のお帰り、何よりでございます」
 玄関に並んだ人々の間から、留守を任されていたモッルスコが進み出て、アッズーロを迎えた。その背後には、ムーロやヴァッレの姿も見える。
「うむ。留守居御苦労。非常事態ゆえ、即刻、会議室に大臣どもを集めよ」
 短く労ってから指示したアッズーロに、モッルスコは一礼して告げた。
「仰せのままに。既に集めておりましたゆえ、出迎えに出て参った皆が戻らば、いつでも始められます」
「うむ」
 アッズーロは、ティンブロと大臣達を引き連れるようにして、足早に会議室へ向かった。


「さて、行こうか」
 最後に船から降りて、手も触れず扉を閉めた王妃に促され、ジラソーレは頷いて、ともに歩き始めた。初夏の日差しを浴びた王妃の青い髪は、神々しく美しい。王の宝を間近に見るのは初めてなので、ジラソーレはつい、その人に非ざる姿を見つめてしまう。全体的に華奢で整っていて、どこかしら幼げな容姿に、人懐っこく柔らかな表情と仕草、そして理知的な言葉遣いと振る舞い。
(陛下が心奪われたのも、頷けるわね……)
 ジラソーレは、娘のペルソーネが密かにアッズーロへ思いを寄せていたことを知っていたが、今はもう過去の話だ。
(あの子にも、本当に大切な相手ができたことだし、陛下は本当にお幸せそうだし、これはこれでよかったのだと、領民達にも伝わればよいのだけれど)
「その髪、ペルソーネと同じ色だね。とても綺麗だ」
 ナーヴェが振り向いて話し掛けてきた。
「ありがとう存じます。あの子は、王城で無事に大臣として勤めておりますでしょうか」
 ジラソーレは、母として常々気になっていたことを問うてみる。
「これと思ったことについては、少々頑固な子ですので、皆様から疎まれてはいまいかと心配なのです」
「確かに、そういうところはあるよね」
 王の宝は、面白そうに笑った。随分と気さくにペルソーネと付き合っている様子だ。
「でも、彼女のそういうところは大切だよ。何の主張も拘りもない大臣を、アッズーロは認めないからね。大臣はみんな、多かれ少なかれ、頑固者ばかりさ。でも、だからこそ、考えをぶつけ合って、今回のような難問に対しても、いい解決策が浮かぶんだ。アッズーロ一人では、そうはいかないから、とても助かっているよ」
 しみじみと褒められて、ジラソーレは心が温まるのを感じた。
 庭園を横切って玄関まで行くと、女官達が恭しく頭を下げて王妃とジラソーレとを迎えた。
「ただいま、フィオーレ、ミエーレ」
 先に声を掛けた王妃に、栗毛の女官が笑顔で応じた。
「お帰りなさいませ、ナーヴェ様。お元気そうで何よりでございます。テゾーロ様は、寝室でラディーチェ、ポンテとともにお待ちでございます」
「分かった。ありがとう。それで、こっちのカテーナ・ディ・モンターニェ侯妻ジラソーレなんだけれど、夫のカテーナ・ディ・モンターニェ侯ティンブロと一緒に休める部屋を、どこか用意してあげてくれないかな」
「畏まりました。客間の一つへ御案内致します。どうぞ、こちらへ」
 栗毛の女官はジラソーレに微笑み掛けると、先に立って廊下を歩き始めた。
「なら、また後で」
 手を振る王妃に一礼して、ジラソーレは栗毛の女官について行った。
「どうぞ、こちらでございます」
 案内された先は、王城の一階の端にある客間だった。普段から整えられているらしく、寝台などもそのまま使える状態だ。
「ありがとう」
 礼を述べて、ジラソーレは部屋へ入った。
「のちほど、お着換えなどお持ち致します」
 栗毛の女官は感じよく告げて一礼し、外から扉を閉めた。
 ジラソーレは二つある寝台の片方に腰掛け、深い溜め息をつく。正直、疲れた。怒涛の一日だった。
(でも、皆無事で侯城から脱出できてよかった……)
 娘のペルソーネも働いている王城には、安心感がある。ジラソーレは長衣の上に羽織っていた上着を脱いで手近な椅子に掛け、革靴も脱いで寝台に足を上げ、横になった。暫くうたた寝するくらいは許されるだろうか。思う内に目が閉じて、ジラソーレは泥沼に沈むように眠りに落ちた。


「ラディーチェ、ポンテ、ただいま。テゾーロ、元気にしていたかい?」
 ナーヴェはミエーレとともに寝室へ入りながら、そこにいる全員へ心からの笑顔を向けた。
「お帰りなさいませ、ナーヴェ様。お健やかな御様子に安堵致しました」
 ポンテが満面に笑みを湛え歩み寄ってきて、腕に抱いていたテゾーロをナーヴェに抱き渡してくれる。その背後で、インピアントを腕に抱いたラディーチェが、微笑んで頭を下げた。
 抱き取ったテゾーロの体重は、七日間でまた増えたようだ。
「ただいま、テゾーロ。傍にあんまりいない母上の顔なんて、忘れてしまったかな……」
 寂しく呟いたナーヴェに、可愛らしい両手を伸ばし、テゾーロは青い髪を掴む。
「きみも、父上と同じで、この作り物の髪が好きなんだね……」
 無垢な表情で髪を引っ張る赤子に苦笑しつつ、ナーヴェは自らの寝台へ行って腰掛けた。左腕でテゾーロの体を支えたまま、右手で胸紐を解き、胸当てをはだけて肌を出す。両手でテゾーロを抱き直して、その口元に、膨らみのない胸の突起の一つを触れさせると、幼い息子は素直に乳を吸い始めた。久し振りの授乳だ。けれどこの乳も、またいつ出なくなるか分からない。体調は、まだまだ万全とは言い難い――。
 やがて乳を飲み終えたテゾーロは、ナーヴェの腕の中で、すやすやと寝息を立てて眠ってしまった。愛らしい寝顔を見つめたまま、ナーヴェは静かに立ち上がって、寝台脇の揺り篭へ、テゾーロを寝かせる。弛んだ幼い両手から、青い髪を抜き取り、あどけない顔の額に軽く口付けて、ナーヴェは室内の手洗いへ行ってから、寝台へ戻った。すぐにポンテが寄ってきて、布靴を脱がしてくれる。同時に、ミエーレが、水を入れた手桶と手巾を持ってきてくれたので、ナーヴェは顔を洗った。
「ありがとう。アッズーロが戻ってくるまで、ちょっと寝させて貰うよ」
 ナーヴェは女官達に断って、寝台に横になり、掛布を被る。頭が重い。体も重い。肉体は、やはり扱いが難しい。ナーヴェは溜め息をついて目を閉じた。


 とりあえずの結論を得て会議を終え、大臣達に見送られて廊下へ出たアッズーロは、そこに憔悴した様子のフィオーレを見て、表情を険しくした。
「陛下、ナーヴェ様が」
 フィオーレの言葉を皆まで聞かず、アッズーロは寝室へと走る。後について走ってきながら、フィオーレが告げた。
「ナーヴェ様はお休みなっておられるのですが、随分とお熱が高く……。このようなことは初めてですので、すぐに陛下にお知らせしようとしたのですが、ナーヴェ様が、会議が終わるまでは絶対に知らせてはいけないと、それは強く仰いましたので……」
「そのような戯れ言は聞かずともよい!」
 苛立ちそのままに怒鳴って、アッズーロは寝室に駆け込んだ。足音を落として寝台に走り寄り、妃の顔を見る。いつもは白い頬が、紅潮している。目を閉じているが、熟睡している訳ではなく、表情が苦しげだ。そっと指先で頬に触れると、青い睫毛を揺らして、ナーヴェは、うっすらと目を開けた。
「……ごめん。また、心配掛けて……」
 呟くように謝って、妃はアッズーロの手に頬をすり寄せると、すぐにまた目を閉じてしまった。その頬が、明らかに熱い。アッズーロは顔をしかめて言った。
「詫びねばならんのは、われのほうだ。そなたの体調が万全ではないのを知りながら、いろいろと無理をさせた。すまん」
「……全部必要なことだったんだから、仕方ないよ」
 優しい声で、ナーヴェはアッズーロを慰める。
「極小機械だけでは、常在細菌や常在亜生物種に対処できなくなって、少し体温を上げているだけだから、大丈夫……」
 何が「大丈夫」なのか、よく分からない説明をして、ナーヴェは黙ってしまった。余ほどつらいのだろう。
 アッズーロは顔を上げて、ついて来たフィオーレとその場にいたミエーレに問うた。
「水分は、充分に摂らせておるか?」
「はい。お休みの合間に林檎果汁を飲んで頂いております」
 ミエーレが生真面目な顔で答えた。フィオーレも頷いている。
「では、このまま寝かせていよ。傍には、必ず誰か一人は付いておけ」
 アッズーロは命じて、ナーヴェの汗ばんだ額に軽く口付けると、執務室へ行った。レーニョが控えている執務室の机上には、報告書が溜まっている。ずっとナーヴェの傍らにいたいのは山々だが、王としての責務を放棄すれば、当のナーヴェを落ち込ませることにもなる。まずは夕食の仕度が調うまで、報告書に没頭しなければならない。
(自分がわれの足を引っ張らぬか、すぐに気にするからな、そなたは……)
 全く、でき過ぎた妃だ。
 アッズーロは執務机に着くと、箱の中に積まれた報告書の一番上の一枚を手に取った。
 特に急ぎの報せは、早馬に乗ってきた使者や間諜が、まず口頭で伝えてくるが、それ以外は、全て報告書の形で提出される。アッズーロが不在にしていた間は、留守居のモッルスコが報告書を読んで裁いていた。その間のことについては、会議中に報告を受けている。会議で今後の方針を決める際にも、それらの情報を幾つか参考にした。
「パルーデめ、テッラ・ロッサから援軍を迎えるなら、レ・ゾーネ・ウーミデ侯領を通して、しかも物資を補給してもよいと言うてきた」
 一枚目の報告書の内容を、皮肉な口調で告げたアッズーロに、レーニョは考え込む表情で応じた。
「最近、随分と協力的でいらっしゃいますが、あの方とテッラ・ロッサとの繋がりについては、未だ疑惑が拭えないかと思います」
「繋がりは確実にある」
 アッズーロは断言する。
「ただ、それがわれらにとって有利に働くか、不利に働くかだ」
「今回は、どちらに働くと思われますか」
 レーニョは静かにアッズーロを見つめて尋ねてきた。普段は遜っている癖に、こういう時だけ幼馴染みとしての強さを発揮してくる。
「そうだな。ロッソは今回、わが国への侵略は考えておらん様子だった。わが妃と繋がりのあるシーワン・チー・チュアンという厄介な存在について知識を深めた所為もあろう。だが、その臣下どもの考えは恐らく異なる。それがパルーデにも影響せんとも限らん」
「つまり、不利に働く、と」
「そう考えて動いておいたほうがよかろう。パルーデに気を許すつもりはない」
「畏まりました」
 レーニョは一礼し、アッズーロが差し出したその報告書を受け取った。報告書は、アッズーロの指示を受けた侍従達が保管し、命令を伝達する際に用いるのだ。破棄する時には、必ずアッズーロの許可を求めてくる。
 アッズーロは報告書の次の一枚を箱から取った。
「ピアット・ディ・マレーア侯領に、既にカテーナ・ディ・モンターニェ侯領から避難民が流れてきているようだ。やはり、誰も彼もが反乱民どもの主張に賛成しておる訳ではなさそうだな」
「それはそうでございましょう」
 レーニョが苦い顔で相槌を打つ。
「陛下の内政に、特に指摘すべき問題点はないのですから」
「おまえは身贔屓でわれに甘いゆえ話半分に聞くとして、モッルスコやビアンコからも特に指摘がないからには、やはり、ナーヴェ関係のことが反乱民どもにとって最も納得し難いことなのであろうな」
「その辺りのことについては、説明さえすれば、民も理解できるのではないかと……」
「いや、分からぬであろう」
 アッズーロは、オンブレッロからの報告書をレーニョに手渡しながら、あっさりと否定し、笑う。
「何しろ、われでさえ、ナーヴェの説明の半分は理解できぬからな」
「しかし、それでは……」
「結論は会議で得た通りだ。ヴァッレとペルソーネ、それで足りねば、伯母上にも、反乱民どもへの説得に当たって頂く。軍を動かすは、最後の最後だ」
「仰せのままに」
 レーニョが複雑な表情で一礼した時、寝室からフィオーレが控えめに入ってきた。
「陛下、夕食のお仕度が調いましてございます」
「分かった」
 アッズーロはすぐに席を立つ。
「残りの報告書は夕食の後だ。おまえも食事を取ってくるがよい」
「畏まりました」
 レーニョは再度一礼して、廊下へと出ていった。
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