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第十二章 相まみえる 一

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     一

 話は上手く逸らすことができた。基本的に素直に何でも話してしまうので、つい要らぬ情報まで開示してしまいそうになるが、我ながら、会話の進め方や演技に、随分と熟達してきたように感じる。
(嘘は、まだ上手につけないけれど、不必要な情報に触れさせないだけで、充分だね……)
 ナーヴェは、窓から差し込む月明かりの中、傍らで眠るアッズーロの顔を眺めた。子どもの頃の面影を残した寝顔は、起きている時の表情豊かな顔とはまた違って、ただ可愛い。
(きみは、その時になったら怒るだろうけれど、これは仕方のないことだから)
 交渉材料は、最大限活用しなければならない。
(悪ければ、この体は解剖されるだろうし、よくても、生殖能力について検査されるだろう。どっちにしても、きみは嫌がるだろうからね……)
 ゆえに、咄嗟に、悋気を起こした振りをして、話を逸らした。アッズーロの喜びようを見れば、これからもちょくちょく、嫉妬はして見せたほうがいいかもしれない。単純な言葉上の嘘をつくことは未だ難しいが、相手の感情を慮って演じることは、最近寧ろ得意である。
(後は、ロッソに気づかれないようにしないと……)
 ロッソ三世は、アッズーロと同じように理解が早く、アッズーロ以上に疑い深い。ナーヴェに対しても、特別な感情を懐いていない分、話を逸らしにくい。
(彼とは、あんまり話さないのが、一番かな……)
 ナーヴェは密やかに嘆息して、アッズーロの肩にそっと頭を寄せ、目を閉じた。


 テッラ・ロッサへの出立当日、ナーヴェの体調は随分とよくなっていたが、アッズーロは、自由な立ち歩きを許さなかった。
「そなたは、われが抱いて運ぶ。勝手に立ち歩くでない」
 朝、寝室を出る際に命じられて、ナーヴェは苦笑した。
「分かったよ。でも、きみの注文通り、少し重くなっているよ? 大丈夫かい?」
「まだまだ骨と皮ばかりの体をしておる癖に、よう言うわ」
 アッズーロは鼻を鳴らして、軽々とナーヴェを抱き上げると、廊下を歩き、階段を下りて王城の玄関へ出た。後ろから、レーニョとフィオーレ、ガット、テゾーロを抱いたポンテとインピアントを抱いたラディーチェが、見送りのためについて来る。他に、外務担当大臣ヴァッレと工業担当大臣ディアマンテ、そしてアッズーロ不在の間の政務を任された財務担当大臣モッルスコが見送りに来ていた。
 玄関には、四頭立ての馬車が待っていた。使節団の時の二頭立てより大型化しており、扉も横ではなく後ろにある。前回の使節団は六名だったが、今回の訪問団は、アッズーロ、ナーヴェ、ペルソーネ、ムーロ、ジョールノ、バーゼ、ルーチェ、ボルド、更に再びパルーデから借り受けたノッテの九名だからだろう。
「では、行ってくる。留守を頼んだぞ」
 アッズーロがモッルスコ達を振り向いて言い、団員達は馬車に乗り込んだ。最初の御者はルーチェだ。四頭立ての馬車の座席は、二頭立てとは異なっており、御者台を横に見る形で、左右の窓を背に、向かい合わせになっている。アッズーロは、ナーヴェを御者側の端に座らせ、自らはその隣に腰掛けた。居眠りし易いようにという配慮だろう。アッズーロの隣にはムーロが腰掛け、その向こうにバーゼが座る。ナーヴェの向かいにはペルソーネが腰掛け、その隣にジョールノ、更に隣にボルド、最後にノッテが座った。
「では、出発致します」
 御者台からルーチェが言い、馬車が走り出した。ごとごとと揺れ始めた馬車の中で、ナーヴェは、扉前に座った少女二人に笑顔を向けた。
「バーゼもノッテも、久し振りだね。元気そうで何よりだよ」
「ナーヴェ様も、少しお元気になられた御様子で、安堵致しました」
 バーゼが胸に手を当て、穏やかに答えた。
「お陰様で、元気にさせて頂いております。小惑星から守って頂き、本当にありがとうございました」
 ノッテは物堅い仕草で頭を下げた。
 工作員である二人は、どちらも黒髪だが、雰囲気は全く異なる。バーゼは癖のない長い黒髪を背中でゆったりと編み、透き通るような白い肌を持ち、全体的に柔らかな印象だが、ノッテは癖のある黒髪を襟足で切り揃え、艶やかな黒い肌を持ち、隙のない身ごなしだ。
「ノッテ、サーレも元気にしているかな?」
 ナーヴェの問いに、ノッテは生真面目な顔で頷いた。
「はい。傷もすっかり癒え、主人に誠心誠意お仕えしております。王妃殿下のことも、常々御心配申し上げているようでございます」
「そう。また会いたいな……」
「では、そのように、主人に申し伝えます」
 硬い口調で、ノッテは請け負った。
「ありがとう」
 ナーヴェは礼を述べて、ペルソーネとジョールノに視線を転じた。
「ペルソーネもジョールノも、また忙しくさせてごめん。こんなことばかりしていたら、結婚式の日取りが、全然決められないよね……」
 ずっと気に懸かっていたことを詫びると、ジョールノは笑顔で、ペルソーネは恥じらったように、ともに首を横に振った。
「ナーヴェ様、御心配なさらず。国のために働くことこそ、わたくしの本望でございます」
 ペルソーネがきっぱりと述べた信念に、ジョールノが不敵な笑みを浮かべて付け加えた。
「まあ、一緒にいられれば、別にどこでも構いませんよ。これも、少々はらはらする新婚旅行だと思えば、何ということは……」
 ペルソーネが、肘で思い切りジョールノを小突いて発言を中断させた。仲睦まじく付き合っているようだ。
「……はい。二人で、誠心誠意、此度のテッラ・ロッサ訪問が上首尾に終わりますよう、お仕えさせて頂きます」
 ジョールノは苦笑して言い直した。
「ありがとう。頼りにしているよ」
 ナーヴェは微笑んで、軍務担当大臣ムーロへ目を向けた。癖のある黒髪を短く刈り、艶やかな黒い肌と黒い瞳をした青年は、背筋を正して座席に腰掛けている。アッズーロの隣なので、一際緊張もしているのだろう。
「ムーロも頼りにしているよ」
 声を掛けると、若き軍務担当大臣は、ぎこちなく振り向いた。
「はっ。光栄であります」
「――あんまり、緊張し過ぎないで。ボルド、テッラ・ロッサ王国の軍務担当は、誰なのかな?」
 話を振ると、急だったにも関わらず、栗毛の少年はすらすらと名を挙げた。
「軍自体は、ロッソ三世陛下が統括しておられます。その下に、将軍達がおられますが、筆頭将軍は、オンダ伯エゼルチト様です」
「聞いたことがある名です」
 ムーロが応じる。
「武勇にも知略にも秀でた将軍であると、わが配下のファルコが申しておりました」
 ファルコはオリッゾンテ・ブルの最古参の将軍である。
「へえ、それは会うのが楽しみだね」
 ナーヴェが相槌を打つと、ムーロは少しばかり表情を和らげた。
「ふむ。軍事交流というものも、ありかもしれんな」
 アッズーロが顎に手を当て、口を挟んできた。
「ぼくは最初から、そういう思惑を持っているよ」
 ナーヴェは悪戯っぽく告げると、小さく欠伸をした。肉体が、睡眠を要求している。
「アッズーロ、ちょっと寝るから、何かあったら起こして」
 頼んだナーヴェを、アッズーロは険しい眼差しで見下ろした。
「まさか、人工衛星に接続するのではあるまいな?」
 ナーヴェは肩を竦めた。
「もうしないって約束したよ? 大丈夫、本当にただ寝るだけだよ」
「ならばよい」
 許可を得られたので、ナーヴェが御者台側の壁に凭れて寝ようとすると、アッズーロの手にぐいと引き寄せられた。
「わが膝を使うがよい」
「でも、横になるには少し狭いよ?」
 ナーヴェが指摘すると、アッズーロは軽く眉を上げた。
「問題ない。両膝を使うがよい」
 確かに、そうすれば場所は取らない。
「分かったよ」
 ナーヴェはアッズーロの両膝の上に、伏せるようにして上半身を横たえ、目を閉じた。すかさず、アッズーロの手が頭を撫でて、髪を梳く。どうやら、髪が触りたかったらしい。
(ぼくも気持ちがいいから、いいけれど)
 ナーヴェはくすりと笑って、眠りに落ちた。


 青年王は、飽くことなく、膝に横たわらせた王妃の長く青い髪を弄っている。撫でたり梳いたり、時に指に絡めたり、見ているほうが恥ずかしくなるほどの執着だ。王妃は、安心し切ったあどけない寝顔で、その青年王に上半身を預けている。日頃の二人の関係が偲ばれようというものだ。
(本当に、ナーヴェ様が御無事でよかった……)
 ジョールノは頬を弛めた。小惑星を迎え撃った後は、失われてしまうと、自他ともに思っていた王の宝。それが、どういう奇跡か、今も王の傍らに在る。詳細は知らされていないが、その理由は、今回のテッラ・ロッサ訪問にも関連しているらしい。
(何にせよ、ナーヴェ様には、これからもずっと御無事でいて頂かねばな……)
 この青い髪の宝がいなくなってしまえば、青年王の心の安定が危うい。真っ向から意見できるのは、従姉のヴァッレ以外はペルソーネかモッルスコくらいになってしまうだろう――。
(しかし、ナーヴェ様が寝てしまわれると、途端に会話が途切れるな……)
 ジョールノは目だけを動かして、さっと馬車の中を見回した。皆、黙りこくって、国王の手前、眠る訳にもいかず、ただ座っている。
(仕方ない。ここは、わたしが)
 ジョールノは沈黙を破って口を開いた。
「陛下は今回、何ゆえ、御自らテッラ・ロッサへ赴かれるのですか」
 アッズーロは妃を見下ろしていた目を上げ、にっと笑った。
「そうさな。ロッソの奴に、直接文句を言うてやりたくなったから、というところか」
「『文句』、でございますか」
「当たり前であろう」
 アッズーロは、膝で眠る妃へと再び視線を落とし、その頭から肩へと青い髪を撫でる。
「あの男は、わが妃を幾度も苦しめた。文句の一つも言わねば、気が収まらん」
「それは、そうでございましょうが、始めから喧嘩腰では、まとまる話もまとまらなくなります……」
 ジョールノが控えめに進言すると、青年王は鼻を鳴らした。
「そうであろうな。ゆえに、われが文句を言い始めた瞬間、この宝が、われを止めるであろう。おまえが案ずるには及ばん」
 ジョールノは目を瞬いた。自分は今、盛大な惚気を聞かされているらしい。
「分かりました……」
 毒気を抜かれて、ジョールノは微苦笑した。ふと、傍らのペルソーネと目が合う。ペルソーネは、いつもの真面目な表情を崩して、僅かに肩を竦めて見せた。とても可愛らしい。
(二人きりだったら……)
 微かに嘆息して、ジョールノは馬車の窓の外を見た。初夏の月二十四の日、青空と若葉が鮮やかな風景だ。左右の街並みには、まだ崩れの目立つ建物もあるが、職人達が足場を組んだりなどして、順調に復興中だ。
「テッラ・ロッサから戻ってくる頃には、更に復興が進んでいるとよいですね」
 ジョールノがぽつりと言うと、アッズーロが低い声で応じた。
「充分に急がせておる。崩れた建物を見るたび、この宝が、自分の所為だと、沈んだ顔をするゆえな」
「降ってくる星を迎え撃つため、ナーヴェ様の本体が発進し、建物が崩れるのは仕方なかったこと。それでも、ナーヴェ様は気に病まれているのですか」
「こやつは、己以外の全てが大切ゆえな」
 溜め息混じりに、青年王は言う。
「全く、博愛主義にもほどがあるわ」
「……そうは仰らないで下さい」
 ジョールノは、思わず反論してしまった。脳裏には、寂しく愚痴を言っていた王の宝の姿が蘇っていた。
「以前、妃殿下が零していらっしゃいました。自分はもともと、ただひたすら便利であるように造られた、と。けれど、人によっては、全体主義で博愛主義であるその性格を、面倒だと言う人もいた、と。陛下も、近頃は、物足りなく思っていらっしゃる節がある、と。そのようなことは、ございませんよね……?」
「『物足りなく』ではない」
 アッズーロは、青い髪の少女を見下ろしたまま答える。
「こやつは、徹底した博愛主義を己に課しておるからこそ、愛おしいのだ。物足りなく思うておるのではない。歯痒く思うておるのだ。歯痒いのだ、こやつを見ておるとな。もっと己の感情に素直になれ、己を大切にせよ、と叱りつけたくなる」
「……そこは、お手柔らかに……」
 何とか相槌を打って、ジョールノは笑顔のまま黙った。馬車の中は珍妙な雰囲気に包まれてしまっている。これ以上、青年王に王妃について語らせると、当てられ過ぎて、誰かが奇天烈なことを口走ってしまいそうだった。
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