霊犬 早太郎伝説

多那可勝名利

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ドッグ・フードの皿を舐めるように平らげたマロは、図々しくもおかわりを要求するように洋介達に向かって
「ワン」とひと鳴きした。

「はいはい。今日はがんばったからね。ご褒美よ」

 みゆきはそう云いながら、家に戻ってくる途中に先ほど寄ったペット・ショップで買ったばかりの半生タイプの高級ドッグ・フードを惜しげも無く皿に盛った。

「ああっ、そんなに。高けえんだぞそれ」

 勘定に際して他のドッグ・フードのほぼ倍であることを確認済みであった洋介は少しばかり狼狽えた。

「ケチケチしなさんな。誰のお陰で助かったと思ってんの。アンタあのままだときっと取り殺されてたよ」

「けっ、んな訳ねえだろ。何も感じねえのに、どうやって殺すんだよ。実際、苦しくもなんともなかったぞ。第一視えねえんだからよ」

 咄嗟にそう返すと、みゆきも思い直したように天井を見上げながら云った。

「ん? あっ、そうなのかな。視えないと影響しないのかぁ。でも……」

 だがみゆきには敢えて云わなかったが、洋介は確実に〈それ〉を理解していたのである。

つまりいくら悪霊といえど視えないうちはきっと影響しないのだ。

なぜならあの時、マロの背に触れた瞬間、確かに洋介は自らの身体に巻き付く首長オヤジの存在を感じたからだ。逆にマロから手を離すと途端に何も感じなくなった。
が、しかし再度触れることによって視えた瞬間、確かな圧力を感じた。

もしもあのまま締め付けられていたら、と考えると思わず身震いした。

「ま、まあいいじゃねえか。そんなことより、コイツだよ問題は」

 洋介は話題をマロへと変えた。

「何が問題なのよ。私ちゃんと云ったでしょ。この子には〈早太郎様〉が守護霊としてついてらっしゃるって」

「なんだあ、お前。いつの間にか〈様〉がついてるじゃねえか」

「そ、そりゃあ、あんなお姿視たらやっぱり……ねえ」

 みゆきは少し頬を赤くしてマロに視線を向けた。マロは分かっているのか、いないのか嬉しそうに尻尾を振っている。

「アレって、やっぱり退治したんだよなあ」

 洋介はあの首長オヤジの最期の表情がどうにも気に掛かっていた。

「うーん。確信は持てないけど、たぶん退治って云うよりも、漸く成仏したように思えるんだけど……。なんかさ、あの瞬間部屋全体を包んでいた邪気のようなものが、すうっと消えていったのよねぇ」

 みゆきはそう云いながら、同調を求めるようにマロの頭を撫でた。

「ワン!」

「そう、やっぱりね」

 この時は、みゆきのみならず本当にそうだとマロが云ったように洋介も感じた。

「まあ、ホントにそうだとしたら、こりゃあ最高だぜ」

 洋介が思わずそう零すと、すかさずみゆきの表情が固くなった。

「アンタ、又変な金儲けとか考えてんじゃないでしょうね」

「えっ、んな訳ねえだろ……」

とすぐに否定したものの実はその通りであった。
洋介は自分でも自覚しているほどに、金に対して執着心が強い。

勿論それは生まれ持っていたものではなく、物心ついてごく自然な形で自分が、みゆきとは兄妹ではなく優しい両親が本当の親でないと知ってから段々と身についていったようである。

洋介にとって育ての親であるみゆきの両親と、兄妹同然に育ったみゆきの優しさに触れるたび、逆に早く自立して少しでも負担を掛けまいとする気持ちが強くなっていったのだ。

それは遠慮にも似た思いであったが、適当な表現は見つからなかったし、とにかく先立つものが必要だと常々考えてばかりいたのである。

「ふうん。もしかして、曰く付きの物件のお祓いにマロを使って、お金でも取ろうなんて考えてんじゃないの」

「なっ、んな訳ねえし。つーかお前、霊能者かよ」

「そうよ。半分だけどね」

「あっ、そうか確かに」

図星であった。洋介は厄介な物件、つまり悪霊なんかが取り憑いていて、いっこうに入居者が定着しない不動産のオーナーに、お祓いを持ちかけるつもりでいたのである。勿論、料金は格安で……。

「まあ、犬がやるんだから安くねえとな……」

「えっ? 何か云った」

「い、いや。別になんも。とにかくコイツの世話は当分オレがやるからよ。心配いらねえよ」

みゆきはかなり怪訝な表情であったが、

「ワン!」

 とマロが吠えた……というか応えたことにより、「ま、この子がそう云うんなら」と微妙な納得の仕方をした。

      ※

 みゆきが幼馴染みの洋介に、保護した特別な能力をもつ犬〈マロ〉を預けてから、一週間が過ぎた。

『そう、じゃあホントに変なことにあの子を使ったりしてないでしょうね。……うん、わかった。じゃああとで顔出すからお願いね』

 みゆきは携帯を切って、ふうっと小さく息を吐いた。

洋介たちのことが気に掛かるものの、ここ二日ほどアパートに寄る暇もなかったのである。時折、時間を見つけては携帯で電話をしてはいるものの、洋介はいつもの通り生返事ばかりで余計心配になるだけであった。

みゆきは携帯電話を鞄にしまうと、〈愛犬・愛猫保護センター〉と書かれた看板の下をくぐって敷地へと入った。

敷地内の落ち葉もすっかり片付いており、いよいよ本格的な冬の到来を感じながら、少し背を丸めた。

「あら、みゆきちゃん。今日は出勤の日だったっけ?」

 丁度、平屋の事務所から出てきた沙織と鉢合わせになった。彼女もみゆきと同じくボランティアで働く犬好きの大学生だ。ほっぺたがのぼせたように赤くなっていた。

「ううん。この間の出勤の時に、三匹も同時に保護したじゃない。あの子たちみんな結構衰弱してたから心配になっちゃって。特別に奮発しちゃった」

 みゆきはそう云いながら、先ほど購入した上等なドッグ・フードの入った袋を沙織に差し出した。

「ざんねーん。もうみんな里親決まったみたいで、いなくなっちゃったよー」

「えっ、うそ。三匹とも?」

「うん。そうみたい。今日私が来た時にはもういなかったしね」

「代表は?」

「代表? ああ、達彦さんならさっきちょっと用があるからって……」

 沙織は無邪気な表情でそう云うと、寒そうに手をこすり合わせた。

 みゆきは沙織の隣りをすり抜けるように、事務所の扉を開けて中へと急いだ。

 事務所の中は充分に暖房が効いている。約二十畳ほどの事務所の奥には腰高のゲージが四つ並べてある。

保護して間もない犬や猫はある程度慣れるまで、そこで世話をする決まりとなっていた。そしてやはりどのゲージの中にも犬たちの姿はなかった。

「ねえ、どうしたのみゆきちゃん。慌てて……。ね、云ったでしょ。もう誰もいないよ」

「う、うん……」

 みゆきも最近まで、沙織のように早く里親が見つかってよかったと、無邪気に喜んでいたのだが、今回は少し事情が違う。

「ねえ、ほんとどうしたの? 顔色が悪いよ」

 心配そうに覗き込んでくる沙織に、愛想笑いで応えるのが精一杯であった。

(おかしい……ぜったい)

 みゆきはそう思いながら、空になった一番左端のゲージをじっと見つめた。そのゲージに引き取ってきたばかりの三匹のうちである茶色のロングコート・チワワを入れたのは他ならぬみゆきであった。

 その雌のチワワは、他の二匹に比べても随分と汚れていた。こういった施設に引き取られてくる犬や猫に、ペットショップで見かけるような綺麗な状態の個体は少ない。

おしなべていつ風呂に入れて貰ったのか分からないようなものが殆どなのだが、そのチワワはその中にあっても一段と薄汚れていた。
というのも下半身が明らかに麻痺している状態であり、満足に歩行することが出来ないのは勿論のこと、排便や排尿も自らの意思ではままならぬようで、垂れ流しの状態だったからである。

 みゆきはそのチワワを一見して、ヘルニアを患っているのだと分かった。

 犬のヘルニアは人間のそれとは違い、症状がかなり重くなると下半身不随にまでなってしまうものも少なくない。チワワやダックスフントなどの小型犬が患うケースが多かった。

「沙織ちゃん、ここに入れてたチワワのコ……見た?」

「うん。きっとあのコってヘルニアよね。ウチで昔飼ってたダックスがそうだったから……」

 沙織は昔を思い出したようで途端に表情が暗くなった。

「うん。私もそうだと思うんだ。だから……」

 だから、そうそう簡単に里親など見つかるはずがない、という言葉をみゆきは呑み込んだ。

きっと沙織の昔飼っていたダックスに対する愛情が、たとえ半身不随になろうとも変わるはずがないと思ったからである。だが、初めて飼う場合にはどうだろうか。みゆきには分からなかった。

「ねえ、みゆきちゃん。この前のダックスちゃんはどう?」

 沙織が気遣うように話題を変えた。

「えっ? あの子? うん。すっごい元気よ。今知り合いに預かって貰ってるんだけど、全然人見知りもしないの」
「へえ。そうなんだ。でも、あの子って、ほら特別なんでしょ?」

 沙織の目が輝いた。

「うん。絶対に〈早太郎〉の守護霊様がついてるよ」

「うわあ、すごい、すごい。いいなあ、みゆきちゃん。私も視えたらなあ」

沙織はオカルトの類いに目がないほうで、みゆきも彼女に対しては、自らのチカラを隠したりする必要もなかった。

「人間の守護霊様と違って、はっきりとしたお姿じゃないから断言は出来ないんだけど、あの高貴な雰囲気はきっと霊犬と呼ばれた〈早太郎〉様に違いないわ」

「へえ、みゆきちゃんがそう云うんならきっとそうに違いないよ。でもすごいよね。あの昔話に出てくる〈早太郎〉が守護してるなんて……。たしか悪い大猿の化け物を退治したのよね」

「うん。きっと何か縁があるのよ。それに歴史上の人物が守護霊につくことだってあるからそんなに珍しいことじゃないのよ」

「じゃあさ、中国の歴史上の人物や神話に出てくる怪物なんかも可能性あんのかな?」

「さあ、怪物はどうかもだけど、歴史上の人物ならきっと……」

 みゆきはぐいぐいとくる沙織に少し戸惑いながら答えた。彼女は大学で中国文学を勉強しているらしく日本のそれよりも随分と詳しかった。

「あのね。中国の昔話に〈補江総白猿伝〉(ほこうそうはくえんでん)って云うのがあるんだけど、それに出てくる白い猿の化け物なんかは、逆に犬が大好物で手当たり次第食べちゃうんだよお」

「ええーっ、なんかグロい。っていうか、やっぱ犬猿の仲って云うくらいだから結局はそうなっちゃうんだろうねぇ……」

 みゆきはいつの間にか、ヘルニアを患ったチワワのことを忘れて、沙織とオカルト談義に夢中となった。

      ※

『ああ、わかったって。心配ねえよ、ほんと。ああ、うん。わかったよ』

 洋介はみゆきからの電話を半ば強引に終了すると、大きく息を吐いた。流石に朝から何度もチェックの電話が入ると、仕事にもならない。

「ワン!」

 マロが急かすように、ひと鳴きした。

「ああ、すまんすまん」

 洋介はそう云いながら、袋から取り出した犬用の高級ビーフジャーキーを鼻先に近づけてやった。マロはすかさずそれにかぶりつくと一瞬にして平らげてしまった。

「おいおい。早えぇよ、ちっとは味わえってんだ。まっいっか、んじゃあ次の物件いくか」

 洋介はそう云いながら、元、曰く付きのワンルームマンションに鍵を掛けた。「もと」と云うのは、今日から曰くの原因となったモノがいなくなったからに他ならない。

そう洋介はみゆきの忠告など何処吹く風で、ちゃっかりとマロに仕事をさせていたのである。勿論、報酬は高級ビーフジャーキーだ。

「まあ、高級って云ってもたかが犬のエサだしな」

 ついそう軽口が出るほどに手応えを感じていた。

 ここ二日ほどで、マロに霊視させた物件は自社所有も含めて八件にも及んでいた。

そしてその内の六件で、視たのである。勿論洋介は通常では全く霊の存在など気づかないのだが、例によってマロに触れることにより、途端に視えたのである。

様々な状態の霊達であったが、その殆どが地縛霊であり、即ち死んだ時と同じ状態のままそこにいた。

 ある者はドアノブにひもをかけて首を吊ったままの状態であり、またある者は、腹に包丁を突き立てたままの状態であった。飛び降り自殺をした者の物件では、未だに何度もベランダから落ちては叫び、また落ちては叫ぶといった堂々巡りを繰り返していた。

 これには流石の洋介もほとほと衰弱しそうなくらいに参ってしまったのだが、その気持ちを察してかどうかは分からないが、その悲惨な状態に遭遇する度にマロから奴が現れたのである。

 早太郎――。真っ白い煙のような、または霧のような不確かなものに包まれて姿を現すも、はっきりとその全体は見えず、おおよそ輪郭だけが大型の犬である。

 その犬の形をした煙の塊は、もの凄い早さでその霊達にぶつかる。

まるで頭から食らわんばかりに包み込むと、その瞬間霊達は決まって下から蒸発するように霧散してゆくのである。

「なあ、お前ってほんとにあの〈早太郎〉なのかよ」

 何度目かの除霊(やはり洋介も幾度となく安らかに散る霊達を視てそう認識した)のあと、洋介はマロを自分の目の高さまで持ち上げそう訊ねた。

勿論それに対してマロはタイミングよく「ワン」と吠えるだけなのだが、なんとなく洋介にも「そうだ」と云っているように思えた。

「ふうん、そうか……。まあ、そんなのはどっちでもいいや。おめえのお陰で悪霊たちも無事成仏できてるみてえだし、何よりこれからは何にも出る心配がないんだから、大家達も安心てもんだ……」

 勿論オレも小遣い稼ぎできるしな、と云う言葉はなんとなくマロの前では控え呑み込んだ。

「さあ、今日はこれで終いだ。あとでみゆきのやつが来るって云ってたからバレねえうちに早いとこ帰ろうぜ」

「ワン」

 マロは相変わらず小さな尻尾をぱたぱたと振りながらタイミングよく吠えた。

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