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文彦の刻1
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一九八五年――
世間を散々に騒がせた『グリコ森永事件』は突然の終息を迎えた。
滋賀県警本部長が、犯人との身代金の受け渡しに於いて、不審車両を取り逃がすという失態の責任を取るために、自らの退職の日をもって焼身自殺を遂げたのだが、その直後に犯人である〈かい人21面相〉より、突如として終息宣言なるものが出されたのである。
それまで〈江崎グリコ〉、〈森永〉など阪神間に本社を置く大手食品会社数社に対して、商品に青酸入り毒物を混入したと犯人より脅迫があり、実際に犯人はスーパーなどに並べてあるターゲットとされたメーカーの商品の中に「どくいり きけん たべたら しぬで」とのメッセージが書かれたものを混入させた。
そして中からはその通り、青酸ソーダ―が検出された。
その後、幾度かの金の受け渡しを試みたが、実際に犯人は金を手にしてはおらず、この滋賀県警本部長の自殺を機に香典と称して「くいもんの会社いびるの もお やめや」とのメッセージが届けられたのである。
第一章 小岩 文彦の刻
◇
「おい、文彦。なんやねんこのバフェ……なんとかっちゅう本は? 何を書いとんのかさっぱり俺には理解でけんわ。なんぞ漫画でもないんかいや」
「漫画なんかもうとうに卒業したわ。ちなみにそれ〈ウオーレン・バフェット〉やし」
僕は勝手に本棚を物色する兄の真司(しんじ)からその本をひったくって、ぱらぱらとページを捲った。
「あんな兄ちゃん、この人すごいんやで。株とかに投資をしとる人なんやけどな」
「あん? 投資や株なんちゅうもんに興味あるかいや」
兄はまだありもしない漫画を探しながらそう云った。
「チェッ、あんなぁでも、この人ってその世界では神様って呼ばれとんねんで。それに……」
僕はそう云いかけてやはり途中でやめた。
所詮どう力説したところで、ふうんと気のない返事が関の山だと感じたからだ。
七つ歳の離れた兄とは何もかもが正反対だった。
僕たちは所謂、異父兄弟なのだが、それでも半分は同じ母親の血が流れている筈なのに、容姿も性格もまるっきり違っていた。僕はどちらかと云えば小柄で、華奢な体格なのに対して兄は縦も横も大きく、その性格も実に大雑把だった。
それでも僕は自分には無いものを兄に感じ取っていて、ある意味それを頼りにもしていた。
「せやけどお前まだ中坊のくせに、ほんまジジくさいやっちゃなぁ。学校は大丈夫なんか? まさか苛められたりしてへんやろな」
兄は漫画を諦めたのか、今度はそう云いながら当たり前のように煙草に火を点けた。
「ちょっ、ちょっとやめえや。ここで喫(や)ったら親父に僕やと思われるやんか!」
僕は慌てて机の前にある窓を全開にして煙を外へと逃がした。
ちょうど二階の窓からは、隣りの工場が良く見渡せた。プレハブ造りのこの建物は、一階が事務所で二階の二部屋が従業員用の寮と仮眠室となっている。今は誰も寮生活ではないので、そのうちの一室を僕の勉強部屋として使わせて貰っていた。
「なんやあ? お前、まだ親父のことが怖いんかあ?」
兄は茶化すような口ぶりで、僕の顔を覗きこんだ。
「な、なにゆうとんねん! もう中学やのに怖い訳あれへんわ。やいやいとゆわれんのが嫌なだけや」
精一杯の強がりだった。
父は兄と比べても更にでかくて、そのうえ妙に真面目なところがある人で、僕は今でもかなりビクついていたのが本音だ。
というのも、よく兄が父からぶん殴られるのを目の当たりにしていたせいでもあった。父は母の連れ子であるからといって、兄を僕と差別するような人間では決してなかったが、その分、容赦もなかった。
兄が何年か前に勝手に高校を辞めて家出した時があったが、その時の父はすごかった。
半ばチンピラのような生活にまで落ちていた兄を無理やりに連れ戻してきたのだが、その時の兄の顔は、どこが目か鼻なのかという具合にかなり酷いものだった。僕は未だにその場面がトラウマとなっているのか、なるべく父を本気で怒らすまいと、次男特有の要領の良さでうまく立ち回っていた。
元々僕たち兄弟が育ったこの赤穂市は、兵庫県の西の外れに位置していて〈忠臣蔵〉で名前こそ全国的に有名だが、はっきり云って田舎町だ。
だが、その分都会と比べて人々の繋がりみたいなものは深いようで、兄が何か悪さをしてもすぐに父の耳に入るようになっていたから、やんちゃな兄にとっては、堪ったものではない環境だったかもしれない。けれどもそのお蔭もあってか、今ではすっかりその見かけとは裏腹に仕事だけは結構、真面目にやっているのが、
弟の僕としても嬉しい限りだった。
「兄ちゃん、まだ休憩しとってもええのんか?」
僕は小型のテレビのスイッチを点けながら時計に目をやった。そろそろ昼の一時になるところだった。
「あん? 大丈夫や。今日は材料の搬入が遅れとってな。一時半までや」
「へぇそうなんや。でもほんまによう遅れんなあ……、やっぱ韓国産はあかんのとちゃう?」
僕の父が経営する〈小岩ボトル工業〉ではペットボトルを製造している。
三年ほど前に食品衛生法が改正されたのを機に、清涼飲料水などにも用いられるようになった新しい素材の容器だ。
その材料となる『プリフォーム』と呼ばれる原料を、うちは韓国と台湾、そして中東にあるアラブ首長国連邦から輸入していた。
「まあ、あんまし質もようないのに、やっぱしアラブ産と比べると割高やしな。その辺も踏まえてこれからは、色々と考えていかなあかんやろな」
「へえびっくりやわ。兄ちゃん、結構真面目に仕事のこと考えてるやん」
つい茶化すように云ったが、かなり意外だったのは本音だ。
僕は漸く兄も落ち着いてきたように感じた。
「あほ、俺かて仕事は真面目にやっとんのやで。お前もいずれ解るようになるやろうけど、中々このボトルっちゅうのは難儀なやっちゃからな。上手い具合にこしらえるんは、結構難しいけど、案外おもろいもんなんやで。……しっかし、最近のワイドショウはこればっかしやっとんなぁ。ええ加減に飽きたわ」
兄は照れ隠しのつもりなのか、そう云ってテレビの番組に顔を向け、連日ワイドショウを賑わせている『グリコ森永事件』へと話を逸らした。
「ああこれねぇ……たぶんこの〈かい人21面相〉って捕まらんのとちゃうかな」
「なんでやねん。この『キツネ目の男』は特徴あり過ぎやんけ。こんだけ大胆に行動しとんのになんで捕まえられんのや。ほんまポリも頼りにならんで」
兄は昔、散々世話になった警察には余程嫌な思い出があるのか、心底憎々し気な口調でそう吐き捨てた。
「身代金がほんまの目的とちゃうから難しいんとちゃうかな」
「はあ? ずうっとゼニばっかし要求しとるやんけ。色んな会社に脅しかけて……」
「まあ色んな説が出てきてるけど、初めっから身代金がほんまの目的やなくてパフォーマンスやとしたら無理なんとちゃう? やっぱし一番捕まる危険が高いんて、金の受け渡しん時やんか。本気で受け取る気ィなかったら、なんぼ警察でも捕まえられんやん」
僕がそう云うと、兄は煙草を乱暴に揉み消した。
「なにゆうとんねん。うまいこといかんから何べんも要求しとるんやろ。せやからこんなにズルズルと長い間……」
「そう、そこやねん。そうやって出来るだけズルズル引き伸ばすんが目的なんよ」
話の途中でそう云うと、兄は眉尻をあげて、僕の顔を覗き込んできた。
「は? 何のためにやねん」
「そうやって標的にされた企業は、事件が長引けば長引くほど自社の株価は下がるもんや」
「なんや、結局また株かいや。よう解らんけどそれが何の得になるんや、下がってしもうたら只ほんまに苛めとるだけやないか」
「いや、そうやないねん。そうやって株が下がって、ボロ儲けしとうかもしれんわ」
「あん? どないな意味や。株っちゅうのは下がってもうたら損するだけやんけ」
兄はやれやれ、といったふうな表情に変わった。
「あのな兄ちゃん、株っちゅうのは上がっても下がっても、どっちか予測しとったほうに株価が動いたら儲けれんねんて。この場合やと〈空売り〉っちゅうて予め高値で売っといたもんが、値を下げたら安値で買い戻すんやけど、その場合やと高いもんが、下がれば下がるほど儲けはでかなんねん」
「ん? 予め売って……買い戻す……なんや、ややこしいけど、つまりは下がると予測しとって、その通りになったら儲かるっちゅうことなんか」
「まあ、そんな感じやわ。こないな事件を起こしたら、ターゲットにされた会社の株は絶対に下がるわけやから、最初に注ぎ込んだ金が何倍にもなりよるかもしれん」
兄はしばらく腕を組んで眉間に皺を寄せ黙り込んだ。
「それやな。それや! 絶対それに間違いないわ。ほやから、だらだらとやりよるんかぁ……。くそっなめとんな、キツネ目野郎が。……しっかし、ほれにしてもお前ほんまによう知っとうなぁ」
兄は思い出したように、険しかった顔を元に戻した。
「へへっ、さっきの本あったやろ。実は僕、将来あのバフェットみたいになりとうて、株の本を読みまくっとんねん」
「はあぁ、可愛げのない中坊やわぁ、ほんまに」
この時分、僕は本当に『かい人21面相』の真の目的が株価操作であると信じて疑っていなかった。
なぜなら脅迫にしろ誘拐にしろ金の受け渡しが必要である限り、その時に捕まる危険が相当に高まるからだ。
実際にこれまで日本においての誘拐事件のほぼ百パーセントが失敗に終わっていることなど、中学生の僕ですら知っていた。
僕は犯人が相当に頭が良く、またかなりの金持ちであると考えていた。
仮にそれが正しければ、なんら危ない橋を渡ることなく大金を手にすることが出来るのだ。そう、資金が多ければ多いほど、そして事件が長引けば長引くほどに……。
世間を散々に騒がせた『グリコ森永事件』は突然の終息を迎えた。
滋賀県警本部長が、犯人との身代金の受け渡しに於いて、不審車両を取り逃がすという失態の責任を取るために、自らの退職の日をもって焼身自殺を遂げたのだが、その直後に犯人である〈かい人21面相〉より、突如として終息宣言なるものが出されたのである。
それまで〈江崎グリコ〉、〈森永〉など阪神間に本社を置く大手食品会社数社に対して、商品に青酸入り毒物を混入したと犯人より脅迫があり、実際に犯人はスーパーなどに並べてあるターゲットとされたメーカーの商品の中に「どくいり きけん たべたら しぬで」とのメッセージが書かれたものを混入させた。
そして中からはその通り、青酸ソーダ―が検出された。
その後、幾度かの金の受け渡しを試みたが、実際に犯人は金を手にしてはおらず、この滋賀県警本部長の自殺を機に香典と称して「くいもんの会社いびるの もお やめや」とのメッセージが届けられたのである。
第一章 小岩 文彦の刻
◇
「おい、文彦。なんやねんこのバフェ……なんとかっちゅう本は? 何を書いとんのかさっぱり俺には理解でけんわ。なんぞ漫画でもないんかいや」
「漫画なんかもうとうに卒業したわ。ちなみにそれ〈ウオーレン・バフェット〉やし」
僕は勝手に本棚を物色する兄の真司(しんじ)からその本をひったくって、ぱらぱらとページを捲った。
「あんな兄ちゃん、この人すごいんやで。株とかに投資をしとる人なんやけどな」
「あん? 投資や株なんちゅうもんに興味あるかいや」
兄はまだありもしない漫画を探しながらそう云った。
「チェッ、あんなぁでも、この人ってその世界では神様って呼ばれとんねんで。それに……」
僕はそう云いかけてやはり途中でやめた。
所詮どう力説したところで、ふうんと気のない返事が関の山だと感じたからだ。
七つ歳の離れた兄とは何もかもが正反対だった。
僕たちは所謂、異父兄弟なのだが、それでも半分は同じ母親の血が流れている筈なのに、容姿も性格もまるっきり違っていた。僕はどちらかと云えば小柄で、華奢な体格なのに対して兄は縦も横も大きく、その性格も実に大雑把だった。
それでも僕は自分には無いものを兄に感じ取っていて、ある意味それを頼りにもしていた。
「せやけどお前まだ中坊のくせに、ほんまジジくさいやっちゃなぁ。学校は大丈夫なんか? まさか苛められたりしてへんやろな」
兄は漫画を諦めたのか、今度はそう云いながら当たり前のように煙草に火を点けた。
「ちょっ、ちょっとやめえや。ここで喫(や)ったら親父に僕やと思われるやんか!」
僕は慌てて机の前にある窓を全開にして煙を外へと逃がした。
ちょうど二階の窓からは、隣りの工場が良く見渡せた。プレハブ造りのこの建物は、一階が事務所で二階の二部屋が従業員用の寮と仮眠室となっている。今は誰も寮生活ではないので、そのうちの一室を僕の勉強部屋として使わせて貰っていた。
「なんやあ? お前、まだ親父のことが怖いんかあ?」
兄は茶化すような口ぶりで、僕の顔を覗きこんだ。
「な、なにゆうとんねん! もう中学やのに怖い訳あれへんわ。やいやいとゆわれんのが嫌なだけや」
精一杯の強がりだった。
父は兄と比べても更にでかくて、そのうえ妙に真面目なところがある人で、僕は今でもかなりビクついていたのが本音だ。
というのも、よく兄が父からぶん殴られるのを目の当たりにしていたせいでもあった。父は母の連れ子であるからといって、兄を僕と差別するような人間では決してなかったが、その分、容赦もなかった。
兄が何年か前に勝手に高校を辞めて家出した時があったが、その時の父はすごかった。
半ばチンピラのような生活にまで落ちていた兄を無理やりに連れ戻してきたのだが、その時の兄の顔は、どこが目か鼻なのかという具合にかなり酷いものだった。僕は未だにその場面がトラウマとなっているのか、なるべく父を本気で怒らすまいと、次男特有の要領の良さでうまく立ち回っていた。
元々僕たち兄弟が育ったこの赤穂市は、兵庫県の西の外れに位置していて〈忠臣蔵〉で名前こそ全国的に有名だが、はっきり云って田舎町だ。
だが、その分都会と比べて人々の繋がりみたいなものは深いようで、兄が何か悪さをしてもすぐに父の耳に入るようになっていたから、やんちゃな兄にとっては、堪ったものではない環境だったかもしれない。けれどもそのお蔭もあってか、今ではすっかりその見かけとは裏腹に仕事だけは結構、真面目にやっているのが、
弟の僕としても嬉しい限りだった。
「兄ちゃん、まだ休憩しとってもええのんか?」
僕は小型のテレビのスイッチを点けながら時計に目をやった。そろそろ昼の一時になるところだった。
「あん? 大丈夫や。今日は材料の搬入が遅れとってな。一時半までや」
「へぇそうなんや。でもほんまによう遅れんなあ……、やっぱ韓国産はあかんのとちゃう?」
僕の父が経営する〈小岩ボトル工業〉ではペットボトルを製造している。
三年ほど前に食品衛生法が改正されたのを機に、清涼飲料水などにも用いられるようになった新しい素材の容器だ。
その材料となる『プリフォーム』と呼ばれる原料を、うちは韓国と台湾、そして中東にあるアラブ首長国連邦から輸入していた。
「まあ、あんまし質もようないのに、やっぱしアラブ産と比べると割高やしな。その辺も踏まえてこれからは、色々と考えていかなあかんやろな」
「へえびっくりやわ。兄ちゃん、結構真面目に仕事のこと考えてるやん」
つい茶化すように云ったが、かなり意外だったのは本音だ。
僕は漸く兄も落ち着いてきたように感じた。
「あほ、俺かて仕事は真面目にやっとんのやで。お前もいずれ解るようになるやろうけど、中々このボトルっちゅうのは難儀なやっちゃからな。上手い具合にこしらえるんは、結構難しいけど、案外おもろいもんなんやで。……しっかし、最近のワイドショウはこればっかしやっとんなぁ。ええ加減に飽きたわ」
兄は照れ隠しのつもりなのか、そう云ってテレビの番組に顔を向け、連日ワイドショウを賑わせている『グリコ森永事件』へと話を逸らした。
「ああこれねぇ……たぶんこの〈かい人21面相〉って捕まらんのとちゃうかな」
「なんでやねん。この『キツネ目の男』は特徴あり過ぎやんけ。こんだけ大胆に行動しとんのになんで捕まえられんのや。ほんまポリも頼りにならんで」
兄は昔、散々世話になった警察には余程嫌な思い出があるのか、心底憎々し気な口調でそう吐き捨てた。
「身代金がほんまの目的とちゃうから難しいんとちゃうかな」
「はあ? ずうっとゼニばっかし要求しとるやんけ。色んな会社に脅しかけて……」
「まあ色んな説が出てきてるけど、初めっから身代金がほんまの目的やなくてパフォーマンスやとしたら無理なんとちゃう? やっぱし一番捕まる危険が高いんて、金の受け渡しん時やんか。本気で受け取る気ィなかったら、なんぼ警察でも捕まえられんやん」
僕がそう云うと、兄は煙草を乱暴に揉み消した。
「なにゆうとんねん。うまいこといかんから何べんも要求しとるんやろ。せやからこんなにズルズルと長い間……」
「そう、そこやねん。そうやって出来るだけズルズル引き伸ばすんが目的なんよ」
話の途中でそう云うと、兄は眉尻をあげて、僕の顔を覗き込んできた。
「は? 何のためにやねん」
「そうやって標的にされた企業は、事件が長引けば長引くほど自社の株価は下がるもんや」
「なんや、結局また株かいや。よう解らんけどそれが何の得になるんや、下がってしもうたら只ほんまに苛めとるだけやないか」
「いや、そうやないねん。そうやって株が下がって、ボロ儲けしとうかもしれんわ」
「あん? どないな意味や。株っちゅうのは下がってもうたら損するだけやんけ」
兄はやれやれ、といったふうな表情に変わった。
「あのな兄ちゃん、株っちゅうのは上がっても下がっても、どっちか予測しとったほうに株価が動いたら儲けれんねんて。この場合やと〈空売り〉っちゅうて予め高値で売っといたもんが、値を下げたら安値で買い戻すんやけど、その場合やと高いもんが、下がれば下がるほど儲けはでかなんねん」
「ん? 予め売って……買い戻す……なんや、ややこしいけど、つまりは下がると予測しとって、その通りになったら儲かるっちゅうことなんか」
「まあ、そんな感じやわ。こないな事件を起こしたら、ターゲットにされた会社の株は絶対に下がるわけやから、最初に注ぎ込んだ金が何倍にもなりよるかもしれん」
兄はしばらく腕を組んで眉間に皺を寄せ黙り込んだ。
「それやな。それや! 絶対それに間違いないわ。ほやから、だらだらとやりよるんかぁ……。くそっなめとんな、キツネ目野郎が。……しっかし、ほれにしてもお前ほんまによう知っとうなぁ」
兄は思い出したように、険しかった顔を元に戻した。
「へへっ、さっきの本あったやろ。実は僕、将来あのバフェットみたいになりとうて、株の本を読みまくっとんねん」
「はあぁ、可愛げのない中坊やわぁ、ほんまに」
この時分、僕は本当に『かい人21面相』の真の目的が株価操作であると信じて疑っていなかった。
なぜなら脅迫にしろ誘拐にしろ金の受け渡しが必要である限り、その時に捕まる危険が相当に高まるからだ。
実際にこれまで日本においての誘拐事件のほぼ百パーセントが失敗に終わっていることなど、中学生の僕ですら知っていた。
僕は犯人が相当に頭が良く、またかなりの金持ちであると考えていた。
仮にそれが正しければ、なんら危ない橋を渡ることなく大金を手にすることが出来るのだ。そう、資金が多ければ多いほど、そして事件が長引けば長引くほどに……。
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