18 / 43
6月
第16話 傷
しおりを挟む
セザールは自尊心の高い男だった。
……そして、届かない理想を愛する男だった。
届かない理想に心を奪われ命すら失った親友を、羨ましいとも、愚かだとも思った。……けれど、それ以上に唯一無二の友を奪った太陽が、人間が、とにかく恨めしかった。
──太陽よ、なぜ私を愛さない……!
そう告げ、セザールは死んだ。……自ら命を絶つことを選んだのだ。
その叫びが、まだ仮面のヴァンパイア……アラン・ルージュの耳から離れない。
***
「……あの、大丈夫ですか?」
愚かな餌が近寄ってくる。……今回は男だ。
セザールの威圧なら、こうは行かないだろう。あれは、対象を動けなくする技だ。
「調子、悪そうですけど……」
こんな仮面をつけていても、人間は気にせず寄ってくる。……そして全身の血を吸い尽くされ、死んでいく。
己の親愛に惑わされ、向こうから勝手に飛び込んでくる。
血を奪い尽くし、足首を断ち、すべて俺のモノにしよう。……と、
歪んだ思考が牙を剥く。爛れた渇望が舌なめずりをする。
「見ぃつけた」
壁に飛び散った血飛沫は、アランのものだった。からんからん、と、仮面が地面に落ち、持ち主の血潮に染められていく。
「太郎右近殿は優しいお方がやき、ちっくと難しかったがろうけど……俺は仕事なら兄貴でも友達でも殺せるがじゃ」
声と足音が近づいてくる。……耳元でガリガリと、齧り付くような、貪るような音がする。
……黒い犬のような影が、視界の端に映る。
ひぃっ、と悲鳴を上げ、逃げ去っていく男にも、同じく影が飛びかかる。
「あー、すんません。ちょっと記憶消すだけなんで、そんな痛いことにはなりやせん。……たぶん!」
にかりと八重歯を見せて、犬上伝七は笑った。……直後、射抜くような獣の視線がアランにのみ向けられる。
背後には、まだ数十匹ほど犬の影が控えていた。
***
「お兄ちゃん」
記憶の奥底で、泣く少女に手が伸ばせない。
……やがてアランの妹は、アンヌはうっとりと笑って、血溜まりのほうへと、むしろ嬉嬉として走っていく。
「あの人は、私を愛してくれた。……いいえ、あの人だけが、私を愛してくれる」
アンヌは幼い頃より憧れた相手と夫婦になったが、夫は太陽に心を奪われ続けて死んだ。
息子を兄と助け合いながら育てても、心の歪みは治らなかった。
その愛がどれほど破滅的でも、痛みしかそこになくとも、彼女はそれを選んだ。……人を、心を、何もかもを愛せない研究者にその身を捧げた。
「……目が覚めたか」
その声は、どの仲間の声でもない。
カチリ、と鳴り響く金属の音が、死を感じさせる。
……ああ、もう、終わりか。足りねぇなぁ……。
ドロドロと、思念が血臭に塗り潰されていく。
まだ血が欲しい。まだ飲みたい。まだ味わいたい。まだ殺したい。まだ奪いたい。まだ、まだ、まだ、まだ、まだ……
まだ、終わらせるものか。
「……ふむ……私も未熟というわけか。……死の恐怖に克つことができようとも、これはやはり慣れぬ」
つい先日、自らを斬った男の声が、動かない身体に冷ややかに死を突きつけていく。
「この刃、友を傷つけるためには研いでおらぬゆえな」
アランを友だと、そう告げたわけではない。……能力について悟られたのだ。
アランの友は、セザールは、とうの昔に死んだ。
親友の自分すら振り切って絶望の元へ向かい、すべてを失った。
セザールも、アンヌも、……そして自分も多くを失ったというのに。太陽はさも正義のように天を照らし、人間はそれをさも当然のように享受する。
奪ってやる。
どこにそんな力があったのか、もはやアランにも分からない。
刃が閃くより早く、焼け爛れた腕は太郎右近の首元を掴み、押し倒していた。
「……ッ」
金の瞳がぎらりと光る。……やはり、太郎右近の刃は「敵を斬る」ものであった。
ごとりと、畳に異形の頭部が転がる。
肉体から離れてなお、赤い眼光は金の瞳を睨めつけていた。
「済まぬな。いくらまやかしで誤魔化そうと……私にも、負うた役目がある」
ふっと細められた瞳は、親愛のためか、それとも、また別の感慨か。
「……貴君には聞かねばならぬことがある。どうせ、その形でも死にはせぬのだろう」
転がった首に向け、太郎は静かに言葉を紡ぐ。
「仁藤亮太、という少年について……知らねばならぬことがある」
お兄ちゃん、私は亮太さんを愛しているの。
そう、屈託なく笑ったアンヌの姿を思い出す。
「……血を寄越せ」
アランはその要求を、返答の代わりとした。
……そして、届かない理想を愛する男だった。
届かない理想に心を奪われ命すら失った親友を、羨ましいとも、愚かだとも思った。……けれど、それ以上に唯一無二の友を奪った太陽が、人間が、とにかく恨めしかった。
──太陽よ、なぜ私を愛さない……!
そう告げ、セザールは死んだ。……自ら命を絶つことを選んだのだ。
その叫びが、まだ仮面のヴァンパイア……アラン・ルージュの耳から離れない。
***
「……あの、大丈夫ですか?」
愚かな餌が近寄ってくる。……今回は男だ。
セザールの威圧なら、こうは行かないだろう。あれは、対象を動けなくする技だ。
「調子、悪そうですけど……」
こんな仮面をつけていても、人間は気にせず寄ってくる。……そして全身の血を吸い尽くされ、死んでいく。
己の親愛に惑わされ、向こうから勝手に飛び込んでくる。
血を奪い尽くし、足首を断ち、すべて俺のモノにしよう。……と、
歪んだ思考が牙を剥く。爛れた渇望が舌なめずりをする。
「見ぃつけた」
壁に飛び散った血飛沫は、アランのものだった。からんからん、と、仮面が地面に落ち、持ち主の血潮に染められていく。
「太郎右近殿は優しいお方がやき、ちっくと難しかったがろうけど……俺は仕事なら兄貴でも友達でも殺せるがじゃ」
声と足音が近づいてくる。……耳元でガリガリと、齧り付くような、貪るような音がする。
……黒い犬のような影が、視界の端に映る。
ひぃっ、と悲鳴を上げ、逃げ去っていく男にも、同じく影が飛びかかる。
「あー、すんません。ちょっと記憶消すだけなんで、そんな痛いことにはなりやせん。……たぶん!」
にかりと八重歯を見せて、犬上伝七は笑った。……直後、射抜くような獣の視線がアランにのみ向けられる。
背後には、まだ数十匹ほど犬の影が控えていた。
***
「お兄ちゃん」
記憶の奥底で、泣く少女に手が伸ばせない。
……やがてアランの妹は、アンヌはうっとりと笑って、血溜まりのほうへと、むしろ嬉嬉として走っていく。
「あの人は、私を愛してくれた。……いいえ、あの人だけが、私を愛してくれる」
アンヌは幼い頃より憧れた相手と夫婦になったが、夫は太陽に心を奪われ続けて死んだ。
息子を兄と助け合いながら育てても、心の歪みは治らなかった。
その愛がどれほど破滅的でも、痛みしかそこになくとも、彼女はそれを選んだ。……人を、心を、何もかもを愛せない研究者にその身を捧げた。
「……目が覚めたか」
その声は、どの仲間の声でもない。
カチリ、と鳴り響く金属の音が、死を感じさせる。
……ああ、もう、終わりか。足りねぇなぁ……。
ドロドロと、思念が血臭に塗り潰されていく。
まだ血が欲しい。まだ飲みたい。まだ味わいたい。まだ殺したい。まだ奪いたい。まだ、まだ、まだ、まだ、まだ……
まだ、終わらせるものか。
「……ふむ……私も未熟というわけか。……死の恐怖に克つことができようとも、これはやはり慣れぬ」
つい先日、自らを斬った男の声が、動かない身体に冷ややかに死を突きつけていく。
「この刃、友を傷つけるためには研いでおらぬゆえな」
アランを友だと、そう告げたわけではない。……能力について悟られたのだ。
アランの友は、セザールは、とうの昔に死んだ。
親友の自分すら振り切って絶望の元へ向かい、すべてを失った。
セザールも、アンヌも、……そして自分も多くを失ったというのに。太陽はさも正義のように天を照らし、人間はそれをさも当然のように享受する。
奪ってやる。
どこにそんな力があったのか、もはやアランにも分からない。
刃が閃くより早く、焼け爛れた腕は太郎右近の首元を掴み、押し倒していた。
「……ッ」
金の瞳がぎらりと光る。……やはり、太郎右近の刃は「敵を斬る」ものであった。
ごとりと、畳に異形の頭部が転がる。
肉体から離れてなお、赤い眼光は金の瞳を睨めつけていた。
「済まぬな。いくらまやかしで誤魔化そうと……私にも、負うた役目がある」
ふっと細められた瞳は、親愛のためか、それとも、また別の感慨か。
「……貴君には聞かねばならぬことがある。どうせ、その形でも死にはせぬのだろう」
転がった首に向け、太郎は静かに言葉を紡ぐ。
「仁藤亮太、という少年について……知らねばならぬことがある」
お兄ちゃん、私は亮太さんを愛しているの。
そう、屈託なく笑ったアンヌの姿を思い出す。
「……血を寄越せ」
アランはその要求を、返答の代わりとした。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!
奏音 美都
恋愛
まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。
「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」
国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?
国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる