向日葵の檻

二月こまじ

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前編

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(何!?なんで!?)

「なぜ、黒髪にしたんだ。広瀬は金髪の方が似合っていたのに」
 放課後、人気のない学校のゴミ捨て場で、広瀬は未だかつて無い難癖を付けられていた。


 夏らしい真っ青なキャンパスに大きな入道雲が浮かぶ空の下、ゴミ捨て場に咲く一輪の向日葵。
 広瀬は生温い風に揺れるそれをぼんやり眺めていた。
 部活動の生徒達の声が遠くから聞こえてくるのが、どこか別世界のような錯覚を覚える。

(平和だ……)

 のんびりとした光景に微睡んでいると、突如桐谷颯太に声を掛けられたのだった。



「前髪もあと1cm長い方が、広瀬特有のくせ毛が出ていい。制服のカッターシャツもボタンは2個外した方が首筋が綺麗に見える」

 銀縁眼鏡の奥の瞳はニコリともせず、真剣な表情で広瀬に懇々とわけの分からない説教を垂れてくる。
 彼が冗談を言うタイプではないという事は、広瀬が一番分かっていた。
 声をかけてきた桐谷自身は、制服をきっちり上までボタンをしめて着こみ、短く刈り上げられた黒髪は清潔感の塊。
 切れ長の瞳は銀縁眼鏡に覆われて更に硬質でナイフのような切れ味だ。
 誰とも群れないが、誰からも一目置かれている完全無欠の学級委員長。
 桐谷はそういう存在だった。

「な、なんで?突然そんな事……」

 金髪を黒髪に戻すなら分かるが、その逆を勧める学級委員なんて聞いた事がない。
 しかも、桐谷と広瀬は今までろくに会話すらした事がないのだ。
 以前、一度だけ声を掛けられた時意外は――。

「突然ではない。入学して以来、ずっと思っていたが、人前で言うには憚れるゆえ、広瀬が一人になってゆっくり話せるタイミングを推し量っていたらこうなった。広瀬は、中学の時に金髪だった事をどうやら隠していたいようだったから」

 それを言われ、広瀬は首筋までカーッと熱くなる。

「ちょっ!やめろよっ!なんなんだよ、本当っ。き、桐谷は学級委員長じゃん!金髪にしろって勧める学級委員長がどこにいるんだよっ」
「学級委員長などの肩書きは、俺の価値観とは全く関係しない。人間はそれぞれ、自分の価値観で生きるべきだ」
「か、価値観……って」

 桐谷はこういう奴なのだ。ずばり物事の本質を言ってのけるが、どこかズレている。
 そういった人種は大抵イジメられようものだが、本人は自分の価値観での正論しか言わないので、決して優等生発言ばかりするわけでもない。
 教師が間違っていることは、間違っていると主張するし、その逆もしかり。
 その眼光と高い身長と相俟って、発言は妙に説得力がある。
 教師も不良も一般生徒も、なんとなくコイツはただ者ではない、と一目置かせる何かがあった。
 そして、広瀬も……。

「俺は、広瀬は金髪の方が似合うと思っている。金髪はお前の笑顔が際だって、とても可愛い」
「か、可愛いって、な、な、な……」

(可愛いって言ったか!?今、桐谷が俺の事を可愛いって!?)

「き、桐谷っ、じ、自分が何言ってるのか、分かってんのかよ!?」
「自分が何を言っているのか分からなくなる者は、正気を失っている者か国語能力が壊滅的に悪い者だ。残念ながら、俺はどちらでもない」
「か、可愛いって、そんなの……き、桐谷、俺の事、好きなの?」 

 最早、広瀬の心臓は壊れそうなほど早鐘を打っていた。

(あの桐谷が、俺の事を――?)

 信じられない。
 嘘みたいだ。

「――好き?そんな事は考えた事ない」

 風船のように浮き足だった心を、上からぐしゃりと踏んづけられた。
 全身サーッと血の気が引いたかと思うと、次の瞬間顔から火が噴くほど熱くなる。

(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいっ!)

 瞳が潤んでしまい、我慢できずにポロリと雫が頬をつたってしまう。

「ひ、人をからかうのもいい加減にしろっ!」

 桐谷に泣いている姿を見せたくなくて、広瀬はそのままゴミを放り投げてその場を後にした。
 後ろで桐谷が呼び止めていたが、広瀬は聞こえないフリをして、がむしゃらに走る。
 教室に汗だくで現れた広瀬にクラスメイトはびっくりしていたが、おかげで頬を伝う水滴も汗と思ってくれたようだった。



 広瀬と桐谷は同じ中学出身だ。
 クラスは別だったが、桐谷はその頃から有名人で広瀬も桐谷という人間の存在は知っていた。
 だが当時、広瀬は素行不良の連中とつるんでいて、桐谷とは別世界の人間という認識しか無かった。
 それがたまたま担任の教師から、桐谷の家庭環境を聞いた時から少し変わった。
 広瀬にとって桐谷はちょっとだけ気になる生徒になり、校舎で見かけると何となく目線で追ってしまう。

 だが、それだけだった。

 それが、大きく変わったのは中学三年の夏だ。
 丁度今日のような、高く青い空に、雲一つない晴天の日だった。
 広瀬は夏休み中、周りが受験ムード一色の中、既に引退した園芸部の活動として学校の植物に水をあげにきていた。

 広瀬は植物の世話が好きだった。
 動物を育てる程の責任感を必要とされないが、手を掛ければかけただけ応えてくれる。
 愛情を注げば、その愛が形となって目に見えた現れるのだ。
 特に夏に咲くひまわりは、水をあげた途端にシャキッと上を向く。太陽を追いかける凛としたその立ち姿は、騎士のようにカッコ良い。
 そんな太陽の騎士が、まるで自分を一日中待っていてくれるような心地がして、広瀬はろくに受験勉強もせず、炎天下の中自転車をせっせと漕いで水やりに励んだ。

 そんな姿を、間が悪い事に珍しく補講に来ていた素行不良の仲間達に見られたのだ。
 真面目に水遣りに来ている事を、大いに茶化された。
 面倒くさいけど仕方なくやってるんだ、とか調子よく言えば良かったのだ。
 だが、それを言うにはあまりにも向日葵に愛情を注ぎすぎていた。
 我ながら馬鹿な考えだと思うが、向日葵に聞こえてしまったらどうしよう、と思いにとらわれ何も言えない。
 無言でソワソワする広瀬に、仲間達はますますヒートアップして揶揄してきた。

 その時だ。
 後ろから凛とした声が聞こえてきたのは。

「植物は人間の生命維持に無くてはならない物だ。それを育てている人間を揶揄すると言うことは、即ち自分は死んでもいいと言う事と同意義であるがいいのか?」

 いつの間にか桐谷が広瀬の後ろに立っていた。

「は、はぁ?何言ってんだ?」

 悪友達の言葉で、今の台詞は桐谷が発した言葉だとやっと理解した。

(なんで桐谷が?)

「理解出来ないなら、中学一年生で習った植物の呼吸と光合成の関係をもう一度復習することをお勧めする」

 毅然と言い放つ桐谷に、仲間達は呆気に取られた後、居心地悪そうにして「白けたから帰ろうぜ」と直ぐにその場を去った。

 残された広瀬は、暫し呆然としていたが横を見ると真っ直ぐにこちらを見ている桐谷と目があう。

「あっ、ありがと……」

 視線に戸惑い、何か言わなければと慌てて俯きがちにお礼を口にした。

「--礼を言われる様なことは何も言っていない。俺は事実の確認とアドバイスを行っただけだ」

 そう返しながらも、目線を逸らさず立ち去ろうともしない桐谷に居心地の悪さを感じて、広瀬は思い切って顔を上げた。

「な、何……?」
「何、とはなんだ?漠然とした質問過ぎる」
「な、なんか言いたい事あるんじゃないの?す、すげぇ見てくるじゃん」
「あぁ……」

 自分でもその事に今気づいたといった素振りで視線を外されたが、今度はその視線が向日葵を向いている事に気付いた。
 食い入る様に向日葵を見られ、まるで自分の家族を見られている様で落ち着かない。

「広瀬は向日葵に似ているな」

 ふと、向日葵の方に視線を向けたまま桐谷が言った。

「え?」
「真っ直ぐな姿が、向日葵に似てる」

 もう一度こちらを見て言った桐谷の目元は、気のせいか少し微笑んでいる様にも見えた。
 桐谷はそのまま颯爽と帰って行ったが、広瀬はその場を動けないでいた。
 心臓がギュッとなって、思わずそこに手をやる。
 凛とした態度で広瀬を守ってくれた桐谷。
 まるで騎士みたいで、その姿は自分こそ向日葵のようだ。
 何故か目頭が熱くなった。

(向日葵みたいな桐谷に、向日葵みたいだって言って貰えた)

 広瀬は元々桐谷に憧れに似た感情を持っていた。
 それはやはり、たまたま教師から彼の家庭環境を聞いたことによる。
 複雑な家庭環境下であっても、真っ直ぐ堂々と自分を貫く桐谷は、自分とは真反対で輝いて見えたのだ。

(そんな桐谷に……)

 自分は決して真っ直ぐになんて生きていない。何をもって桐谷がそう思ったのか分からなかった。
 でも--。

 (桐谷が真っ直ぐって言ってくれたなら、これからは真っ直ぐ生きていきたい)

 桐谷への憧れが、違う感情と共に胸の中で膨らみ溢れ出した瞬間だった。


 それから広瀬は悪友との付き合いは一切やめ、一心不乱に猛勉強を始めた。
 担任には絶対無理だと言われていたが、桐谷と同じ高校に合格する事に成功した。
 高校に入学するとともに、染めていた髪も黒髪に戻した。

(桐谷みたいになるんだ)

 あれ以来、広瀬が自分から桐谷に話しかけられる事も、反対に話しかけられる事も無かったが、夏のあの思い出が今の自分の軸となっていた。

(向日葵に恥じない自分でいたい)

 勉強が好きなわけではないけど、自分はまともな人間になりたい。
 そして、いつか桐谷の横に並べる様になるんだ。

 それは殆ど夢想と言っても良かったが、広瀬はその夢を支えに今まで生きてきたのだ。  



(なのになのに!!)
 何故自分は変な事を言ってしまったんだろう。
 桐谷に話しかけて貰えたのが嬉し過ぎて、舞い上がっておかしな事を言ってしまった。

 あの瞬間が、やり直せるならどんな事でもするのにっ。

 広瀬は畳の上でミノムシの様に丸くなりながらひたすら後悔していた。

 どうやって帰ってきたか記憶がない。
 クラスメイトと挨拶を交わした様な気もするが、気付いたら家にいた。
 とにかく落ち着こうと思ってグラスに注いだ麦茶も、気付けば生温くなっている。

 考えまいと思っても、どうしても先程のことが頭で繰り返し思い起こされてしまうのだ。


(桐谷、俺の事どう思ったかな!?)

 自意識過剰な奴だと思われただろうか。
 それどころか好きなのか?という問いかけに対して、否定されて涙ぐんだところを見られてしまったのだ。
 広瀬が桐谷の事を好きだと思われたかもしれない。
 明日学校に行ったら、広瀬がホモだという噂が学校中に広がっているのを想像してゾッとしたが直ぐに桐谷はそんな事をしないと思い直した。

(それでも、最悪な形で俺が桐谷を好きなことはきっとバレた……)

 そう、好きだった。
 桐谷は広瀬の全てと言っても過言では無かった。
 あの夏の日から、広瀬の中は桐谷でいっぱいだ。
 元から女性不信の気があったが、桐谷を慕う気持ちが恋愛感情を伴うものになるのにそう時間はかからなかった。

(もっと、桐谷に相応しくなってから、ゆっくりお近づきになろうと思ってたのに)

 そう思う事が、話しかける勇気もなく遠巻きに見ていることしか出来ない自分の励みになった。

 それが、よりにもよって……

「あ~~~~!!!」

ゴロゴロと畳の上をのたうちまわりながら、広瀬は悶える事しか出来ない。

「でも、でも、桐谷が金髪の方が良かったとか!前髪とかっ、なんか、に、似合うとか言ってきたからっ。そんなの好きな人に言われたら誰でも動揺するだろ!?」

 しかも動揺してなんだか感じが悪い態度をとってしまった気がする。
 ますます桐谷の広瀬への印象は最悪の形になっているのではないだろうか。

「こんな事ならっ、シンプルに好きって告白しておきゃ良かった!」

 思わず叫んだところで、珍しくインターホンが鳴った。

(借金は今は無いはずだけど…)

 恐る恐るドアを覗けば、意外な人物がそこにいた。

「桐谷……」

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