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番外編
グアンの独白
しおりを挟むグアンは今でもその時の感覚を鮮明に思い起こす事が出来る。
それは筆舌に尽くしがたいほどの高揚と歓喜。
青龍が確かに自分の中に『ある』という確かな息吹きを感じ、自分が『青龍』の一部であるという、ある種の万能感をグアンにもたらした。
代々星見の一族の長が受け継ぐその『星印』は、長が命を落とした時に、次の長になる者に移動する。
『星印』を受け継ぐ者は指名制ではない。
なので星見の長が亡くなってからではないと、次の星見の長が誰になるか分からない。正に『星』の導くままなのだ。
実際、グアンが『星印』を授かるまでは、まさか自分が長になるとは夢にも思っていなかった。
星見の長が肺を患い今夜が峠だと言われた晩のこと。
長の最期を見守る星見の一族達が部屋中溢れかえっている中、グアンは扉の外の末席にいた。
長を心から心配している者も中にはいたが、その殆どは少しでも近くにいれば自分が『星印』を授かるのではないかと思っている連中が殆どだった。
それほど『星印』は青龍の民とも言われる星の一族の憧れなのだ。
長が亡くなった瞬間、部屋中悲しみと落胆で溢れかえる中、グアンは一人高揚を抑えられずにいた。
良くしてくれた長が亡くなったのに、なんと自分は冷血な人間なのだろうと罪悪感に苛まれた。
だが、長の死顔を見たくないと隣にいた古老が「あいつが長になった時と同じ顔をしていたからすぐ分かった」と嫌そうに言っていたので『星印』を受け継いだものは大体同じ反応のようだ。
その古老が言うには、長は『星印』を受け継ぐ者を選ぶ事は出来ないが、なんとなく誰が受け継ぐ事になるかは分かっていたんじゃないかと言う。
確かにそう言われてみると、長には妻子もおり、孫はグアンとそう変わらない年齢だったが、陛下の学友という大事な役割を仰せつかったのはグアンだった。
星見の一族は一定の年齢になると親元から離され、教育係の『導き手』の元、様々な教育が施される。
その中で、将来を有望される者が重要な役割を任されるのだが、王族の学友は最も名誉な役割の一つだった。
もう一人、先の皇帝の落とし子だが、臣籍に下り内務大臣の養子になったホンと一緒にフェイロン皇太子と剣や歴史を学ぶことになった。
教育を受けはじめた当初、ホンはフェイロンに複雑な感情を持ち合わせているのではないかと懸念したが、全くそんな気配はなかった。どちらかというと、盲目的にフェイロンを慕ってみえる。
「フェイロン王子といて辛くないのか?」
ホンと二人きりになった時、思い切って聞いたことがある。今思えばかなりぶしつけな質問だ。
ホンは含み笑いをして答えた。
「俺が楽しいと感じるのは、フェイロン王子といるときと、お前と話す時くらいだよ」
義理の両親とは仲が悪いわけではないが良くもなく、遊びや勉強も何をしてもすぐに出来るので、面白く感じる前に飽きるのだという。
実際、フェイロンもホンも何をさせても良く出来た。
勉強も剣術も教えられた事はすぐ出来たし、教師が帰った後に二人であの教師の考え方はあの本に書いてあることに偏りすぎているなどと議論している所を何回も見た。
お互いがお互いのことをよき理解者だと感じているのが、傍目にもよく分かった。
グアンといえば、剣術で二人に追いつくことは不可能だったので、とにかく勉強では置いて行かれないようにするのが精一杯だった。
それでも、時に二人との拭いきれない距離を感じてなんとなく面白くなく、グアンは星の一族しか知り得ない青龍の小話を二人に話して聞かせたりした。
二人ともあまり興味がない様子だったが、ホンは「本当に降臨したら面白そうだ」と笑う事もあった。
そのような様子だったので、グアンが『星印』を授かったとき、ホンが珍しい程興味を示した事に少なからず驚いた。
「グアン、『星印』を授かったという噂は本当か?」
「ホン、耳が早いですね。まだ前長老の喪が明けていないので発表はまだなはずですのに」
「俺は本当かどうなのかって聞いてんだけど?」
「……本当です。ただ、まだ内密にお願いします。古老達にも煩く言われていますので」
「分かった分かった。で?どうなんだ、新たな長老様、どんな感じ?」
「どのような感じとは……?」
「だって青龍の一部が身体の中にあるんだろう?ーー青龍様を感じちゃったりする?」
「ーー感じます。青龍様は確かに、ここにいらっしゃる。心地ですか?最高ですよ」
ホンが息を呑んだのが分かった。
胸に手を当てると仄かに熱い心地がする。
実のところ『星印』を預かってから、グアンは最高に浮かれていた。国中の人間に自慢して歩きたいくらいだ。確かにここに『青龍』がいるのだと。
「へえーー凄いな」
それからだーーホンが青龍の話を熱心に聞くようになったのは。
前長老の喪が明け、正式にグアンが長老の座につき暫くすると、今度は陛下が崩御した。
フェイロンが玉座に着く時が現れたのだ。
フェイロンはその容姿と資質から、青龍を降臨し龍王になるだろうと周囲から期待されて育った王子だ。
(青龍様が降臨するーー)
考えただけでも胸の星が熱く震える。
グアンはフェイロンが登極するなり、青龍が現れるとされる紫龍園に日参した。時にシィンも連れて行った。
シィンはグアンが長に就任してから側仕えに置くようになった星の一族の子供の一人だ。
それまでは気にも止めない存在だったが、長になってから何となく気になるようになった。恐らくシィンが次の『星印』を授かる者だからなのだろう。
毎日のように紫龍園に通うグアンにフェイロンは冷たい反応を示したが、ホンがたまに着いてくることもあった。
「よく飽きずに毎日のように通うな~グアンは」
紫龍園へと向かうグアンとシィンに後ろから着いてきていたホンが、呆れたように声をかけた。
「文句を言うなら着いて来ないでください」
「文句じゃないよ。よく飽きないなっていう感想。もうやめようって思わない?」
「まだ一月も経ってないのに?思いませんよ」
「青龍様は降臨しないかもしれないよ」
「します。間違いなくします。長いこと降臨されていないのです。紫の君と呼ばれる陛下の元なら確実に降臨されます」
「強がるなあ。夜、酒を呑んでる時は、なぜ降臨されないんだぁ~って泣いちゃってるのに」
な?とシィンに話しを振ると、シィンは慌てたように下を向いた。
比較的人なつこい子なのだが、ホンにはいつまでたっても懐かない。聡い子なのでホンの排他的な危うさを感じているのかもしれない。
そう、ホンはいつもどこか危うげだった。享楽的でいつも笑っているイメージだが、一晩ともにした女性の顔を次の日には覚えてない。熱しやすく冷めやすい、人当たりはいいが、常にどこか人を馬鹿にしているのが透けて見えた。
それでも自分とフェイロンには何となく心を許しているように見えて、数少ない友人と呼べる存在なのだろうと思っていた。
「なぜまだ降臨されないのかと疑問には感じますが。降臨はされます」
「なんでそんな事分かるんだ?」
「逆に青龍様がいらっしゃらないのに私など必要ないのです。私がここに居る。なので、青龍様は降臨します」
「……凄いな、その理屈」
ボソリと後ろから、羨ましいよ、と言う呟きが聞こえてきた気がした。
その時は何の事を言っているかよく分からず、そのまま聞き流した。
だが今になって、その一言に彼の全てが詰め込まれていたのだと思うと胸が痛くなるーー。
その後、青龍様は本当に降臨を果たし、そしてホンは青龍様を手に入れる為に王位簒奪を企てた。
本来は死罪でもおかしくないが、騒ぎになる前に国外追放という形をとりロンワンから逃げた。
生ぬるいと騒ぐ大臣達に『龍王』となった偉功を大いに誇示し、黙らせたフェイロンの手腕は流石というしかなかった。
ホンとは別れ際、少しだけ言葉を交わした。
全ては玄武のせいだと朱雀に聞かされていたホンだったが、やけにスッキリと澄んだ瞳でこちらを見た。
「ヤンがいなかったら、多分こんな事しなかったと思うけどーー正直、後悔はない。こんな事言うとお前は反省してないって言うかもしれないけどさ。一生かけて償うけど。俺は、人生であんなにも渇望したことはなかったよーー」
グアンは何も言えなかった。
朱雀の背に乗り、遠い新天地へと飛び立ったホンの背中を思い起こしながらグアンは思う。
お前に、この『星印』があったなら違ったのだろうかーー。
母を早くに亡くしたフェイロン。
臣籍に降り養子となったホン。
早くに親元を離れたグアン。
自分たちは、いつもどこか孤独だった。
三人で身を寄せ合い、それでも幼少期を何事もなく過ごせたのは三人共に孤独だったからだ。
だが、グアンは手に入れてしまった。
『星印』の中に青龍は確かに息づいている。
グアンは孤独では無くなった。それをホンも感じたのだろう。
ホンにも『星印』があったならーー。
だが、『星印』はグアンのものになった。
もしこの『星印』が自由に渡せるものならホンに渡しただろうか?
答えは『否』だ。
『星印』は死ぬまで手放すつもりはない。
ホンに奪われたなら差し違えても取り戻すだろう。
(すいません、ホンーー)
『星印』に選ばれたのは自分だった。
ほの暗い優越感と少しの罪悪感を胸に今日もグアンは筆をとる。
手紙は朱雀の使役する小鳥が運んでくれる。
最近の宮殿は幸せな出来事ばかりで、必然と内容もその知らせが多くなる。
(こんな不甲斐ない友人でも、あなたの幸せを祈っていいだろうか)
どこを向いても幸せな香りがする宮殿の中で、ホンの笑顔が無いことに胸が痛む。
ここではない、何処かで、彼の心の隙間を埋めてくれるものがいつか現れればいい。
それが暖かな春の日差しの様に優しく彼を包んでくれればーー。
願わくば、青龍の司る春がどうかホンにも届きますように。
そう願いながら、グアンは手紙の封を閉じた。
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