上 下
2 / 84
赤の章

序章2

しおりを挟む
 祖父にみっちり漢方薬の知識を仕込まれたおかげで、葵の漢方はそれなりに評判だが、
そもそも葵自身が商売をする気が全くと言ってなかった。
 薬店は祖父の物を相続したもので、二階は葵の自宅になっている持ち家だ。自分が食べるに困らないくらい稼げれば、葵にはそれで十分だった。

 なるべく人に関わらないで生きていきたい──。

  それが葵の望みだ。

「アオちゃん、本当変わってるよね。腕はいいのにさ。まあ、おかげで俺は仕事終わりにノンビリできるけど。ちょっといないくらい綺麗な顔してるのに……」

 自分の顔の造形にそれほど頓着はないが、昔から綺麗な顔だと言われる事は多かった。数少ない学生時代の友人達からも「氷の王子」なんて言われていたが、葵は寧ろ自分の秘密がバレているのではないかと、冷や冷やした記憶しかない。

「本気で稼げばいくらでも相手いそうなのに、ず~っと独り身だし。アオちゃんがアルファだったら、結婚して欲しいくらいなのにな♡」

  そう言った千尋の言葉に、自分でも顔が一気にこわばるのが分かる。千尋も察したらしく、慌てて付け足す。

「ご、ごめん。アオちゃん、こういう話題嫌いだよね。今のは、ほんの物の例えだよ。ただ、あおちゃん、ベータの割に凄く綺麗だし、知らないアルファと番うよりは、アオちゃんと……ってごめん、なんかドンドン墓穴掘ってるね」

  肩を落とす千尋が少し可哀そうになってきたので、葵もぎこちなく笑いながら、何言ってるんだよ、と言い返す。

「もし俺がアルファだったとしても、俺なんかと番っても何にも良い事なんかないよ。この薬店だって、歴史ばっか古いだけで大した事ないし。顔もよく見りゃ普通だよ」
「そんな事ないっ!」

 急に大声を出した千尋にびっくりしていると、千尋が椅子から立ち上がって力説を始めた。

「アオちゃんの瞳、見慣れてても吸い込まれそうなほど綺麗だもんっ。それに目尻がちょっとキュッと上がってるのも何か色っぽいし、薬作ってるだけなのに、立ち姿もシュッとして決まっててさ、オレさ、オレ……っ、アオちゃんの事初めて見た時、すげぇ汚い店に、めっちゃ格好いい王子様がいる! ってびっくりして……そしたら、目が合ってすぐ、『何か用?』だもんね! もう、ゾクゾクしちゃったよっ」

  若干イッちゃっている目をしている千尋の姿が、初めてこの店に来た時の千尋の姿に重なる。あの時も、興奮した様子で質問攻めされ、葵は思いっきり冷たく接客したのだが、
何故かその後懐かれて、今に至る。
 この薬店の客は他に何人かいるが、あくまで漢方薬を処方して渡す、といった関係性で
こんなにプライベートな話を延々とするような仲なのは千尋だけだ。
 下手をすると1日誰とも喋らないで過ごす葵にとっては、千尋は有難い存在だった。
  だが──。

「千尋、ごめん。もういいだろ。流石に眠くなっちゃったよ」

  早く帰ってくれ、と暗に言うと、千尋は何故か酷く傷ついた顔をした。

「そうだね、ごめんね……」

 そう言うと、サッと湯呑みを片付けて出入り口に向かう。せめて見送ろうかと、後ろからついて行くと、千尋が何か言いたそうにチラチラとこちらを横目で見てくる。
 あえて気付いてないふりをして、やり過ごそうとしたが、引き戸の前で意を決したように、千尋がこちらに振り返ってきた。栗色の瞳が、真っ直ぐに葵を貫く。

「アオちゃん、オレ、余計な事ばっかり言うけど、アオちゃんには、幸せになって欲しいんだ! だって、なんかアオちゃんって色々諦めて見えるし、何だが色々現実離れしてて、なんか、変な話だけど、今にも消えちゃいそうで怖いんだよっ」

 千尋がそっと葵の両手を掴んできた。まるで、本当に何かに怯えているように、僅かに震えが伝わってくる。

 「アオちゃんが何でそんなに、いつもなげやりなのか、オレには分かんない。でも、せめて恋でもすれば、もう少し色んなことに執着してくれるんじゃないかなって……それが、オ、オレなら、とか思っちゃったりしたんだけど……」

 段々と声が小さくなって最後は何を言ってるのか分からなかったが、千尋が葵の事を心配してくれているのは痛い程伝わってきた。
 それに、この世から消えてしまいたい、という思いは、常に何処かで葵の頭の片隅に浮かんでいるのも事実だった。

(こんなに優しい人がいるのに……)

 心配そうにこちらを覗きこむ千尋を見つめながらも、何だがとても遠くに千尋がいるように感じて、孤独感が増していく。

(だって、俺はずっと嘘をついている)

 どんなに優しくしてもらっても、それは偽りの自分に対してでしかない。千尋が慕ってくれているのは、ベータで理性的な葵という人間。

「ありがとう、千尋。心配しないで。もう、お前も疲れただろう。気を付けてお帰り」

 千尋はまだ何か言いたそうな素振りを見せたが、やがて諦めたように重い玄関の引き戸を引くと、じゃあ、またすぐ来るね。と帰っていった。

 ギシギシと音を立てながら、千尋が出て行った引き戸を閉める。その音が止むと、店の中は耳が痛くなるほど静けさが訪れた。
 店中にひろがる甘草の香りが、唯一、この世との繋がりのようにさえ思える。

「お前がこの香りを嫌いなのは、オメガの香りを消すから……オメガの本能なんだよ……千尋」

 葵も、はじめは苦手だった。
 しかし、毎日のように煎じて流石にもう慣れた。今では自分の体臭のように馴染んでいる。
  この香りを苦手に感じない自分は、もうオメガでは無いのかもしれない。

 しかし、確かに葵はオメガとして生まれてきた。
 唯一その事を知る祖父も、去年亡くなくなり、今ではその事実を知る者は誰もいないが。

  自分だけが知っている──。

 中途半端で、なり損ないのオメガだと言うことを……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

花いちもんめ

月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。 ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。 大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。 涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。 「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

オメガ転生。

BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。 そして………… 気がつけば、男児の姿に… 双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね! 破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

処理中です...