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赤の章
序章2
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祖父にみっちり漢方薬の知識を仕込まれたおかげで、葵の漢方はそれなりに評判だが、
そもそも葵自身が商売をする気が全くと言ってなかった。
薬店は祖父の物を相続したもので、二階は葵の自宅になっている持ち家だ。自分が食べるに困らないくらい稼げれば、葵にはそれで十分だった。
なるべく人に関わらないで生きていきたい──。
それが葵の望みだ。
「アオちゃん、本当変わってるよね。腕はいいのにさ。まあ、おかげで俺は仕事終わりにノンビリできるけど。ちょっといないくらい綺麗な顔してるのに……」
自分の顔の造形にそれほど頓着はないが、昔から綺麗な顔だと言われる事は多かった。数少ない学生時代の友人達からも「氷の王子」なんて言われていたが、葵は寧ろ自分の秘密がバレているのではないかと、冷や冷やした記憶しかない。
「本気で稼げばいくらでも相手いそうなのに、ず~っと独り身だし。アオちゃんがアルファだったら、結婚して欲しいくらいなのにな♡」
そう言った千尋の言葉に、自分でも顔が一気にこわばるのが分かる。千尋も察したらしく、慌てて付け足す。
「ご、ごめん。アオちゃん、こういう話題嫌いだよね。今のは、ほんの物の例えだよ。ただ、あおちゃん、ベータの割に凄く綺麗だし、知らないアルファと番うよりは、アオちゃんと……ってごめん、なんかドンドン墓穴掘ってるね」
肩を落とす千尋が少し可哀そうになってきたので、葵もぎこちなく笑いながら、何言ってるんだよ、と言い返す。
「もし俺がアルファだったとしても、俺なんかと番っても何にも良い事なんかないよ。この薬店だって、歴史ばっか古いだけで大した事ないし。顔もよく見りゃ普通だよ」
「そんな事ないっ!」
急に大声を出した千尋にびっくりしていると、千尋が椅子から立ち上がって力説を始めた。
「アオちゃんの瞳、見慣れてても吸い込まれそうなほど綺麗だもんっ。それに目尻がちょっとキュッと上がってるのも何か色っぽいし、薬作ってるだけなのに、立ち姿もシュッとして決まっててさ、オレさ、オレ……っ、アオちゃんの事初めて見た時、すげぇ汚い店に、めっちゃ格好いい王子様がいる! ってびっくりして……そしたら、目が合ってすぐ、『何か用?』だもんね! もう、ゾクゾクしちゃったよっ」
若干イッちゃっている目をしている千尋の姿が、初めてこの店に来た時の千尋の姿に重なる。あの時も、興奮した様子で質問攻めされ、葵は思いっきり冷たく接客したのだが、
何故かその後懐かれて、今に至る。
この薬店の客は他に何人かいるが、あくまで漢方薬を処方して渡す、といった関係性で
こんなにプライベートな話を延々とするような仲なのは千尋だけだ。
下手をすると1日誰とも喋らないで過ごす葵にとっては、千尋は有難い存在だった。
だが──。
「千尋、ごめん。もういいだろ。流石に眠くなっちゃったよ」
早く帰ってくれ、と暗に言うと、千尋は何故か酷く傷ついた顔をした。
「そうだね、ごめんね……」
そう言うと、サッと湯呑みを片付けて出入り口に向かう。せめて見送ろうかと、後ろからついて行くと、千尋が何か言いたそうにチラチラとこちらを横目で見てくる。
あえて気付いてないふりをして、やり過ごそうとしたが、引き戸の前で意を決したように、千尋がこちらに振り返ってきた。栗色の瞳が、真っ直ぐに葵を貫く。
「アオちゃん、オレ、余計な事ばっかり言うけど、アオちゃんには、幸せになって欲しいんだ! だって、なんかアオちゃんって色々諦めて見えるし、何だが色々現実離れしてて、なんか、変な話だけど、今にも消えちゃいそうで怖いんだよっ」
千尋がそっと葵の両手を掴んできた。まるで、本当に何かに怯えているように、僅かに震えが伝わってくる。
「アオちゃんが何でそんなに、いつもなげやりなのか、オレには分かんない。でも、せめて恋でもすれば、もう少し色んなことに執着してくれるんじゃないかなって……それが、オ、オレなら、とか思っちゃったりしたんだけど……」
段々と声が小さくなって最後は何を言ってるのか分からなかったが、千尋が葵の事を心配してくれているのは痛い程伝わってきた。
それに、この世から消えてしまいたい、という思いは、常に何処かで葵の頭の片隅に浮かんでいるのも事実だった。
(こんなに優しい人がいるのに……)
心配そうにこちらを覗きこむ千尋を見つめながらも、何だがとても遠くに千尋がいるように感じて、孤独感が増していく。
(だって、俺はずっと嘘をついている)
どんなに優しくしてもらっても、それは偽りの自分に対してでしかない。千尋が慕ってくれているのは、ベータで理性的な葵という人間。
「ありがとう、千尋。心配しないで。もう、お前も疲れただろう。気を付けてお帰り」
千尋はまだ何か言いたそうな素振りを見せたが、やがて諦めたように重い玄関の引き戸を引くと、じゃあ、またすぐ来るね。と帰っていった。
ギシギシと音を立てながら、千尋が出て行った引き戸を閉める。その音が止むと、店の中は耳が痛くなるほど静けさが訪れた。
店中にひろがる甘草の香りが、唯一、この世との繋がりのようにさえ思える。
「お前がこの香りを嫌いなのは、オメガの香りを消すから……オメガの本能なんだよ……千尋」
葵も、はじめは苦手だった。
しかし、毎日のように煎じて流石にもう慣れた。今では自分の体臭のように馴染んでいる。
この香りを苦手に感じない自分は、もうオメガでは無いのかもしれない。
しかし、確かに葵はオメガとして生まれてきた。
唯一その事を知る祖父も、去年亡くなくなり、今ではその事実を知る者は誰もいないが。
自分だけが知っている──。
中途半端で、なり損ないのオメガだと言うことを……。
そもそも葵自身が商売をする気が全くと言ってなかった。
薬店は祖父の物を相続したもので、二階は葵の自宅になっている持ち家だ。自分が食べるに困らないくらい稼げれば、葵にはそれで十分だった。
なるべく人に関わらないで生きていきたい──。
それが葵の望みだ。
「アオちゃん、本当変わってるよね。腕はいいのにさ。まあ、おかげで俺は仕事終わりにノンビリできるけど。ちょっといないくらい綺麗な顔してるのに……」
自分の顔の造形にそれほど頓着はないが、昔から綺麗な顔だと言われる事は多かった。数少ない学生時代の友人達からも「氷の王子」なんて言われていたが、葵は寧ろ自分の秘密がバレているのではないかと、冷や冷やした記憶しかない。
「本気で稼げばいくらでも相手いそうなのに、ず~っと独り身だし。アオちゃんがアルファだったら、結婚して欲しいくらいなのにな♡」
そう言った千尋の言葉に、自分でも顔が一気にこわばるのが分かる。千尋も察したらしく、慌てて付け足す。
「ご、ごめん。アオちゃん、こういう話題嫌いだよね。今のは、ほんの物の例えだよ。ただ、あおちゃん、ベータの割に凄く綺麗だし、知らないアルファと番うよりは、アオちゃんと……ってごめん、なんかドンドン墓穴掘ってるね」
肩を落とす千尋が少し可哀そうになってきたので、葵もぎこちなく笑いながら、何言ってるんだよ、と言い返す。
「もし俺がアルファだったとしても、俺なんかと番っても何にも良い事なんかないよ。この薬店だって、歴史ばっか古いだけで大した事ないし。顔もよく見りゃ普通だよ」
「そんな事ないっ!」
急に大声を出した千尋にびっくりしていると、千尋が椅子から立ち上がって力説を始めた。
「アオちゃんの瞳、見慣れてても吸い込まれそうなほど綺麗だもんっ。それに目尻がちょっとキュッと上がってるのも何か色っぽいし、薬作ってるだけなのに、立ち姿もシュッとして決まっててさ、オレさ、オレ……っ、アオちゃんの事初めて見た時、すげぇ汚い店に、めっちゃ格好いい王子様がいる! ってびっくりして……そしたら、目が合ってすぐ、『何か用?』だもんね! もう、ゾクゾクしちゃったよっ」
若干イッちゃっている目をしている千尋の姿が、初めてこの店に来た時の千尋の姿に重なる。あの時も、興奮した様子で質問攻めされ、葵は思いっきり冷たく接客したのだが、
何故かその後懐かれて、今に至る。
この薬店の客は他に何人かいるが、あくまで漢方薬を処方して渡す、といった関係性で
こんなにプライベートな話を延々とするような仲なのは千尋だけだ。
下手をすると1日誰とも喋らないで過ごす葵にとっては、千尋は有難い存在だった。
だが──。
「千尋、ごめん。もういいだろ。流石に眠くなっちゃったよ」
早く帰ってくれ、と暗に言うと、千尋は何故か酷く傷ついた顔をした。
「そうだね、ごめんね……」
そう言うと、サッと湯呑みを片付けて出入り口に向かう。せめて見送ろうかと、後ろからついて行くと、千尋が何か言いたそうにチラチラとこちらを横目で見てくる。
あえて気付いてないふりをして、やり過ごそうとしたが、引き戸の前で意を決したように、千尋がこちらに振り返ってきた。栗色の瞳が、真っ直ぐに葵を貫く。
「アオちゃん、オレ、余計な事ばっかり言うけど、アオちゃんには、幸せになって欲しいんだ! だって、なんかアオちゃんって色々諦めて見えるし、何だが色々現実離れしてて、なんか、変な話だけど、今にも消えちゃいそうで怖いんだよっ」
千尋がそっと葵の両手を掴んできた。まるで、本当に何かに怯えているように、僅かに震えが伝わってくる。
「アオちゃんが何でそんなに、いつもなげやりなのか、オレには分かんない。でも、せめて恋でもすれば、もう少し色んなことに執着してくれるんじゃないかなって……それが、オ、オレなら、とか思っちゃったりしたんだけど……」
段々と声が小さくなって最後は何を言ってるのか分からなかったが、千尋が葵の事を心配してくれているのは痛い程伝わってきた。
それに、この世から消えてしまいたい、という思いは、常に何処かで葵の頭の片隅に浮かんでいるのも事実だった。
(こんなに優しい人がいるのに……)
心配そうにこちらを覗きこむ千尋を見つめながらも、何だがとても遠くに千尋がいるように感じて、孤独感が増していく。
(だって、俺はずっと嘘をついている)
どんなに優しくしてもらっても、それは偽りの自分に対してでしかない。千尋が慕ってくれているのは、ベータで理性的な葵という人間。
「ありがとう、千尋。心配しないで。もう、お前も疲れただろう。気を付けてお帰り」
千尋はまだ何か言いたそうな素振りを見せたが、やがて諦めたように重い玄関の引き戸を引くと、じゃあ、またすぐ来るね。と帰っていった。
ギシギシと音を立てながら、千尋が出て行った引き戸を閉める。その音が止むと、店の中は耳が痛くなるほど静けさが訪れた。
店中にひろがる甘草の香りが、唯一、この世との繋がりのようにさえ思える。
「お前がこの香りを嫌いなのは、オメガの香りを消すから……オメガの本能なんだよ……千尋」
葵も、はじめは苦手だった。
しかし、毎日のように煎じて流石にもう慣れた。今では自分の体臭のように馴染んでいる。
この香りを苦手に感じない自分は、もうオメガでは無いのかもしれない。
しかし、確かに葵はオメガとして生まれてきた。
唯一その事を知る祖父も、去年亡くなくなり、今ではその事実を知る者は誰もいないが。
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