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恐竜歯のキス
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コンビニのパンを囓りながら、視線を感じ顔を上げると、森山博人がいつも通り少し離れた場所からじっとこちらを見ている。見ていることを隠そうともしない、あからさまな視線。
(別に、変なとこないよな?)
博人に見られていると思うと、緊張して、味もよく分からない。幹也は大好物な筈のジャムパンを、ささっと食べると、無理矢理牛乳で流し込んだ。
幹也の住んでいる街では、今盛んに土地開発が行われ、それに伴いあちこちで発掘調査が行われている。
幹也の通っている高校は基本的にバイト禁止だが、夏休みの間、発掘調査のバイトだけは、例外的に認められているのだ。
こんな片田舎で高校生が出来るバイトなんて皆無と言っていいので、堂々と行えるバイトは非常にありがたい。ありがたいのだが……。
(初日から、ずっとガン見だもんな……)
森山博人は同じ高校に通っている有名な考古学オタクの同級生だ。
浅黒い肌に、程良く均整が取れた筋肉。精悍で爽やかな見た目は、サッカー部のエースのようにも見えるが、実際は発掘現場で培ったもののようだ。
噂では幹也もTVで見たことのある、有名な考古学者に会いに大学の研究室に出入りしたりしているらしい。
発掘調査のバイトが認められているのも、博人の為なんじゃないかと専らの噂だ。
女子の間では、密かに『考古学王子』と呼ばれて、非公認ファンクラブまであるらしい。というか、ある。なぜ知っているかと言えば……。
(会員なんだよな、俺も)
財布に入っている会員証を、ひっそり思い浮かべ、冷や汗をかく。
(バレてるわけじゃないよなぁ?)
非公認ファンクラブに入ると、博人のお宝盗み撮りショットが不定期でスマホに送られてくるのだ。
はっきり言って、犯罪だと思う。
別にえっちな写真なわけではないが、博人が発掘現場で汗をかきながら、爽やかに笑う写真が、幹也のフォルダいっぱいに入っているのを見れば、本人はさぞ気味が悪いに違いない。
(でも……カッコイイんだもん!)
幹也はゲイだ。
初恋は幼稚園の同じクラスの男の子だし、その後も気になる対象は全員男だった。
発掘現場で活躍する博人は、ハッキリ言って格好いい。バイト中に盗み見ては、心をときめかせているが、そんな幹也を博人に見られていると思うと話は別だ。
なるべく、博人の視界に入らないようにコソコソしていたが、どうした事か、バイト初日から、幹也がお昼を食べ始めると博人の視線を感じるのだ。
最近では隠そうともせず、堂々と見てくる事が多い。
幹也は逃げだしたくなる気持ちを、なんとか落ち着かせ、深呼吸する。
毎日トリートメントを欠かさない栗色の髪色は、発掘調査で崩れないようにしっかりセットしてきたし、化粧はしないが眉毛は毎日綺麗に整えている。
パックもしてるから肌は艶々。リップもお気に入りのをつけてきたし、アーモンド形の瞳を縁取る睫毛は元々長いが、ビューラーで上げてきた。
大丈夫……アレ以外は、完璧。
そう、幹也はアレを治す為に、どうしてもお金が欲しかったのだ。
博人に自信を持って、話しかけられるように──。
「よぉ、ミキちゃん。今日もそれだけか。そんなんじゃ午後持たねぇぞ。肉を食え、肉をっ」
昼休憩はプレハブの二階で床に座ってとる。
それほど急かされる現場ではないので、皆で輪になって仲良しムードで食べるのが基本だ。隣で肉を食えとせっついてくる神田は大学生で、同じく夏休みのバイトとして発掘作業に参加している。
神田は人懐こい性質のようで、初日から何かと幹也に絡んできた。
初日――動きやすい格好をして来いと言われていたので、幹也は上下赤色のジャージを着て、前髪にヘアピンを付けて行った時の事。神田はそんな幹也を見て爆笑した後、すぐに『ミキちゃん』と呼んできたのだ。
彼はバイト組のムードメーカーで、彼がミキちゃん、と呼ぶせいか今では現場責任者の人にまで『ミキちゃん』と呼ばれる始末だ。
「肉……人前で食べるの嫌いなんですよ。知ってるでしょ?俺が食べると……なんか肉食(にくしょく)って感じになって嫌なんです」
「だからぁ~、ミキちゃんは気にしすぎ。可愛いだけだろ、そんなの」
「それは……俺が、可愛く見えるように努力してるから。でも、歯だけは矯正しない事には変えられないから」
「……ミキちゃんは自信があるのかないのか、分かんねぇな」
呆れたようにため息をつく神田を無視して、幹也は三個目のパンの袋を開けた。
肉は好きだ。でも、人前では食べたくない。――全てはこの、ギザギザの恐竜みたいな歯のせいだ。
幹也の歯は、ところどころすきっ歯で、犬歯の他にも尖った歯が何個かある。
昔からこの歯がコンプレックスだった。
残念な事に幹也の歯は小学校低学年の頃から殆ど生え替わっており、当時から『恐竜人間』とあだ名を付けられ苛められた。
だが当時、幹也の家庭は困るほど貧乏ではないが、子供に歯の矯正をさせる事が出来るほど裕福でも無かった。
しかし、幹也もひたすら泣き寝入りだったわけでもない。
歯が治せないのならば、歯以外のビジュアルを磨く事で外見を補う努力をすればいい。弛まぬ努力のお陰で幹也の事を『恐竜人間』という者は現れなくなった。代わりに同級生の中には、オカマか?と馬鹿にしてくる奴もいるが、幹也はそういう奴を無視出来るくらいには外見への自信がついた。
だが、歯だけは変えられない。
「まぁ、とりあえず俺の肉やるから食えよ。ほら、あーん」
神田はそう言いながら、自分の弁当の肉を箸で摘まんで幹也に差し出す。
「えぇ~嫌ですよ」
「ほらほら、あ~、手が疲れる~、早くして欲しいなぁ」
わざと大げさに手を揺らしながら、幹也の口元に肉をどんどん近づける。
(神田さんって、ゲイ……なわけじゃないよな?結構、気軽に俺の事可愛いって言ってくるし。なんか距離近いんだよな)
こういう事をやられるのは決して嫌なわけではないが、神田は幹也のタイプではないので嬉しいわけでもない。
でも、ここで拒否して残りのバイト日程が気まずくなるのも嫌だな……と思い、幹也は大人しく口を開いて肉を口に放り込んでもらった。
途端、視界の端でガタンッと音がする。
見ると博人が何故か仁王立ちで立ち上がって、此方を真っ青な顔で見ていた。
「ん?森山君?どうした、腹でも痛いのか?」
幹也の視線を辿って、神田も不思議そうな顔をして首を傾げる。
「い、いえ……大丈夫です」
博人は首を振ると、再び同じ場所に大人しく座り込む。
神田はコソコソと幹也に耳打ちしてきた。
「彼、食事中によくトイレ行くし、お腹弱いのかね?」
「知りませんよ」
「トイレでシコッてたりして」
キシシっと下品な笑い方をする神田に、呆れながら答える。
「……食事中にする話じゃないですよ」
「なんだい、ミキちゃん童貞か?」
「ちょっ、そういうの、オヤジくさい」
「なんだよ、マジか。ミキちゃんモテそうなのに」
「モテませんよ……この歯じゃ……キスも出来ない」
思わず本音をポロリと吐いてから、しまったと思ったが時既に遅し。
神田は一瞬吹き出すように笑って、すぐに手で口を押さえた。しかし、明らかに目が笑っている。
「いいですよ……笑って。どうせ童貞なんで」
「いやいや、すまんすまん。だって、ミキちゃん可愛すぎるだろ」
「絶対それ馬鹿にしてるでしょ。いいんです。矯正の為にバイトしてるの知って、そんなに気にしてたのかって、両親が矯正代出してくれる事になったんで。安く出来る大学病院も探してくれて、夏休み終わって矯正が終わったら――」
「えっ!」
部屋中に響き渡る大きな声に驚いて見ると、再び博人が悲壮な顔をしてこちらを凝視している。
幹也の方がびっくりして呆然としていると、先程は大人しく座った博人が凄い勢いで詰め寄ってきた。
「ミキちゃん、矯正するの!?」
「ちょっ、なに、突然っ」
「答えてっ」
「す、するよっ。多分。夏休み終わって、バイト代出てからだけど。それが、どう――」
「そっか……」
そうなんだ、とブツブツ言っている博人の顔は紙のように真っ白だ。
「なぁ、お前顔色悪いぞ。本当に腹壊してるんじゃないか?」
「え?いや、大丈夫、ごめん。もう休憩終わるね。午後も、頑張ろうね……」
弱々しく返事した博人は、覚束無い足取りで部屋を出て行った。
「なんだよ……変な奴」
「あれ?ミキちゃん森山君と仲いいんだ?話してるの、あんまり見た事ないのに」
「別に……仲良くはないですよ。久しぶりに話しました。ただ、あいつとは……幼なじみなんで」
「ふーん、それが全然話さなかったのなんて、なんか理由(わけ)アリ?」
「そんな、理由なんて……」
理由は大アリだ。
何を隠そう幹也の初恋相手は博人だった。
幼稚園から小学低学年で、幹也が苛められるまで一番仲が良かった友達。
博人は皆で鬼ごっこしている時も庭先の石を一人で集めたり、砂場ではない園庭の一角をひたすら掘り起こしたりしていた変わった子供だった。
勿論そんな子供がイジメの対象にならないわけはなく、その頃はガキ大将だった幹也が助けてやったりしていたのだ。
それから、酷く懐かれ、博人は幹也の事を『ミキちゃん』と呼んで慕ってきた。当時は色も白く、背も小さかった博人がそう言ってずっと幹也の後を付いてくる姿はとても可愛かった。
幹也も博人の事を『ヒロくん』と呼んで殊更世話を焼いた。大きくなったら結婚しようね、とまで言っていた気がする。
転機は幹也がとあるヒーロー戦隊にハマった時に訪れた。
大好きなヒーローものの下敷きを親に買ってもらい有頂天で博人に見せたのだ。
「この中で、俺はどれだと思う!?」
それは、ヒーロー達から悪役まで登場人物が全員集合して印刷された下敷きだった。
鼻を膨らませながら、博人が「勿論レッドだよ」と言ってくれるのを待った。
しかし――。
「ミキちゃんは、この恐竜っ」
博人が指差したのは、恐竜の形を模した悪役の方だった。
「うわっ、本当だっ。これ、幹也そっくりじゃんっ」
「恐竜人間だ~!逃げろ~」
まわりで二人のやり取りを聞いていた子供達が、大声ではやし立ててきた。
幹也は大好きな博人にそんな事を言われたのがショックで、まわりの声など殆ど聞こえなかった。
目尻が勝手に熱くなって、人前でなんて泣きたくなくて、大急ぎで家に帰ったのを覚えている。
それからは、気まずくて、ずっと話しかけることも出来なかった。
だが、博人といえば、そんな過去のことなど忘れてしまったかのように、好きな事に突き進み、どんどん格好よく成長していく。
可愛かった博人が、目の前でどんどん男らしくなっていく様に、幹也は焦った。
置いて行かれたくなくて、外見を磨く努力もしてきた。
だが、ある日、聞いてしまったのだ。
女子達が、いつも通り、廊下で博人に群がっていた時の事。
そのうち、一人の派手な容姿の女子が「博人くんって、脚とか、胸とか~、どのパーツ重視な感じ?」と詰め寄っていたところに遭遇した。
幹也はドキドキしながら、聞き耳をたてた。そして、博人は言ったのだ。「歯」と……。
その日の夜は、一晩枕を涙に濡らした。何故こんなにも悲しいのか……それは、博人の事が好きだから、という事に、そこでやっと気付いたのだ。
次の日の朝、幹也は歯を矯正しようと決意した。
矯正して、そして、せめて、博人ともう一度自信を持って話しかけられるようになりたかった。
「ミキちゃんお疲れ~」
午後の作業を終え、幹也が自転車置き場でぼんやりしていると、ふいに後ろから神田に肩を叩かれた。
「わっと、神田さんお疲れさまっす」
「なんだい、そんなに驚かなくても」
「いや、ちょっと……考え事してたんで」
昔、博人との関係に亀裂が入った時の事を思い出していた、なんて言えずに言葉を濁す。すると、神田はニヤリと笑った。
「ふーん、どうやってキスしようか、とか?」
「ちょっと……そのネタ引っ張るの反則ですよ」
「いいじゃん、いいじゃん。なぁ、矯正なんかしなくてもさぁ――俺がキスしてやろうか」
ふいに肩を引き寄せられ、耳元で低く囁かれた。
ゾワリと鳥肌がたつ感覚に、思わず神田を押しのけようとしたところで、肩の重みがふいに無くなる。
次の瞬間、神田が「イタタタ」と悲鳴を上げた。見ると、いつの間にか博人が、神田の腕をひねり上げているではないか。
「何すんだよ、痛ぇだろうがっ」
神田が何とか博人の手から逃れ、腕を擦りながら怒鳴りつけた。
博人はぐいっと神田と幹也の間に身体を入れると、しれっとした顔で答える。
「すいません。神田さん今日やけに張り切ってたんで、腕のマッサージして差し上げようかと思って」
「はぁ?お前……嫉妬も大概――」
「神田さん、バイクですよね。俺らチャリなんで。ほら、行こうミキちゃん」
「えっ、ちょっ、あっ、お先、失礼しますっ」
博人が幹也の自転車をどんどん引っ張っていってしまうので、幹也は唖然としている神田に挨拶すると、慌ててその後を付いて行った。
「なあ、さっきの……」
「いいから付いてきて」
話しかけようとしても、博人は憮然と前を向いたまま、ひたすら自転車を漕いでいる。
後ろからでは表情が読めなくて何となく怖かった。何年かぶりに真面に話したのに、なぜか博人は怒っているように見える。
いきなり話しかけてきたり、黙って付いてこいって言ったり……理不尽の態度に怒ってもいいのに、胸の高まりを止めらない。
(肩幅……あの頃とは比べ物にならないくらい大きくなったな……)
後ろ姿を見つめながら、ジワリと胸が熱くなる。
そのまま付いて行くこと15分ほどで、目的地に到着した。
「ここって……」
「俺の家だよ。ミキちゃん、来たことは無かったよね」
車が三台は停められそうな駐車スペースに自転車を停めさせてもらうと、幹也の部屋より広そうな玄関を通された。
「家の人は?」
「両親は二人とも大学勤めで共働きだから」
だからいない、という事だろう。そのまま、何も言わずにずんずん二階に進んでいく博人に、仕方なく幹也も着いていく。
「ここが俺の部屋。入って」
二階の一角にある部屋のドアを開けて、先に入るように促される。
恐る恐る足を踏み入れて――圧倒された。
まず目に入ったのはフィギアなのだろうか。幹也の身長くらいありそうな恐竜の骨格標本。
その横には所狭しとシダのような植物が置いてあり、壁には一面青、白、緑……と様々な石が飾られている。壁のスペースを石に取られているせいか、床には本が山積みになっていた。
「凄いな……」
ここだけ別世界のようだ。幹也は思わずため息をついた。
「何故か、俺の事みんな考古学が好きって勘違いしているけど、遺跡の発掘現場は勉強になるから行っているだけなんだ。本当に俺がやりたいのは化石の発掘。地質学だよ」
「化石って……アンモナイトとかって事?」
壁一面の石を眺めながらたずねる。
「そう、石を割って、植物とか貝の化石をとったりもするよ。石も好きだし、地球の歴史を感じる地層を見るのも好きだけど……俺が一番好きなのは――恐竜」
博人の瞳に、急に熱が籠もった気がした。
ゾワリ、と肌が粟立つ。
恐竜……どうしたってあの事を思い出してしまう。
博人は幹也の側まで来ると、そっと両手をとり、顔の前まで持ちあげる。
真っ直ぐに視線を合わせられ、幹也の心臓がドキンと跳ねた。
「ねえ、ミキちゃん。ずっと謝りたかったんだ。あの日、ミキちゃんを傷つけてしまったこと」
キタ――!
あの日のこと。ずっと幹也が考えないようにしていたこと。真正面からぶつけられて、逃げる事も出来ない。
「でも、言い訳だけど……俺にとっては最高の褒め言葉だったんだ。恐竜みたいに格好良くて、可愛いミキちゃんが大好きだったから」
「なっ、可愛いって……」
「可愛いよ、凄く。今も……ずっと好きだけど、俺はミキちゃんを傷つけてしまったから――避けられたのは自業自得なんだって、ずっと自分に言い聞かせてた。でも……発掘現場でまた近くで見られて……嬉しくて。調子に乗ってしまいそうだったけど、ミキちゃんが話しかけてくれるまで我慢だって。話しかけたいけど、見るだけにしようって。なのにっ、あんな変態にキスされそうになってるし」
「なっ」
思わず腕で口元を隠した。博人にはあの時の神田とのやり取りを聞かれていたのだ。
「ねぇ……ミキちゃん。キスしたいなら、俺としよ?ずっとずっと、キスしたかった――。ミキちゃんは嫌がるかもしれないけど、その恐竜みたいな歯を舐めてみたかった……」
「へっ、変態じゃん!!」
「変態だよ。俺、ミキちゃんがご飯食べてる時、チラチラその歯が見えて……辛抱堪らなくて何回か事務所で抜いたもん」
「お、おまえっ」
まさか、神田が言っていた事が、真実を言い当てていたとは。あまりの事に眩暈がしそうだ。
あんな澄ました、格好いい顔で……そんな事を思ってたなんて!
「もういいよ。ミキちゃんに嫌われてるのは分かってるし、今更キモがられてもいいんだ。でも、矯正する前に一回でもいいからキスさせて」
殊更強く手を握られる。その手は酷く熱く、博人の熱が幹也にまで移ってしまいそうだ。思わず手を振りほどこうとしたが、その手が小刻みに震えている事に気付いた。
「そしたら、もう二度とミキちゃんに話しかけないって誓うから――。バイトも、もうやめる」
その瞳はずっと変わらず熱を孕んでいるが、顔は今にも泣きそうに歪んでいる。
(本当に……俺の事が好きなのか?)
博人の事を変態、なんて言ったけど、自分だって隠し撮り写真を一人眺めてニヤニヤしていたのだ。
そんな自分を、博人が好き?
信じられない気持ちで、博人の手を握り返した。
博人の身体が、大きく跳ねる。
「お前……そんなに、この歯が好きなの?」
思ったより、冷静な声が出た幹也の声に、博人が弾かれたように答えた。
「歯じゃなくて、好きなのはミキちゃんだよ。そもそも恐竜を好きになったのも、ミキちゃんに似てるなって思ったのがきっかけだから。その歯じゃなくたって、俺はミキちゃんが好きだ。格好良くて、可愛くて、頑張り屋なミキちゃん」
「……格好良くは無いよ」
「格好いいよ。俺のせいで苛められても、ミキちゃんはそんな奴らに負けない努力をずっとしてた。ずっと見てたよ。見るだけしか出来なかったけど……」
ずっと見ていてくれたのだ……。博人が昔の自分だけではなく、今の自分を見て格好いいと思ってくれているのが分かって、頬が熱くなるのを感じる。
「でも、俺はずっと、一度でもいいから今の歯のミキちゃんとキスしたいって……思ってたから」
博人の顔が吐息が顔にかかるほど近くまで寄ってくる。熱い吐息を感じ、思わず喘いだ。自分の吐息も熱を孕んでいるのは気のせいか。
「ミキちゃんが矯正するなら、この歯のミキちゃんとキスしたのは俺だけって事になるだろ?そしたら、俺はその思い出で生きていけると思うんだ」
「……いいよ」
「ごめん、本当キモいよね……って、え?」
「いいよって言ってんの」
「ほ、本当に?」
「しないなら、いい」
「するよ、したい、ごめん……するよ」
最後は殊更低い声で囁かれ、背筋がゾクリと震えた。
そっと目を閉じると、怖々といった感じで柔らかなものが唇に押し当てられる。
(あ……これが、キス……)
柔らかな感触に感動していると、ふいに湿ったものが唇に触れた。
思わずびっくりして口を開けると、待ってましたとばかりにソレは侵入し、口内を縦横無尽に這い回る。
「っん……ッ!」
苦しくて博人の肩をギュッと掴むと、更に深く貪られた。
歯茎の裏、上顎、幹也が意識したことも無い場所を舌先でなぞられ、くすぐったいだけではない感覚に背筋がゾクリと震える。
(あっ、歯……)
幹也の口の中を一周した後、メインディッシュとばかりに一つ一つの歯をゆっくりと舌先でなぞられた。
既に息も絶え絶えだった幹也には、地獄のように長い時間に感じる。
歯の輪郭を確かめるように、舌でぐるりと撫でられると、それだけで腰が抜けそうに感じてしまう。
(う、嘘……こんな……)
やっと解放された頃には、博人に支えて貰わないと、立っている事がやっとだった。
「はぁ……ミキちゃん、最高に興奮した…ありがとう……」
それが嘘ではないことは、密着している股間から痛いほど伝わってきた。
「……お、思い出にっ、するなよ……」
「えっ」
まだ、肩で息をしながら、なんとか呼吸を整える。
「ヒロくんの事避けてたの、恐竜って言われたのが嫌だった、って言うより逃げる事しか出来なかった自分が情けなかったんだ。そうこうしてるうちに、どんどん話すきっかけを逃して……」
「ミキちゃん……」
「しかも、ヒロくんは考古学王子なんて呼ばれて、どんどん格好良くなってて……だから矯正もして、もっと自信をつけたら、話せるようになるかなって……」
言葉に出してしまえば、自分という人間は酷く単純だった。情けないほど、あの頃からヒロくんでいっぱいなのだ。
「ミキちゃんっ」
感極まったように抱きしめられる。
「もうこれ以上、どうやって好きになったらいいの……格好良くて、可愛い、俺のミキちゃん……」
もう一度キスをされ、幹也はうっとりと瞳を閉じた。
(まずは、歯医者をキャンセルしなくちゃな)
バイト代で幹也と化石を見に行ってもいい。
だって、恐竜歯のキスはこんなにも気持ちいいんだから――。
コンビニのパンを囓りながら、視線を感じ顔を上げると、森山博人がいつも通り少し離れた場所からじっとこちらを見ている。見ていることを隠そうともしない、あからさまな視線。
(別に、変なとこないよな?)
博人に見られていると思うと、緊張して、味もよく分からない。幹也は大好物な筈のジャムパンを、ささっと食べると、無理矢理牛乳で流し込んだ。
幹也の住んでいる街では、今盛んに土地開発が行われ、それに伴いあちこちで発掘調査が行われている。
幹也の通っている高校は基本的にバイト禁止だが、夏休みの間、発掘調査のバイトだけは、例外的に認められているのだ。
こんな片田舎で高校生が出来るバイトなんて皆無と言っていいので、堂々と行えるバイトは非常にありがたい。ありがたいのだが……。
(初日から、ずっとガン見だもんな……)
森山博人は同じ高校に通っている有名な考古学オタクの同級生だ。
浅黒い肌に、程良く均整が取れた筋肉。精悍で爽やかな見た目は、サッカー部のエースのようにも見えるが、実際は発掘現場で培ったもののようだ。
噂では幹也もTVで見たことのある、有名な考古学者に会いに大学の研究室に出入りしたりしているらしい。
発掘調査のバイトが認められているのも、博人の為なんじゃないかと専らの噂だ。
女子の間では、密かに『考古学王子』と呼ばれて、非公認ファンクラブまであるらしい。というか、ある。なぜ知っているかと言えば……。
(会員なんだよな、俺も)
財布に入っている会員証を、ひっそり思い浮かべ、冷や汗をかく。
(バレてるわけじゃないよなぁ?)
非公認ファンクラブに入ると、博人のお宝盗み撮りショットが不定期でスマホに送られてくるのだ。
はっきり言って、犯罪だと思う。
別にえっちな写真なわけではないが、博人が発掘現場で汗をかきながら、爽やかに笑う写真が、幹也のフォルダいっぱいに入っているのを見れば、本人はさぞ気味が悪いに違いない。
(でも……カッコイイんだもん!)
幹也はゲイだ。
初恋は幼稚園の同じクラスの男の子だし、その後も気になる対象は全員男だった。
発掘現場で活躍する博人は、ハッキリ言って格好いい。バイト中に盗み見ては、心をときめかせているが、そんな幹也を博人に見られていると思うと話は別だ。
なるべく、博人の視界に入らないようにコソコソしていたが、どうした事か、バイト初日から、幹也がお昼を食べ始めると博人の視線を感じるのだ。
最近では隠そうともせず、堂々と見てくる事が多い。
幹也は逃げだしたくなる気持ちを、なんとか落ち着かせ、深呼吸する。
毎日トリートメントを欠かさない栗色の髪色は、発掘調査で崩れないようにしっかりセットしてきたし、化粧はしないが眉毛は毎日綺麗に整えている。
パックもしてるから肌は艶々。リップもお気に入りのをつけてきたし、アーモンド形の瞳を縁取る睫毛は元々長いが、ビューラーで上げてきた。
大丈夫……アレ以外は、完璧。
そう、幹也はアレを治す為に、どうしてもお金が欲しかったのだ。
博人に自信を持って、話しかけられるように──。
「よぉ、ミキちゃん。今日もそれだけか。そんなんじゃ午後持たねぇぞ。肉を食え、肉をっ」
昼休憩はプレハブの二階で床に座ってとる。
それほど急かされる現場ではないので、皆で輪になって仲良しムードで食べるのが基本だ。隣で肉を食えとせっついてくる神田は大学生で、同じく夏休みのバイトとして発掘作業に参加している。
神田は人懐こい性質のようで、初日から何かと幹也に絡んできた。
初日――動きやすい格好をして来いと言われていたので、幹也は上下赤色のジャージを着て、前髪にヘアピンを付けて行った時の事。神田はそんな幹也を見て爆笑した後、すぐに『ミキちゃん』と呼んできたのだ。
彼はバイト組のムードメーカーで、彼がミキちゃん、と呼ぶせいか今では現場責任者の人にまで『ミキちゃん』と呼ばれる始末だ。
「肉……人前で食べるの嫌いなんですよ。知ってるでしょ?俺が食べると……なんか肉食(にくしょく)って感じになって嫌なんです」
「だからぁ~、ミキちゃんは気にしすぎ。可愛いだけだろ、そんなの」
「それは……俺が、可愛く見えるように努力してるから。でも、歯だけは矯正しない事には変えられないから」
「……ミキちゃんは自信があるのかないのか、分かんねぇな」
呆れたようにため息をつく神田を無視して、幹也は三個目のパンの袋を開けた。
肉は好きだ。でも、人前では食べたくない。――全てはこの、ギザギザの恐竜みたいな歯のせいだ。
幹也の歯は、ところどころすきっ歯で、犬歯の他にも尖った歯が何個かある。
昔からこの歯がコンプレックスだった。
残念な事に幹也の歯は小学校低学年の頃から殆ど生え替わっており、当時から『恐竜人間』とあだ名を付けられ苛められた。
だが当時、幹也の家庭は困るほど貧乏ではないが、子供に歯の矯正をさせる事が出来るほど裕福でも無かった。
しかし、幹也もひたすら泣き寝入りだったわけでもない。
歯が治せないのならば、歯以外のビジュアルを磨く事で外見を補う努力をすればいい。弛まぬ努力のお陰で幹也の事を『恐竜人間』という者は現れなくなった。代わりに同級生の中には、オカマか?と馬鹿にしてくる奴もいるが、幹也はそういう奴を無視出来るくらいには外見への自信がついた。
だが、歯だけは変えられない。
「まぁ、とりあえず俺の肉やるから食えよ。ほら、あーん」
神田はそう言いながら、自分の弁当の肉を箸で摘まんで幹也に差し出す。
「えぇ~嫌ですよ」
「ほらほら、あ~、手が疲れる~、早くして欲しいなぁ」
わざと大げさに手を揺らしながら、幹也の口元に肉をどんどん近づける。
(神田さんって、ゲイ……なわけじゃないよな?結構、気軽に俺の事可愛いって言ってくるし。なんか距離近いんだよな)
こういう事をやられるのは決して嫌なわけではないが、神田は幹也のタイプではないので嬉しいわけでもない。
でも、ここで拒否して残りのバイト日程が気まずくなるのも嫌だな……と思い、幹也は大人しく口を開いて肉を口に放り込んでもらった。
途端、視界の端でガタンッと音がする。
見ると博人が何故か仁王立ちで立ち上がって、此方を真っ青な顔で見ていた。
「ん?森山君?どうした、腹でも痛いのか?」
幹也の視線を辿って、神田も不思議そうな顔をして首を傾げる。
「い、いえ……大丈夫です」
博人は首を振ると、再び同じ場所に大人しく座り込む。
神田はコソコソと幹也に耳打ちしてきた。
「彼、食事中によくトイレ行くし、お腹弱いのかね?」
「知りませんよ」
「トイレでシコッてたりして」
キシシっと下品な笑い方をする神田に、呆れながら答える。
「……食事中にする話じゃないですよ」
「なんだい、ミキちゃん童貞か?」
「ちょっ、そういうの、オヤジくさい」
「なんだよ、マジか。ミキちゃんモテそうなのに」
「モテませんよ……この歯じゃ……キスも出来ない」
思わず本音をポロリと吐いてから、しまったと思ったが時既に遅し。
神田は一瞬吹き出すように笑って、すぐに手で口を押さえた。しかし、明らかに目が笑っている。
「いいですよ……笑って。どうせ童貞なんで」
「いやいや、すまんすまん。だって、ミキちゃん可愛すぎるだろ」
「絶対それ馬鹿にしてるでしょ。いいんです。矯正の為にバイトしてるの知って、そんなに気にしてたのかって、両親が矯正代出してくれる事になったんで。安く出来る大学病院も探してくれて、夏休み終わって矯正が終わったら――」
「えっ!」
部屋中に響き渡る大きな声に驚いて見ると、再び博人が悲壮な顔をしてこちらを凝視している。
幹也の方がびっくりして呆然としていると、先程は大人しく座った博人が凄い勢いで詰め寄ってきた。
「ミキちゃん、矯正するの!?」
「ちょっ、なに、突然っ」
「答えてっ」
「す、するよっ。多分。夏休み終わって、バイト代出てからだけど。それが、どう――」
「そっか……」
そうなんだ、とブツブツ言っている博人の顔は紙のように真っ白だ。
「なぁ、お前顔色悪いぞ。本当に腹壊してるんじゃないか?」
「え?いや、大丈夫、ごめん。もう休憩終わるね。午後も、頑張ろうね……」
弱々しく返事した博人は、覚束無い足取りで部屋を出て行った。
「なんだよ……変な奴」
「あれ?ミキちゃん森山君と仲いいんだ?話してるの、あんまり見た事ないのに」
「別に……仲良くはないですよ。久しぶりに話しました。ただ、あいつとは……幼なじみなんで」
「ふーん、それが全然話さなかったのなんて、なんか理由(わけ)アリ?」
「そんな、理由なんて……」
理由は大アリだ。
何を隠そう幹也の初恋相手は博人だった。
幼稚園から小学低学年で、幹也が苛められるまで一番仲が良かった友達。
博人は皆で鬼ごっこしている時も庭先の石を一人で集めたり、砂場ではない園庭の一角をひたすら掘り起こしたりしていた変わった子供だった。
勿論そんな子供がイジメの対象にならないわけはなく、その頃はガキ大将だった幹也が助けてやったりしていたのだ。
それから、酷く懐かれ、博人は幹也の事を『ミキちゃん』と呼んで慕ってきた。当時は色も白く、背も小さかった博人がそう言ってずっと幹也の後を付いてくる姿はとても可愛かった。
幹也も博人の事を『ヒロくん』と呼んで殊更世話を焼いた。大きくなったら結婚しようね、とまで言っていた気がする。
転機は幹也がとあるヒーロー戦隊にハマった時に訪れた。
大好きなヒーローものの下敷きを親に買ってもらい有頂天で博人に見せたのだ。
「この中で、俺はどれだと思う!?」
それは、ヒーロー達から悪役まで登場人物が全員集合して印刷された下敷きだった。
鼻を膨らませながら、博人が「勿論レッドだよ」と言ってくれるのを待った。
しかし――。
「ミキちゃんは、この恐竜っ」
博人が指差したのは、恐竜の形を模した悪役の方だった。
「うわっ、本当だっ。これ、幹也そっくりじゃんっ」
「恐竜人間だ~!逃げろ~」
まわりで二人のやり取りを聞いていた子供達が、大声ではやし立ててきた。
幹也は大好きな博人にそんな事を言われたのがショックで、まわりの声など殆ど聞こえなかった。
目尻が勝手に熱くなって、人前でなんて泣きたくなくて、大急ぎで家に帰ったのを覚えている。
それからは、気まずくて、ずっと話しかけることも出来なかった。
だが、博人といえば、そんな過去のことなど忘れてしまったかのように、好きな事に突き進み、どんどん格好よく成長していく。
可愛かった博人が、目の前でどんどん男らしくなっていく様に、幹也は焦った。
置いて行かれたくなくて、外見を磨く努力もしてきた。
だが、ある日、聞いてしまったのだ。
女子達が、いつも通り、廊下で博人に群がっていた時の事。
そのうち、一人の派手な容姿の女子が「博人くんって、脚とか、胸とか~、どのパーツ重視な感じ?」と詰め寄っていたところに遭遇した。
幹也はドキドキしながら、聞き耳をたてた。そして、博人は言ったのだ。「歯」と……。
その日の夜は、一晩枕を涙に濡らした。何故こんなにも悲しいのか……それは、博人の事が好きだから、という事に、そこでやっと気付いたのだ。
次の日の朝、幹也は歯を矯正しようと決意した。
矯正して、そして、せめて、博人ともう一度自信を持って話しかけられるようになりたかった。
「ミキちゃんお疲れ~」
午後の作業を終え、幹也が自転車置き場でぼんやりしていると、ふいに後ろから神田に肩を叩かれた。
「わっと、神田さんお疲れさまっす」
「なんだい、そんなに驚かなくても」
「いや、ちょっと……考え事してたんで」
昔、博人との関係に亀裂が入った時の事を思い出していた、なんて言えずに言葉を濁す。すると、神田はニヤリと笑った。
「ふーん、どうやってキスしようか、とか?」
「ちょっと……そのネタ引っ張るの反則ですよ」
「いいじゃん、いいじゃん。なぁ、矯正なんかしなくてもさぁ――俺がキスしてやろうか」
ふいに肩を引き寄せられ、耳元で低く囁かれた。
ゾワリと鳥肌がたつ感覚に、思わず神田を押しのけようとしたところで、肩の重みがふいに無くなる。
次の瞬間、神田が「イタタタ」と悲鳴を上げた。見ると、いつの間にか博人が、神田の腕をひねり上げているではないか。
「何すんだよ、痛ぇだろうがっ」
神田が何とか博人の手から逃れ、腕を擦りながら怒鳴りつけた。
博人はぐいっと神田と幹也の間に身体を入れると、しれっとした顔で答える。
「すいません。神田さん今日やけに張り切ってたんで、腕のマッサージして差し上げようかと思って」
「はぁ?お前……嫉妬も大概――」
「神田さん、バイクですよね。俺らチャリなんで。ほら、行こうミキちゃん」
「えっ、ちょっ、あっ、お先、失礼しますっ」
博人が幹也の自転車をどんどん引っ張っていってしまうので、幹也は唖然としている神田に挨拶すると、慌ててその後を付いて行った。
「なあ、さっきの……」
「いいから付いてきて」
話しかけようとしても、博人は憮然と前を向いたまま、ひたすら自転車を漕いでいる。
後ろからでは表情が読めなくて何となく怖かった。何年かぶりに真面に話したのに、なぜか博人は怒っているように見える。
いきなり話しかけてきたり、黙って付いてこいって言ったり……理不尽の態度に怒ってもいいのに、胸の高まりを止めらない。
(肩幅……あの頃とは比べ物にならないくらい大きくなったな……)
後ろ姿を見つめながら、ジワリと胸が熱くなる。
そのまま付いて行くこと15分ほどで、目的地に到着した。
「ここって……」
「俺の家だよ。ミキちゃん、来たことは無かったよね」
車が三台は停められそうな駐車スペースに自転車を停めさせてもらうと、幹也の部屋より広そうな玄関を通された。
「家の人は?」
「両親は二人とも大学勤めで共働きだから」
だからいない、という事だろう。そのまま、何も言わずにずんずん二階に進んでいく博人に、仕方なく幹也も着いていく。
「ここが俺の部屋。入って」
二階の一角にある部屋のドアを開けて、先に入るように促される。
恐る恐る足を踏み入れて――圧倒された。
まず目に入ったのはフィギアなのだろうか。幹也の身長くらいありそうな恐竜の骨格標本。
その横には所狭しとシダのような植物が置いてあり、壁には一面青、白、緑……と様々な石が飾られている。壁のスペースを石に取られているせいか、床には本が山積みになっていた。
「凄いな……」
ここだけ別世界のようだ。幹也は思わずため息をついた。
「何故か、俺の事みんな考古学が好きって勘違いしているけど、遺跡の発掘現場は勉強になるから行っているだけなんだ。本当に俺がやりたいのは化石の発掘。地質学だよ」
「化石って……アンモナイトとかって事?」
壁一面の石を眺めながらたずねる。
「そう、石を割って、植物とか貝の化石をとったりもするよ。石も好きだし、地球の歴史を感じる地層を見るのも好きだけど……俺が一番好きなのは――恐竜」
博人の瞳に、急に熱が籠もった気がした。
ゾワリ、と肌が粟立つ。
恐竜……どうしたってあの事を思い出してしまう。
博人は幹也の側まで来ると、そっと両手をとり、顔の前まで持ちあげる。
真っ直ぐに視線を合わせられ、幹也の心臓がドキンと跳ねた。
「ねえ、ミキちゃん。ずっと謝りたかったんだ。あの日、ミキちゃんを傷つけてしまったこと」
キタ――!
あの日のこと。ずっと幹也が考えないようにしていたこと。真正面からぶつけられて、逃げる事も出来ない。
「でも、言い訳だけど……俺にとっては最高の褒め言葉だったんだ。恐竜みたいに格好良くて、可愛いミキちゃんが大好きだったから」
「なっ、可愛いって……」
「可愛いよ、凄く。今も……ずっと好きだけど、俺はミキちゃんを傷つけてしまったから――避けられたのは自業自得なんだって、ずっと自分に言い聞かせてた。でも……発掘現場でまた近くで見られて……嬉しくて。調子に乗ってしまいそうだったけど、ミキちゃんが話しかけてくれるまで我慢だって。話しかけたいけど、見るだけにしようって。なのにっ、あんな変態にキスされそうになってるし」
「なっ」
思わず腕で口元を隠した。博人にはあの時の神田とのやり取りを聞かれていたのだ。
「ねぇ……ミキちゃん。キスしたいなら、俺としよ?ずっとずっと、キスしたかった――。ミキちゃんは嫌がるかもしれないけど、その恐竜みたいな歯を舐めてみたかった……」
「へっ、変態じゃん!!」
「変態だよ。俺、ミキちゃんがご飯食べてる時、チラチラその歯が見えて……辛抱堪らなくて何回か事務所で抜いたもん」
「お、おまえっ」
まさか、神田が言っていた事が、真実を言い当てていたとは。あまりの事に眩暈がしそうだ。
あんな澄ました、格好いい顔で……そんな事を思ってたなんて!
「もういいよ。ミキちゃんに嫌われてるのは分かってるし、今更キモがられてもいいんだ。でも、矯正する前に一回でもいいからキスさせて」
殊更強く手を握られる。その手は酷く熱く、博人の熱が幹也にまで移ってしまいそうだ。思わず手を振りほどこうとしたが、その手が小刻みに震えている事に気付いた。
「そしたら、もう二度とミキちゃんに話しかけないって誓うから――。バイトも、もうやめる」
その瞳はずっと変わらず熱を孕んでいるが、顔は今にも泣きそうに歪んでいる。
(本当に……俺の事が好きなのか?)
博人の事を変態、なんて言ったけど、自分だって隠し撮り写真を一人眺めてニヤニヤしていたのだ。
そんな自分を、博人が好き?
信じられない気持ちで、博人の手を握り返した。
博人の身体が、大きく跳ねる。
「お前……そんなに、この歯が好きなの?」
思ったより、冷静な声が出た幹也の声に、博人が弾かれたように答えた。
「歯じゃなくて、好きなのはミキちゃんだよ。そもそも恐竜を好きになったのも、ミキちゃんに似てるなって思ったのがきっかけだから。その歯じゃなくたって、俺はミキちゃんが好きだ。格好良くて、可愛くて、頑張り屋なミキちゃん」
「……格好良くは無いよ」
「格好いいよ。俺のせいで苛められても、ミキちゃんはそんな奴らに負けない努力をずっとしてた。ずっと見てたよ。見るだけしか出来なかったけど……」
ずっと見ていてくれたのだ……。博人が昔の自分だけではなく、今の自分を見て格好いいと思ってくれているのが分かって、頬が熱くなるのを感じる。
「でも、俺はずっと、一度でもいいから今の歯のミキちゃんとキスしたいって……思ってたから」
博人の顔が吐息が顔にかかるほど近くまで寄ってくる。熱い吐息を感じ、思わず喘いだ。自分の吐息も熱を孕んでいるのは気のせいか。
「ミキちゃんが矯正するなら、この歯のミキちゃんとキスしたのは俺だけって事になるだろ?そしたら、俺はその思い出で生きていけると思うんだ」
「……いいよ」
「ごめん、本当キモいよね……って、え?」
「いいよって言ってんの」
「ほ、本当に?」
「しないなら、いい」
「するよ、したい、ごめん……するよ」
最後は殊更低い声で囁かれ、背筋がゾクリと震えた。
そっと目を閉じると、怖々といった感じで柔らかなものが唇に押し当てられる。
(あ……これが、キス……)
柔らかな感触に感動していると、ふいに湿ったものが唇に触れた。
思わずびっくりして口を開けると、待ってましたとばかりにソレは侵入し、口内を縦横無尽に這い回る。
「っん……ッ!」
苦しくて博人の肩をギュッと掴むと、更に深く貪られた。
歯茎の裏、上顎、幹也が意識したことも無い場所を舌先でなぞられ、くすぐったいだけではない感覚に背筋がゾクリと震える。
(あっ、歯……)
幹也の口の中を一周した後、メインディッシュとばかりに一つ一つの歯をゆっくりと舌先でなぞられた。
既に息も絶え絶えだった幹也には、地獄のように長い時間に感じる。
歯の輪郭を確かめるように、舌でぐるりと撫でられると、それだけで腰が抜けそうに感じてしまう。
(う、嘘……こんな……)
やっと解放された頃には、博人に支えて貰わないと、立っている事がやっとだった。
「はぁ……ミキちゃん、最高に興奮した…ありがとう……」
それが嘘ではないことは、密着している股間から痛いほど伝わってきた。
「……お、思い出にっ、するなよ……」
「えっ」
まだ、肩で息をしながら、なんとか呼吸を整える。
「ヒロくんの事避けてたの、恐竜って言われたのが嫌だった、って言うより逃げる事しか出来なかった自分が情けなかったんだ。そうこうしてるうちに、どんどん話すきっかけを逃して……」
「ミキちゃん……」
「しかも、ヒロくんは考古学王子なんて呼ばれて、どんどん格好良くなってて……だから矯正もして、もっと自信をつけたら、話せるようになるかなって……」
言葉に出してしまえば、自分という人間は酷く単純だった。情けないほど、あの頃からヒロくんでいっぱいなのだ。
「ミキちゃんっ」
感極まったように抱きしめられる。
「もうこれ以上、どうやって好きになったらいいの……格好良くて、可愛い、俺のミキちゃん……」
もう一度キスをされ、幹也はうっとりと瞳を閉じた。
(まずは、歯医者をキャンセルしなくちゃな)
バイト代で幹也と化石を見に行ってもいい。
だって、恐竜歯のキスはこんなにも気持ちいいんだから――。
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