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九
揺れる心-2
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翌日、夜。
「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」
「約束ですよ、殿下。絶対に――」
「くどい」
心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。
「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」
見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。
今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。
「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」
「お任せください」
そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。
別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。
「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」
「情けない子ね、断言出来ないの?」
「できません」
ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。
城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。
三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。
「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」
二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。
「行っちゃったわね」
従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。
「やはり、お心細いですか?」
リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。
「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」
「わっ」
アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。
「あなたがいるものね」
「で、殿下っ……!?」
ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。
「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」
アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。
「……全部、殿下のおかげです」
「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」
皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。
「もったいないお言葉です……皇女殿下」
「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」
「なっ……」
突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。
「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」
「そう?」
「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」
リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。
「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」
「約束ですよ、殿下。絶対に――」
「くどい」
心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。
「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」
見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。
今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。
「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」
「お任せください」
そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。
別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。
「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」
「情けない子ね、断言出来ないの?」
「できません」
ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。
城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。
三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。
「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」
二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。
「行っちゃったわね」
従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。
「やはり、お心細いですか?」
リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。
「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」
「わっ」
アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。
「あなたがいるものね」
「で、殿下っ……!?」
ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。
「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」
アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。
「……全部、殿下のおかげです」
「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」
皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。
「もったいないお言葉です……皇女殿下」
「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」
「なっ……」
突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。
「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」
「そう?」
「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」
リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。
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