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異常事態

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仕事から帰ればすでに日付は変わっていた。
アパートの一階。築数十年のボロいアパートの一室に電気をつける。部屋には布団とテーブル、小さなテレビ。
体から汗とほこりの匂いがするが残り少ない体力が風呂に入る気力も削いていた。

明日のためを考えるなら1番正しい選択はとにかく寝てしまう事だけど、畳に横たわった俺はポケットからタバコを取り出し火をつけてしまう。体に悪く、疲れも取れないこの行為がやめられなくなったのは働いてすぐだった。
吸って吐き出した煙はすぐに消えていった。このまま俺も何もなく死んでいくのだろう。


俺の人生と言えば高校の終わりから色褪せたものだった。両親が死に大学進学なんてお金はなかったからまず働いた。高卒で働けるところなんてバカな俺には肉体労働しかなかったが疲れ果てすぐに寝てしまうおかげで一人であれこれ考える時間が減ったのは好都合だったかもしれない。

朝から晩まで働いて安い給料でカップ麺なんか食べて、料理は好きだったけど金もないし狭いキッチンでは作る気にもならない。彼女もいなければ誰かを呼ぶような気力もない。
何気なく見渡す汚くはないけど魅力のない古くて狭い部屋。今時四畳半に住む人間なんて少ないだろう。
このままじゃダメなんだろうと思いつつも新しく何かを始めるような元気もない、でも元気があったとしても俺は何か行動を起こしたのだろうか。なんの未練もないこの世で行動的に動く俺なんて想像できない。


最後に楽しかったのはあの2人がいた時だ。

「あいつら今頃何やってんだろ……」

もう俺の事なんて覚えてないかもしれないけど。それでも俺の記憶はあいつらといた楽しい記憶と両親の事ばかり思い出す。


俺は3人家族のひとりっ子だ。母親は元々体が弱くて入院を繰り返していた。それでもお見舞いに行けばいつも笑いの絶えない人だったし、父親だってそんな母を甲斐甲斐しく世話をしながら働きつつも泣き言ひとつ言わない男で、俺の憧れだった。

小さい時からそんな感じだったから母親の入院そのものは不安が大きい方ではなかったのだ。またすぐに退院するだろうと勝手にそう思っていたから。

医療費もあって家は裕福じゃなかったけど、バイトをしながら自分の事は出来るだけ自分でやっていればそこまで困ることもなかった。母さんが家にいない時は父さんと男の料理飯なんかを2人で作ったりして、家族が揃った時は母さんの美味しい飯を食べて。

だからそれなりに俺は楽しんでいた。高校でも、もともと人と話すのも大好きだし注目を浴びるのも嫌いじゃないから人前に立つようなことばかりやっていた。そのおかげで友達も多いほうだったしみんなに囲まれ楽しく騒ぐ日々だった。

その中でも特に楽しかったのはあの2人といる時だ。俺と同じくらい、もしくは俺よりも目立っていたあの2人を俺は気に入っていた。頭も良くて顔もいいし、優しくて頼りになる。それなのに俺と一緒になってふざけるし会えば男子高校生らしくバカな事で爆笑ばかりしていた。
タイプが違う2人だからよく喧嘩をしていたけど、その喧嘩を見るのも賑やかで面白くて俺は好きだったくらい。


だけど高校3年の進路が決まる最終あたりから俺の生活は一変した。母親の容体が急変したのだ。最初はいつもの入院から始まった。また入院なんて私のバラ色の人生が......!なんて冗談交じり笑っていた母親が次に会った時には痩せ細り腕すら動かせない状態だった。病室に入ってその光景を見た時、理解が追いつかなくて入り口で固まった俺を母さんは目だけを動かして笑いかけたように見えた。

その横でいつも毅然としていた父さんが母さんの手を握って涙を流している。何とか体を動かした俺は震える手で母さんの手を握った。

英羅えいら、ごめんね。愛してる」


掠れた声で母さんがそう言った。
そのまま、神は母さんを天国に連れて行ってしまったのだ。

あっけない終わりだった。
そして悲しむ間も無く今度は父さんが折れた。
あれだけ弱音を一言も言わなかった父さんが、生きる気力がない。そう俺に言った。葬式が終わった後だ。


母さんと同じく痩せ細っていく父さん。俺に知られないように陰で食べたものを何度も吐いていたのを知っている。最初は俺を気遣って弱々しくも笑顔をくれていたが、たった数日でそれは保てなくなっていた。俺は心配で何度も声をかけ、そのたびに抱きしめてくれることだけが救いだった。でもそれはある日から耳元ではごめんなと謝りばかりが呟かれようになるのだ。

なぜ俺に謝るのか分からなかったが、首を吊った父さんを見つけた時に理解した。

1人にする俺への懺悔だったんだ。





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