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第2章 パワハラ上司が、部下に優しい実業家になるまで

2-6 理想の上司は、自分を捨てて部下のために尽くすようです

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それから1か月ほど経過した。


「あの……入院費の件、本当に、ありがとうございました!」

クーゲルはすっかり元気を取り戻し、私に対して深々と頭を下げた。


「病気の方は、もう本当に良いのか?」
「ええ! ……けど、その、私の入院費を支払ってくれるなんて、良かったんですか?」
「ああ。……お前の病気は私のせいだからな。当然のことだ」


クリエイターは一度病気になったらおしまいだ。


そのように、この世界では言われている。
一般的な城勤めの兵士や会社などの組織で働くものは、仮に病に倒れたとしても組織が入院治療費を負担する場合が多い。

一方でクリエイターの場合は事務所に勤めていたとしても、基本的に治療費は自己負担だ。
その為、※一度病気になったらその間の仕事がなくなるうえ、治療費も莫大な額が取られる。彼女のような希少な種族であれば、治療費は法外な金額になることも多い。


(※当然ですが、この世界には国民健康保険と言う制度はありません。また、現代日本では許されない『完全歩合給』を採用しているなど、現代日本よりもはるかに、使用者に有利な雇用形態をしています)


そこで私は今回の不祥事の原因として『減給処分』を組織から受け、その減給分を治療費に充ててもらった。これはイグニスも同様だ。
イグニスはぽつり、と私につぶやく。

「この1か月、ご主人様に渡す額は減りましたけど、なんとかごまかせてよかったですね」
「まったくだな。極端に贅沢を好む方ではなかったのは幸いだったな」

ご主人様が催眠アプリで私たちに対して行った命令は「給料を毎週私のもとに届けること」であり、その額は指定していない。

その為『天引き』という形で額を減らし、それを他のことに充当したとしてもそれは催眠アプリの命令の範囲外だ。


もし決まった額を渡すように言われていたら、この作戦は出来なかっただろう。
私はクーゲルたち部下を集めて、全員の前に頭を下げた。



「すまなかった……。クーゲルが病にかかったのは、私の暴言が原因だ。……そして無理をさせすぎたのは、この組織の運営に問題があったからだ。……だから、お前たちクリエイターが働きやすい環境を作りたい。私に知恵を貸してくれ」


部下の前で頭を下げる。こんなことは以前の私では想像もできなかった。
だが、元妻フリスティナからの罵倒やクーゲルの入院が、私の目を多少だが覚まさせてくれた。
私がそういうと部下たちは次々に訴え始めた。


「あの……実は俺、あまり人と話すのが得意じゃなくて……しかも、ハーフリングって小さいから舐められやすいんです。だから、相手には無茶な提案を突きつけられるんですけど、うまく断れなくて……」

「私の仕事って得意先がチューリップ系のアルラウネで……春は繁忙期で忙しいんですけど、そうじゃないときは割と仕事が無くて……。その時には、どうしても仕事が少ないから日雇いで働かないといけなくて……」

「私みたいな半魚人って、よく白点病みたいな病気になりやすいんです。その治療費がかさみやすいんですけど、お金がいつも足りなくて……」



部下たちは私をいまだに恨んでいるのは分かる。それだけひどい罵倒を私はしてきた。
だが、だからこそ私は彼らに報いる必要がある。

彼らは自身の立場が分かっていない。
自分がどれほどがけっぷちに立たされていても、それをピンチと自覚もせず、突き進んでしまう。


……バカなクリエイターを管理するのが、私の仕事だ。



私はそれから、仕事の合間を縫って、事務所の所長に談判していた。

「いや、しかしだね。事務所は彼らのお母さんじゃないんだよ? そこまでの面倒をなぜ見ないといかん?」
「それは分かります。ですが、昨今ゲームの需要は増えていますし、それに伴うクリエイターの争奪戦はもう始まっています」
「イラストなんて誰でも描けるだろ? 別に彼らが辞めても他はいるじゃないか?」


「代わりは他にもいる」。
これは現場を見たことが無い人が良く言う常とう句だ。

「あいつが辞めても代わりはいくらでもいる」というのは、店に行って「リンゴが食べられなくなっても、果物は他にもある」というレベルのものとは話が違うことが分かってない。
私はイグニスとクーゲルのイラストを見せて、こう叫んだ。

「じゃあ、イグニスほどの実力者をすぐ雇えますか? クーゲルみたいに責任感のあるクリエイターをすぐに雇えますか?」

「む……」

「確かにイラストレーター『気取り』はいくらでもいますよ。ですがね! 実力があって、責任を自分で負う意識のある人材は、簡単には買えないんですよ!」

「しかしだね。お前の出したこの要望書は、まるで彼らを城の正規兵のように扱え、と書いてあるみたいじゃないか。とてもそんな予算は出ないぞ?」


それを言われることも想定済みだ。
確かに日ごろ戦や訓練でおびただしい血と汗を流している彼ら兵士には心から敬意を示している。


だが、私の部下であるクリエイターもまた、心の汗を流し、精神を傷つけながら戦っているのだ。
私は部下たちから集めたアンケートを見せた。


「見てください、このアンケートを」
「なんだ、これは?」
「治療費の負担についてです。みな自身の給料の一部を出し合い、病気になったものの治療に充てることに了承しています。これであれば事務所の費用をさほど圧迫しないはずです」
「ほう? ……だが……その天引きは私も入っているのだろう?」


そう、その「出し合うお金」は当然我々管理職や所長の分も入っている。
しかも天引き額は、彼らクリエイターよりもはるかに多い。


「ええ。あなたが自身の保身と資産だけを大事にするような悪代官のごとき暴君でしたら、当然嫌ですよね」
「む……」
「ですが私は知っております。あなたは部下と組織を思いやる、聡明な君主だと。そしてこの『城』を守る誇り高き城主だと」


所長の種族はヴァンパイアだ。
彼らは非常にプライドが高い種族で、他者からバカにされるのをひどく嫌う。
その反面、こうやってプライドをくすぐるような言い方をすれば……

「ふむ……。私は別に金が惜しいわけではない。だが……」
「この案を通したら、おそらく所長は我々から男爵とあだ名されるでしょう。それは周りも言っています」
「ほう、男爵か……こそばゆいが、悪くはないな……」


この世界にはもう爵位という概念は無いが、それでも長命なヴァンパイアは、いまだにその称号に未練を持つものが多い。
やはり心が揺れている。もう一押しだ。


「それにこの申し出を飲めば、きっと多くの部下があなたを尊敬するでしょう。ひょっとすると、新聞社やマスコミも『クリエイターの期待の星』『現代によみがえった男爵』として紹介するやも……」
「なるほど! ……分かった、お前の言うことも最もだな。採用しよう」


やはりだ。
プライドの高いヴァンパイアは、権威のある団体から称賛されることをことさら好む傾向がある。
弱小ながらも、こういった事務所を作って所長の座に収まりたがるのも、そう言った承認欲求から来ていることも知っている。



その日の夜、私は『互助制度』が通ったことをイグニスに報告した。

「やったじゃないですか、ニルセン課長!」

以前、とある転移者(当然ご主人様ではない)から「国民皆保険制度」という制度を聞いていたのが幸いした。
どうやら転移者の元居た世界では、収入に応じて皆が金を出し合い、そして病になったものに提供するという仕組みが出来ているようだ。

我々の世界でさすがにそれは出来ないが、事務所単位で同様のことを行うことは小規模ながら可能だ。


「ああ。……だが、これもまだ第一歩だな」
「流石ですね、ニルセン課長! そうだ、お礼にこいつをどうぞ」

そう言ってイグニスは一枚のイラストを出してきた。


「これは?」
「今朝考えたオリジナルキャラ『アダンとツマリ』っていう、義理の双子です。ニルセン課長はいつも頑張ってくれるから、俺の考えるキャラも応援してくれてるかなって思って」


設定を見る限りアダンはエルフの血が濃く、ツマリはサキュバスの血が濃いようだ。
そして二人は義理だが、互いを異性として愛し合う関係らしい。……私の大好きな設定だ。

その二人が肩を抱き合いながら、

「ニルセン課長、いつもありがとうございます!」
「ニルセン課長、今日も頑張ったね!」


というセリフを口にしている。
そして二人の手には。


「……はは、私の似顔絵か」


丁寧に書かれた、私の顔が描かれたケーキを持っていた。
妹のツマリは不器用な設定なのだろう、左半分だけ不格好な形だ。


「もちろん本物も用意していますよ!」


そう言って、イグニスはリザードマンの私をイメージしたケーキを出してくれた。
……なるほど、元妻フリスティナとの甘いひと時も良いが、部下と架空の双子に囲まれた、こういう生活も悪くない。


「ああ、ありがとうな」

私はそう言って、そのケーキを受け取った。





……そして、約1年ほどが経過した。


私は色々と交渉を重ね、保険の他にも様々な取り決めを事務所と行った。

栄養が偏りがちなクリエイターや、駆け出しのクリエイターが多いことを考え『無料の』社員食堂を設置すること。
その為に、自分のところだけでなく、複数の事務所と共同して互いに資金を出し合うこと。


得意先にアルラウネなど「特定の期間は働かない種族」が多いものは、繁忙期と繁閑期の仕事量に差が出ないように、平均した発注を行うような契約書の変更。

口下手なものや、ハーフリングのように『舐められやすい』種族にはヴァンパイアや我々リザードマンをはじめ、屈強な種族が契約に同行する。

逆に我々のような『怖がられやすい』ことがネックになるような取引であれば、相手を安心させやすいハーフリングや妖精たちが同行する。


このような取り決めを行っていくうちに、部下の笑顔も少しずつ増えていったような気がした。


私は『他人を笑顔にすること』に今まで興味を感じていなかった。
元妻フリスティナを喜ばせていたのも、結局は私自身の虚栄心を満たすために過ぎなかったからだ。


……勿論毎週ご主人様の元に言って金を渡し、その際に「寝取られアピール」をしながら妻と共に罵倒される日々は続いた。当然私が生活に使える鐘も最低限だ。

だが、今の私には部下の笑顔と、イグニスが描いてくれた「アダンとツマリ」の応援する姿がある(私が気に入ったのを見て、イグニスはよく彼ら双子のイラストを私のために描いてくれている)。

それらが与えてくれる充実感の前には、ご主人様の行動すら些細な面倒事に思える程度になっていた。




……だが、それも長くは続かなかった。

「え、ニルセン課長がクビ?」

そのクーゲルの発言が、私のもとに届いたからだ。
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