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第2章 パワハラ上司が、部下に優しい実業家になるまで

2-5 元パワハラ男から妻を寝取った男は「青春未経験おじさん」でした

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帰った後、私に対するクーゲルの感謝は本当に凄まじいものだった。


「ありがとうございます! 本当に、あのリグレにガツンと言ってくれたんですね!」


……と、まさか涙ながらにそう言われるとは思わなかった。
だが、もっと驚いたのは周りの部下たちも、そのやり取りを聞いて心の底から喜んでいたことだ。


……どうやら、あそこにいたリグレとやらは、相当嫌われていたのだろう。
家に着いた後、イグニスは俺に充実感のあふれる笑みを浮かべた。


「これで少しは仕事に余裕が出ますね」
「ああ……」

だが、私はあまり気分が晴れなかった。

今まで私は自分の足でクリエイターの仕事の発注元に足を運んだことはほとんどなかった。
たまに行くことがあっても、そこは比較的良心的なところばかりだった。

だが、リグレのようなクリエイターを食い物にするような輩は規模の大小を問わず多いのだろう。

こんな形で業界の現状を知った私は、思わず自責の念に駆られた。



「クリエイターはただでさえ立場が低いんですよ。やりたい人がいっぱいいる上に、一見『誰にでもできる仕事』ですから。あと、何故か必死に練習していると笑ってくる奴、いっぱいいるんですよね」



それを言われると私も少し恥ずかしくなった。
昔、作家志望だった弟が、好きな小説の一節を模写していた時に、それを笑ったことがあるからだ。


「クリエイターに対して、無知に付けこんで不利な契約を掴まされたり、暴言を言って言うことを聞かせたりしてくるものも多いということか……本当に難儀な仕事だな」
「他人事みたいに言いますけど、課長だって、その一人だったじゃないですか」
「ああ……そうだな」


イグニスの発言に、私は同意できた。
なぜなら彼の発言は過去形だったからだ。

……少なくとも、今まで部下たちにやってきたことの償いは、これからしないとならない。





それから1か月近く経過した。
幸いなことに納期に余裕が出たこと、更にはイグニスの尽力もあり、何とかスケジュール通りに仕事を終わらせることが出来た。


「ふう……」
「おい、どうしたクーゲル?」

クーゲルの体調は明らかに以前より悪くなっている。
それに、彼女のトレードマークである、糸目の奥にある目が潤んでいるのは何となくわかる。

ロングロング・アゴーからの仕事が終わった後も相変わらず辛そうな表情を見せていた。

最初は彼女の体調不良が私の叱責やストレスによるものだと思っていた。
だが、確かにそれもあるだろうが、いくら何でも今日の彼女の様子は変だった。

私は思わず彼女に尋ねる。

「クーゲル、今日はもう休んだらどうだ?」
「い、いえ……。まだ次の仕事、もらったんで……」

そういうと彼女は、また羊皮紙を取り出して羽ペンを付け替えた。
あれから反省した私は、部下たちの取ってきた仕事の契約書は丹念にチェックするようにしている。

今回の仕事は極めてまっとうなものだ。……だが、今の彼女にこなせるとも思えなかった。
彼女は羊皮紙に新しくイラストを描こうとした。だが、

「私、仕事しないと……お給料が……ないと……」

そう言いながら彼女は糸が切れたようにふらり、と体を揺らせる。

「クーゲル!」
私は思わず彼女の身体を抱きとめた。


「……な……なんだ……」

だが、私はその重さに驚いた。



……信じられないことだったが、彼女の身体の一部が石化していたからだ。



クーゲルは、こんな状態で今まで仕事をしていたのか、と思わず驚いた。
「おい、クーゲル! しっかりするんだ!」
「…………」

クーゲルの返事がない。
それを見て、イグニスは叫んだ。

「ニルセン課長! すぐ病院に連れていきましょう!」
「ああ、頼むぞイグニス!」

こういう時には、獣人であるイグニスとリザードマンの私の腕力が頼みになる。
部下たちに作ってもらった担架に彼女を乗せ、二人で病院に運び込んだ。





……その夜。
彼女の病気は彼女の種族にありがちな『石化病(せっかびょう)』と言うものだった。
ストレスが原因で発症しやすくなるが、幸いなことにしばらく安静にすれば治るというものであった。

(おい、イグニス?)
(なんですか、ニルセン課長?)

私は、かつての我が家で、小声とイグニスと会話をしていた。
今日はご主人様に給料を渡しに行く日であり、私は正座してご主人様の前に居るからだ。
ご主人様は私の元妻フリスティナ、そしてイグニスの元カノヒューラとイチャイチャしている。


(クーゲルの仕事は何とかなるのか?)
(今の時点では……ただ、彼女は無理してでもやると思います)
(なんでだ?)
(彼女、弟の学費を稼ぐために仕事増やしてるんです。それに、医療費も高いからきっと、意識が戻ったら病院を出ていきますよ)
(おい、それはまずいだろう? 彼女は……)


「おい、お前たち? ボクの話聞いてんの?」
「はい、申し訳ありません!」

我々の様子を見て、ご主人様は怒鳴ってきた。

はあ、と私は心の中で思った。
相手の事情や状況など気に止めもせず、自分の想いをただ感情的にまくしたてる。

……まるでご主人様は、昔の私の影法師だ。
はっきり言って、見ていると以前の私を見ているようで悲しくなる。


「でな。今日はさ、性奴隷1号ちゃん、2号ちゃんと一緒に公園行ったんだよ、楽しかったよね~?」


今日のご主人様は、元妻とイグニスの彼女に学生服……確か、セーラー服とブレザーと言ったか? ……を着せていた。

但し、我々の世界のものでなく、おそらくは彼の世界のデザインだ。恐らく我々が稼いだ金を使って、業者に作らせたのだろう。

ご主人様は我々に見せつけるように、彼女たちの服の間に腕を滑り込ませ、胸をわしづかみにしながら尋ねる。


「ええ、楽しかったですわね、ご主人様?」
「ほんとう! 特に公園の売店で食べたホットドッグ、最高でしたよね?」
「ウヒヒ、本当だよね!」


私は前から疑問に思っていた。
この男は我々から『搾取』した金を使った贅沢を殆どしない。

給料の多くは自身の食費に企てるか、元妻の浪費に付き合うか、或いは今回のような学生服やメイド服などの『着せ替え人形遊び』に使っている。

特にデートは、公園や縁日、或いはゲーム施設など、金のかからないところにばかり行きたがるところが印象的だった。

「後さ、ワームキャッチ(ワーム種を用いて作られた、一種のクレーンゲーム)も楽しかったよね~?」
「ええ、ご主人様ったら、ぬいぐるみ取るの上手ですものね?」
「ゲームのテクニックも、一流なんですね、ご主人様は?」
「だろ? ……ほら、凄いだろ、お前たちもそう思うだろ?」


ご主人様はそう言うと、ぬいぐるみを見せてきた。
私はそのくだらない自慢に同意しながらも、そのやり取りを見て、ご主人様の本質を理解できたような気がした。



……この男は、種族の違いを考慮すると私とさほど年は変わらない。
そう考えると、彼が「青春未経験おじさん」と呼ばれるタイプの人間なのが分かる。



異世界転移者の中には、元の世界で差別などを受け、まともな青春を送れなかった人間がいる。

無論そのような人間も、大抵はまともな人ばかりだ。
だが、ご主人様のように『学生時代にやりたかったこと』をやたらとやりたがるものも稀にいるらしい。

なるほど、そう考えて話を聞いていると、ご主人様がよく行くデートスポットはまさに「学生カップルが送るような、甘酸っぱい青春を追体験できる場所」ばかりだ。


「それでね。ホットドッグ食べたら、顔がケチャップまみれになっちゃってさあ?」
「そうそう、その時のご主人様の顔、可愛かったわねえ?」
「また、一緒にお散歩行きましょうね、ご主人様?」
「勿論だよ、性奴隷2号ちゃん? ウヒヒ! ボクの方があの男よりも一緒に居て楽しいよね~?」
「ええ、あの偽旦那との思い出は全部クソでしたわ? ご主人さまのおかげで真の愛に目覚めたんですもの?」


真の愛、と聴いて私は更に疑問に感じた。
性奴隷2号と呼ばれている私の元妻フリスティナは元々、炎天下を歩くのが嫌いだ。
加えてサキュバスの特性もあるのか、体臭をとても気にする。



その為、こういう日には高原で避暑がてら、工房でフレグランス(香水)を作りに行きたがるはずだ。



……恐らく彼女たちの性格も、ご主人様の嗜好に合うように催眠をかけているのだろう。

(可哀そうに……)

私は思わずそう思った。
……ご主人様は、女性に興味などない。
興味があるのは「女体」と「自分の劣等感を払しょくさせるための体験」だけなのだ。

その体験の中には、イグニスや私のような『女性にモテる男』や『屈強な男』を罵倒することも含まれているのだろう。

そう考えると、ご主人様は『哀れで小さな男』なのだな、とも思えてきた。




それから一時間近くたち、私たちは解放された。

「大丈夫ですか、ニルセン課長?」
「え? ああ……」

正直、確かに元妻たちがご主人様と楽しく談笑しながら私を罵倒するその姿は、愉快とは言えない。
それに、今週稼いだ金まで奪われるのだから、なおさらだ。

「確かにつらいが……もっと気になるのは、クーゲルのことだ」
「ええ……。俺たちに出来ること、あるといいんですが……」


だが、今は倒れてしまったクーゲルのこと以外にはあまり意識を向けられない。
そもそも彼女が追い詰められたのは、ほかならぬ私のせいでもあるからだ。


……だが、しばらくして思いついたことがあった。

「なあ、ちょっと考えたんだが……」

俺がその内容について語ると、イグニスは少し驚いた表情になった。


「え? いや、確かにそれなら『催眠アプリ』のルールには、引っかからないと思います……けど、良いんですか?」
「ああ。……これからは、私はお前たちクリエイターのために、少しでも出来ることをやろうと思うからな」
「イグニス課長……。俺、ちょっと感動しましたよ……!」


誰かのために、少しでも自分に出来ることをやる。
しかもそれは、他人を傷つける方法ではなく、自分が敢えて損をするという形で、だ。

そんなことをやりたい、と思ったのは初めてだ。
私はそう思うと、少し苦笑した。
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