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第1章 ヒモ男が、有名イラストレーターになるまで

1-3 元ヒモ男はイラストのレベルが急上昇しています

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「お、おい……」
「どうしたんだ、あいつ……」

ご主人様から催眠アプリを向けられた翌日から、俺は毎日遅くまで事務所で作業を行っていた。


(まだダメだ、こんな絵じゃあ俺は満足できない……)


基本的に事務所は夜に閉まってしまうので、その後は家に帰って小さなランプを使って絵の勉強と練習を続ける。
今もイラストの練習中だ。

そんな中、クーゲルは俺に声をかけてきた。
「ねえ、イグニス? 前依頼したイラスト、来週だけど間に合う?」

俺は自身の生活費のため、クーゲルのアシスタント(実際には下請けみたいなものだが)として働いていた。

「それならもうできてるぞ。そこに置いてあるから、チェックしてくれ」
「はあ? まだ3日しかたってないけど? あまりいい加減な仕事をされると……」


そう言いながら同僚は俺が描いたイラストを見た。
確かに、俺の絵はまだまだ俺自身も納得できるレベルじゃない。
だが、その絵を見て同僚は少しの間驚いたような表情を向けた。

「ああ。……それが今の俺の精いっぱいなんだ。……力不足で悪い」
「そ、そんなことは無いよ。……これ、本当にイグニスが描いたの?」
「ああ。まだ期日まで余裕があるから、描き直さないといけないところがあったら教えてくれ」

だがクーゲルは首を振った。

「……ううん、逆だよ。この短期間で、こんな丁寧な絵を描けるなんて驚いたんだよ。……イグニス、どうしたの?」
「どうしたもなにも、描きたいものが頭から次々に出て、消えないんだよ! もう飯だって食うのが惜しいくらいにさ。……楽しいよな、やっぱ絵を描くって」
「イグニス……?」


俺達獣人の強みは、その圧倒的な体力と夜目の効く瞳だ。
俺はあの夜の後、家に帰ってひたすらイラストを描いていた。確かあの時は、朝まで絵を描き続け、その足で事務所に向かっていたと記憶している。

また、夜になって※小さなランプしか使えない場合でも、俺達獣人はその程度の明かりがあれば、余裕で絵を描くことが出来る。


(※この世界には携帯式のゲームはあるが、電気やガスのようなインフラは十分に整っていない、歪な文明発達をしている。これは、国家がインフラを一手に担えるほど政治組織が発達していないためである)


そうこうしていると、上司のニルセン課長がやってきた。
今日も相変わらず機嫌が悪い。

「おい、お前ら何やってる! 仕事やってんのか、オラ!」
「え? あ、ニルセン課長」
「分かった、またイグニスの奴がサボってるんだな? おい、イグニス?」
「はい!」

俺は大声で返事をした。そうしないと『やる気あんのか?』と怒鳴られるからだ。

だが、ニルセン課長は俺の顔つきを見て驚いたようだ。
そう言えばここ数日、絵を描くことに夢中でまともに毛づくろいもしていなかった。
せめて、最低限の身なりは整えることにしよう。

「お、おう、や、やる気は感じるな……。ところでお前……そこにある紙の山はなんだ?」
「はい。……練習用に使ったやつです」
「フン。自主練習も結構だがな。その前に、他に同僚の仕事くらい手伝うとか……」
「いえ、課長。……実はたった今、イグニスに頼んだ仕事、全部終わったんですよ」

クーゲルが俺の代わりにそう答えてくれた。
ありがたい、今描いているイラストは、かなりの自信作だ。

これを描き終えたら、俺はまたイラストレーターとしてのレベルが1つ上がる。
そんな気がして、俺は手を止めたくない。


「ほう、因みに何枚ぐらい頼んでたんだ?」
「えっと……」


同僚はその枚数を言うと、ニルセン課長は驚いていた。


「なにい、そんなに描いたのか! ……ちょっと見せてみろ、クーゲル」
「はい。……腰抜かさないでくださいね」
「ああ」

そして見るなり、ニルセン課長はさらに表情を変えた。

「なんだ、この書き込み! これを一日でやったのか!?」
「こいつ、小道具とかもものすごく詳しく書いてますよ! ほら、靴下のフリルとかまで、有名ブランドのデザインを参考にしてますよ、これ!」
「おい、どうなんだ?」

同僚やニルセン課長の質問に、俺は「はい」とだけ答えた。


細かい部分にこそこだわるなんて、当たり前だ。
※カタログに描かれる参考資料程度では、どうやってもリアリティのあるイラストにはならない。

(※この世界では写真という文化はまだ存在しない)

だから、町の服屋に土下座して頼み込んで、一日だけ貸してもらった靴下を参考に必死で描いたものだ。

「そのフリルの部分はかなり気合を入れました。まだ、出来は良くないですが」
「いや……お前は……凄いな……」

フリルのデザインは、極限までこだわるべきだと俺は気が付いた。
寧ろ今まで、適当に「どうせみんな見ないから、白いソックスで良いだろ」と適当に描いていた自分をぶん殴りたい。


……というか、昔描いていた絵は全部この世から消滅させてしまいたいくらいだ。


同僚は驚きながらも、俺が描いた失敗作を何枚かめくり、ニルセン課長につぶやく。

「ええ。……しかもこいつ、先週より滅茶苦茶絵が上手くなってますよ?」
「……みたいだな……見込みがあるとは思っていたが、これほどとは……」


まったく、うるさい。
俺から言わせれば、そこに置いてある作品は、まだまだ駄作も駄作だ。
正直、先週描いた「絵のような紙ごみ」ほどではないが、人前に見せられるような代物じゃないと断言できる。

ご主人様のことは嫌悪しているが、それでもあんな駄作を見せて目を汚させることができるほど、俺は悪辣じゃない。

……同僚もあくまで「マニュアルに使うイラストにしてはクオリティが高い」という程度の意味で言っているのだろう。

それは俺にも分かっている。
だからこそ、もっとレベルを上げないといけないんだ、俺は。


「……よし、出来た」

そう言って俺は、もう一枚のイラストを描き終えた。

「とりあえず、これが今の俺の最低限です」
「…………」

それを見てニルセン課長は絶句した。
やはり、まだまだ俺の実力など、水準を満たしていないのだろう。
だがニルセン課長はつぶやいた。


「なあ。お前、この作品を『酒場の掲示板』に貼ることは無いのか?」


酒場の掲示板とは、街の酒場に貼る張り紙のことだ。
例えば『魔物を退治してほしい』と書かれた依頼や『出演者を募集している』という音楽イベントの依頼。

場合によっては公的な機関から『建物を建ててほしい』などの依頼が入り、それをフリーの冒険者や、会社そのものが受注する。

俺達イラストレーターの場合は「こういう絵を描いてほしい」という依頼もあれば、自身の絵を張り付けて「こういう絵が描けるので仕事がほしい」と言う場合もある。


その張り紙を見て依頼を受けたものから、酒場が手数料として一部の金銭を受け取るシステムとなっている。


「掲示板? いえ、ないですが……」
「バカ野郎! お前、そんなこともしてねえのか」

そう言った瞬間にニルセン課長は怒鳴りだした。
ああ、やっちまった。またこの男の怒りに触れたか……。


「あのなあ、フリーの絵描きがこの世界で仕事するのに必要なもんが何かわかるか?」
「え? そりゃ、技術ですよね?」
「確かにそれもある。だけどな、一番大事なのは『仕事を得る行動力』なんだよ! この事務所は、お前の画力向上のために金出してんじゃねえんだぞ?」
「う……」

「何年この仕事やってんだ! プロならな、事務所のためになるかどうかで、何するか判断しろ!」


まったく、このニルセン課長は怒鳴ってばかりだ。
とにかく怒鳴るのが好きだよな、このクソ課長。

「はい……」


だが、俺は数日前から、酒場に自身のイラストを張ろうかとは考えていた。
そうやって、多くの人に自分の絵を評価してもらい、そしてさらに素敵なイラストを描く。
そんな世界を作ることが、俺にはとても魅力的に思えていた。


……以前の俺だったら、こんなことは夢にも思わなかっただろう。
自分の好きな絵を好きな時に描けばそれで楽しかったからだ。
これも催眠アプリによるものなのだろうが、今はそんなことはどうでもいい。


「イグニス? お前、ちょっと絵が上手くなったからって調子乗んなよ? 大事なのはな、仕事を取ることなんだってこと、肝に銘じとけよ?」

最後にそう言うとニルセン課長は去っていった。
その様子をみて、同僚は心配そうに声をかけてくれた。


「大丈夫、イグニス? ニルセン課長、機嫌悪かったね」
「ああ。……けどまあ、俺も今まで自分の絵を世間に見てもらってなかったしな。……あのさ、このあたりで有名な酒場、教えてくれるか?」

そう言うと、同僚は嬉しそうな表情を見せた。


「お、やる気出たんだね? よし、じゃあ案内してあげるよ」
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