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後編:フォブス王子の真の顔と「侵略者」

2-3 良い時代とは『男性が女性に馬鹿にされる時代』と王子は思ってます

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「王子……アイネス王子は、無能なんかじゃないじゃないですか!」

私は足元にある大量の書籍を見て、そう叫んだ。


「前から変だなって思ってたんですよ! アイネス王子は『無能』なんて言われてるけど、こんなに南部地方が落ち着いていたの!」
「それは、我が領民の努力の結果だ。私は関係ないよ」

この期に及んで、まだそんなことを言うのか。
私は少し呆れながらも、足元にあった書類を見せつけた。


「だったら、これは何ですか? たとえば、以前私が村に持って行ったぬいぐるみ! 妙に重いとは思ったけど、あれって最初から非常食になるものを選んでるじゃないですか!」

そう、私が見せた書類は人形の設計図だ。
はっきりと『ハト麦を用いて非常食とすること』『表面は芋茎を用いて、緊急時に食用にできるようにし、飢饉時に備えること』と書いてあった。

……つまり、シスターたちが人形をバラバラにして食料にしたのは最初から想定されていた使い方だったのだ。

やたらとぬいぐるみの出来が悪かったのは『発注は、受注者の家庭環境及び経済状況を優先すること』とあった。つまり、これは一種の授産活動でもあったのだ。

今にして思うと、先日出会ったシングルマザーの卓上にも、似たような仕事をしていた痕跡があった。


「ま、まあそれは、そうだが……」
「他にも、治水だって畑に硝石と硫黄を撒くのだって、本当は計算してやっていたんでしょう?」
「…………」
「それに、極めつけはこれです! あのジョギングも実は意味があったことだったんですね?」

そう言って私は、別の書類を取り出した。
私たちが毎朝行っていたジョギングも同様で、あれは村人たちのため山賊や野盗をけん制するのが目的だったのだ。

ご丁寧に、祭りの日程表とその時々のジョギングコースがぴったり一致していることが、その書類にははっきり書かれていた。

つまり、以前あの母親と家に帰るときにアイネス王子たちの声が聞こえたのは、偶然ではなかったのだ。


そこまで言って観念したのか、アイネス王子は頷いた。


「しょうがない、白状するよ……。今まで私は『無能王子』として周りに馬鹿にされるように振舞いながら、そなたの言うような政治をやってきたんだ……すまない、今まで黙っていて……」
「別に、謝ることじゃないですよ……」

このように王子から深々と頭を下げられると、無礼なことには自信のある私もさすがに恐縮してしまう。
私は王子に顔を上げてもらい、訊ねた。


「ですが、なんでアイネス王子は『無能王子』と呼ばれるようなことをしていたんです?」


結局、私が一番納得いかなかったのは、そのことだった。
普通だったら、これほどの勉強をして政治に力を入れてしかも結果も出しているのであれば、もっと自身を誇示してもいいはずだ。

だが、アイネス王子はパン、と自身の顔を叩いた後私の方を見た。



(……え、王子ってこんな顔もするんだ……)


普段の間の抜けた表情も、ある種の演技だったのだろう。
その精悍な表情を見て、私は思わず胸が高鳴った。


「一つは、ウィザーク共和国との摩擦の問題だ」
「えっと……確かここの南に位置する隣国のことですよね?」
「ああ。あの国は前から戦争を繰り返しているからな。幸いネイチャランドとは同盟を結んでいるが、向こうからしたらこちらが怖くてたまらないらしい」


それはそうだろう。
私は国境付近に仕事で出向いたこともあったが、ウィザーク共和国はこちらに対してはわずかな警備兵を除いて、まともに軍隊を配置していない。

それだけ、別の地方に軍隊を送っていることが感じられた。
……逆に、万一こちら側が同盟を反故にして攻め込まれたら、大打撃を受けるはずだ。

「だから、無能なふりをしていたってわけですか……」
「そうだ。『アイネス王子は取るに足らない奴だ。放っておいても問題ないだろう』……そう思わせるためにな」
「そうだったんですね。……けど、ほかにも理由はあるんじゃないですか?」
「ああ……これは私のポリシーというより、我が家の家訓なのだが……」



少し言い出しかねるそぶりを見せたが、すぐにアイネス王子は答えてくれた。



「男は『凄い』と言われようと思ったり、大事にされたいと思ったりしてはいけない。『いなくてもいい』とバカにされる存在であるべきだ。……そう教わっていたんだ」




「なんですか、それ? そんなの私だったらごめんですよ?」
「だろうな。……だが、そうだな……」


そう言ってアイネス王子は少し考えるそぶりを見せた後、私に尋ねてきた。


「修道院のシスターたちは覚えているか?」
「ええ。……今思うと、あれもアイネス王子のお考えだったんですね。……私を彼女たちに再会させようって魂胆の」

そう言うとアイネス王子は頷いた。
やっぱりそうだったか。


「黙っていてすまないな。……彼女たちだが、北部の兵たちを悪く言わなかっただろう?」
「え? ……まあ、そうですね」
「あれには理由があってな。シスターたちも当初はあの兵士たちのことを『人殺しばっかりやっている、野蛮な連中』って思ってたんだ」
「それは……」

実は私も同じようなことを想っていたので、それは少し意外だった。

「だがな……あの修道院の近くは蛮族や山賊が根城にしていたこともあって、土地を開墾するときに多くの兵士が戦い、その地を手に入れたんだ」
「手に入れたって……それってもしかして……」

「ああ、我々にとっては蛮族退治だが、向こうから見たら侵略だからな。当然激しい抵抗にあい、多くの兵士が死んでいった。腕を落とされたり視力を失ったり、深刻な後遺症を患ったものも多くてな……」

「そうだったんですか……」


私は戦争というものを物語の中でしか知らない。

知るとしても、英雄譚として語られる『勝者の、しかも特権階級』による勇ましい物語が中心で、いわゆる下っ端の兵士たちが血を流し、飢えや渇きに苦しみ、そして疫病で死んでいく物語など聴くことはない。


だが、そのような話を聞くと、相当に凄惨な戦いだっただろうということが容易に想像できた。


「それ以降、あのシスターたちは、北部の兵士たちを尊敬し、褒めたたえるようになった。……けど、そんな『男が褒めたたえられ、敬われる世界』って、誰にとっても辛い世界じゃないか? そんな世界が到来するのは、私には耐えられない」

「ええ……そうですね……」

「私たち男性は、常に女性を陰から立てながら『当たり前』を提供し、いなくていい存在として扱われる。その方が、女性が男性に服従し、男性がちやほやおだてられて死地に放り込まれる世界よりは、ずっとマシじゃないか、と私は思うんだ」


そうか。
今にして思うと、ジョギングの時も川が増水したときも、村で祭りがあった時もそうだ。
私は、アイネス王子の計らいで、私自身が主役になれるように誘導されていた。


……だが、その理由だけで私にここまでしてくれるのは妙だ。
アイネス王子は、まだ何か隠しているのだろう。だが、私はそれ以上追求する気にはなれなかった。


「アイネス王子……私がこの南部地方で居心地よく暮らせていたのって……それもアイネス王子が私を立ててくれたからですか?」
「それは、そなたが頑張ったおかげだろう? 私は知らないな」

……やっぱりとぼけるか。
鈍感な私だが、流石にこれを信じるほど愚かじゃない。
アイネス王子は私のためにこれほど心を裂いてくれていた。

……にもかかわらず、私は王子のことを『無能』と言ってバカにしていた。


最低な行動だと思う。
けど、皮肉な話だが、そうやってバカにされること自体が王子の望みだったのだ。
であれば、私はそれにこたえる必要があるだろう。

私はわざと大きなため息をついてみた。

「やっぱり、私を立ててもらっていたと思ったのは、勘違いだったんですね! てっきり、世界で一番だっさい、カッコ悪い王子様のことを立派だと勘違いしたじゃないですか!」


そうおどけてみせると、アイネス王子も楽しそうな表情を見せた。

「お、言うじゃないか! そなたも趣味が悪い道化の格好を普段はしているじゃないか?}
「普段は? じゃあ今はどうですか? 私、可愛くないですか?」
「無論だ! 世界一美しいと思うぞ、そなたは!」
「な……!」


そう言われて私は絶句した。
……何バカなこと言うんだ、この王子は!
そう思うと、王子は私の顔を見てハハハ、と笑った。


「おお、ライア殿のそんな表情を見れたのは初めてだ! 中々いい顔だったぞ!」
「まったく、アイネス王子は……」


そう言いながらも少し恥ずかしそうに顔をそむけた。


それからしばらくの間、くだらない軽口をお互いに叩き合った。
先ほどのような重い会話ではない、本当にとりとめのない話題。

だが、こうやってアイネス王子と話をしている時間は本当に楽しかった。
……もう少しだけこの部屋で王子と一緒に居たいな。


そう思っていたが、突然伝令と思しき兵士が大急ぎでこちらにやってきた。
私は思わず机の影に隠れた。


「アイネス王子! 緊急事態です!」
「どうした?」
「それが……」


伝令は一枚の羊皮紙を取り出してアイネス王子の前で見せながら叫ぶ。



「レイペルド公国と、ネイチャランド北部の間で戦争が始まった模様! ……そしてフォブス王子が負傷したようです!」
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