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散策

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 俺は公衆トイレの中に入った。

 アンモニア臭が漂っている……

 中には誰もいなかった。

 大便用のスペースには床に長い溝があるだけで何の仕切りもない。だから死角になるような場所は有り得なかった。

 俺が入った入り口の反対側に、もうひとつ入り口があった。つまり通り抜けできる構造になっている。

 与沢は俺たちから見えない入り口から外に出たのだろう。それ以外に考えられない。 

「あいつ、先に帰ったみたいだ。ホテルに戻ったら俺があいつを呼び出すから明日帰るように仕向けてくれ」

 俺たちを待たせておいて勝手に帰る。そういう態度も気に食わない。与沢さえいなければ、今ごろは工場に仕入れに行っていたと思うと腹が立ってきた。

 永生賓館に戻り、与沢の部屋をノックすると、藤堂が出て来た。

「あれ、渋沢さん、達男は?」

「戻ってないのか?」

「うん」

 俺はエイミーと顔を見合わせた。

「きっとどこかで食い物でも買っているんだろう。戻ったら教えてくれ」

「わかった」

 藤堂はドアを閉じた。

「仕方ない、続きは昼飯の後にしよう」

「何時にしますか?」

「そうだな、十二時半に来てくれるか」

「はい」

 俺はいったん部屋に戻りベッドに横になった。しかし何もすることがない。

 部屋にいても退屈なので、俺はもう一度外に出ることにした。

 廊下に出て階段に近づいたとき、上から泊り客が降りてくる気配がした。

 俺はそいつらをやり過ごすことにした。

 七万元の現金を持ち歩いている俺としては、できるだけ人目に付きたくなかった。外国人が泊まっていることがバレたら犯罪者のターゲットにされかねない。

 廊下の奥から見ていると、中年の男が降りて来た。膝上まである短パンをはいている。別の男が肩を支えている。脚が悪いのだろう。

 その男が明り取りの窓からの光で、まるでスポットライトを浴びるように見える瞬間があった。

 そのとき俺には男の膝がはっきりと見えた。

 左の膝が大きく膨らみ、弾けたザクロのように割れて、赤い肉が露出している。

 二人の男はゆっくりと階段を下りて行った。

 俺はしばらく待ってから階段を下りて外に出た。

 さっきの二人は康福診所に入って行った。

 昨日の夜は気付かなかったが、康福診所のドアには赤い文字で「専治腐骨肉」と書いてある。

 腐骨肉というのは、病気の名前だろう。さっきの男の膝が腐骨肉なのかもしれない。

 朝の食事のときに見た膝や肘が大きく膨らんだ奇妙なやつら。

 あれも腐骨肉の患者だと考えれば、なぜ同じ店に同じ病気の患者が集まっていたのか説明がつく。

 康福診所で腐骨肉の治療をうけるために集まった患者たちが、一番近い食堂で朝食をとっていた。それだけのことだ。

 俺は永生賓館の周囲を散策することにした。

 肉仏巷の奥には側壁そくへきに「楊家橋」と書かれた小さな橋があり、川の向こうには急勾配の道が森の中に続いていた。

 川の水は澄んでいる。これも長江支流のひとつなのだろう。

 俺は橋の手前で右に曲がり川沿いに歩いた。

 車がぎりぎり通れるくらいの狭い道。左は川、右手には黒いレンガ造りの壁が続いている。

 壁には川からの湿気を吸ったシダやコケが着生している。相当に古そうだ。

 歩いているうちに右側の壁が途切れ、細い路地の入口が見えて来た。

 壁には白いつたない字で「唐僧三条」と書いてある。路地の名前だろう。

 俺はその細い路地に入って行った。
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