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第二章 西端半島戦役

第四十二話 保護と防疫検査

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    悪臭の充満したヘリは、『いずも』へと着艦した。
    自衛隊に保護された拉致被害者も、一旦は『いずも』に収容されている。
    医療設備があるとはいえ、態々護衛艦で留められるのは防疫検査の為だ。
短期間であっても異世界の、それも劣悪な環境に曝された以上、それは必要な措置であろう。

    今更ながら、エルフ等の現地人の検査もここで行われる。
    信じ難い事に、今まで彼等の防疫検査について指摘した者はいなかったのだ。
    国全体が混乱していたとは言っても、これはあまりにも酷い。
    何も起こらなかったから良いものの、彼等の誰か一人でも未知の病気に冒されていれば、パンデミックが起こり大惨事となっていた可能性もある。

(上は何やってたんだよ…………)

    その事実を、指摘されて初めて気付いた万屋は、恐怖よりも先に脱力感に襲われた。
    怒りに繋がらないのは、自身も気付かなかった為だ。
    気付かなかったのだから人の事は言えない。
    むしろ、国全体のパニックが収まったという点だけ観れば、それなりに喜ばしいと前向きに考えたのだ。
    常に後ろ向き気味な万屋にしては、大きな進歩である。

(面倒なのは、防疫検査の説得だけだな)

    万屋としては、それが一番の難問だった。
    まず、説得力が無い。
    何せ病原菌という概念自体、この世界に存在するかどうかも分からないのだ。
    病気は悪魔(この世界に実在してもおかしくはない)の仕業であるなどと、迷信が蔓延っている可能性もあった。
    顕微鏡も無しに病原菌の説明は困難だろう。
    だからと言って下手な説明をして、関係が悪化しても困る。
    単純な防疫検査だけでなく、ドサクサに紛れて採血や唾液採取といった、今のうちに出来る検査も行われる予定もあるのだ。
    万屋としても、折角の友好ムードを無駄な検査で台無しにされても困る。

    だが、これは考えの無い命令でもなかった。
    現地人の肉体的構造を合法的に調べる事は、この世界そのものの調査にも繋がる。
    国外に対する、医療技術の輸出が可能かどうかも分かるだろう。
    そして、彼等に科学的な医療知識の無い今だからこそ、失礼にはならないというある意味ポジティブな発想もあった。

    とにかく、万屋の受けた命令は不信感を持たれる事無く、それ等の検査を受けてもらえる様に説得するという、高レベルな無茶振りだ。

(今まで何も無かったから、余計面倒臭そうだなぁ………………)

    皮肉にも、今まで何も起こらなかったという、幸運な状況が説得の足を引っ張っているのだ。
    何かあったのなら別だが、何も無かったとなると、痛そうな検査を必要とは思われないだろう。
    必然的に、頭を下げての要請となる。
    それでいて、理解を得られない可能性が高い。
    万屋で無くとも、匙を投げたくなるのは当然の気持ちだろう。

(それだけならなぁ…………)

    残念な事に万屋の抱えている問題は、検査の説得だけではない。

    もう一つの問題は、皮肉にも拉致被害者という名の『浦島太郎』達についてのものだった。
    国内では、政府声明にベアトリクスが映って以来、空前のエルフブームが巻き起こりつつある。
    基本、好意的な意見だ。
    だが、拉致被害者達は違った。
    彼等の、現地人に対する不信感は相当なものとなっていたのだ。
    それは当然の感情だろう。
    異世界情勢を説明したところで、起こった事実は変えられないのだ。
    故に実体験から抱いた、大きな悪印象を変える事は難しい。
    だからこそ万屋は、エルフ等の現地人と接触せずに済む様に、ヘリを分けたのだ。
    今の状態では説明しても無駄であり、逆に嫌な記憶を呼び覚ましてしまう可能性もある。
    下手をすれば、暴力沙汰に発展して国際問題に発展しかねない。
    その辺りを考慮したのだ。

    万屋にしては、充分な配慮だったのだろう。
    だが、彼の前に防疫検査という難関が立ち塞がった。

(救出したのは特戦群なんだから、向こうが報告してくれれば良いのに…………。
    あれは絶対に接触させられないぞ)

    万屋は愚痴を心の中に留める。
    状況は側から見て、危機感を抱くぐらいに悪かった。

「山さん、取り敢えず拉致被害者の検査が先だろうね?」

「そうなるでしょう。
    来賓方に変な隔意はありません。
    最悪、見付かっても拉致被害者達より後なら、いちゃもんの口実が減ります」

    山田は、既に最悪の事態を想定している。
    万屋とは年季が違うのだ。

「いちゃもん付けられる可能性なんてあるのかねぇ?」

    万屋はキョトンとした顔になる。
    彼としても、狭い艦内の事であり拉致被害者と現地人との接触までは想定していた。
    だが、拉致被害者達がいちゃもんを付けるという山田の意見は、想像すらしていなかったらしい。

「そういう可能性も考慮すべきですよ。
    人間、こういう時は落ち着くまでが大変です。
    大人しい人でも荒ぶります。
    理不尽に曝されるという経験は、とにかく人を変えます。
    残念ながら、悪い方向に変わる可能性は高いかと…………」

    山田の表情は暗い。
    まるで、何かしらの経験談の様だ。
    万屋には、何も言えなかった。

「ま、まあとにかくだ。
    接触は厳禁。
    『先に検査を受けるのは優遇云々~』みたいないちゃもんを避ける為に、現地人一行の検査は後回し。
    それで、大丈夫かな?」

「狭い艦内です。
    出来る事は限られています。
    おそらく、我々に出来るのはそれぐらいでしょう。
    ああ、海自さんの警務にも協力してもらえるかもしれませんね。
    それだけ交渉してみてください」

    山田の指摘を聞いた万屋は、自分達が『いずも』においては部外者である事を思い出す。

「むしろ、海自さんを巻き込もう。
    その方が動き易い。
    あちらさんの雰囲気次第では、主導してもらっても良いさ」

「たしかに、我が物顔では嫌がられますね。
    隊長にしては良い事に気付きました」

    山田は万屋を褒める。
    いつも通り、褒めているのか貶しているのか分からない言い回しだ。

「ところで隊長、実際のところはどうなんっスかね~?」

    突然会話に割り込んできたのは霧谷だった。
    物理的にも二人の間へ割って入って来ている。
    今まで空気だったのが嘘の様だ。
    ついていけないレベルの話が終わったとでも思ったのだろうか。

    どちらにしろ、霧谷にしては珍しい振る舞いだ。
    彼はムードメーカーであり、空気の読めるタイプだった。
    会話に割り込んだのは、万屋としても意外に思えた。

「何の話だい?」

    会話に割り込まれた事は不愉快であっても、それ以上に霧谷の意外な振る舞いに興味を持ったのだろう。
    万屋は不快感を押し殺し、出来るだけ柔らかい声を作って、質問の意味を問い質す。

「え、いや…………、そのっスね~。
    もし、その、あの、未知の病気とかあったら、そのっスね…………」

「「!?」」

    霧谷の口調に二人は驚いた。
    幾ら何でも普段と違い過ぎる口調だ。
    歯切れが悪いどころではない。
    吃り症の様に見える程だ。

    表情も、よく見れば真面目というよりも暗かった。
    少なくとも、明るいムードメーカーの面影は欠片も無い。

「(山さん、山さん!?
    こいつどうしちゃったの!?)」

    万屋は器用に小声で叫ぶ。
    こんな事ばかり得意なのだ。

「(霧谷は、何か病気にトラウマでもあるのかもしれません。
    聞いてみたらどうです?)」

    山田も困惑している。
    事情を知らないのは、万屋と同じらしかった。

「あ~、その、なんだ…………。
    何か気になる点でもあるのかね?」

    万屋は動揺を隠せず、明らかに不自然な話し方で問い掛ける。

「いや、そのっスね…………」

「「…………」」

    霧谷の歯切れがあまりにも悪く、会話はそこで止まった。

(ホントにどうしたよ)

    万屋は背中に嫌な汗を流す。
    霧谷の様なタイプがこうなるというのは想像外であり、これから何を言い出すのかが分からないからだ。
    それに、この雰囲気で明るい話になると思える程、万屋は楽観視な性格でなかった。
    悪い想像を膨らませたせいで、恐ろしくて堪らなくなっているのだ。

「み、身内が、その…………、病弱なんスよ。
    親も、兄弟も皆っス。
    俺一人丈夫なんス」

「…………、はい?」

    万屋は、意外と軽い話題に拍子抜けしたのだろう。
    思い切り間の抜けた反応を返す。

「ひ、酷いっスよ~!?
    その反応はあんまりっス!」

「ああ悪い、悪い」

    霧谷が抗議の声を上げるものの、万屋としても気が抜けてしまったものはどうしようもなかったのだろう。
    再び気の抜けた返事をする。

「霧谷なぁ。
    お前、それは隊長と俺の話よりも重要なのかぁ?」

    山田が呆れて言う。

「まあ、大丈夫だとは思うけどね。
    今のところ、そういう話は聞かないから」

    万屋はそう言うと、元気付ける様に霧谷の肩を叩いた。
    呆れているのは山田と同じなので、フォローはしないらしい。

「でも、どうしても気になるなら、しばらくの間は会わない方が良いかもしれないなぁ。
    医官でもないと、保障は出来ないし。
    もしかしたら潜伏期間の長い、未知の病気に感染している可能性も、素人じゃ否定し切れない」

    万屋は念の為にと、忠告じみた事を言う。
    上官としては、無責任に励ますだけという訳にもいかないのだ。

「そうっスよね~…………」

    霧谷は露骨に落ち込む。
    万屋のした事は無責任でこそ無かったものの、『上げてから落とす』という鬼畜な所業でもあった。

(やっちゃったかなぁ?)

    万屋はその事に気付くも、既に遅い。
    周囲は引き気味で山田などは呆れ顔だった。

「とにかく、貴賓室へ戻りましょう。
    自分は、拉致被害者の検査時間を確認してきます」

    山田はそう言ってヘリから降りると、駆け足で艦橋へ向かう。
    万屋の尻拭いが事実上の主な任務とはいえ、あまりにもくだらないミスまでフォローするつもりは無いのだ。
    あるいは万屋の対処能力でも、充分に切り抜けられると判断したのかもしれない。

「まあ、多分大丈夫だよ。
    何とも無い」

    結局のところ、霧谷を励ますには無責任な事を言う他なかった。

「それじゃあ、俺は報告があるから」

    これ以上無責任な言葉を続ける訳にもいかず、万屋は仕事という大義名分を掲げて逃亡を図る。

「その前に、機内の清掃をお願いしましょうか?」

    だが、その企みは思わぬ横槍によって挫かれた。

「いや、その…………」

    横槍を入れたのはヘリの機長だ。
    ある程度は山田が処理をしたものの、機内には臭いだけでなく水分も残っている。
    不機嫌そうな口調も当然であろう。

「何か文句でも?」

    坊主頭は自衛官に多い為に万屋も慣れているが、これにサングラスと厳つい顔付きが加わると、威圧感は強まる。
    ましてや、陸自でも通用する大柄な体格も合わされば、恐怖すら感じる程だった。

「……………、御座いません」

    万屋には、機長に逆らうという選択肢が無かった。
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