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第二章 西端半島戦役

第三十一話 近隣にて(二)

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    時は前後して、人質救出作戦から二日後の夜。
    とある地域の不法占拠者達は、苦しい立場に追いやられていた。

「脱走者がいないのは幸いだが、このままだと飢え死にする事は確実だ。
    ここは屈辱に堪えて、日本政府からの支援を受けてやるべきでは?」

    狭苦しい中隊指揮所の中で、そんな声が響く。
    男ばかり数名で密室に籠っているせいで、おかしな事を言い出したのか。
    否、これは文化的なものだろう。
    文化が異なれば、異様に感じるという言い回しは、何処にでもある。

    『支援を受けてやる』という、日本人的な感覚では馴染みの無い単語は、島の守備隊を指揮する大尉の口から出た言葉だ。
    流石に本気で言っている訳ではない。
    しかし、彼には部下を納得させる為の方便が必要だった。
    そのとてつもない方便が無ければ、彼の部下達は納得しないだろう。

(教育が悪いのだ、教育が)

    彼の考えは、事実の一面だった。
    偏った教育は、人を不幸にする。
    そして、同時に愚かにもするものだ。

(正直に、はっきり言ってしまいたい。
    それが出来ればどんなに良いか)

    大韓民国陸軍大尉金定育は、我慢の限界を感じていた。

    軍人、特に士官ともなれば冷静さが求められる。
    良く言えば、情熱的。
    悪く言えば、エキセントリックな朝鮮半島の風土でも、それは当然の事だ。
    そうでなければ、規律が守れず統制を失ってしまう。
    金が冷静さを保てる士官だったからこそ、この異常事態にも拘らず、部隊は統制を保っていられたのだ。
    だが、それにも限度はあった。

「日本野郎の助けなんて要りません。
    ただの通信障害に決まっています」

    一人の小隊長がそう言うと、他の者も口々に賛意を示す。
    そうしなければ、親日的と思われてしまうからだ。
    現状でそう思われる事は、彼等にとって何よりも恐ろしい事だった。
    何故なら、規律が揺らいでいるからだ。
    下手に非主流の考えを持っていると知られれば、たとえ上官であっても何をされるか分からない。
    現状、どうにか規律が保たれているのは、日本という共通の敵が目の前に居るという、煽られた危機感のおかげでもあった。
    それを無下に否定するのは難しい。
    否定してしまえば、それを切っ掛けに辛うじて保たれている規律が、一気に崩壊してしまう可能性もある。
    徴兵制度下の軍隊では、兵士の一人一人にプロ意識を持たせる事が、非常に難しいのだ。

「ハァ……………」

    金は溜め息を吐く。

(いつからこうなってしまったのか………………)

    彼は、先人達の反日的な教育政策を恨んだ。
    だが金が悩んでいる間にも、部下達はエスカレートを続ける。
    一人が過激な事を言えば、少なくともそれ以下の穏便な言葉は出し難くなるのだ。

「そうだ!
    最悪、食糧が無いのなら奪いに行けば良い!
    日本野郎なんか、対馬に上陸すればそれだけで腰を抜かすぞ!」

    とうとう、先程から血気盛ん(世界標準では無思慮、日本人の感覚では狂気とも言う)だった小隊長が、決定的な一言を言ってしまう。

「「「………………」」」

    流石に沈黙が訪れた。
    勇ましい事を言ってはいるものの、彼等も現実が理解出来ない訳ではないのだ。
    あくまでも、理解しつつ目を背けているだけである。
    言い出した本人ですら、自身の意見が実現可能だとは、微塵にも思っていないのかもしれない。
    しかし、周囲の人間も保身の事を考えれば、それを諌める事も難しかった。
    それ故の沈黙だ。

(これは流石にマズイか)

    金は、問題の無い言い回しのみで、どうにか諌める方法を考え始める。
    問題のある言い回しでは、自身の命に関わる為だ。
    島に居る最上位者である金が、殺害される様な事になってしまえば、指揮系統も規律も無くなるだろう。
    彼はそれを充分過ぎる程に理解していた。

「君達の気持ちは良く分かった。
    気持ちの上では、私も同じだ。
    憎たらしい日本野郎共から、食糧を奪い取ってやればどんなに気持ち事かと、常にそう思っているぞ」

    金は一呼吸置くと、周囲の部下達を見回す。
    頷いてはいるものの、上官が何を言い出すのか不安に思っているのだろう。
    全員の顔が青ざめていた。

「だが、忘れてはならない点がある。
    連中は忌々しい事に、無抵抗ではないのだ。
    今の連中は分不相応にも、自衛戦闘の制限を撤廃している。
    無傷での収奪は難しいだろう。
    死者が出てもおかしくはない」

「それぐらい何だ!?
    先祖が受けた苦しみに較べれば、犠牲など大した事ではないぞ!?」

    ここで納得したフリをしておけば、万事上手く解決するにも拘らず、血気盛んなバカは大声を出した。
    金は面倒臭そうな表情にならない様、必死になって続ける。

「うん、うん。
    分かっている、分かっている。
    君達の気持ちは、よ??く分かっているぞ。
    だが、諸君等勇敢な部下を、死ぬと分かって前線に送る事は出来ない。
    大事な部下だからな。
    何が起こったのかは分からないが、祖国が危機にある以上は一人も死なせたくない。
    ここは堪えてくれないか?」

    金が取った手法は単純だ。
    彼は部下の感情に訴えかけた。
    最後の方など嘘泣きが入っている程、熱意を込めている。
    これが理屈よりもよっぽど効果的なのだ。
    理屈で動いて欲しいという、金の願いを考えると皮肉以外の何物でもない。

「うるさい!」

    バカは、部下という自分の立場も忘れて喚く。
    何時、何処にでも例外という存在はあるものだ。
    この場合は、分からず屋と言っても良い。

「……………、どうしてもと言うのなら、私を撃っていけ!」

    金は賭けに出た。
    もちろん、死ぬつもりは無い。
    駄目でも、臭い芝居に感動をしている他の部下が、発砲してでもバカを止めてくれるという目算があるのだ。


「「「中隊長!?」」」

「諸君を止める為なら、この命惜しくはない」

    分の良い賭けではあっても、怖いものは怖い。
    だが、ここが見栄の張り時だと思ったのだろう。
    金は平然と言って見せる。

「qaぞueyつれxnxiyvhぬたまkえousnucgうugxせせnoz!!!??!!????!」

    バカに理屈は通用しなかった。
    それどころか、泣き落としすら通じなかったらしく、拳銃を抜いて飛び掛かって来る。
    金にとって幸いだったのは、バカが正気を失っていた点だろう。
    安全装置は外されておらず、発砲された訳でもなかったのだ。

(バカなりに悩んだのか?)

    金の推測は、概ね正しかった。
    バカは、発砲するか殴り掛かるかを決めかねたまま、衝動的に行動を起こしたのだ。

「と、取り押さえろ!」

    金の一声で、呆然としていた部下達が我に戻る。
    士官は職業軍人である為、こういった時の反応が早い。

「ぬをゎ!?!!???!
    放せ、放せ、放せ!!!!
    あうずっっjsuybcjuaこれっぶずあっっっえryysa!!!!!!!」

    狭苦しいとはいえ、バカの立ち位置は末席であり、金の立ち位置は一番上座だ。
    バカは、金に触れるよりも前に取り押さえられる。

(バカな奴め)

    金は心の中で舌を出した。
    バカは、平時であっても迷惑極まりないのだ。
    非常時ともなれば、害悪以外の何者でもなかった。
    ここで取り押さえて置くと、後が楽になる。
    そう考えると、バカは金の都合に沿った形で暴発したとも言えよう。

「中隊長!?
    どうなさいましたか!?」

    中隊指揮所の騒動が聞こえたのだろう。
    何処かの小隊の兵士が、乱暴に扉を叩いた。

    騒ぎが聞こえるのは当然だろう。
    竹島は狭い為、中隊を駐屯させる事すら無茶なのだ。
    それでも、日本側の奪還作戦を恐れたのか陸軍の管轄となってから、無理矢理駐屯させているのが現状だった。
    兵舍はそのまま防御設備となっている上に、中隊指揮所とは一メートルも離れていない。
    これでは、如何に中隊指揮所の壁がコンクリート製の分厚い壁であっても、声を漏らさないというのは不可能だ。
    勤務中であっても、休憩中であっても、兵士達が騒動に気付くのは当然だった。

(また面倒臭い事になるな)

「何でもない!
    会議中だから、持ち場に戻れ」

    金は内心うんざりしつつ応じる。
    ついでに部下達へ向けて、口を押さえるジェスチャーを見せておく。
    バカを取り押さえている部下が、慌ててバカの口を手で塞いだ。
    応じなくとも良いのだが、応じなければ心配した兵士が入って来るだろう。
    それはそれで余計に面倒になる。
    何せ外に居る兵士が、バカと同類でも仲間でもないという保障は、何処にも無いのだ。
    そして金の祖国では、この取り押さえられているバカの同類が多数派だった。
    中の騒動がどれ程伝わっているのかは不明だが、一緒になって暴れられても困る。
    最悪、外ではバカを救出しようとして、大勢の兵士達が集まっている可能性もあった。
    金の心配は、あながち杞憂でもないのだ。

「失礼致しました!」

    幸いな事に、騒ぎの内容までは聞こえていなかったのか。
    あるいは、まともな神経を持った兵士だったのか。
    何れにしても、兵士は中隊指揮所の扉からアッサリと離れた。

(行ったか?)

    金は、自ら扉に耳を押し当てて確める。
    そして、兵士の気配が消えた事を確かめると、バカに向き直った。

「後は、こいつをどうするかが問題だな」

    単純に抗命罪を問えば、混乱をきたす事が分かりきっている。
    バカは押さえ付けた後も、面倒事を残すものだ。

「精神錯乱状態ですからね。
    本来なら、後送すべきところです」

    一人の小隊長がそう言って、バカを軽く蹴った。
    八つ当たりしたところで、後送先が出てくる訳でもないのだが、気持ちを抑えられなかったのだろう。

(気持ちは分からないでもないが、その怒りはお門違いだ。
    そもそも、この狭い島に中隊単位の戦力を置く事自体、大きな失策なのだから。
    政府も軍上層部も、身の丈を知らな過ぎるんだ)

    金は、心の中で消え去った筈の上層部を非難した。

    大韓民国陸軍が、竹島に駐屯地を設置して数年が経過したものの、彼等はその狭さを実感しつつある。
    それでも彼等が駐屯している理由は、政治的なものだ。
    一歩も退かないという強い意思を、内外に示す事が目的だろう。
    しかし、全島を軍事拠点化しても配備出来るのは、僅かに一個中隊でしかない。
    本格的な奪還作戦には、とても堪えられないだろう。
    つまり、彼等は捨て石なのだ。
    軍事的な本命は、陥落後の再奪還である。
    何も知らない兵士達はともかく、これでは士官の士気が揚がる筈もない。
    元々、やる気のある者はバカぐらいだったのだ。

「後は、日本野郎が食糧を献上してくるのを待つだけですね」

    金は、現実の見えていない部下の物言いに目を丸くするが、何かを言う事はなかった。
    それが無意味だと知っていたのだ。

(いつも通りの高圧的な態度か。
    上手く行く訳もないな)

    金は冷静に未来を悲観した。
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