くじら斗りゅう

陸 理明

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りゅう

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 和田家は運よく燃えずに残っていたが、そこにお汐の姿はなかった。
 ただ、意外な人物が地面を見つめて腰かけていた。
 頭に布を巻いて血を止め、顔は赤く腫れあがっていたし、全身に黒い痣が浮かんでいた。
 明らかに大人数から暴行を受けた跡であった。
 鵜殿でも権藤の次にといっていいほど大柄な彼を、正面からここまで痛めつけるのはかなりの難事だろう。

「弥多……わいつ……」

 吉右衛門が声をかける。
 二度かけてみて、ようやく俯いていた顔を上げてきた。

「村長はん……」

 我武者羅で生意気盛りの若者らしくない落ち込みようと憔悴であった。
 眼も虚ろだ。
 生気の欠片もない。

「お汐は―――」

 吉右衛門の娘の名を出した途端に、弥多はうわっと泣き出した。
 精神的にはまだ大人になり切れていないにもかかわらず、身体だけは育ち切ってしまった若者のいびつな成長の結果なのか、妙に不気味なものに見えた。

「娘はどうしたんだ?」
「連れてかれちまった……」
「お汐も海賊に攫われたってのか? おい、はっきりしやがれ!」
「……うん」
「くそったれめぇ! なんてこった!」

 悪い予感が当たってしまった。
 茂吉のところの娘だけでなくお汐までも。
 しかも、この調子では下手人は鵜殿に火を放ったやつらだ。
 村人も少なくない数を殺していっただろう。
 住処を焼き、人を殺し、女を攫う。
 地獄の底から湧き出してきたような鬼どもの振る舞いであった。

「畜生め……わしらの村を焼くだけでなく娘までも……」

 弥多だけでなく、吉右衛門も狂いそうだった。
 ただでさえ、数日間の牢屋暮らしを強いられていた上、慌てて帰ってくれば彼が守らなければならなものが根こそぎ奪われたうえ、大切な一人娘まで攫われたのだという。
 なんだ、これは。何があったというのだ。
 どんな理不尽がまかり通ればここまでどん底に突き落とされねばならないのか。
 目の前の覇気を奪われた若者が急に憎くなった。
 こいつのせいではないかと、八つ当たり気味に考えてしまったのだ。
 思わず草履の裏で蹴り飛ばしたくなったが、そうする前に後ろに控えていた巨漢の手が肩に乗ったことで辛うじて思いとどまった。

「権藤はん……」
「この手口、ただの海賊ではないぞ」
「そりゃあ、そうですが……」
「大店の裏に油をまき、火をつけて、その間に村一番の屋敷を狙う。逆らうものは殺し、そのついでに女を攫う。昨今、ここまでの大暴れは噂でも聞かぬ畜生のやり口よ」

 江戸に徳川による幕府ができ、大きないくさも島原で起きた乱が最後で、これから二百年近く太平が到来する時代である。
 各地の藩の治安監視の目を掻い潜った、大小の盗賊が各地を荒らしまわることはあったといっても、一つの村を火の海にするような非情な働きはまったく聞かなくなっていた。
 新宮藩を含む紀州においては、かつて耳にしたこともない暴力的なやり口だった。

「確かに……」
「だが、わしはこれと似た手口を聞いた覚えがある」
「なんと。権藤はん、それは」

 権藤は灰燼と帰した周囲を見渡し、

「倭寇よ。特に覚えておるのは、大坂の役以降、取締りが厳しくなり、シナの沿岸まで遠征に行った熊野水軍のはみ出し者たちのやり方だ。まだ戦国の世の血煙が抜けきらぬやつらがこういう畜生にも劣ることをやらかしていた。熊野水軍出身といえば、新宮藩にもいなくはなかったが、素性の怪しいものどもが多かった太地ではもっとおったのではないか。もっとも、太地にいてそんな真似をすれば角右衛門どもに腕を根本からぶった斬られていただろうがな」

 その言葉に吉右衛門もはっとなった。
 彼も聞いたことがある。
 和田家も元をさかのぼれば水軍だった先祖がいるし、中には倭寇の真似事をして糊口をしのいでいたものもいる。
 昔話というのではなく、つい最近の思い出話として酒の肴に耳にしたことさえあった。

「水軍崩れ……まさか、こんな水野様の藩のおひざ元で……」
「そのまさかかもしれん。のお、村長。少し前のことをおぼえているか」
「何をですかな」
「水軍崩れと弥多たちが喧嘩をしたことがあっただろう。わしはそのときのことを思い出していた」
「そういえばそんなことが……」

 竜が獲れる少し前のことだった。
 確かにそんなことがあった。
 村によそ者が入り込んだとして、弥多と四番舟の水夫たちがひと悶着を起こしたことがあった。
 そのとき、よそ者の一人が刀を抜こうとしたので権藤が止めたうえで、全員をぶちのめしたという忘れられない出来事があった。
 ただ、それからすぐに竜退治があったため、そんなことは些事とばかりに完全に忘れていた。

「もしや、あいつらが?」
「かもしれん。見たところ、人を斬ったこともありそうな輩ばかりだった。そいつらがこの襲撃を企てたとすれば筋は通る。慣れた手口に、見目の善い女を攫って行く外道な振る舞い、それに顔をおぼえていたのならば、わしの代わりに弥多に報いを受けさせたことも筋道は通っておる」
「それならば話はわかりますな。くそ、あいつら、どこからか竜珠のことを聞きつけたのか。それで火をつけたというのか、外道め!」

 吉右衛門は怒りのあまりに地面を蹴りつけた。
 ようやくこの惨状の原因が理解できた気がした。
 すべてが繋がれば弥多への怒りなどどうでもいいことになる。

「……竜珠だと?」

 その中で怪訝な顔をする権藤。
 竜珠という単語に聞き覚えがなかったからだ。
 咄嗟に、吉右衛門の口から出た言葉にしては異質すぎた。

「なんだ、竜珠とは」

 すると、吉右衛門はバツの悪い顔をした。
 竜珠の件については、納屋衆の頭と勝太夫、あと二番舟・三番舟の親父たちにしか伝えていない。
 なぜならば、あんなものが竜の腹から出てきたとなっては無用の騒ぎの元にしかならないからだ。
 しかし、太地角右衛門の別邸を狙いそれから吉右衛門宅を襲ったのは、鵜殿で一二の大きな建物だからというだけではなく、竜珠を求めてのことだとすれば簡単に説明がつく。
 権藤にまで隠していたのは存在を知るものを限定しておきたかったからである。

「あの……竜の腹から出た……珠だ。掌いっぱいに乗るほどの大きさで、太陽の下では真珠よりもやや濁ってはいるが、夜に外に出すとぼーっと光る美しい宝石だった。見つけたのは、納屋衆の頭だ。すぐに袋にくるんで、皆にばれないようにして持ってきた。まるで龍涎香のようだと勝太夫は言っていた。どういうものかわからないので、まず新宮のお城に届けを出した。わしらの一存ではどうすればいいか、わからんとな」
「角右衛門どのには伝えたのか?」
「一番舟の刺水夫に勝太夫が太地に伝えるように命じたはずだ。そういえば、あいつ姿が見えんな。牢にもいなかったようであるし……」
「村長。……城の誰に伝えたのだ。それを知りたい」
「松井さまだ。加判家老の松井誠玄さまだよ。わしらが捕まっていた牢の持ち主だ。少し前から鵜殿にまつわることはあのお方を通じて殿様に報告することになったのだ。権藤はんは知らなかっただろうが」

 松井の名を聞いて、権藤は頭に血が上りそうになった。
 まさか、あの腐った男がいつの間にか、この鵜殿の新宮藩での元締めになっていたとは!
 木曽野が言っていたことがまさか本当になっていようとは。
 そして、何よりも不味いのは松井が竜珠なるものがこの村にあることを知っていたということである。
 牢での話によると、吉右衛門は松井のことを金の亡者であることぐらいしか知らないようだった。やはり、武士でないものにそこまで腐った噂は届いていないということか。

「城に伝えたのはいつのことだ?」
「竜を退治して二日後といったところだ。ところで、何故、そんなことを聞く?」

(二日後。わしらが勝浦にでる三日前だ。もし、あの腐った男が何かを企んでいたとしたら、十分すぎる時間だ。もともと、やつは鵜殿に密輸の証拠がないか山川に探らせていたはずだ。角右衛門を妬んでいるやつが、太地肝いりの鵜殿にいい印象をもっていないことは明らかだ。では、どうするつもりだったのか。まさか、この水軍くずれの所業の裏で糸を引いているのは奴か? だが、こんな自藩の命取りになるような真似をする意味はあるのか。加判家老が下手をうてば藩自体が潰されかねないのだぞ)

 そこまで考えたとき、権藤は松井がもともと新宮藩の人間でないことを思い出した。
 もともと新宮藩には紀州藩から養子でやってきた男である。

(そうだ。やつはもともと紀州藩から養子にきた男。新宮藩の隆盛などなんの興味もなくて当然。であるのならば、前のように自分の利益のために藩のものを裏切っても不思議はない。―――わしの親父殿のように)

 権藤は決意した。

「吉右衛門どの。わしはその水軍崩れどもを追う。かどわかされたお汐やお竹も、竜珠とやらも、力づくで取り戻す。それでいいか?」
「―――頼む。わしはすぐに動けん。村の連中を集めねばならん。あんたが頼りだ」
「まかせるがいい」

 すると、さっきまで黙っていた弥多が立ち上がった。

「わいも連れて行ってくれ」
「……わいつ」
「お汐を……」
「いいぞ。やってみようじゃないか。賊どもがどこに逃げたかわかるか」

 弥多は少し考え、

「おそらく、海だ。やつら、浜の方に逃げたはずだ。船乗りが馬を用意している訳はねぇ」
「わかった。吉右衛門殿、人手がいる。六番舟の生き残りがいたら連れていくぞ」
「村長、四番舟のやつらもいいのか?」
「おお、好きにしていい。鵜殿はこっちに任せい」

 それだけ聞くと、権藤は重々しく歩き出した。
 弥多が怪我をしていても気遣うそぶりも見せない。
 これから向かうのはいくさ場である。
 怪我の一つや二つで気遣っていられる余裕はないのだ。
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