くじら斗りゅう

陸 理明

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りゅう

牢入り

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 権藤達が閉じ込められた牢は、新宮藩の奉行所のものではなかった。
 城下町にある松井誠玄の屋敷にあるものであった。
 押し込められたのは、村長の吉右衛門と第一勢子舟の船長でもある刃刺の勝太夫、第二、第三舟の刃刺が二人、そして権藤伊左馬であった。残りのものたちは、まとめてさらに奥にいる。
 なんにせよ、五日間、朝昼に飯を運んでくる中間らしきもの以外は、牢には誰一人として近づいてこないのだ。
 権藤達にはどうしようもないものといえた。

「いつまで、ここにいなくちゃならねえんだ」

 二番舟の刃刺が愚痴を言った。
 今日、何度目かもわからない。

「拷問されんだけましだと思え。奉行所にまで引っ張っていかれたらすぐに水風呂と割れた竹だ。一日ともたんぞ」
「だがよ、わいらは抜け荷探索だということで縄をかけられたんだぜ。それがどうして、ご家老様の屋敷の牢屋にぶちこまれるんだ。おかしいじゃねえか。筋が通らねえ」

 このやりとりも何度目だろうか。
 まったく情報が入ってこないまま放置されるというのは、ある意味ではどんな拷問よりも堪えるものである。
 こんな状況であって平然としていられるものは数少ない。
 普段は泰然自若としている勝太夫ですらイライラして時折周囲に当たり散らしそうになるのだから、他の者たちも同様である。
 吉右衛門と権藤は分けられて、別の牢に押し込まれていたが、話はすることができる。
 ただし、二人は牢内での会話が盗み聞きされているおそれがあることに気が付いていたため、最低限のことしか語らなかった。

「―――このままでは太夫たちが先に参ってしまう」
「そうですな」

 吉右衛門は腕を組んでじっと考えた。
 どうして自分たちが牢に入れられたのか、なぜ取り調べも受けずに軟禁されているのか、そしてそれがご家老の屋敷であるということがわからない。
 鵜殿で密貿易がされていて、その抜け荷の探索だという表向きの言い分はまるで信用できなかった。
 そもそも、鵜殿には密貿易をするために遠洋にでられる船がないのだ。
 新宮にいくには徒歩でも足りるし、太地とちがってよその港へいく廻船もない。
 鯨獲り以外の漁は基本的に最低限しか行われないので、空いている舟も数艘しかなく、誰かがおかしな真似をしでかせばすぐに露見する。
 ありうるとすれば、鯨からとれた肉の部位の横流しだが、危険を冒すほどの価値があるのはマッコウクジラからとれる龍涎香ぐらいのものしかない。
 しかも、それとて太地の掟同様に盗んだのがわかれば、手首を斬り落としたうえで追放処分が待っている。
 太地でさえ起きたことのない掟破りなので、鵜殿でも当然のこととして起きてはいなかった。

「抜け荷など鵜殿にはない。ご家老様は何を指して私らを捕まえることにしたのかさっぱりだ。権藤はん、あんたはどないや」

 吉右衛門は郷士の家柄であるが、武士ではない。
 もと武士である権藤に対しては、鵜殿のものの前でこそ周囲のものと同様に扱うが、二人しかいない場合には身分差をややわきまえた口調になった。

「ご家老といっても、松井誠玄について、わしはそれほど詳しくはないのだ。紀州の産で、松井家に養子に入ったということぐらいなものか。あとは、そうだな、金にうるさいということか」
「それはわいもわかっちょう。鵜殿にもたまにご家老さまの家来の方がみえられて、ちょっとした催促をされることがある」
「金かね?」
「そうだ。まあ、それほど法外な額は要求してこない。ここが水野の殿様直轄であることは百も承知であるはずだからな。たんに気前のいい相手に集りたいだけよ」
「鵜殿が儲かっているとは初耳だ」
「太地に比べればないも同然だが」

 吉右衛門は刃刺たち以上に鵜殿のことが心配だった。

「ご家老のことはあまり知らんが、わしらを捕まえにきた若白髪のことならば少しは知っておる」
「ああ、あの奇矯な…… 少し前に、奉行所の同心と視察に見えられていた」
「そうだ。名を山川久三郎という。わしと同門だった男だ。ただし、あやつの方がわしよりも二十は年上だが。柳生新陰流の師範代を務めていたこともある」

 そういえば、勝浦で捕縛されたとき、権藤に対してなにやら話していたのを思い出した。
 知り合いだったのか。
 吉右衛門は権藤のことを信頼していたが、浪人であった頃の彼のことはあまりしらない。
 藩のもの―――というよりも水野家直営の鯨方を経営するため、太地角右衛門の推挙があった浪人ものということぐらいだ。
 あとは、角右衛門が酒の席で漏らした、もともと太地から新宮へのつなぎ役をしていたものの子息だということか。
 鯨捕りの生まれでもないのに、ここまでの実力を有するに至ったのは凄まじいの一言である。

「山川さまねぇ。あんときはほとんど口を利かないので、単なるお飾りかと思うておりましたが、武士のくせによう舌の回るお人でしたな」
「昔からあんな男だったよ。親戚のご家老も舌から産まれたような御仁だということだから気が合うのだろうさ」
「なるほど。あんこつからもう目を付けられちょったというわけですか」
「だろうな。一緒にきた同心は知人だったが、派遣されてきた理由はよくわからんと言っておった」

 記憶を思い返しても、白髪の武士と同心にはそれなりの接待をして、美味いものと酒を与えて追い返したが、どちらも特に秘密を探り出そうという態度ではなかった。
 松井の名前をだしてきたわけではないが、家老宛に金を包んで渡しただけだ。
 飢えず死なず長年にわたって金をひきだすための手妻だとしか考えていなかった。
 金をじわじわ搾り取る方針だったのなら、わざわざ吉右衛門ら、鵜殿の主だったものを捕らえたというのはおかしな話だ。
 などと考えを巡らせていたら、陽がのぼってすぐに松井家の配下らしき武士が牢に入ってきた。
 服装からしても用人や使い走りの類いではない。
 初めてのことであった。
 ついに年貢の納めどきかとおもったら、意外なことを言いだした。

「わいつら、放牢だ。さっさとでてこい。家に戻っていいぞ」

 そういって南京鍵を外していったのだ。
 裏があるとびくびくしていたものたちも、全員が牢の外に出ると一息ついて、嬉しそうに顔をにやつかせた。
 ただし、下手な大喜びはしない。
 松井家の家臣たちを刺激したくないからだ。
 最後にのっそりと権藤が外に出ると、家臣は言った。

「ついてこい。わいつらは裏門から出ていけ」

 こんな時間に解放されても夕方までに鵜殿に帰れるかはわからない。
 もっとも無事に解放されたというだけで心が浮き立つようであった。
 案内役が門の奥に消えてから、鵜殿の男たちは歓喜の声を上げた。
 もう大丈夫だろう。
 牢屋から無事に出られた。
 それだけで嬉しい。 
 男たちは自分の集落へと歩き出した。
 一刻も早く辿り着きたかった。
 牢屋暮らしはまっぴらごめんだ。
 このときはまだ、鵜殿で起きた悲劇を知る由もなかった。
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