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氏重の策
しおりを挟む四郎衛門と勝澄によって、縄できつく縛り上げた黑影を作兵衛、才蔵とともに並べて横たえていると、森の外に様子を見に行っていた坂見但馬と鈴木重盛が戻ってきた。
虜囚が増えているのを見て目を丸くし、さらにそれが岩崎城で萩姫を略取した異形の忍びだと知って驚愕する。
「ご無事ですか、若!?」
「うん、私は無事だ。それで、六蔵の首尾はどう?」
「まだ戻ってこないのでわかりませんが、矢文を金山城の門に撃ち込んでくるだけですから、もうそろそろではないでしょうか」
「わかった」
須賀六蔵に命じたのは、「安田作兵衛と可児才蔵を召しとったり、明日の夜明けまでに武蔵守は加藤景常の女とともに美濃地蔵院に参られること。万一、これにたがうときは両人の命にかかわる大事となること疑うことなかれ」という文面と丹羽氏重の署名がしてある書面を金山城に矢文として射ることであった。
「しかし、鬼武蔵は若の読み通りにでてくるのでしょうか。いかに、家臣を捕らえたとしても相手は一国一城の主です。人買いに子を攫われた親とは違うでしょう」
「坂見但馬の言うことももっともです。あやつは岩崎でも見かけましたが、血も涙もないような外道。臣下のために危険を犯すとは思えませぬ」
口々に自分を止める声を聞いても、氏重の決意は揺るがなかった。
萩姫を助け出すためにはいくつかの方法があるが、どれもある意味では正攻法すぎて時間がかかりすぎるし、なにより実現可能な策ではない。
まず、考えつくのは金山を軍勢でもって攻めるというものだが、長可が羽柴秀吉の下についている以上、そんなことをすれば丹羽家そのものが危うくなるし、なによりいくさのための大義がない。
攫われた女のために軍を動かすというのは、この時代では大義としては認められぬことなのだ。
次に、身代金か他の人質を取っての交渉なのだが、これはすでにしくじっているうえ、鬼武蔵は口での話し合いが功を奏す類いの武士ではない。
そして、何よりも森勢の動きをみてみると明日をも知れぬ無茶な振る舞いが多く、金山に萩姫を置いておくのは危険すぎるということであった。
氏重が、父にも兄にも内緒にして、数人だけを引き連れて許嫁奪還に出たのはそれらの理由によるものである。
自分付きの抜刀術を得意とする鈴木重盛、須賀四郎衛門、その弟六蔵、信玄の使番として隠密行動に詳しい今井勝澄、そして軍師役としての坂見但馬の五人を氏重は選んだ。
気心が知れているということもあるが、自分一人だけで金山の一城を探るというのは無謀だということはわかっていた。
これ以上の数は小回りが利かなくなるおそれがある。
一軍を率いるのと少人数を引きまわすのは方法論が違うことを氏重は学んでいた。
「大丈夫さ。逆に城での振る舞いを覚えているから、私はこんな手段を思いついたんだ。……私の署名をみれば、武蔵守どのは絶対に自分だけでやってくる。岩崎城にたった五人でやってきたように」
氏重には確信があった。
あの城で兄の氏次との決闘を望んだ暴挙。
上諏訪でのやりとりを思い出してもわかる。
鬼が欲しているのは強者との命のやり取りだけだ。
領地でも、名誉でも、天下でもない。
まして安寧や平和でもない。
ただ、恐ろしいまでに兵《つわもの》との殺し合いを求めているのだ。
武将としての彼は、東美濃で混乱をうみだしている有象無象の豪族どもを斃すことに熱中しているようだが、おそらく、鬼武蔵が一人の武士として敵と認めているのは初陣の伊勢長島でみかけて目に焼き付いた丹羽氏次だろう。
だからこそ、美濃の混乱から一時離れてまで岩崎城へとやってきたのだ。
わずかな供だけをつれて。
軍勢ではなくわずかな手勢だけを率いてきたのはそういうことのはず。
となると、氏重のやることもほぼ決まっている。
運よく面倒な安田作兵衛と可児才蔵を人質にすることができたのを奇禍として、あの鬼を誘い出すことができるだろう。
あとは氏重があの鬼を退治できるか、だけの単純な問題だ。
「じゃあ、そろそろ地蔵院に行こう」
竜神の祠のある森から木曽川をわずかに南下したところに地蔵院という臨済禅宗の寺があり、そこは夢窓国師を開山とし、伝教大師の作といわれる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。
森可成が金山城の主になってからは、住職もいない廃寺となっている場所だ。
美濃にやってきた氏重一行が宿代わりに使うまで、誰も住んでいなかった。
いざとなったら木曽川を船で逃走することもできる便利な立地でもあった。
鬼武蔵を呼び出すには適当といっていい。
「しかし、若……」
「仕方ないんだよ、重盛。萩を連れて帰るためにはこれしかない。丹羽氏重が森長可に槍をつけるしかないんだ。つけいる隙はそこしかない」
「相手は鬼でございまする……」
「羅生門の刻から鬼を退治するのは武士の仕事さ」
氏重は勝澄の船に乗り込んだ。
続いて、重盛と四郎衛門、坂見但馬が続く。
「こっちの化け物どもはどうするのです?」
三人並んで指一本動かせないように縛りつあげられた森家の三人に四郎衛門が顎をしゃくる。
言外に「始末すべき」ですと告げている。
美少年は首を振った。
横に。
「どうしてですか?」
他のお供達も同じ疑問を浮かべていた。
「安田作兵衛、可児才蔵、飛騨の黑影。誰も私が真っ正面から打ち破った訳ではない。―――ただの僥倖だよ。だから、ここで縛った彼らを斬るなんてことはしたくない」
「やるなら今しかないのでは」
「やりたくないんだ」
主人の決意が揺るがないことを重盛は悟った。
同じ武士だ。
気持ちは理解できる。
ならば、それを尊ぶべきだ。
もうそれ以上は何も口にせず、供のものたちは小舟に乗りこむ。
最後に氏重が転がっている猛者に言った。
「―――しばらくすれば金山城のものたちがくるでしょう」
「うぬ、長可とやるつもりかよ?」
「ええ」
「いい度胸だな、丹羽」
才蔵がにやりと笑った。
彼らは長可の暴力的なまでの働きを知って仕えている。
その森長可にあえて挑もうとしている少年を賞賛せずにはいられなかった。
無謀な挑戦であることも承知のうえで。
氏重たちを乗せた小船はそのまま木曽川を下っていった。
◇◆◇
一方、金山城の正門に氏重からの矢文を撃ち込んだ須賀兄弟の弟六蔵は、いつでも逃げ出せる準備をしつつ、城の様子を見張っていた。
氏重の策が破れたいざというときのためにも、森長可の動きを確認しておく必要があったからだ。
森家が人質を見捨てて、氏重たちに軍勢を差し向ける可能性の方が高いと六蔵は考えていた。
いくらなんでも、単身飛び込んで来た敵が人質を取って、城主と決闘したいなどという世迷言に飛びついてくるはずがない。
確かに岩崎城にやってきた鬼武蔵はこちらの想像を超える傾きようだったが、戦国の世を生きる現実的な武将でもある。
そんな野放図を通り越して、まさに戦いのために生きる修羅のような真似など考えられない。
六蔵が改めてそう自分に言い聞かせていたとき、
「おおお!!」
思わず声が出た。
城の正門が開くと同時に、疾風のように跳び出してきた黒駒の馬と武士の姿があったからだ。
決して忘れることはない。
あれは五月に岩崎城に先頭に立って来襲してきた男だった。
「鬼武蔵だ!!」
森長可はついてこようとする家臣たちを引き離さんとするほどの速度で愛馬・海津黒を駆っていった。
手にはあの時の禍々しい槍人間無骨を握りしめている。
鎧もつけず、まさにとるものもとらずの勢いで駆けていく長可についていけるのは、辛うじて六尺半の巨躯を持つ真柄直澄だけである。
他は完全に遅れてしまっていた。
あっというまに六蔵の眼前を通り過ぎ、恐るべき二組の騎馬は街道をのぼって氏重がまつはずの地蔵院へと向かっていく。
森長可は六蔵の想像を越えて丹羽氏重の要求に応えるつもりのようだった。
「あんな奴の思考をおえるなんて、うちの若も傾奇者の素質がありやがる!!」
六蔵も隠しておいて自分の馬に乗ってあとを追った。
追わなくてはならなかったのである。
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