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鬼去来
しおりを挟む本能寺の変の直後、最も適切に行動を起こしたのは羽柴秀吉であった。
当時、毛利征伐に出陣し、現在の岡山県にある備中高松城を水攻めにしていたにもかかわらず、信長の死を知るといちはやく毛利氏と和睦を結び、城将清水宗治を切腹させると急いで撤退を開始したのだ。
そのまま、六月十三日には山崎の戦いで明智光秀を敗死させ、主君の仇をとっている。
信長が討たれたのが二日未明のことであるから、なんと十日あまりしか経過していない。
主君の仇をとったという武功で、秀吉の発言力は一気に高まった。
織田家の相続と遺領の処分を決定する清州会議においても、池田恒興《いけだつねあき》、丹羽長秀などの支持を受けて、秀吉が仕切ることになる。
信長の遺児である信雄、信孝をさしおいて、嫡孫である三法師秀信を後継者にすることにし、重要な拠点は秀吉が押さえた。
遺領の点については柴田勝家らの主張もあったのだが、やはり主君の仇を討ったという一事が重かったのである。
さらに、京都大徳寺での信長の葬儀も秀吉が執り行い、ここにはっきりと次期政権の重鎮としての立場を確立した。
これに反発したのは、柴田勝家、滝川一益らの諸将であり、彼らは信長の三男信孝をたてて秀吉に対抗し始める。
逆に秀吉は次男の信雄をとりこみ、対抗馬にしたてあげた。
あけて天正十一年四月、反秀吉の筆頭であった柴田勝家が賤ヶ岳の合戦で敗れ、北の庄で滅ぼされる。
後ろ盾を失くした信孝は岐阜城で秀吉に降伏するが、信雄に命じて弟を尾張の内海の野間において切腹させてしまう……
こうして、天下の趨勢は羽柴秀吉のものという流れが徐々にできはじめていたのである。
そして、この年の丹羽家にとってもっとも深く関わってくるのは、織田信孝の存在であった。
信長の後継者問題において、いかに主君の仇をとったとはいえ家臣の一人でしかない秀吉に主導権を握られてしまったのは、この信孝が兄信雄との骨肉の相続争いを起こしたことが大きい。
本来、信雄と信孝は同じ年の生まれであり、信孝の方が数日先に生まれていたのだが、母親の身分が低かったため、三男とされたといわれている。
信忠・信雄と違い、信孝は差別されていたともいえるが、本能寺の変の前に四国の長曾我部攻めの総大将に抜擢されていたこともあり、将器そのものについては父親からは信頼されていたようである。
運命の日に、柴田勝家が越前、滝川一益は上野、そして秀吉は備中にいて、信孝は四国に渡るため大阪湾にいた。
そのため、本来ならば誰よりも単独で信長の仇をとれた立場であったにもかかわらず、備中から秀吉が帰参するのを待ち、形ばかりの大将として山崎の戦に挑んでしまった。
そして、清州会議で織田の本城である岐阜城の主となり、信忠の嫡男である三法師の後見人に選ばれてしまうと、そこで安心しきってしまったようである。
自分が信長の後継者になれるものと油断したのだろう。
しかし、信孝は主人の死によって荒れた美濃を平定できず、逆に西美濃を切り取った森長可を配下におさめた秀吉によって岐阜城を包囲されてしまう。
三法師を安土城に移すように命じられたのに拒否したことが「謀反」であると秀吉、信雄に断じられたのである。
丹羽長秀の仲介を受け、なんとか三法師だけでなく母の坂氏や乳母、娘らを人質として供出して和睦せざるを得なくなったのだった。
それだけでなく、賤ヶ岳の合戦においても柴田勝家とうまく連携が取れず、敗北する。
天正十一年五月、後ろ盾の柴田勝家を失った信孝は降伏し、信雄によって長良川を下って尾張国知多郡に移らされ、野間の内海大御堂寺に軟禁された。
それからすぐに信雄の命令によって信孝は自害させられる。
当然、秀吉の意思であろう。
むかしより 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前
信孝は切腹の際、この怨みの歌を残して、腹をかき切って腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた梅の掛け軸に臓物を投げつけたと言われている。
幼少の頃からのコンプレックスのもとであった兄弟信雄よりもやはり秀吉に対しての怨みが強かったものと推測される。
この切腹を、秀吉に唆されて信雄が命じたことについて、信雄の家臣団においても批判的な意見が流れ出した。
いくらなんでも実の弟を、元家臣の意見によって自害に追いやるとは人の道に外れるのではないか、ということである。
ある意味では当然のことであり、別の意味では的外れな批判であったが、信雄家臣団がこのことで揺れているときに、「信孝と内通していたものがいる」と密告をしたものが現われた。
密告されたのは、岩崎城の城主丹羽氏次であった。
猜疑心の強い信雄は、はっきりと讒言とわかるこの密告を信じ込んでしまった。
なぜ、このとき氏次への讒言を信じたかについてはよくわかっていない。
ただ、信忠の配下から信雄の元に移って十か月ほどの新参であったというだけではなく、信孝への負い目や罪悪感が八つ当たりの対象を求めていただけかもしれない。
その際に、信雄の家中でも指折りの勇士であったため、武芸よりは学芸の方に優れていた信雄に眼をつけられていたとも言われているが定かではない……
「父上、今帰参いたしました!!」
氏次はまとっていた鎧も半脱ぎのまま、奥屋敷に入ってくると氏勝の床の前に座り込んだ。
側近である一族の茂次が隣に座る。
どちらも荒い息を吐いていた。
相当長い時間、馬を駆っていたのがわかる。
体力自慢の氏次がでてきた温い茶を飲み干すまで何も喋れなかったのだから。
呼吸が整ってくると、氏次も余裕が戻ったのか、加藤景常とその娘萩姫、それに氏重が控えているのに気が付いた。
「帰ったぞ、次郎助」
ただ一人の弟を思わず幼名で呼んでしまう。
かなりの疲労なのだろう。
「岐阜城からか、氏次」
「飛ばしてまいりました。朝方、誰も起きてこぬうちだったので、追手はついておらぬようです。とりあえず、まずは三河へゆく道を辿りましたゆえ、まっすぐに岩崎に帰ったとは誰も思わぬでしょう。家臣のうち、主だったものたちはそのまま浜松にいかせました」
「三河。……やはり徳川殿のところか」
「しかたありませぬな。信雄さまはすでにおれの話など聞く耳もたぬ有様ですし、信孝さまも勝家どのもいなくなってしまった以上、おれが身を寄せられそうなのは三河の徳川どのところだけですから」
事情のわからない氏重が呆然としているのに気がついたのか、氏次は彼に向き直った。
「父上、氏重には?」
氏勝は首を振り、
「まだ伝えておらん。さっきまで景常とこれからの策を練っておったのでな。ただし、おまえが戻った以上、ここからは丹羽家の一大事を決める評定として当然氏重にもいてもらわねばならん」
「そうですな」
それから氏次はまだ事情のわからない氏重と萩姫に向けて説明を開始した。
―――本能寺の変の直後、信忠の配下のほとんどの将兵は次男の信雄のもとへと預けられた。
筋といえば、それが正しいはずである。
だが、信雄は第一次天正伊賀の乱での敗退や、安土城の焼き討ちなどの失態のせいで織田の配下からは軽んじられていた。
そのため、後継者争いに生き延びるため秀吉の傀儡に成り果てるなど、武士にとっては容認できない行動を続け、多くの武将に手を引かれていたのである。
それらの武将は基本的に対抗馬の秀吉の支持者となっていく。
氏次が信雄を見限らなかったのは、ひとえに彼の義理堅さのおかげであるといえた。
ただし、自分で自害にまで追いやった弟との内通があったとして処分しようなどという無理無体に付き合う気はさらさらなかった。
何人かの親しい将から、信雄がそのうちに自分を処分しようとしているという忠告を受けると、氏次はすぐに逃げ出した。
まず、領地の岩崎に事情を告げた使者を出すと、朝のうちに岐阜城から逃走したのである。
あまりにも素早い尻のまくりっぷりに、実のところ、氏次の出奔に信雄側が気づいたのは昼過ぎであった。
このあたりの逃げ足と決断の速さこそが武将としての氏次の長所であった。
「……おれはこのまま兵を引き連れて浜松に向かいます。そこに徳川殿がおられるのはわかっていますので、可能ならば途中で家臣たちと合流しようとは思うております」
しかし、問題があった。
要するに、それは城主の氏次が浜松に亡命するということである。
人によっては何もしていないのであれば岐阜城で無罪を訴え、話し合いをすべきという意見もあるだろうが、一度完全に押し込められてしまえば氏次たちはもう逃げることも叶わず殺されるしかない。
そのあとで罪を被せられ一族を根切されないという保証はないのだ。
なんといっても信雄は、あの織田信長の息子なのだ。
何をしでかすかはわからない怖さがある。
氏次は尻尾をまくって逃げ出すより道はなかった。
となると岩崎城はどうなるのか。
氏勝がやや暗い顔であった。
「すぐにでも信雄さまの軍がこの城を占領にくるだろう。だが、争う必要はない。戦わずに明け渡そう。それでいいな。もともとがこの岩崎城は織田のものよ。―――弾正信秀公(信長の父親)が築いたのだ。それが松平清康の手に落ち、清康が死んだのちにわしの祖父さまが手に入れたのだから、それをいったん織田に返すのも筋違いではあるまい」
「おれにとっては産まれ育ったしろですが、仕方ありませぬ。父上と氏重にはその役目をお願いしたい―――。舅どももお頼み申す」
氏次の失態を償うために形の上では岩崎城を明け渡す。
そうしなければ逐電した丹羽に対して信雄の怒りの全てが向けられる恐れがある。
そこまでしても許されないかもしれないが、丹羽一族全てが浜松までいくことはできないのだから仕方がなかった。
氏勝が長久手から景常を呼び出したのはこのためである。
岩崎城が織田の手に落ちれば、長久手にとっても脅威となり、もしかしなくても姻族として迷惑がかかる。
そこを告げずに決定することは不義理以外のなにものでもないからだ。
「わかった。婿どのはできる限り早く逃げなされ。娘は長久手で引きとろう」
「お願い申す」
氏次の妻は萩姫の姉であった。
浜松まで連れていけない以上、実家に帰す形になるのは仕方がないところだった。
「わしは傍示本の城に戻るとしよう。信雄さまの兵がのさばるところをみたくないしな」
氏勝としては当然の感想であった。
「氏重どのは……?」
景常に問われた氏重は顔を伏せた。
彼の本分は傍示本城主であるとはいっても、戦わずして城を明け渡すというのは武士としては屈辱以外のなにものでもない。
岩崎城は彼の産まれた地でもある。
しかも、兄氏次にかかっている嫌疑ははっきりと「合点のいかぬ」讒言だった。
それを真に受けて兄のような忠臣を捨てるなど、織田信雄の人格に納得いかぬものを感じてならなかった。
氏重がまだ若い、ということもあっただろう。
だから、彼は岩崎城を織田信雄に明け渡すという父と兄たちの結論に素直に首肯できなかった。
端的にいえば、戦わずして敗れることを武士の魂として受け入れられなかったのである。
必ずしも弱兵ではないからこその葛藤であった。
「……耐えよ、次郎助」
氏勝が感情のこもっていない目で息子を見た。
はっと父を見つめる。
かつて信長による試しに失敗し、領国を理不尽に追放されても粛々と従った老将の言葉は重かった。
氏重はようやく父をこの城に戻せたというのに、それが無理矢理に奪われることが腹立たしかった。
理性と知性はわかっている。
だが、感情と誇りが邪魔をした。
何も答えぬ氏重をおいて、時間のない丹羽親子と景常が岩崎城明け渡しの準備を検討始めた。
氏次はすでに今日中には浜松に向かう予定だった。
信雄側に彼の出奔が知られる前に動きたかったのである。
それに城代である氏重にとって、本来の城主の氏次が戻っている以上、口を出す権利はない。
諾々と会議を聞いているよりほかはない。
しばらく城の主幹たちによる話し合いが続いていると、またもばたばたと足音が聞こえてきた。
「若、大殿、氏次さま!!」
飛び込んできたのは櫓で見張りをしていた須賀六蔵であった。
「どうした騒々しい。何かあったのか?」
と、氏次が問うと、
「織田家の使者というやつらが表門にやってきました!!」
「なんだと?」
この場にいた全員が息を呑んだ。
それはそうだろう。
もし、織田の使者というのが本物だとして信雄が岩崎城の明け渡しのために軍を差し向けたとしても、それはまだまだ先のことのはずだ。
氏次が岐阜城を抜け出して、まだ半日しか経っていないのにあまりにも早すぎる。
「事実なのか?」
「はい!! 表門に都合四騎がはりついて、門番どもと睨みあっております!! このままでは、斬り合いになり申す!!」
「四騎? たった四騎なのか」
「御意。明らかに小姓とわかるものを引き連れていますが、武士とわかるものは四騎だけでございまする。しかし、ただの四人ではございませぬ。この城のもの、皆が知っておるものばかりでございます!! あやつらは……あやつらは……!!」
六蔵はあまりも興奮していたためか、息を詰まらせてすぐには応えられなかった……
◇◆◇
わずかにさかのぼる。
岩崎城の櫓の上から、城主氏次が数人の手勢を引き連れて帰還したのを発見し、門番たちに連絡をしたばかりの須賀六蔵と四郎右衛門は主人の様子にただならぬものを感じて緊張していた。
櫓にいる二人を見掛けた氏次から、
「しばらく見張りを怠るな。怪しいものを見掛けたらすぐに報せろ!!」
と命じられたこともあり、いくさのときのように眼を皿にして四方を見張っていた。
その背中に氷柱が差し込まれたような冷たさが走った。
びくりとしてから互いに目を見合わせる。
この感覚には記憶があった。
二人は弓の達者であったが、槍や刀というものにはそれほど明るくない。
なぜなら、もともとは猟師の家系であったからだ。
野山で獲物を仕留めるのが本職であった。
ゆえに通常の歴戦の武士のものとは違い、狩人のための勘働きを有していた。
その勘が告げたのだ。
(何かがやってくる。危険な何かが)
背中合わせになって東西を見回した。
感じからするとまだ遠い。
すぐ近くではない。
いったい、何がやってくるというのだ。
「兄貴、あれだ!!」
「なんだと?」
六蔵が指さした先には、確かにこちらに近づいてくるものがあった。
岩崎城から見て北東の方角の街道沿いに五つの騎影が見えた。
四人の騎馬が菱形に走り、後ろをわずかに遅れて子供のように小柄な足軽姿と馬がついてきている。
足軽姿は荷物持ちだろう。
狩人にして弓の達者の兄弟だからこそ視える距離だったが、それでも先をいく四騎の背負っている長槍はわかった。
たった四騎だというのに、その槍の鋭さが鞘からこちらに透けて目視できそうでさえあった。
「おかしいぞ。さっき聞いた話では北西の警戒を特にしろと言うことだったのに、反対側だぞ」
「確かに。いったい、何者だ、奴ら。旗印などはつけていないようだが……」
もっとはっきりと見極めようと目を凝らした四郎右衛門はぎょっとした。
四人の騎手がそれぞれまるで四郎右衛門が見つけたのに気づいたかのように顔を上げたからだ。
それだけではない。
明らかにわかっているぞ、という風に兜の面貌が覆っていない顔でにたりと笑ったのだ。
「まさか、見えているのか!!」
「待てよ、そんなことはないはずだぞ。俺たちよりも眼がいい奴らなんてほとんどいないはずだ」
「ってことは、―――勘で悟ったっていうのか!! まさか、まだ城から半里は先なんだぞ!!」
「いや、待てよ。もしかして、奴ら……」
さらにじっと目を凝らした六蔵は凍りついた。
あの菱形に駆ける四騎がどういう連中か思い出したからだ。
「やばい!! 大殿さまに知らせねえと!!」
六蔵は櫓から降りた。
ちょうど近くを通りかかっていた男を捕まえる。
武士ではなく、城下の寺子屋で無学な武士や子供たちに読み書きを教えていた坂見但馬という元武田の家臣であった。
武田勝頼に仕えていたが、設楽原の敗戦後、国をでて寺子屋の師匠として暮らしている男であった。
「但馬、よいところに来た。すぐに門番たちの門をがっしりと閉じて確認するよう伝えろ!! おれは大殿さまたちのところに行く」
「お、おい。拙者はもう武士では……」
「おまえとて、丹羽の殿様たちに拾ってもらった恩があるだろう。使いっパシリぐらいはやれ。頼んだぞ!!」
そういって六蔵は奥屋敷に向けて力の限り駆けだした。
◇◆◇
「誰だというんだい、六蔵」
今度は氏重が優しく問いかけると、ようやく息が整ったのか、伏せていた顔を上げて、六蔵は叫んだ。
「こちらにやってきている三騎いる奴らのうち、一人は―――可児才蔵でござる!!」
「なに、笹の才蔵だと!?」
叫んだのは景常であった。
彼はその名の男と同じ陣屋で戦ったことがある。
氏勝までが息を呑む。
「菱形の隊列の殿にいるでかぶつはわかりませぬが、先頭を突っ切るやつのことは絶対に忘れもしませんぜ」
そして、最後の一人は……
「下諏訪で殿や若とともにみたことがござる。あのとき、織田の本陣だというのに殿に噛みついてきたいかれた狂犬です!! あいつは……あいつは―――鬼武蔵の野郎でございまする!!」
「森長可だと!?」
「鬼武蔵どの!?」
氏次と氏重兄弟はあまりにも唐突で想像もしていなかったものが、たった三騎の連れと一騎の足軽と共に岩崎城にやってきたということをすぐには信じられなかった……
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