れもん

hajime_aoki

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オリオン

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「あ、シリウス」
誰に言うでもない呟きは深夜の冷えた空気に溶かされた。
先程まで隣で愛を解いていた彼女は眠りにつけただろうか。だなんて「いい人」のような事を思う。

珍しい休日のあとに来た案件は、護衛だった。
今年成人したばかりの某財閥の箱入りお嬢様の一人暮らしのための内見の護衛である。これから一人暮らしするというのに護衛を使うなんて過保護じゃないかと思いかけてやめた。
俺は久々の女装ではない仕事に、この案件の難易度を知った。
待ち合わせは、郊外にある静かな住宅地に紛れるようにたつカフェ。店内に入ると1番に目に入った煌びやかさが隠しきれない2人組に目配せを送ると、1人の紳士が席を立って椅子を勧めた。
勧められた椅子に音を立てないように座ると、当人である女性が頬を染めて挨拶をしてきた。
「はじめまして。私、エリーと申します。今回はどうぞよろしくお願いいたします」
百合の花のような繊細な美しさの彼女はおずおずといったように目を合わせてくる。
紳士の方は「よく言った」とでもいうように胸を張った。
「トーヤです。こちらこそよろしく」
簡潔に挨拶を返し、早速話を進める。
話は簡単だ。今日、今度引越し予定の部屋を見に行く付き添いをするだけ。俺が選ばれたのは、お嬢様のちょっとした我儘。せいぜい家の者と関係ない人と過ごしたいとかそんなんだろう。
予定時刻は16時。昼過ぎの今からはまだ時間に余裕があるが、紳士は予定が詰まっているらしく、見るからに心配そうに席を立った。
「ご心配なさらず。お嬢さんは俺が責任を持ってお守りします」
視界の端にうつる頬が赤く染るのを見ないふりをして、コーヒーを注文する。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
それから少しして残された俺達は噴水のある公園のベンチに座っていた。
広場にあった屋台でホットワインを買い、彼女に渡す。
「寒い?」
また頬を染める彼女の顔を覗くように問う。この言い方はずるいだろうか。
「い、いえ!大丈夫です!」
カフェで会ってから今までの間に、彼女の気持ちに気付いてしまった。だが知らないふりをする。嫌な大人だ。
「…あの、トーヤ様は好いておられる方はいらっしゃるのですか?」
そうきたか。
ふう、と冷ましていたホットワインから口を離して問いを返す。
「どうして?」
「いえ、そんなに素敵な方ですから…どなたかいらっしゃるのかと…」
随分評価してくれているようだ。
ありがとう。と微笑むと彼女の頬はまた色濃くなった。寒さだとは言い訳できない。
彼女は若い。知らないこともたくさんある。どう誘導しようかと考えていると、ふと手に持つ紙コップに目が行った。
「可愛いコップだね、これ」
「え?…あ、本当ですね」
店主が日本から仕入れたと鼻高々に語っていた群青色の地に星座が散りばめられている。
「プロキオンにベテルギウス…」
「星に詳しいのですか?」
無意識のように紙の夜空を指でなぞる。
「昔、好きだったんだよ。それだけ」
古いアパートのボロい窓から見上げた夜空。よく見えないオリオンをなぞってはくすくすと笑いあった。

「さて、じゃあ行こうか」
ぬるくなったホットワインを一気に飲み干し、彼女から紙コップを受け取る。
もう一度紙の夜空を見てからくしゃりと潰してゴミ箱へ入れた。

「まあ…っ!素敵!」
案内された部屋は、というか家は明らかに一人暮らしには広すぎる面積で、そりゃ素敵だわと思った。
彼女は一目見ただけで決めたらしく、大家に話をしていた。
俺の初めての一人暮らしした部屋と比べると雲泥の差過ぎて笑いがこみあげてきた。
「?トーヤ様?」
「ああ、いや、なんでもないよ」
用事はあっという間に終えてしまった。あとは豪邸までお嬢様をお送りするだけだ。
「素敵な部屋でよかったね」
「はい!」
そうにっこりと笑う顔は少し幼い。
「じゃあ、家に…」
「いえ、まだ帰りません」
おお、どうした。
「なにか用事?」
そう聞くと彼女は胸を張って「お父様には「夜に帰る」と言ってあります!」と答えた。
…そうきたか。
「…星は好き?」
「!はい!」
ツアーがはじまってしまった。

「…星が見えます!!!」
「はは、それはよかった」
たどり着いた先は小さな丘にある天文台。の、子供科学コーナー。
彼女は星が見える眼鏡をかけて子供のようにはしゃいでいる。閉館前の夕方過ぎだからか、他に客はいない。時折通りがかる学芸員のスタッフがあたたかい視線を向けてくるのが少しくすぐったい。
「エリー様は元気だね」
あまりのはしゃぎように思わず笑みを浮かべながら言うと、彼女は頬をふくらましてズイと詰め寄ってきた。
「「様」は止めてくださる?」
「大切なお嬢さんを呼び捨てなんて出来ないよ」
「それなら…」
長いブロンドの髪を揺らして、瞼を伏せてから、さっきまでの子供っぽさはどこへ行ったのか、唇を震わせて言った。
「どうしたら私を1人の女性として見てくださりますか?」
君は…。と言いかけたと同時に閉館のアナウンスが流れてきた。
「…行こうか」

「…ああ、もう真っ暗だ」
あれきり口を閉ざしてしまった彼女を連れて外へ出ると、いつの間にやら日が暮れてしまったらしい。
「…ほら、シリウスが見えるよ」
「…あれがシリウスですか?」
やっと口を開いたことにほんの少し安堵をした。こういう場面は初めてではない。俺の外見は女性にとって惹かれるものがあるということも知っている。
「君はいい子だね」
「子供扱いならやめてください」
「だからこそ、俺の一部を全部だと思ってしまう」
天文台の灯りが彼女の顔を照らす。
「ねえ、俺は優しかったかい?」
彼女は一筋の涙を流した。
ひどい奴。涙の理由はわかる。だから、拭おうと指を伸ばすと振り払われた。
「ええ、とても、優しかったです」
彼女の表情は強かった。
思わず笑うと彼女はもう一筋だけ涙を流して笑った。

カフェにいた紳士には軽く睨まれてしまったが、無事案件は終了を告げた。
彼女に悪いとは思わない。俺にとってはよくあることで、この世界でもよくあることなのだろう。
冷たい空に星が瞬く。
ひとり、オリオンをなぞる。
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