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第2章
【2-96】これは恋ですか?
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「はい。こちらは只今、キリエ王子殿下がお休みになられております」
リアムが立ち上がって姿勢を正しながら応答すると、ドアの向こうから可愛らしい声が聞こえてくる。
「わたし、ジャスミンよ。キリエと少しお話したいのだけど、いいかしら?」
通常、ドア越しのやり取りは側近騎士や使用人など身分が下である付き人同士で行うのだが、ジャスミンの側近であるダリオは失声状態で話が出来ない。そのため、こういった場面でもジャスミン本人が声を掛けてくるのだ。
リアムはちらりと振り向き、キリエが頷くのを確認すると、ドアへ近づいて開く。
「どうぞ、ジャスミン様。新しいお茶を用意させますので、少しお待ちいただいても構いませんでしょうか?」
「ううん、お茶はいいわ。そんなに長々とおはなしするつもりは無いから」
ジャスミンは水色の髪を靡かせて嬉しそうに入室し、キリエが座っているソファーへ並んで腰かけてきた。彼女の側近である褐色肌の騎士も、武骨な風貌には似合わないほど丁寧に一礼してから入室し、リアムの隣へ並び立つ。
「キリエ、顔色があまり良くないわ。具合が悪くて休んでいたの? そんなときに突然押しかけて、ごめんね」
「いいえ。体調が悪いというわけでもないのです。たぶん、不慣れな討論会で疲れてしまっただけだと思います」
「そう? あのね、わたし、キリエに聞いてみたいことがあったの」
「僕に……?」
「うん。ねぇ、キリエ。キリエはわたしとキスしたいって思う?」
あまりにも直球な質問に、キリエの思考は一時停止した。リアムもダリオも顔面に驚愕を張り付けて硬直している。
キリエに身を寄せて顔を覗き込んでくるジャスミンの視線は、真剣そのものだ。リアムよりも色が薄い紫色の瞳には、彼女が抱いている様々な感情が見え隠れしている。
「……僕は、ジャスミンとそういったことをしたいと思ったことはありません」
頬をほのかに色づかせて照れながらも、キリエは正直に答えた。しかし、ジャスミンはそれだけでは納得しない。
「それはどうして?」
「どうしてって……、そういうことは想いを通じ合わせた恋人や夫婦がすることでしょう? 僕と君は兄弟ですし……」
「でも、今までわたしに無理やりキスしてきた人たちは恋人でも夫でもないわ。それに、ライアンだってわたしにキスをした。だけど、ジェイデンはしないし、キリエもしない。同じ兄弟なのに、何が違うの?」
ジャスミンが堂々と語る言葉を聞き、キリエはさらに困惑する。戸惑いを見せる兄弟に対し、彼女はいたって冷静だった。
「キリエも聞いているでしょ? ダリオの前の側近がわたしに何をしようとしたか、そして、彼がライアンに殺されてしまったことも」
「……はい。大まかにではありますが、聞きました」
「ダリオは違うけど、今までの側近はみんな変な目でわたしを見たし、体を触りたがる人ばかりだった。嫌だなぁって思っていたけど、小さな頃からそうだったからそういうものかなって考えてしまっていたの。ばあやが気づいてくれる度に側近は変わったけれど、はじめは親切で真面目そうでも、みんなそのうち変な目でわたしを見るようになっていったわ」
彼女にとっては恐ろしくて不快で辛い経験談だろうと思われるのだが、ジャスミンの語り口は相変わらずふわふわと軽い。キリエが何の言葉も挟めずにいるのを気にすることもなく、水色の姫君は話を進めていった。
「男の人ってそういうものなのかな、嫌だな、でも仕方ないなって、そう思っていたの。──だけど、ライアンだけは嫌じゃなかった」
「えっ……?」
「ライアンにだったら、何をされてもいいって思えたわ。だから、わたしはきっとライアンに恋をしているんじゃないかと思ったの。ねぇ、キリエはどう思う?」
宝石のようにキラキラと輝く菫色の瞳にじっと見つめられ、キリエはたじろぐ。
「どうして、それを僕に聞くのですか……?」
「だって、キリエはわたしの天使だもの。ばあやが言っていたわ。わたしの心には穢れがあるけれど、じきに天使のように綺麗な人が現れて浄化してくれるって。その天使はキリエよ。だから、キリエのおはなしを聞きたいの」
「ジャスミン、僕は天使ではありませんよ」
「天使よ。だって、こんなにも澄んだ瞳の人を見たのは初めてだもの。弱者の味方になってあげて、みんなに優しい天使」
ジャスミンの眼差しは幼い少女のように純粋無垢で、それこそ何の穢れも無いように見えた。しかし、その愛らしい唇が紡いでいるのは、素直ではあるけれど何とも歪な問いかけだ。
「ねぇ、わたしの天使様。わたしはライアンに恋をしているの?」
しばし迷った末、キリエは変に話題を逸らすのではなく、正直に答えることにした。
「ジャスミンの気持ちが何なのか、僕には明確に答えることが出来ません。それは、君の心の中を覗くことができないというのも理由のひとつですが、──僕にも恋が何なのか分からないのです」
「恋が分からない?」
「はい。僕は、恋をしたことが無いので」
ジャスミンは驚いたように、大きな瞳を何度も瞬かせた。
リアムが立ち上がって姿勢を正しながら応答すると、ドアの向こうから可愛らしい声が聞こえてくる。
「わたし、ジャスミンよ。キリエと少しお話したいのだけど、いいかしら?」
通常、ドア越しのやり取りは側近騎士や使用人など身分が下である付き人同士で行うのだが、ジャスミンの側近であるダリオは失声状態で話が出来ない。そのため、こういった場面でもジャスミン本人が声を掛けてくるのだ。
リアムはちらりと振り向き、キリエが頷くのを確認すると、ドアへ近づいて開く。
「どうぞ、ジャスミン様。新しいお茶を用意させますので、少しお待ちいただいても構いませんでしょうか?」
「ううん、お茶はいいわ。そんなに長々とおはなしするつもりは無いから」
ジャスミンは水色の髪を靡かせて嬉しそうに入室し、キリエが座っているソファーへ並んで腰かけてきた。彼女の側近である褐色肌の騎士も、武骨な風貌には似合わないほど丁寧に一礼してから入室し、リアムの隣へ並び立つ。
「キリエ、顔色があまり良くないわ。具合が悪くて休んでいたの? そんなときに突然押しかけて、ごめんね」
「いいえ。体調が悪いというわけでもないのです。たぶん、不慣れな討論会で疲れてしまっただけだと思います」
「そう? あのね、わたし、キリエに聞いてみたいことがあったの」
「僕に……?」
「うん。ねぇ、キリエ。キリエはわたしとキスしたいって思う?」
あまりにも直球な質問に、キリエの思考は一時停止した。リアムもダリオも顔面に驚愕を張り付けて硬直している。
キリエに身を寄せて顔を覗き込んでくるジャスミンの視線は、真剣そのものだ。リアムよりも色が薄い紫色の瞳には、彼女が抱いている様々な感情が見え隠れしている。
「……僕は、ジャスミンとそういったことをしたいと思ったことはありません」
頬をほのかに色づかせて照れながらも、キリエは正直に答えた。しかし、ジャスミンはそれだけでは納得しない。
「それはどうして?」
「どうしてって……、そういうことは想いを通じ合わせた恋人や夫婦がすることでしょう? 僕と君は兄弟ですし……」
「でも、今までわたしに無理やりキスしてきた人たちは恋人でも夫でもないわ。それに、ライアンだってわたしにキスをした。だけど、ジェイデンはしないし、キリエもしない。同じ兄弟なのに、何が違うの?」
ジャスミンが堂々と語る言葉を聞き、キリエはさらに困惑する。戸惑いを見せる兄弟に対し、彼女はいたって冷静だった。
「キリエも聞いているでしょ? ダリオの前の側近がわたしに何をしようとしたか、そして、彼がライアンに殺されてしまったことも」
「……はい。大まかにではありますが、聞きました」
「ダリオは違うけど、今までの側近はみんな変な目でわたしを見たし、体を触りたがる人ばかりだった。嫌だなぁって思っていたけど、小さな頃からそうだったからそういうものかなって考えてしまっていたの。ばあやが気づいてくれる度に側近は変わったけれど、はじめは親切で真面目そうでも、みんなそのうち変な目でわたしを見るようになっていったわ」
彼女にとっては恐ろしくて不快で辛い経験談だろうと思われるのだが、ジャスミンの語り口は相変わらずふわふわと軽い。キリエが何の言葉も挟めずにいるのを気にすることもなく、水色の姫君は話を進めていった。
「男の人ってそういうものなのかな、嫌だな、でも仕方ないなって、そう思っていたの。──だけど、ライアンだけは嫌じゃなかった」
「えっ……?」
「ライアンにだったら、何をされてもいいって思えたわ。だから、わたしはきっとライアンに恋をしているんじゃないかと思ったの。ねぇ、キリエはどう思う?」
宝石のようにキラキラと輝く菫色の瞳にじっと見つめられ、キリエはたじろぐ。
「どうして、それを僕に聞くのですか……?」
「だって、キリエはわたしの天使だもの。ばあやが言っていたわ。わたしの心には穢れがあるけれど、じきに天使のように綺麗な人が現れて浄化してくれるって。その天使はキリエよ。だから、キリエのおはなしを聞きたいの」
「ジャスミン、僕は天使ではありませんよ」
「天使よ。だって、こんなにも澄んだ瞳の人を見たのは初めてだもの。弱者の味方になってあげて、みんなに優しい天使」
ジャスミンの眼差しは幼い少女のように純粋無垢で、それこそ何の穢れも無いように見えた。しかし、その愛らしい唇が紡いでいるのは、素直ではあるけれど何とも歪な問いかけだ。
「ねぇ、わたしの天使様。わたしはライアンに恋をしているの?」
しばし迷った末、キリエは変に話題を逸らすのではなく、正直に答えることにした。
「ジャスミンの気持ちが何なのか、僕には明確に答えることが出来ません。それは、君の心の中を覗くことができないというのも理由のひとつですが、──僕にも恋が何なのか分からないのです」
「恋が分からない?」
「はい。僕は、恋をしたことが無いので」
ジャスミンは驚いたように、大きな瞳を何度も瞬かせた。
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