怒れる絵画

菜花

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怒れる絵画

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 これは僕の友人が体験した話です。

 友人のSの趣味は美術館に行って絵画を鑑賞することでした。
 特にお気に入りは自宅に近い美術館にある「翡翠の腕輪をした少年」 という絵でした。
 それまで不遇だった画家がパトロンの息子を描いたことで、有名といかないまでもそこそこ暮らせるようになった、というエピソードを含めてSのお気に入りでした。
 週末にはその絵の前に立ってじっくり鑑賞するのが彼の一番安らぐひと時だったのです。
 しかし、そんな彼の時間はとあるゲームによって無くなりました。

 女性向けゲームなので詳しいことは解らないのですが、なんでも絵画を擬人化したソシャゲがリリースされ、それが爆発的にヒットしたのです。Sは最初のうちこそ、こんなマイナーな絵画が実装される訳ないからこれからも平穏に見ていられるだろうと思っていました。
 けれど実装されたのです。しかもパーティーにいないとクエストがクリア出来ないような強さを持ったキャラ、いわゆる人権キャラとして。ゲームに理解がある人なら大好きなネタ元が破格の扱いで嬉しい、となるのかもしれませんが、Sはこの絵が有名になることを望んでいませんでした。

 それからはSいわく酷いものだったそうです。
 「現物の前でガチャを引けば出る」 という噂が広まり女性が美術館に殺到したのです。一応館内は携帯禁止なのですが。
 美術館から注意が出ると噂は変わり、「現物を見に行くと出る」 となりましたが、変わらず女性が殺到しました。

 それまでは「趣味は絵画鑑賞です」 と言えば「かっこいい趣味じゃないですか」 と言われていたのに、ソシャゲがリリースされてからというもの「あのゲームの影響ですか?」 と言われるようになったのもSには我慢ならないことでした。


 そしてその日、館内でゲームのことでうるさく騒ぐ女性三人組のファンを見てついにSの中で何かが切れました。

 美術館という場所はルールも守れない馬鹿女が来て良い場所じゃないんだよ。
 そう思ったことを三人組に言おうとしたのですが、何せ向こうのほうが数が多い。
 女というのは口は回るからまともに相手にするのは下策と思い、ひとまず三人組は見過ごしました。
 ですが絶対にこの迷惑ジャンルの人間には一矢報いてやる、その気持ちだけはSの中で煮えたぎっていました。
 そして絵を鑑賞していたら、見るからに大人しそうな地味そのものと言っていい女性が絵を鑑賞しに来ました。一見ゲームのことなど知らなそうに見えますが、持っている鞄にはあのゲームのキャラのマスコットがぶら下がっていたのでSはあのゲームのファンであると確信し、その地味な女性の横に立つとボソッとこう言ったのです。
「きめえ。本当に擬人化してもお前みたいなブス相手にしねーよ」

 言われたその地味な女性は、たちまち真っ青になり涙を零しそうな瞳で足早に美術館を去ったそうです。
 それを見てSは心の底からスカッとしたと言っていました。そして「翡翠の腕輪をした少年」 の絵に向かってこう思いました。

 やりました。社会のゴミを一つ減らしましたよ。これで少しでも貴方の静かな環境が戻るといいですね。

 晴れ晴れとした気分でその日は帰宅したそうです。
 正直、地味女性が反論してきたり警備員を呼んだりしたらどうしようかとは思っていたそうですが、何せ向こうは散々この美術館に迷惑をかけてきたゲームのファンで、自分はゲームが有名になる前からここに足繁く通って来た優良顧客。美術館関係者ならどっちの肩を持つかなんて分かりきっていました。騒いだところであの地味女はさらに苦しんだだけでしょう。地味女に復讐される可能性なんて万に一つも無かったのです。
 そしてその夜――彼は悪夢を見ました。


 夢にあの「翡翠の腕輪をした少年」 が出てきたのです。
 最初はとても遠くに――米粒くらいの大きさに見えました。
 しかし何しろ毎週見ていますから遠目でもあの少年だとすぐ分かりました。
 最初は、少年が自分の今日した行動を褒めてくれるのだろうかと思っていましたが、少年がどんどん近づいてくるにつれてそうではないと察しました。その顔が怒りの形相だったからです。
 やがて少年がSのすぐ前に立つと、開口一番こう言ったそうです。

「何であんなことをした」

 Sは咄嗟に意味が分からなかったそうです。それで何も言えずにいると少年がとぼけるなと言わんばかりにこう言うのです。

「ただ絵画鑑賞していただけの少女に暴言を吐いただろう」

 あ、とSは思い出しました。しかしそれを翡翠の少年に怒られるのは心外でした。なので必死に言い訳をします。

「そんな! あれは暴言じゃなくて貴方を守るための方便です! 貴方だって名のある美術品でありながら性的搾取されるなんて屈辱でしょう? まったく男がやるとキモいキモい言われるのに女だからってなあなあにされて」
 翡翠の少年は首を振ってこう言います。
「馬鹿を言え。美術品にとって手入れをする人間と鑑賞者が全てだ。見る人間がいなければ寂しく朽ち果てるだけなんだ。手入れをする人間にも力になってやれないからこんな空しいことはない。自分はそう有名でもない絵だったが、あのゲームとやらのおかげで見る人が何倍にもなって嬉しかったのに。やっと保存してくれている人間に恩を返せると思ったのに。それをお前は」
 まるで自分が責められているようでSは納得がいきませんでした。
「俺が見るだけじゃ駄目なんですか? 俺だって今まで貴方を見に毎週足を運んだのに。決して安くない入場料を払ってるのに」
「前までは嬉しかったさ。けど今日のあれは何だ、お前があんな人間だったとは」

 Sは翡翠の少年に責められても、はいそうですかとなる性分ではありませんでした。昔から非を責められれば責められるほどムキになって否定する子供心をもった人間でした。慣れればむしろ付き合いやすいタイプだと思うのですが。ともかくこれまで尽くしてきた翡翠の少年に詰られて、Sは地味女のほうに非があったとさらに熱弁したのです。

「頭の悪いミーハーな人間を懲らしめてやったんじゃないですか。貴方のために。ブス女が身の程もわきまえずにうろちょろする事がないようにしてあげたんじゃないですか。貴方のために! 俺なりに貴方の力になれるように頑張ったのになんでこんなこと言われなきゃいけないんですか」

 そのSの言葉で翡翠の少年からスッと表情が消えました。

「貴方のため貴方のためって押しつけがましいやつだな。それに俺なりにってなんだ? 僕がそれを不快に思ったらそれはお前の独り善がりでしかないんだよ。大体お前、元凶の騒いでいた三人組ではなく、わざわざ一人静かに鑑賞している弱そうな人間を狙って言ったよな? 率直に言って姑息で卑怯だろ、まともな人間のやることか。それにあの子を社会のゴミと言ったな。僕からすれば社会のゴミはお前のほうだよ。心がねじ曲がってるゴミだからただ見ていただけの人間にあんな暴言吐けたんだよ。お前みたいなファンなんかいらない。だから二度と来るな!」

 そこでハッと目が覚めたSは、大好きな絵画そのものに矜持をボコボコに折られて、起きるなり嗚咽をもらしたようです。
 本当は分かっていた。自分が悪いし明らかにやりすぎだと。
 けれど絵画への義侠心も確かにあったのに、本人から完全否定されてしまった。

 これもあの絵画の祟りなのでしょうか。それからのSは趣味だった絵画鑑賞もぱったりとやめて抜け殻のように生きています。
 そりゃあ地味な女性に言ったことは擁護できないけれど、長年の友人として、彼がどれだけあの絵を愛していたか知っているものとしては、少しだけ可哀想に思いました。あのゲームが出なければ、きっと今もあの絵画と良好な関係だったはずなのに。
 それは言われなき暴言を受けた女性に失礼? だってこの話を聞いた人は一人残らずSを責めて女性を庇うんですよ。Sを庇う人間が一人くらい居たっていいじゃないですか。特に自分は友人なのだから……。
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