冷遇された聖女の結末

菜花

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冷遇された聖女の結末

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 毛利ラナの家庭環境は良いものではなかった。
 常に怒鳴り合いをしている両親。近所から「静かに出来ないか」 という苦情を言われて娘のラナがとめにいくと「こんな生意気な子なんか産むんじゃなかった」 「お前のせいで離婚も出来ない」 と二人そろって朝まで責められた。
 近所からはヒソヒソされるし、学校でも「親が危ないタイプだからあの子と付き合うのはやめなさい」 と親が子供に言うものだからずっと一人ぼっち。せめて先生がまともなら救われたが、教師も性質の悪い人で、スケープゴートを作ってクラスを団結させるタイプだった。わざと難しい問題をラナにあてて解けないでいると「皆はこういう風になっちゃ駄目よ」 と笑う。
 おかげでラナは幼い頃から耐える癖がついた。

 高校に入学する頃にはラナはバイトを始めて家に居る時間を減らした。そして溜めたお金でライトノベルを買った。
 ジャンルは異世界召喚もの。ここではないどこかに飛ばされて愛される少女達の姿はラナに夢を与えた。
 自分もこんな風に勇者とか聖女として選ばれたら……なんて、ある訳ないのに。

 しかし現実にそれは起こってしまった。

 ある日バイトから帰る途中、地面に魔法陣のようなものが浮かぶと同時にラナは見知らぬ場所にいた。
 そこには見目麗しい男達が三人と絶世の美女とも思える少女が一人いた。
 そんな状況で「どうかこの世界をお救いください、異世界の聖女よ」 と言われてラナは舞い上がってしまった。

 三人の男は聖女の護衛で、美少女はラナの世話役らしい。これからRPGのように彼らと世界を救う旅に出るのだという。
 ラナは舞い上がった。完全にRPGやラノベや乙女ゲームの展開じゃん。青年達は皆素晴らしくかっこいいし、世話役らしい少女も可愛くて美人だ。仲良くなれるかな。

 蝶よ花よとちやほやされてウキウキで出発し、それまでいた王都が見えなくなった頃、彼らは豹変した。まず召喚された王国の第一王子というクレマンがラナに詰め寄る。

「勘違いするな、世界を救わせてやってるんだ。そうでなければ誰がお前みたいな怪しい人間の旅についていくか」

 どういうことだろうとラナが思っていると、最年少で騎士になったという青年、ドミニクがラナを突き飛ばしながら言う。

「女神が百年に一度召喚する聖女……くそくらえだ。聖女が来たら丁重にもてなして望まれれば番うようにだと? 俺達はお前への貢ぎ物なんだとよ」

 呆然とするラナに大商人の一人息子というファブリスが憎々しげに言う。

「聖女というのはこちらの侯爵家令嬢、セレスティア様のような方を指すんだ。大体お前、魔法は使えるのか? 精霊達のことはどこまで知ってる? この世界の歴史については? ほら、何も知らないし答えられないだろ。こんな人間を聖女扱いすることが間違ってるんだよ」

 今にも殴りかかってきそうな剣幕の三人に気圧されて、ラナは助けを求めて世話役だと紹介されたセレスティアを見るが、彼女は三人の男達の言葉にそうだそうだ、と言わんばかりに頷いていた。その顔は楽しげに見えた。

 聖女の旅は、この世界の大地と空を支える四方の精霊達の会い力を借りることが目的だ。無事に力を得られると王都に戻り女神降臨の儀を行う。すると衰退期に入ってからは眠りについていた女神が現れ、この世界を繁栄に導くのだという。しかし年月が経つと花がしぼむように女神も力を失ってしまうため、その時は再び聖女を呼ぶ必要がある。そして聖女召喚にいたる。

 通常であればラナは下にも置かぬ扱いを受けるはずだった。

「聖女の名前だけの女にはそれで充分だろ」

 ご飯は固いパンに苦いスープのみ。移動はラナだけ徒歩で四人は馬か馬車。泊まるところは、ラナが耐えられないほど臭くなれば四人の温情で建物に入れるが、そうでなければ外でラナだけが野宿だった。

 足の豆が痛い。お腹すいた。清潔な水を浴びたい……。
 そうは思っても耐える癖のついていたラナは何も文句を言わなかった。
 もし四人に文句を言ったら、自分は知り合いのいないこの世界でどうやって生きていけばいいのか分からない。生きる指針をくれるだけ有り難いと思わなければいけなかった。

 一日の終わり、一行が宿を取る時、ラナは四人の視界に入らない外で乞食のようにうずくまる。四人は洒落た宿に行き聖女のご一行ということで店から最大のもてなしを受けていた。豪勢な食事、マッサージ付きの浴場、聖女一行を楽しませるための旅の一座を引き入れての宴。宿の人間は皆セレスティアを聖女だと思っているようだった。

 宴の華やかな音楽を外の川辺で聞きながら、ラナは今まで自分を悲劇のヒロインだと思っていた罰なんだろうなと思った。元の世界なら食べるものにも住む場所にも困らなかったのにいつも逃避願望ばかりだった。聖女らしくないと言われても本当だ、としか思えない。だって漫画とかならすぐ勇者の力に目覚めたりするのに、自分は何の実感もない。本当に聖女じゃないのかもしれない。けれど聖女ってことにしないと、どうやってこの先過ごしたらいいか分からない。自分は自分が思ってたより卑怯者だった。

 歩いている最中も他の全員は馬に乗りながらもラナに「どんくさい」 「キリキリ歩け」 「やる気あるのか」 と野次る。ラナはただ黙って小走りに進む。それ以外することがない。
 聖女の世話役であるはずの侯爵令嬢のセレスティアは、クレマンと馬に二人乗りをしながらラナが苛められている様子を見て優雅に微笑んでいた。腹が立つよりもその美貌を見ると負けて当然なんだと感じてしまう。

 精霊の棲む地につくと、そこの神殿で眠る精霊から力を与えられる。四大精霊の一柱、ウンディーネは優しそうな女性の姿で現れた。彼女はラナを見ると何か感じるものがあったのか『大事にされているの?』 と聞いてきた。ラナはぎくっとして咄嗟に否定してしまう。
「大丈夫です。みなさん良くしてくださっています」

 後にウンディーネは語る。
『今思えば、あれは虐待されている子がそれでも親を庇う姿だった』

 無事に精霊から力を借りられ、これで認められるかも、少しは仲良くなれるのかもと希望を抱いて四人のもとへ戻る。
「勘違いするな、お前の力ではない」
「精霊から力を借りられるなら早く女神を起こしてくれ。今すぐに」
「出来ない? 何だお前。本当に聖女か? なあどうなんだ?」

 ラナを責めたてるクレマン達をセレスティアが諌めた。
「無能に無能と罵っても何も解決しないわ。とりあえず四大精霊達を順に巡るのは慣習なんだし、王都に戻ってからその子を責めればいいじゃない。例え悪口でも長い付き合いの私を差し置いてその子を構うなんて、私、すねちゃう」

 なんて優しく可愛いんだ、さすがはティアだ、という三人の姿をラナはぼんやり見ていた。話を聞く限り四人は幼馴染で愛称呼びするくらい仲が良いみたいだけれど、自分がここに居る意味はなんだろう……。まだ、努力が足りないのかな、我慢が足りないのかな。

 四大精霊を訪ね終え、王都に戻った頃にはラナはボロボロの服にげっそり痩せて棒のような手足にこけた頬、目だけが浮いてみえる浮浪者のような姿になり、見る影もなかった。王都の宰相が鼻を抑えながら「うっ……どうして聖女だけがここまでおやつれに……」 と不審がると「聖女は使命感に溢れている方なので、世界を救い終えるまで精進潔斎していたのです」 と四人が口裏を合わせた。

 それでも宰相は怪しんだが、女神の復活がこの世界の最優先事項だ。それが終わってから四人を問い詰めようとした。
 しかしラナが魔法陣に魔力を注ぎこみ、女神が復活できる量まで達すると、第一王子のクレマンが近くの魔術師に合図した。
「女神が復活すれば聖女など用無しだ。自分の世界に帰れ!」
 ラナはその言葉を最後に地球の日本に戻った。

 気がついたら自分の家にいた。だが様子がおかしい。テレビはつかないし、水道も出ない。近くの図書館に行ってみると、あの異世界で過ごした一年分の時間がきっちりこちらでも過ぎていたようだった。
 近所の人にも話を聞くと「ラナちゃんのご両親……離婚してすぐ別の相手とそれぞれ再婚したって聞いたわよ。ところでちょっと臭うんだけど、ちゃんとお風呂入ってるの?」 と教えてくれた。
 まあ、前から不仲だったしそうなるだろうなとラナは思った。近所の人も不快がっているので、ラナは足早に廃墟となった実家に戻ることにした。

 家に戻って机の引き出しの裏に貼って置いたバイトの給料を取る。子供の金は親のものとたびたび奪っていく両親に対抗するためいつもこうしていて良かった。そのお金でコンビニで精一杯の贅沢品を買う。あと水の要らないシャンプー。
 身体を清めて美味しいものを腹八分まで食べる。味のついた食べ物ってこんなに美味しかったんだと思う。そしてラナは自室の布団に横になった。一年間干してなくても野宿よりずっと寝心地が良い。

「神様ありがとう。最後は布団の上で死にたいって願いを叶えてくれて」

 もう誰にもこき使われない。ここで死ぬことが一番他人に迷惑をかけないんだ。ラナはここで衰弱死しようと決めた。それだけが救いだった。
 ただでさえボロボロだった身体は動かさないでいるだけであっという間に弱った。
 一日経ち、ずっと窓から見える空を見上げていた。浅い呼吸音だけが部屋に響いた。二日経ち、時折意識が遠くなった。三日経ち、意識がはっきりしない時間が多くなったと感じる。やっと楽になれる……。


 それなのに、また地面が光って呼び戻された。

「本当に……ごめんなさい」

 謝ったのは、ラナが復活させた女神だった。


 その異世界の女神は優しく正義を愛する理想的な神ではあったが、定期的に魔力が弱り一定値以下になると強制的に眠りにつくという欠点に悩まされてきた。眠りについている間は回復するまで世界が荒れ放題。何とかしようとあらゆる異世界を探って、負担を軽減する方法を見つけたのだ。
 地球という場所では魔力に溢れているのに誰もそれに気づいていない。人間は皆魔力の塊だった。女神は少々あくどいと思いつつも、こちらの世界から地球に魂を一つ送り、そちらの世界に生まれさせ、魔力の塊に育ったその人間が成長したころ、こちらの世界の人間の力で呼び戻させ、異界の者だった人間を精霊達の力でこの世界に馴染ませ、自分を早く目覚めさせる触媒にすることを実行した。この方法を使うと今までの二分の一の時間で早く目覚めることが出来る。何回か試してみて男よりも女のほうが魔力量に優れていて効率が良かった。
 とはいえ元々こちらの世界の魂なのに別の世界で生まれてはその人間はどうしてもその世界に馴染めなくて苦労する。自分の世界の人間達にはそのぶんこちらで幸せにするよう命じた。しばらくはそれで問題なかったのだ。


 セレスティア。侯爵家令嬢――となっているが、実のところ半分は平民の娘である。本来なら両親共に貴族の娘である妹が聖女の世話役に任命されていたのだが、病気により三歳で死んでしまった。他の貴族に世話役がいくと、その後の女神の恩恵や国の手当てもその家にいくので、それは避けたかった当主は仕方なく認知せずに放置していた娼館育ちのセレスティアを迎え入れたのだ。
 ゴミのような暮らしからようやく日の目を見る暮らしに……と一瞬思わなくもなかったセレスティアだが、当主である父の言葉に絶望した。
「お前は聖女様に仕えるために呼ばれたのだ」

 上には上がいると思い知らされた。その事実がどうしようもなく憎かった。
 貴族にさえなれればあとは何をしてもいいんだと思っていたのに。ここに来てからまず名前をこの家の長女が代々受け継ぐというセレスティアに変えられた。元は顔も知らない死んだ妹の名前だったという。今までの自分を全否定され、新しい名はお下がり。こんな屈辱があろうか。その日からついた家庭教師は「娼婦の娘が決して思い上がるな」 と鞭でビシバシとセレスティアを教育した。絶対血筋の良い妹にはこんなことをしなかっただろうなと思った。
 こうまでしてお嬢様にさせるのも聖女とかいう生まれながらに尊く女神に一番愛された人のためだという。そんな素晴らしいなら他の人間の世話役なんかいらないだろ。なめてんのか。

 こんな惨めったらしいのが私の人生だというの。そんなの認めない。運命なんてこの手で変えてやる。
 そう思ったセレスティアは、聖女が召喚されたら一緒に旅するであろうメンバーと接触し、猫撫で声で懐柔してまわった。

「聖女といっても得体の知れない異界の生き物でしょう? クレマン様は犬猫と結婚したいと思います?」
「ドミニク様、本当に素晴らしい存在なら、最初からなんでも出来てないとおかしいですわ。貴方の剣は無能のために振るわれていいものではありません」
「本当はわたくしも怖いのです。過去には世話役の女性に嫉妬して当たり散らした聖女もいると記録に残っていますもの……」

 侯爵を魅了するほどの母譲りの美貌に加えて、生まれ育ちが立派な相手の自尊心、そして保護欲と過去に起きた数少ない聖女の不祥事で男達の心を巧みにくすぐりつつも恐怖で煽り、セレスティアは三人の男の愛を得た。やがて三人はセレスティアの考えに染まり「君を粗末に扱おうものなら追い返してやる」 「聖女の名にあぐらをかくような女だったら厳しく接してやる」 「君こそ聖女になるべきだった」
 セレスティアは笑いが止まらなかった。
 なんてちょろいの。下っ端娼婦を買う客のほうがまだ歯ごたえがある。きっと私が魔性の女なのね。この調子で聖女に与えられるものは全部私が先回りして奪ってやる。その居場所も、幸せも、用意された相手も一人残らず! これが私の戦いよ。
 表向きは聖女を敬う慣習に従うように振る舞いながら、いざその日を迎えるとセレスティアより美しくもなくカリスマもない平凡な外見のラナを見て「こんな聖女とも思えないようなやつ、何してもいい」 と四人揃って冷遇した。
 セレスティアは乞食のような風貌の聖女を見ていると心の底から安堵できた。ここまで落とせばもう這い上がってこないよね?

 その一連の流れを復活した女神が知ると、彼女は烈火のごとく怒った。
「聖女が無能? 当たり前でしょう。彼女は私を起こす触媒です。代わりはいませんが有能である必要などありません。聖女だと自分で証明できなかったのが悪い? それはこちらが勝手に定義づけているもの。お前達は自分が両親の子だと今すぐ証明してみせろと言われてすぐ証明できるのですか? できないでしょう、目に見えるものではないのだから。美人でない? 聖なる使命に容姿が関係あるのですか。心構えがなってない? 無理矢理こちらに召喚したのだから協力してくれるだけ有り難いと何故思わなかったのですか! そもそも何故女神の言うことに背こうなどと思った!」

 可哀想な美少女、セレスティアを守るのだとヒーロー気分だった男達は一気に目が覚めた。
 とんでもないことをしてしまった。
 でも元の世界のほうが聖女だって生きやすいんじゃないですか? とセレスティアが文句を言うと女神は厳しく叱責した。

「愚か者! 聖女の魂は元々こちらの世界の者だ! 他所の世界で馴染むはずがない!」

 それはつまり異世界の普通の女の子が聖女に選ばれて調子に乗っているという今まで思っていた前提も覆り、不幸な女の子がやっと本当の世界に戻ったら歓迎どころか現地の人に虐待されたということに……。

 女神は急いでラナをこちらの世界に呼び戻した。女神の神殿に現れた彼女は、衰弱死寸前だった。


 ラナは夢でも見ているのかと思った。クレマンやドミニク、ファブリスが「ごめん、ごめん」 と泣きながら謝っている。私が無能だったのが悪いのに都合の良い夢だなあとぼんやり思った。
 しかし王宮の医師達に囲まれて治療をされ、治療を受けて生活してひと月も経てば嫌でも夢ではないと分かる。その間も彼らは毎日見舞いに訪れていた。

「本当に……申し訳ない」
 クレマンはラナに謝りながらも怯えていた。女神の寵愛を一心に受ける聖女。それに加えて今代は何も悪くないのに虐待されていた事実でさらに女神は過保護になっている。ラナが「人を冷遇したこいつらを同じ目に合わせろ」 と告げ口しようものなら自分はよくて廃嫡、悪くて死刑だ。あんな目に合わせられて許せるはずがない。びくびくしていると、かえってきた返事は予想外のものだった。

「構いません。私が聖女らしくないのは事実でしたから。王子様にそんなに謝られたら、私のほうが萎縮してしまいます」

 そう言って、まだやつれた顔でにこりと笑うラナを見て、クレマンは泣いた。
 どうしてこんな優しい人を冷遇していたんだ。あの時は誰も考えなかったことに目をつけるセレスティアは慧眼の持ち主だと思ったが、終わってみればセレスティアなんかいらんことを言って場を引っ掻き回して皆を不幸にしただけじゃないか。今は屋敷に軟禁されているが、女神直々に叱責されても「私は悪くない! 聖女っていうなら聖女らしいの連れて来なさいよ!」 と責任転嫁しながら怒鳴り散らしているらしい。そこへ来て実は貴族としては生まれつきではない半端者と分かって愕然とした。それでも一度は好きになった人なんだから、最後まで面倒見なければと思ってはいても神経はすり減っていく。そんな気苦労がラナといるだけで無くなっていくような気がする。
 
「クレマン様……」
「……だいぶ、遅くなったけど、これからはあの旅のぶんまで貴方を慕うことを誓う。どうかわたしの罪を償わせてくれ」
「……ありがとうございます」
 ラナは静かに笑っていた。許されたのだと感じてまたクレマンの瞳から涙がこぼれた。


 ドミニクもセレスティアには呆れていた。一度は忠誠を誓った女性と言うことで度々会いに行くが、「貴方は私を捨てないわよね? ねえねえあの女を暗殺できない? あいつがいるから私が不幸になったんだもの! 私達の幸せのためにも、ねえ!」
 ととても正気の人間と思えないようなことを言うので段々足が遠のいてしまった。
 聖女が無能なのは大罪だ、と彼女から吹き込まれたが、よくよく考えれば力無い者を守るからこそ騎士たりえるのでは? とやっと思い至る。しかしそれを素直に認めるには……聖女にしたことが大きすぎた。
 人は自分を正義だと思った時こそ残酷になるという。正義の名のもとならばどんな惨い振る舞いも素晴らしいものになるからだ。あの時は聖女のくせに無能そのものに見えた。だから美しきセレスティアを苦しめる悪いやつをやっつけてやる、くらいにしか考えてなかった。そのセレスティアも最近は怒ってばかり悪口ばかりで段々顔つきが陰険になって来た気がする。これが自分が惚れた相手……?
 今までは決まり悪くてラナのもとにはいかなかったが、これ以上セレスティアの近くにいたくないという理由でラナに謝りに行く。

「今までセレスティアさんを訪ねていたんですね。……急に一人になったから、彼女もきっと寂しくおつらいでしょう。ドミニクさんは優しいですね」

 セレスティアがラナのことを話すことはあるが、全部悪口だ。「あの女のせいで」 に始まり悪口雑言。聞くに堪えない。けれど彼女の立場からしたら当然だ、と思おうとしていた。しかしラナに会って確信した。セレスティア、あいつは性格が悪いだけだ。何もしていない聖女の悪口を異性に聞かせ続けて洗脳した、そして実際に来た聖女に酷い扱いして溜飲を下げていた。自分は来る前も来た後も食べるものから着るもの済む場所と豪勢な生活していたのに、一体彼女の不安や苦労とは? 本当に苦労したのは?
 考えれば考えるほど本物の聖女とはラナだったとしか思えず、ドミニクはラナの前に膝をついて忠誠を誓う。
「聖女を苦しめた自分に罰を与えてください」
「……もう苦しんだんでしょう?」
「ならばこれからは忠誠を誓わせてください。もうどんなことがあっても決して裏切りません」
「……私は、その言葉の責任を取れないから」
 それはクレマンあたりと政略結婚するから恋愛感情を向けられても困る、という意味だろうか。それだったら問題ない。女性にはもうこりごりだ。こんなに優しいラナなら忠誠を誓う価値がある。
「責任など貴方が取るものではありません。だからどうか……」
 ラナは少し困ったように笑っていた。ドミニクはそれを了承されたのだと解釈した。

 大富豪のファブリスは最後までセレスティアを好いていた。だが貴族社会で聖女冷遇の件が知れ渡り、経営が思わしくなくなると、旅の間自分が奢っていたぶんを今払ってくれとセレスティアに頼んだ時に全ては終わった。
「いくら財産が保証されてるからってこんな状態の女性の財布を狙う!? この人でなし!」
 そもそも自分が周りを騙したからこうなったという自覚が微塵もないその台詞にムッとしたが、それでもここで経営を立て直さないとこれから先、セレスティアの生活を支えるのが難しくなると言って説得した。クレマンやドミニクの足が遠のいた今、セレスティアの父親が亡くなればあとはファブリスの温情だけが頼りなのだが、彼女はそれを理解する気もない。
「いいわよ払えばいいんでしょ払えば! あーやだやだ手の平返す男って!」
 その言い方にカチンときたファブリスは売り言葉に買い言葉で、本気では無かったがセレスティアに暴言を吐いた。
「……分かったよ、君は払わなくていい」
「あら、理解してくれたの」
「その代わり金輪際ここには来ない。君にはもううんざりだ」

 キャンキャンと犬のように吠えるセレスティアを放ってファブリスはラナに会いに行った。
 セレスティアに会った時、彼女には固定観念をひっくり返された。会ったこともない聖女を無条件で慕うよう上から教育される……。もしかしたらこれは洗脳ではないか。セレスティアは今まで意図的に無視されていたことに初めてメスを入れた賢者なのではないだろうかと感動した。
 今思うと、彼女に厨二病を移されただけのような気がする。世界を救う聖女を敬う教育に疑問を持つとか、犯罪をしてはなりませんという教育に疑問を持つのと同じじゃないか。何でそんなことに気づかなかったんだろう……。今はただ、ラナのもとへ急ぐ。

「お金? ええと、今は特に必要ありません。というか王家のほうで出してもらっているので」
「……君は俺の商会から搾り取る権利がある」
「そんな酷いことしませんよ。商会には貴方だけでなく従業員さんもいらっしゃるのでしょう? どうか私に構わず、ファブリスさんはファブリスさんのしたいことをなさってください」

 こちらの窮状も知らずに罵るだけのセレスティア。いくらでも要求する権利があるのにこちらを労わってくれるラナ。聖女がどちらかなんて分かりきったことだった。

「俺のしたいことは君が喜ぶことだ。なあ何かほしいものは? 服は? 宝石は? 化粧品は? 何でも言ってくれ。何でも叶えるから」
 ラナは何も言わず優しく微笑んでいた。喜んでいるような気がして、これで少しは罪をつぐなえたのだと思うと、少し泣けた。とにかく何かしなくてはという気になってその手に金貨を握らせると、骨を握っているかのような細い指や手の平に後悔が押し寄せた。


 三人の男達はもうラナのことしか頭になかった。そして旅の時も今も怒らないということは自分達にそれなりの好意があるのだろうと確信していた。何せセレスティアの件で本当にダメな女とは、本当に良い女とはというのを確認させられたばかりだ。
 これから先、本当に良い女性であるラナと生きることを三人はそれぞれ思い描いていた。
 クレマンはラナを女性として最高の地位である王妃にすることを。
 ドミニクは騎士団の名前をラナ騎士団に改名することを考えていた。騎士団に女性の名前がつくこと、それはこの国では最も名誉あることとされている。
 ファブリスは部下に命じて冷遇時代分を取り戻すような贅沢な屋敷を購入し、そこで一生何不自由しない暮らしをさせようと思っていた。
 全員ラナが自分以外のの男性を選ぶなんて考えもしていない。何故なら「あいつらは純粋に聖女苛めをしたけど、自分は違う。セレスティアに騙されていただけ」 とそれぞれが思っているからだ。





「聖女様は、今朝にはもう冷たくなっていて……」

 それはクレマンがプロポーズの指輪を持参し、ドミニクが騎士団改名の書状を手にし、ファブリスが世界に数十匹しかいないという貴重な動物を献上しようとラナの部屋を訪れた日だった。

 侍女がそう言うものの、聖女の死体は部屋にない。どういうことだと侍女を詰問しようとしたが、女神の神託がくだった。

『聖女は例のない二度の召喚で心身がボロボロだった。むしろよくここまで生きたものだ。余りに哀れなのでせめて遺体はこちら――神界で預からせてもらう』

 女神にそう言われてはどうすることも出来ず、またボロボロにしたのは自分達だという自覚が大いにあったため、言い返すこともせず三人はトボトボと帰途についた。

 謝罪は済み、受け取ってもらえたけれど、これから幸せにして「聖女冷遇の四人組」 の汚名を払拭するはずだったのに。庶民にまでは知られていないから平民落ちすればそれは叶うだろうが、今の身分を捨てることはラナの思い出を捨てることになりそうで嫌だった。

 苛められるだけ苛められて、謝罪を受け取ったと思ったらすぐ死んだ。
 あまりに哀れな人生。そうなるように仕向けた自分達。
 死んだ以上は少しずつ罪悪感も軽くなるだろうと思ったが、逆だった。
 パンを見れば「聖女はあの旅の間中、まともな食事ができなかったのに。自分達は柔らかくて甘いパンを毎日……」 と心を抉られ、着飾った女性を見れば「そういえば旅の途中、聖女に一枚の服も買ったことがなかった。誰よりも贅沢する権利があったのに」 と無念に胸を掻きむしられ、怒られている人間を見れば「聖女はただの一回も怒らなかったし、愚痴ひとつ言わなかった。そんな人に自分がしたことは……」 と発作的に死にたくなった。
 何をしても聞いても、自分達がしたことを思い出して何をする気にもなれなかった。
 そうしてしばらく死んだように生きていた三人だが、ある日女神が三人の夢でこう言った。
『聖女は、あの時死んではいない。「自分が生きていたらお前達のためにならない」  と願うので、一旦仮死状態にして王宮の外に連れ出した』
「じゃあ……ラナは生きているのですね!?」
『……ああ。だが今どこにいるかは私も知らない。彼女も一人になりたいようだったから』

 三人は見違えたように生き生きとしだした。生きていればこの世界のどこかにいるラナに会える。その時みっともない姿だったら情けない。

 無事に元気を取り戻した三人を確認して、女神は溜息をついた。
 確かに王宮の外にラナを連れ出した。だが……。


「一人で生きるのに十分な加護? いりません。これ以上女神様に負担をかけられませんよ。それより、約束の薬をいいですか?」
 女神はラナの手に薬を渡した。薬といっても、末期の病に侵された患者のためのもので――毒薬だ。
 王宮から遠い妖精の棲む花畑。ここでラナは死を望んだ。一旦仮死状態にしてもらって信用のあるメイドに目撃させ、そのあと身体をここに移動させて改めて死ぬ。全てはクレマン達のその後を心配してのことだった。死体を目撃したらトラウマになるだろうし、確かに死んでいたけどどういう状態だったか知らないままに全部終わってた、くらいふわっとした死にざまなら、彼らが自分の死を気に病むこともない。そう思ったのだ。

『貴方はもっと我儘になっていい』
 泣きそうな女神の声にラナは困ったように笑った。
「我儘ですよ。生きるのやめようなんて」
 ラナは毒薬の瓶の蓋を開ける。
『彼らが悲しむ』
 ラナは瓶を口元に近づける。
「いいえ。悲しみません。……私、旅の間、頑張れば認めてもらえる、努力すれば好かれるって出来る限りのことをしました。でも、女神様に言われるまで誰も何も変わりませんでした。偉い人から怒られたから過剰に怯えているだけで、私のことは皆本当は好きじゃないんですよ。彼らが本当に好きなのはセレスティアさん。そもそもぽっと出が好かれるなんておかしいじゃないですか」
 ラナは瓶の中身を一息で飲み干す。
「これでやっと世界が上手く回りますね。みんな可哀想なくらい旅のことを謝るから私もいたたまれなくて……。私は要領も悪いし外見もパッとしないから、問題起こしたら早々に退場するのが一番いいんですよ。それに私がいなくなったら、みんな私に気を遣わなくて済むから、セレスティアさんのところに行けるでしょう?」
 視界がぼやけてきたラナは立っていられなくなり、ぺたんと座るがそれすらも苦痛になり、そっと花畑の中で横になった。
『貴方の幸せになった姿が見たかった』
 女神が涙を零しながら言う。
「女神様、そう言わないでください。私は……確かに、幸せだったんです。地球に居た頃も良い思い出はないけど、少なくてもここではイケメンに囲まれて旅をするなんて小説みたいな経験できたんですから。大変じゃなかったって言えば嘘になるけど、でもやっぱり私の人生で一番幸せな時間でした」
『……ラナ……』
「ごめんなさい。もう、眠くて……返事が…………おやすみなさい」

 その言葉を最後に、彼女はピクリとも動かなくなった。女神が遺体をどうするべきか迷っていたが、妖精達が現れて「こんな心の綺麗な人間は見たことないからこちらで引き取りたい」 と言うので譲った。妖精達は物持ちがいい。きっと何百年先でもラナの遺体を残してくれるだろう。あの悲劇の少女の痕跡を……。




「ラナは今どこにいるのだろう。早く会いたい。会えたら今度こそ幸せにしよう」
「もし再会できたら、悠長なことはしないですぐプロポーズしなくては」
「いつも金貨を持ち歩いていよう。彼女に会えた時に何でも出来るように。きっと一人旅なんて苦労ばかりだろうから」

 男達は幸せな夢を見ていた。女神はこれでいいと思う。彼らが不幸になるのを彼女は望んでいなかった。どんなに愚かな人間でも、女神にとっては可愛い我が子だ。優しい嘘は許してほしい。
 ただ少し情けないのは、彼らはラナにおんぶにだっこでその優しさに甘えてばかりなことだ。プロポーズしたらすぐ受け入れてくれるだろうと思い込んでいるが、そんな心の余裕はラナにはとっくになかったというのに。
 それに今はラナに夢中だが――いや、一生夢中でいるべきだろう。結婚したい女の基準がラナになったら他の女と結婚なぞ無理だろうから。モラハラ男と結婚したい女なんかこの世にいない。既に貴族の子女からは白い目で見られている。ラナだけが優しくしてくれるという幻想を追って彼らは永遠に生きていくのだ。自分達が彼女を精神的に廃人にしたというのに。
 男達はそれぞれの得意分野で名を残し、尊敬される人間になったが、ずっと待っていた誰かにはついに会えなかったようだ。



 女神は等しくこの世界の者を愛している。例え間違いを犯した者でも。
 だから聖女システムを大混乱に陥れたセレスティアの様子を時たま見に行く。
 セレスティアは相変わらず軟禁されながらも世話役の人間にラナを始めとする旅の仲間達の悪口を言うばかり。家の中にいるから老化は遅いのに、常時睨むような目つきに、不満が毎日溜まっているのか口角の下がりきった口元。旅の最中の愛され幸せモードの美少女はどこへやら、意地悪人間を絵に描いたような姿になっていた。

「あんなに私に愛を囁いていたくせに、男達はもう誰も来ない。大体全部女神が悪いのよ。異世界の人間の力を借りなきゃやっていけない弱っちい女神が」

 女神は等しくこの世界の者を愛している。が、それでも優先順位というものがある。聖女をどん底まで落とし、女神のことまで愚弄する人間を他の人間と同等の扱いをする訳にはいかない。反省しているなら相応の救いを与えるつもりだったが、こんな調子ではそんな気にもならない。

 女神が去ったあと、セレスティアは鉄格子の入った窓から空を見上げてぽつりとつぶやいた。

「結局……ずっと私に対して態度を変えないのって、ラナだけだったなあ……」

 今更ながら、セレスティアは聖女を思った。彼女には伝える必要がないということで聖女が死んだ話は一切入っていない。何せ彼女の性格の悪さ、人の心の無さは今や誰もが承知のこと。ラナが死んだなんて聞いたら「お祝いね!」 と万人を不快にさせるかもしれない。聖女なら外で幸せに暮らしている、そう思わせることがこのプライドだけは無駄に高いセレスティアへの罰だ。
 ラナが生きていると信じているセレスティアは、父親の一馬力でつつましい食事の中から、日持ちするものを食べないで取っておく。女神と王家の恩恵目当てでセレスティアを呼んだ父親はというと、聖女冷遇四人組の言葉が広まるにつれてどんどんセレスティアに冷たくなるようになった。セレスティアにしてみれば、過去を振り返ってもただの一度も優しかったことなどないのでもはやどうでもいいが。父はなまじ血が繋がっているから見捨てることだけはしないが、ギリギリ生きていけるぶんの食事と生活費しか寄越さなくなっていた。皮肉にもセレスティアはラナが受けた冷遇を今その身に受けている。が、本人はそれを気にする様子もない。娼館時代から慣れっこなのだ。

 あんなに苛めたんだもの、いつか私に恨み言の一つも言いに来るでしょ。そうでなくてもあいつだって人間なんだから落ちぶれた私を見たいとか思うはず。
 ラナがここに来たら、悪かったって言ってやってもいい。何だかんだ甘いからあいつは許すだろう。そうしたら、そうしたら友達になってやらないこともない。
 ……旅の間はろくなご飯も食べさせなかった。だから、次に会ったら溜めておいたおやつをあげるの。あんな経験したら食べ物を粗末になんてしないでしょ。だからきっと口にする。私の差し出したものを食べたならもう友達でしょ。早く来ないかな。あんたを苛めたやつにはこんなに不幸になったのに。嫌味の一つでも言いに来なさいよ。気が利かないわね。

 セレスティアもまた、男達と同じようにラナを待ち続けた。
 
 女神は妖精の丘にあるガラスの棺の中に眠るラナを時折見に行く。安らかに眠っているような姿を見ると涙がこみあがる。
『傷が癒えたら、また会ってくれるかしら』
 女神もまた、ラナの生まれ変わりを待っている。魂が傷ついた彼女の転生を、ずっと……。
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