出来損ないの人器使い

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第1章

1話「行使」

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「私を使いなさい」

 木々の隙間から差し込む月明かりが彼女の美しい横顔を照らす。
 しかしその髪は乱れ、傷に塗れた彼女の顔は血と泥に塗れていた。

「……分かった」

 シロは彼女の真剣な眼差しに答えるように小さく頷く。
 そして肩に添えられた手を握りしめると彼女は一瞬にして槌に姿を変える。
 それは彼女の整った顔立ちとは対照的に酷く無骨で無機質な槌。
 シロはそれを両手でギュッと握ると目の前に迫りくる脅威を真っ直ぐ見据えた。

 人器は器。
 行使者は自らの魂を器に注ぎ込む事によって、人智を超えた力を発揮する。

 魂を注げ……

 そして溢れ出る衝動に身を任せて叫べ!!

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 その咆哮は満天の星空に響き渡った。

 ◆◆◆◆◆◆

 その日。
 太陽が1日のうちで最も高い位置から光を注いでいた頃。
 シロは人々が行き交う道の真ん中で途方に暮れていた。

「はぁ……じいさん、話が違うじゃないか……」

 10年以上暮らしていた山小屋を後にして10日。
 やっと辿り着いた街のに、宿も泊まれなければ飯も買えない。それも当然だ。彼は無一文だった。

 しかし、シロが項垂れているのには別の理由がある。
 流石に10年以上人里から離れた山小屋で暮らしていたシロにも、金が必要という知識くらいはある。
 旅に出た時は、その場所その場所で仕事を見つけて金を稼げば良いと考えていたのだ。
 だか、それは甘かったと早くも痛感させられていた。

 シロが想定外だったこと。
 それは、仕事をする場合はギルドへの登録が必要であり、各々の人器に見合った仕事が斡旋されるということだ。
 ギルド職員の話を聞く限り、登録をしていない人は仕事に就けないらしい。

 人器がないという事を打ち明けて斡旋を依頼するという事も考えたが、それは出来ない。
 それを打ち明けた途端、周囲がどんな反応をするか、シロは痛いほど分かっていた。

 目の前には屋台で肉を焼いた香ばしい匂いが漂い、食欲を唆る。
 旨そうに焼かれている肉を横目にシロは空腹を訴える腹を両手で強く押さえた。

 行き交う人々はまるで立ち尽くすシロなど存在していないかのように過ぎ去っていく。
 手を伸ばせば届く距離に人がいるというのにシロの心は孤独に包まれていた。

 ここに自分の居場所などない。
 そう考えた途端、幼い頃の記憶が脳裏を過ぎる。

(いやいやいやいや、駄目だ駄目だ駄目だ)

 シロはブンブンと頭を左右に振る。

 負の感情に囚われてはならない。
 それはシロの恩人である老人の教え。
 その教えを守るため、どんな状況でもシロは前向きに生きてきたつもりだ。

「よしっ!」

 シロは両手で自分の頬を叩き、気合を入れ直す。

(とりあえず、今日は街の外で寝よう。それから先はまた明日考えよう……)

 そう考え、シロは街の外へ向かうのだった。

 ◆◆◆◆◆◆

 森の中で野営に適した場所を見つけ、準備を終えた頃には、太陽はすっかり落ち、月明かりが辺り一体を照らしていた。

 シロは湖畔に近い、小さな木の下を野営の場所に選んだ。
 ここであれば、水の確保もできるし、夜露も凌げると考えたからだ。
 日中は汗ばむ程度に暖かいが、夜になるとぐっと冷え込んでくる。
 シロは道中で集めた薪に手早く火を付けるとその近くに腰掛け、ふーっと息を付いた。

 やはり、森は落ち着く。
 街の近くで野営をしなかったのは人の気配のない森の方が落ち着くからだ。

 風に揺られる木々の音や、緑の匂い、虫の鳴き声、森はどこでも自分が慣れ親しんだ山奥と何も変わらないように感じる。

(これからどうしようか……)

 腹が減っているのは、近くの湖畔で魚を捕まえれば何とかなるだろう。
 伊達に山で暮らしてきた訳ではない。一人で生きていく術は身につけている。
 とはいえ、その暮らしを続けていては、山奥から旅に出た意味がない。

 シロはおもむろに荷物を入れていた布袋の中に手を突っ込み、一冊の古びた本を取り出す。

 その本をパラパラとめくりながら、考えを巡らす。

 それは、シロにとって親とも言える老人が残した一冊の本。
 一緒に暮らしたのは長くはなかったが、シロにとってその教えは生きる道標であり、唯一の人との繋がりであった。

「じいさん……僕旅に出たよ……」

 パチパチと音をたてる焚き火をボンヤリと眺めながら小さく呟いた。

「きゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」

 すると突然、静寂に包まれた月夜を切り裂くような悲鳴が響き渡る。

(悲鳴っ!?)

 シロは素早く起き上がり、木に立て掛けていた剣を握る。

 眠りを妨げられた鳥達が飛び立ち、獣達の鳴き声がこだまする。
 森は先程の静寂とは表情を一変していた。

 悲鳴はそう遠くない距離だ。

 悲鳴の方角に耳を澄ますとガサガサと草木をかき分ける音が聞こえてくる。
 誰かが何かに追われているということが容易に想像できる。

 人を助けられる人になりなさい。

 じいさんの言葉が脳裏に響くと同時に、心臓の鼓動が早くなる。
 考えるまでもなく、シロは悲鳴の方角へ走り出していた。

 身を低くして、木の枝を躱しながら一直線に悲鳴の方角へ向かう。

(いた!!)

 湖畔のほとりに、逃げ惑う女性と追いかける狼のような獣の姿が見えた。
 その女性は、背後から背中を爪で切り裂かれバランスを崩す。
 しかし、それでもなお逃げることを諦めない女性の足を止めるように足首のあたりに噛みついた。

「グゥ!!!」

 女性は小さい悲鳴をあげるとそのまま前のめりに転倒した。

「ウォォォォォォ!!!」

 転倒した女性の背中を獣が前足で抑え、勝ち誇ったように雄叫びを挙げる。
 まるで、自分の力を誇示するかのように。

 短い勝利宣言を終えると、女性の首元に鋭い牙を突き立てる為、大きな口をゆっくりと開く。
 その刹那ーー

「やめろぉぉぉぉぉーー!!!」

 全力で駆けるシロは速度を落とさず飛び上がり、獣の横顔に飛び蹴りを入れた。
 獲物を仕留めたことを確信していた獣は、思いもよらない方角からの一撃を受け、湖へ吹き飛ぶ。
 静寂を切り取ったかの様に映し出されていた水面の月が激しく揺れる。

「大丈夫!?」

 戦いはまだ終わりではない。
 シロは激しく波打つ水面に意識を傾けつつ、女性に目線を送る。

「……ありがとう」

 女性は掠れた声で問いかけに答える。
 死を覚悟していたのだろう。
 長い栗色の髪の毛はボサボサで、顔も服も泥と血に塗れていて、瞳から大粒の涙を流していた。

「立ち上がれる?」

「ええ、なんとか……」

 よろよろと女性はゆっくり立ち上がる。
 しかし、先程噛まれた傷だろう。
 白いロングスカートはビリビリに破け、半分は血で赤く染まっている。
 これでは彼女を連れて逃げる事は不可能だろう。

 戦って倒すしかない。
 シロは覚悟を決めて水面に意識を集中させる。
 これから命のやり取りが始まるにも関わらず、不思議と落ち着いている。
 シロは右手で握った剣を力強く握りしめた。

 水面からヤツが出た瞬間が勝負だ。
 そう心に言い聞かせたシロは腰を落とし、水面に意識を集中させる。

 激しく揺れていた水面の月が再度大きく揺らいだ瞬間、シロは水辺に向かって地面を蹴った。

「待って!!」

 シロが駆け出す瞬間、背後からシロを静止する声が響く。

 その声を頭の片隅で聞き流し、シロは水辺から飛び出した獣の頭上に飛び上がった。
 獣はシロの姿を見失っている。

「もらった!!」

 獣の首を狙い、全力で剣を振り下ろした。
 しかし、ギイィィィィィン!!!という甲高い音が辺りに響く。

「なっ!?」

 シロの全力の一振りは、確かに首元を捉えていた。
 しかし、獣の首を両断するどころか、獣を覆う毛の一本すら切れていなかったのだ。

「うわっ!!」

 獣がシロを振り払うかのように首を大きく振り回す。
 その勢いで飛ばされたシロは空中でくるりと体勢を立て直し、膝をつきながらも何とか着地をする。

 シロは驚愕していた。

 山小屋で暮らしていた10年間、獣とは何度も戦った。だが、シロの剣で傷一つ付けられない獣など出会ったことなどない。

 経験のない事態に直面したシロの動きが一瞬固まる。
 しかし、それは獣から見れば格好の隙だったのだろう。
 獣は猛烈な速度でシロに飛びかかり、鋭い牙がシロの目前に迫る。

(早い!!)

 獣の噛みつきをすんでのところで地面を転がり回避する。
 しかし、獣とのすれ違いざま腹部に突如衝撃が走り、その衝撃でシロは地面を数回転がっていた。

「ガハッ!!ゲホッゲホッ!!」

 鈍い痛みに耐えながら顔を上げると、自分が何の攻撃を受けた分かった。

 尻尾だ。

 その獣は見た目は狼と瓜二つだが、尻尾を鞭のようにしならせておりヒュンヒュンと音を鳴らしている。

 牙を躱した瞬間、あの尻尾に薙ぎ払われただろう。
 凄い衝撃だった。
 当りどころが悪ければ一撃で意識を刈り取られていただろう。
 しかも、最悪な事に剣を手放してしまった。

「……クッソ!」

 腹を襲う猛烈な痛みに耐えながら、よろよろと立ち上がり剣の行方を探す。

 すると、パキンっという金属音が響く。
 その方向に素早く視線を向けると獣がシロの剣を足で砕いていたのだ。

「……あ」

 シロはサッと血の気が引くのを感じ、額から流れる汗が頬を伝う。
 それは丸腰で獣に立ち向かわなければならないことを意味していた。

「グルォォォォォォォオッッ!!!」

 呆然とするシロの表情を見てなのか、獣は自分の力を誇示するかのように雄叫びを上げた。
 そして、ゆったりとした足取りで一歩一歩確実にこちらに向かってくる。
 勝利を確信しているからなのか、それとも恐怖を与えるためなのか、シロには分からない。
 しかし、シロにとってその時間はひどく長く感じられた。

 シロは思考を巡らせる。

 勝てない。
 逃げる……?
 いや、あの女性を置いてはいけない。
 それに人間の足ではどの道逃げられない。
 であれば、どうすれば……

「間に合った」

 その声と同時に、シロの肩に手が添えられた。
 振り返ると、獣に襲われていた女性がシロを真剣な眼差しで見つめている。
 髪も乱れ、顔も傷だらけで血と泥に塗れていたが、瞳に絶望の色はない。
 血と泥に塗れていなければ、かなりの美人なのだろう。

「私を使いなさい」

 彼女はシロにそう呟く。

 人器。

 それは人間が救済の光によって与えられた戦う力。

 人器を持たないシロが、それを行使する日が来るとは思ってもいなかった。
 使えるかどうかも分からない。
 だが、使えなければ二人とも死ぬだけだ。

 足掻かなければならない。
 何者でもない、何者かになる為に……

「分かった」

 シロは小さく頷くと肩に触れていた手を握りしめる。
 すると女性の姿は消え、次の瞬間にはシロの右手に無骨な槌が握られていた。

 その様子を見た獣は歩み寄る速度を早め、猛烈な速度でシロに飛びかかる。

 剥き出しになった獣の鋭い牙を見ながら、シロは昔を思い出していた。

 じいさんから聞いた言葉……

 人器は器。
 行使者は自らの魂を器に注ぎ込む事によって、人智を超えた力を発揮すると。

 魂を注げ……

 そして溢れ出る衝動に身を任せて叫べ!!

「おぉぉぉぉぉ!!!大地爆砕!!!」

 両手で握り締めた無骨な槌を全力で獣に向かって振り下ろす。
 すると次の瞬間、地響きにも似た轟音と共に獣諸共、辺り一帯を押し潰していた。

 押し潰された衝撃で上空に舞い上がった湖畔の水が雨のように降り注ぎシロの全身を濡らす。

「はぁはぁはぁ……助かった……」

 そう呟くとシロそのまま仰向けに倒れ、意識を失った。
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