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桜咲く春のこと
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「お邪魔しまーす。見学したいんですけどー」
からり、と弓道場の入り口の引き戸がいい音を立てて開いて、そこからまだあどけない風貌の男が入ってきたときのこと。游太はよく覚えている。
いや、忘れられるはずがない。数日前に入部したばかりの自分と、そこへ見学希望としてやってきた弘樹の初めての出会いだったのだから。
「おー、どうぞどうぞ。ちょうど今日、練習があるんだ。見てけよ」
まだ数度しか会っていなかった、当時の部長が顔を輝かせて弘樹を迎えた。そのまま入り口から中に招いて、あれやこれやと話をはじめる。
游太は新入部員、そして新入生ゆえにそこから積極的に近付くことはなかったのだけど、『彼』の様子は遠くから観察した。背が高くて、茶色の髪も整えていてふわふわで、顔立ちも人懐っこそうな印象で、つまりなかなかいい見た目で。でもなんとなく落ち着きのない様子をしていた。
とはいえ、游太はここ数週間の大学生活でそういう様子のヤツにはたくさん会っていたのですぐに想像できた。大学入学のために、上京してきたヤツだろう。大学という場所以上に、都内という場に慣れていないゆえに、そうなっているのだと思う。
色々大変だろうな、と毎回思うようなことを游太は、ぼんやりと思った。
游太は生まれも育ちも都内だ。はしっこのほうではあるが。小学生の頃から渋谷だの新宿だのに遊びに行って育った身、コンクリートジャングルには慣れ切っている。
しかし地方住まいの同年代は環境がまったく違うのだということ自体は、実感として知らなくとも理解はしていた。親戚の家が田舎なので、そこへ遊びに行った体験と照らし合わせて游太はそう思ったのだが、ああいう場所からここ、都会ど真ん中へ出てきて、しかもそこで暮らすとなったら、そりゃあもう、世界がガラッと変わるのと同じだ。色々大変だろうし、緊張するだろう。だからそういうヤツと友達になったら助けてやらないとな、と思うようになったここ数週間の游太であった。
そして弘樹もその『助けてやる』クチになったのである。
弘樹は弓道経験者だった。中学時代から弓道部に所属していて、高校時代は地方大会で上位を取ったこともあるのだという実力者。部長はじめ、先輩たちがおおいに歓迎したのは言うまでもない。
游太はそれに比べれば、ライト層だった。
ちょうど最近見ていた漫画が弓道をテーマにしたものだった。
それがおもしろそうだった。
そして、折角の大学なのだから今までやったことのない部活を選ぶのも良いと思った。
そのような、ライトすぎる動機。悪くはないだろうが。
そんな、置かれている状況はだいぶ違うものの同じ部活なのだ。弘樹が一日の練習を見学したあとすぐに「入部させてください」と言ってから、その日のうちに話すようになった。
「俺も一年なんだ。よろしく」
部活後、話しかけたのは游太だった。同級生、つまり一年はそのときまだあまり入っておらず、この日は游太と弘樹しかいなかった。そのこともあって弘樹は、ほっとしたような顔を見せてくれたものだ。
「そうなんだ。よろしく。俺……あ、さっき自己紹介したな」
「ああ、相沢クンだろ。俺は瀬戸内 游太」
游太の自己紹介にはちょっと首が傾げられた。
「瀬戸内……? 瀬戸内海の字?」
「そう」
どうしてそこを突っ込まれるのかわからなくて聞き返したが、弘樹のそのあとの質問で理解した。
「そっち出身なのか?」
「いや、全然。トーキョー出身」
「あ、そうなのか」
初めてのやり取りは、そんなまるでたいしたことのないもの。しかし同じ一年で、同じ部活に入って、これから仲間になるのだ。一緒に帰ることにした。といっても駅までであったが。
その短い距離の間にいくつか話をした。
弘樹は京都出身だということ。よって、瀬戸内海付近の出身だったら地元が同じ、西のほうかもしれないと思ったということ。
游太の想像通り、大学進学で東京に出てきたのだということ。
「瀬戸内クンは東京のどのあたりに住んでるの?」
「府中のほうだよ。東京だけど、はしっこもはしっこ」
その質問は当たり前のものだっただろう。游太も何気なく答えた。
「府中……えっと……あ! そうだそうだ、新選組の近藤 勇とかの出身あたりか!」
最初少し悩んだようだったので游太は『上京したヤツにはわかりづらかったか』と思って説明しなおそうかとしたのだが、その前に弘樹が言った。しかも的確であった。游太はちょっと驚いた。
「お、そうそう。本とか好きなの」
新選組は人気のある歴史モノだから、本でも映画でも漫画でもたくさん出ている。そのどれかだろうと思った。
「ああ、割と好きなんだ。新選組なら、あそこから京都に来たんじゃないか」
言われてもっと驚いた。そういえばそうだ。自分の出身地と弘樹の地元にこういう結びつきがあるとは思わなかった。
「ん、そうだったな。じゃ、なんか縁があるのかもな」
「あはは。そうだといいな」
そのあたりで駅について、本当に自己紹介のさわりもさわりだけで終わってしまった。
「電車、どっち?」
駅に入って交わしたのはもう、そんな当たり前の話題だった。まだ慣れないのだろう、弘樹は構内をきょろきょろしてどちらへ行くかまだ覚えきっていないようだ。
「んー、千代田線、ってやつ」
「じゃああっちだな」
游太はそちらを指差してやる。弘樹はそれを見て、ああ、そうだった、なんて言った。
千代田線、と聞いたものの、どっちの方面に行くのかは聞かなかったし、それより流石に家がどのあたりなのかは聞けなかった。出会った日には立ち入った質問だろう。
「瀬戸内クンは?」
聞かれたので説明する。
「俺は新宿まで行って、そこから京王線……」
割合ルートは単純なのだ。しかしそれより気になることがある。
「クンとか要らないよ」
なんだかそういうのはくすぐったい。高校時代も男友達は呼び捨てで呼び合っていたし。
弘樹はそう言われてちょっと頭に手をやった。気まずそうに。
「そう? でもいきなり呼び捨ては……」
確かに数時間前に会ったばかりである。
「や、これから部活一緒なんだろ。早く慣れといたほうがいいと思って」
游太の提案には「それもそうだな」と返ってきた。
「じゃ、……瀬戸内、でいいのかな」
ちょっとためらったようだがそう呼んでくれた。
そう、最初は名字呼びだったのだ。男友達の付き合いではそれが主流のように。
「ああ、好きに呼んで。俺は相沢、でいい?」
軽く受け入れて尋ねて、それも当たり前のように受け入れられた。
「勿論だよ。じゃ、明日からよろしくな」
「ああ、迷うなよ」
「あはは、まだあんま自信ないかな……」
弘樹はちょっと苦笑して、じゃあ、と手をあげて去っていった。游太が示した通りのほうへ弘樹が歩いていって、見えなくなるのを見送って、游太は自分の乗る路線のほうへ歩き出した。
部活ではまだ数人目の友達だった。同級生はまだニ、三人しか入っていなかったので。
しかしそれも部室や弓道場でちょっと話しただけだ。タイミングが合ったとはいえ、それも十分少々だったとはいえ、部活の同級生と個人的に過ごすのは初めてだった。
なかなかおもしろそうなやつだな。話しやすかったし。
游太からの第一印象はそんなもの。
これからコイツと一生を共にすることになろうとは、このときには勿論、夢にも思わなかった。
からり、と弓道場の入り口の引き戸がいい音を立てて開いて、そこからまだあどけない風貌の男が入ってきたときのこと。游太はよく覚えている。
いや、忘れられるはずがない。数日前に入部したばかりの自分と、そこへ見学希望としてやってきた弘樹の初めての出会いだったのだから。
「おー、どうぞどうぞ。ちょうど今日、練習があるんだ。見てけよ」
まだ数度しか会っていなかった、当時の部長が顔を輝かせて弘樹を迎えた。そのまま入り口から中に招いて、あれやこれやと話をはじめる。
游太は新入部員、そして新入生ゆえにそこから積極的に近付くことはなかったのだけど、『彼』の様子は遠くから観察した。背が高くて、茶色の髪も整えていてふわふわで、顔立ちも人懐っこそうな印象で、つまりなかなかいい見た目で。でもなんとなく落ち着きのない様子をしていた。
とはいえ、游太はここ数週間の大学生活でそういう様子のヤツにはたくさん会っていたのですぐに想像できた。大学入学のために、上京してきたヤツだろう。大学という場所以上に、都内という場に慣れていないゆえに、そうなっているのだと思う。
色々大変だろうな、と毎回思うようなことを游太は、ぼんやりと思った。
游太は生まれも育ちも都内だ。はしっこのほうではあるが。小学生の頃から渋谷だの新宿だのに遊びに行って育った身、コンクリートジャングルには慣れ切っている。
しかし地方住まいの同年代は環境がまったく違うのだということ自体は、実感として知らなくとも理解はしていた。親戚の家が田舎なので、そこへ遊びに行った体験と照らし合わせて游太はそう思ったのだが、ああいう場所からここ、都会ど真ん中へ出てきて、しかもそこで暮らすとなったら、そりゃあもう、世界がガラッと変わるのと同じだ。色々大変だろうし、緊張するだろう。だからそういうヤツと友達になったら助けてやらないとな、と思うようになったここ数週間の游太であった。
そして弘樹もその『助けてやる』クチになったのである。
弘樹は弓道経験者だった。中学時代から弓道部に所属していて、高校時代は地方大会で上位を取ったこともあるのだという実力者。部長はじめ、先輩たちがおおいに歓迎したのは言うまでもない。
游太はそれに比べれば、ライト層だった。
ちょうど最近見ていた漫画が弓道をテーマにしたものだった。
それがおもしろそうだった。
そして、折角の大学なのだから今までやったことのない部活を選ぶのも良いと思った。
そのような、ライトすぎる動機。悪くはないだろうが。
そんな、置かれている状況はだいぶ違うものの同じ部活なのだ。弘樹が一日の練習を見学したあとすぐに「入部させてください」と言ってから、その日のうちに話すようになった。
「俺も一年なんだ。よろしく」
部活後、話しかけたのは游太だった。同級生、つまり一年はそのときまだあまり入っておらず、この日は游太と弘樹しかいなかった。そのこともあって弘樹は、ほっとしたような顔を見せてくれたものだ。
「そうなんだ。よろしく。俺……あ、さっき自己紹介したな」
「ああ、相沢クンだろ。俺は瀬戸内 游太」
游太の自己紹介にはちょっと首が傾げられた。
「瀬戸内……? 瀬戸内海の字?」
「そう」
どうしてそこを突っ込まれるのかわからなくて聞き返したが、弘樹のそのあとの質問で理解した。
「そっち出身なのか?」
「いや、全然。トーキョー出身」
「あ、そうなのか」
初めてのやり取りは、そんなまるでたいしたことのないもの。しかし同じ一年で、同じ部活に入って、これから仲間になるのだ。一緒に帰ることにした。といっても駅までであったが。
その短い距離の間にいくつか話をした。
弘樹は京都出身だということ。よって、瀬戸内海付近の出身だったら地元が同じ、西のほうかもしれないと思ったということ。
游太の想像通り、大学進学で東京に出てきたのだということ。
「瀬戸内クンは東京のどのあたりに住んでるの?」
「府中のほうだよ。東京だけど、はしっこもはしっこ」
その質問は当たり前のものだっただろう。游太も何気なく答えた。
「府中……えっと……あ! そうだそうだ、新選組の近藤 勇とかの出身あたりか!」
最初少し悩んだようだったので游太は『上京したヤツにはわかりづらかったか』と思って説明しなおそうかとしたのだが、その前に弘樹が言った。しかも的確であった。游太はちょっと驚いた。
「お、そうそう。本とか好きなの」
新選組は人気のある歴史モノだから、本でも映画でも漫画でもたくさん出ている。そのどれかだろうと思った。
「ああ、割と好きなんだ。新選組なら、あそこから京都に来たんじゃないか」
言われてもっと驚いた。そういえばそうだ。自分の出身地と弘樹の地元にこういう結びつきがあるとは思わなかった。
「ん、そうだったな。じゃ、なんか縁があるのかもな」
「あはは。そうだといいな」
そのあたりで駅について、本当に自己紹介のさわりもさわりだけで終わってしまった。
「電車、どっち?」
駅に入って交わしたのはもう、そんな当たり前の話題だった。まだ慣れないのだろう、弘樹は構内をきょろきょろしてどちらへ行くかまだ覚えきっていないようだ。
「んー、千代田線、ってやつ」
「じゃああっちだな」
游太はそちらを指差してやる。弘樹はそれを見て、ああ、そうだった、なんて言った。
千代田線、と聞いたものの、どっちの方面に行くのかは聞かなかったし、それより流石に家がどのあたりなのかは聞けなかった。出会った日には立ち入った質問だろう。
「瀬戸内クンは?」
聞かれたので説明する。
「俺は新宿まで行って、そこから京王線……」
割合ルートは単純なのだ。しかしそれより気になることがある。
「クンとか要らないよ」
なんだかそういうのはくすぐったい。高校時代も男友達は呼び捨てで呼び合っていたし。
弘樹はそう言われてちょっと頭に手をやった。気まずそうに。
「そう? でもいきなり呼び捨ては……」
確かに数時間前に会ったばかりである。
「や、これから部活一緒なんだろ。早く慣れといたほうがいいと思って」
游太の提案には「それもそうだな」と返ってきた。
「じゃ、……瀬戸内、でいいのかな」
ちょっとためらったようだがそう呼んでくれた。
そう、最初は名字呼びだったのだ。男友達の付き合いではそれが主流のように。
「ああ、好きに呼んで。俺は相沢、でいい?」
軽く受け入れて尋ねて、それも当たり前のように受け入れられた。
「勿論だよ。じゃ、明日からよろしくな」
「ああ、迷うなよ」
「あはは、まだあんま自信ないかな……」
弘樹はちょっと苦笑して、じゃあ、と手をあげて去っていった。游太が示した通りのほうへ弘樹が歩いていって、見えなくなるのを見送って、游太は自分の乗る路線のほうへ歩き出した。
部活ではまだ数人目の友達だった。同級生はまだニ、三人しか入っていなかったので。
しかしそれも部室や弓道場でちょっと話しただけだ。タイミングが合ったとはいえ、それも十分少々だったとはいえ、部活の同級生と個人的に過ごすのは初めてだった。
なかなかおもしろそうなやつだな。話しやすかったし。
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