上 下
103 / 125

秋のディトはすぺしゃるな⑤

しおりを挟む
 そのあとは町中を散策した。
 とはいえ一番近い町なので大体のところは知っている。
 普段訪れる雑貨屋で小物を見たり、文を書く者らしく本屋へも行った。
 このときだけは麓乎は『先生』の顔になり、あれがいい、これも参考になると色々教えてくれた。
 これはこれで興味深く、金香は幾つも手に取り、そして一冊買って貰ってしまった。
 それは外国の本だった。小説だ。中を少し見たが、翻訳してあるので読むのには困らなさそうである。
 「海外の本を読むのも勉強になるからね」と買ってくれたのである。麓乎の気に入りの作家のものだそうだ。
 「帰って読むのが楽しみです」と、金香は包んでもらった本を抱えて笑った。
 今日はずっと笑っている気がした。
 ディト、という名前のとおり、とても特別で素敵な日。
 それは日の暮れる頃、「そろそろ帰ろう」と言われて帰路につくのが惜しくなってしまうほどに。
 帰ったらいつも通りの日常が待っている。
 日常だってとても楽しいものだ。
 麓乎がいて、屋敷の皆がいて、寺子屋の子供たちや先生もいる。
 けれど麓乎と二人きりで過ごせるこのときとはやはり違う。
 またこういう時間も過ごせたらいい。
 そう思った金香と同じことを麓乎も思ってくれたらしい。
 「また来よう」と言ってくれた。
「今度は町の外へ行ってみても良いかもしれないね。車に乗せてくれる商売もあるそうだから、また調べておくよ」
「楽しみです」
 歩くうちに通りかかったのは河川だった。春には桜が咲き誇る大きめの川。
 今は裸の樹しかないちょっと寂しい光景であったが。それでも流れる水は澄んで美しかった。
 そしてなにもないわけではない、道のわきには椿が咲いていた。
 同じ紅だが、薔薇とは違う趣がある。どちらもうつくしさに変わりはない。
 金香がそれに見入っていることに気付いたのだろう、麓乎は足をとめた。
「今度、椿を題にしようか」
「はい。楽しいものが書けそうです」
 そんな何気ないやり取りをしたのだが。不意に麓乎が手を伸ばした。
 金香の頬に触れる。どきりとしたが麓乎の手はただ頬を撫でるだけだった。
 不思議に思っていると、言われた。
「ちょっと目を閉じていてご覧」
 きょとんとしたのがわかったのだろう。ふっと笑って「いいから」と言われる。
 拒む理由もなかったので、金香は大人しく目を閉じた。目を閉じながらどきどきしてしまったが。
 くちづけでもされるのではないか、と。
 しかしもう交際して随分経つ。そしてくちづけをするようになっても随分経つ。
 だいぶ慣れてきていた。やはり緊張はしてしまうのだが。
 が、金香の想像したようなことは起こらなかった。なにかごそごそと音がする。
 なんでしょう。
 思いながらおとなしくしていると頭になにかが触れた。髪を弄られているようだ。
 なんでしょう。
 また思ったが、今度はわかった。
 髪飾りだ、きっと。
 なにかくださるのかしら。
 期待に胸が湧いたとき、麓乎が「いいよ」と言った。
 目の前に見えたのは麓乎だけ。髪になにかつけられたのはわかるが、自分で見えるはずもない。
「髪にもなにかつけたほうが良いかと思って、髪飾りを付けたのだけど……すまない、見えないね」
「え、えっと、見てみます!」
 ちょっと困ったように言われたがそれには及ばない。小さな鏡を持ってきていた。
 鏡を出して自分の顔を映す。少し顔を傾けると紅(あか)いものが見えた。
 髪につけられたもの、それは紅いりぼんだった。箔が入っているようで角度を変えるたびにきらきらと輝く。
「……とても綺麗です」
 ほう、と感嘆の声が出た。
 一体、いつこれを。
 思ったものの、すぐにわかった。
 帰る前。茶屋の椅子に金香をおいて、「少し用を済ませてくる」と麓乎は少しどこかへ行ってしまったのだ。
 なにかご用事でもあられるのかもしれない、と思った金香は「はい」とだけ答えて、茶屋で出して貰った茶を飲んでいたのだが。きっとあのときだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

契約結婚!一発逆転マニュアル♡

伊吹美香
恋愛
『愛妻家になりたい男』と『今の状況から抜け出したい女』が利害一致の契約結婚⁉ 全てを失い現実の中で藻掻く女 緒方 依舞稀(24) ✖ なんとしてでも愛妻家にならねばならない男 桐ケ谷 遥翔(30) 『一発逆転』と『打算』のために 二人の契約結婚生活が始まる……。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

残業シンデレラに、王子様の溺愛を

小達出みかん
恋愛
「自分は世界一、醜い女なんだーー」過去の辛い失恋から、男性にトラウマがあるさやかは、恋愛を遠ざけ、仕事に精を出して生きていた。一生誰とも付き合わないし、結婚しない。そう決めて、社内でも一番の地味女として「論外」扱いされていたはずなのに、なぜか営業部の王子様•小鳥遊が、やたらとちょっかいをかけてくる。相手にしたくないさやかだったが、ある日エレベーターで過呼吸を起こしてしまったところを助けられてしまいーー。 「お礼に、俺とキスフレンドになってくれない?」 さやかの鉄壁の防御を溶かしていく小鳥遊。けれど彼には、元婚約者がいてーー?

処理中です...