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直談判①
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「ご本、ありがとうございました。とても面白かったです」
シンプルなお礼の言葉と共に志樹に借りていた本を渡す。志樹は「楽しんでいただけたらなによりだよ」と受け取ってくれた。
次の晩。課題が休暇中であった金香は昼間のうちに本を読んでいた。
それは志樹から借りたもの。夕餉のあとそれを返しに行ったのだ。
志樹の部屋を訪ねると確かに彼はそこに居て金香を迎えてくれた。入口だけでなく部屋に招いてくれるので金香はお言葉に甘える。
「どれが気に入ったかい」
本は短編集だった。様々な切り口の話が入っていて、どれも面白かった。
「私はこの主人公が野で姉妹に会って歌を聞かせて貰うお話が好きだと思いました」
「ああ、これだね。姉の歌に惹かれて片恋をする話だ」
ぱらぱらとめくってその話の頁を開いて志樹は言ったのだが、金香はそれを聞いてぎくりとした。
そのとおり、主人公は姉妹に会ったあと、その姉のほうに淡い想いを抱く。
しかし主人公は想いを胸に秘めたまま終局となっていた。そのあと彼と姉の女性がどうなったかは書かれていない。
『歌を通じての交流』を読んでそこを魅力に感じ、その部分はまったく意識していなかったが、言われてみればそのとおりの話。
無意識のうちに、片恋をする青年に己を重ね合わせていたのだろうか?
急に恥ずかしくなってしまった。
「僕はこれが好きなんだよ。主人公の少年が初めて鹿狩りに連れていかれる話なのだけどね……」
しかし志樹は気にした様子もなく、違う頁を開いた。
「それも面白かったですね。なんとなくそうなるとは思っていましたが」
「本当に鹿を撃ってしまうんだからね。驚いたし大胆な展開だと思ったよ」
いつもどおりに小説の内容について話していたのだが、ふと思いついた。
片恋の話から連想したのだ。
志樹に訊いてみようか。音葉さんのことを。
相手が先生の兄で、弟弟子で、先生とも金香とも距離が近く、また婚約者がいるというある意味安心できる立場の志樹であったから思いついたことだ。
「あの、志樹さん」
金香の切り出しから、話題が別のところへ移ろうとしていると知ったのだろう。志樹は本から顔をあげた。
志樹のまなざしは源清先生とはまるで違っている。つり目気味で、どちらかというと鋭さもある眼だ。初めてお会いしたときはちょっと怖く感じたくらい。
今では穏やかな気質であられることを知っているし、そのまなざしも笑えばとても優しくなるのだということを知っているのでむしろ安心を覚えた。
「昨日、音葉さんにお会いしたのですけど」
切り出した金香の言葉には頷かれる。
「ああ、音葉さん。きみにとっては姉弟子だね」
「はい。それで」
金香は続ける。
「たくさんお話をして愉しかったです。でも気になることがありまして」
「なんだい、本人に訊けばよかったのに」
『気になること』に関しては、ふっと笑われた。確かにその通りなのできまりが悪い。
「……なんだか、悪いような気がしまして」
「僕なら良いということかい」
もう一度笑われるが今度ははっきりとからかいだった。こういうところは源清先生とちょっと似たところがある、と金香は思っていた。
「いえっ! ただ、私にとって音葉さんより身近というか……」
「それは光栄だね。で、なにかな」
促された。
自分から切り出したものの、やはり口に出すには緊張してしまう。
思わず下を向いてしまい、自分を叱咤した。
いい加減、前に進まないと駄目。
志樹はこの件については最適な相手だと金香には思えた。前述のとおり先生と金香、それぞれへの距離感のためだ。
なので思い切って視線をあげて質問する。
「……音葉さんは、よ、……好い方、でもいらっしゃるのでしょうか」
『好い方』と口に出すのすら金香は恥じらいを覚えた。ひとのことであってもなんだか妙にくすぐったいのである。
志樹はその質問に驚いたようだ。細い目がちょっと丸くなる。
「……本人に訊かなかったのかい」
「……はい」
こういうことだ、それこそ本人に訊くのが自然である。女性同士なのであるし。
とはいえ金香にとっては同性だからこそ、気軽に訊けない事情がたっぷりあるのだが。
「そうか」
志樹はそれだけ言い、着ていた浴衣の袖に腕を突っ込んだ。
考えていたのはほんの数秒のことで、すぐにとんでもないことを言ってくる。
「それなら麓乎に訊くのがいいよ」
金香は仰天した。
先生に直接訊けなどと。
それができたらはじめから苦労していない。
しかし志樹から言われてしまったら。
「麓乎はきみたち二人の師だからね。麓乎から聞くのが一番間違いがないだろう」
「そ、……そのとおりですけど」
もにょもにょと口ごもった金香を見る志樹は、どこか愉しそうな口調をしていた。
「訊きづらい?」
「……はい」
「まぁ、でもそのほうが良いと僕は思うから。やってみたら?」
なんという非情なことを。
思った金香だったが、そんな金香の事情は志樹には関係のないことであるし、ごくまっとうな正論極まりないことである。
やるしかないのか。
「今なら麓乎は暇している……とか言ったら言葉が悪いけど、特に急ぎの用事もないんじゃないかな。行ってみてご覧よ」
おまけに今からなど。
金香の頭がくらくらしてきた。
が、そのほうが良いのかもしれない、ともそのとき思った。
下手にこのまま部屋に帰ったところで『訊く』『訊かない』で余計に悶々としてしまうに決まっていたのだから。それならもういっそ。
「……はい」
「うん。じゃ、いってらっしゃい」
思い切って言った金香に微笑んで。志樹は自分の部屋から金香を追いやったのであった。
シンプルなお礼の言葉と共に志樹に借りていた本を渡す。志樹は「楽しんでいただけたらなによりだよ」と受け取ってくれた。
次の晩。課題が休暇中であった金香は昼間のうちに本を読んでいた。
それは志樹から借りたもの。夕餉のあとそれを返しに行ったのだ。
志樹の部屋を訪ねると確かに彼はそこに居て金香を迎えてくれた。入口だけでなく部屋に招いてくれるので金香はお言葉に甘える。
「どれが気に入ったかい」
本は短編集だった。様々な切り口の話が入っていて、どれも面白かった。
「私はこの主人公が野で姉妹に会って歌を聞かせて貰うお話が好きだと思いました」
「ああ、これだね。姉の歌に惹かれて片恋をする話だ」
ぱらぱらとめくってその話の頁を開いて志樹は言ったのだが、金香はそれを聞いてぎくりとした。
そのとおり、主人公は姉妹に会ったあと、その姉のほうに淡い想いを抱く。
しかし主人公は想いを胸に秘めたまま終局となっていた。そのあと彼と姉の女性がどうなったかは書かれていない。
『歌を通じての交流』を読んでそこを魅力に感じ、その部分はまったく意識していなかったが、言われてみればそのとおりの話。
無意識のうちに、片恋をする青年に己を重ね合わせていたのだろうか?
急に恥ずかしくなってしまった。
「僕はこれが好きなんだよ。主人公の少年が初めて鹿狩りに連れていかれる話なのだけどね……」
しかし志樹は気にした様子もなく、違う頁を開いた。
「それも面白かったですね。なんとなくそうなるとは思っていましたが」
「本当に鹿を撃ってしまうんだからね。驚いたし大胆な展開だと思ったよ」
いつもどおりに小説の内容について話していたのだが、ふと思いついた。
片恋の話から連想したのだ。
志樹に訊いてみようか。音葉さんのことを。
相手が先生の兄で、弟弟子で、先生とも金香とも距離が近く、また婚約者がいるというある意味安心できる立場の志樹であったから思いついたことだ。
「あの、志樹さん」
金香の切り出しから、話題が別のところへ移ろうとしていると知ったのだろう。志樹は本から顔をあげた。
志樹のまなざしは源清先生とはまるで違っている。つり目気味で、どちらかというと鋭さもある眼だ。初めてお会いしたときはちょっと怖く感じたくらい。
今では穏やかな気質であられることを知っているし、そのまなざしも笑えばとても優しくなるのだということを知っているのでむしろ安心を覚えた。
「昨日、音葉さんにお会いしたのですけど」
切り出した金香の言葉には頷かれる。
「ああ、音葉さん。きみにとっては姉弟子だね」
「はい。それで」
金香は続ける。
「たくさんお話をして愉しかったです。でも気になることがありまして」
「なんだい、本人に訊けばよかったのに」
『気になること』に関しては、ふっと笑われた。確かにその通りなのできまりが悪い。
「……なんだか、悪いような気がしまして」
「僕なら良いということかい」
もう一度笑われるが今度ははっきりとからかいだった。こういうところは源清先生とちょっと似たところがある、と金香は思っていた。
「いえっ! ただ、私にとって音葉さんより身近というか……」
「それは光栄だね。で、なにかな」
促された。
自分から切り出したものの、やはり口に出すには緊張してしまう。
思わず下を向いてしまい、自分を叱咤した。
いい加減、前に進まないと駄目。
志樹はこの件については最適な相手だと金香には思えた。前述のとおり先生と金香、それぞれへの距離感のためだ。
なので思い切って視線をあげて質問する。
「……音葉さんは、よ、……好い方、でもいらっしゃるのでしょうか」
『好い方』と口に出すのすら金香は恥じらいを覚えた。ひとのことであってもなんだか妙にくすぐったいのである。
志樹はその質問に驚いたようだ。細い目がちょっと丸くなる。
「……本人に訊かなかったのかい」
「……はい」
こういうことだ、それこそ本人に訊くのが自然である。女性同士なのであるし。
とはいえ金香にとっては同性だからこそ、気軽に訊けない事情がたっぷりあるのだが。
「そうか」
志樹はそれだけ言い、着ていた浴衣の袖に腕を突っ込んだ。
考えていたのはほんの数秒のことで、すぐにとんでもないことを言ってくる。
「それなら麓乎に訊くのがいいよ」
金香は仰天した。
先生に直接訊けなどと。
それができたらはじめから苦労していない。
しかし志樹から言われてしまったら。
「麓乎はきみたち二人の師だからね。麓乎から聞くのが一番間違いがないだろう」
「そ、……そのとおりですけど」
もにょもにょと口ごもった金香を見る志樹は、どこか愉しそうな口調をしていた。
「訊きづらい?」
「……はい」
「まぁ、でもそのほうが良いと僕は思うから。やってみたら?」
なんという非情なことを。
思った金香だったが、そんな金香の事情は志樹には関係のないことであるし、ごくまっとうな正論極まりないことである。
やるしかないのか。
「今なら麓乎は暇している……とか言ったら言葉が悪いけど、特に急ぎの用事もないんじゃないかな。行ってみてご覧よ」
おまけに今からなど。
金香の頭がくらくらしてきた。
が、そのほうが良いのかもしれない、ともそのとき思った。
下手にこのまま部屋に帰ったところで『訊く』『訊かない』で余計に悶々としてしまうに決まっていたのだから。それならもういっそ。
「……はい」
「うん。じゃ、いってらっしゃい」
思い切って言った金香に微笑んで。志樹は自分の部屋から金香を追いやったのであった。
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