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息づきはじめた恋心②

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 夜もすっかり更けている。そろそろ湯浴みをして寝なければいけない時間だ。
 が、先生は「少し休憩しよう」と下女に茶を持たせて金香にも飲むように言ってきた。
 あたたかいお茶は指導に張り詰めていた心をほどかせてくれる。緑茶のかぐわしい香りが鼻腔を満たした。
 先生の今日の『高等学校への訪問』のお話を聞いたりしていたが、金香はふと、思った。
 思いついたそのことに急速にどきどきとしてきたが、今が一番良いタイミングである。遅くなれば遅くなるほど不自然になるであろう。
「あの、お聞きしたいことがあるのですが」
「なにかな?」
 視線をやられて金香はどぎまぎとした。
 口に出すのがちょっと怖い。
 けれど抱えたままなのも心地が良くない。
 思い切って言った。
「昨日来られた音葉さんですが、その、……どういうお方、なのでしょうか」
 訊きたいことはたくさんあった。
 お幾つなのか。
 ご家族は。
 門下生から少し離れていた事情は。
 そして、……先生とのご関係は。
 けれど個人的なことも含むうえに、はっきりとひとつには絞れない。よって、随分抽象的な質問になってしまう。
「気になるのかい」
 言う源清先生は何故か楽しそうだった。
 金香は「気になるのか」と言われて困ってしまう。
 確かに気になるが、それをそのまま言うのはなんだか躊躇われた。
「え、ええと……気になるというか……女性の門下生は、私とあの方だけだと聞いたものですから」
「ああ、そうだね。しかしあまり変わらないのではないかな」
 そう言われても金香はさっぱりわからなかった。
 変わらないとはどのような部分がだろうか。
 年齢がだろうか。
 物書きとしての手腕がだろうか。
 どう聞き返したものかと思っている金香に、先生はひとつずつ挙げて言ってくださる。
「お歳は金香のひとつ上だよ。二十になる」
「去年まで、高等学校にも通っていたね」
「そしてお父上が商売をされていて、なかなか歴があるらしい。よって、娘さんを内弟子には出したくないという方針だったそうだ」
「門下生としては、珠子さんが十六の頃かな。見はじめて四年になる」
 ひとつひとつ。胸に染み入るようだったがそれは妙に痛むような感覚だった。
 特に最後のひとつ。
 弟子入りして四年も経っているという点。
 金香はまだ三ヵ月にも満たないというのに。
 遠かった。
 あまりにも。
「このようなところかな」
「あ、ありがとうございました」
 お礼を言った金香に先生は茶をひとくち飲んだ。そしてある提案をする。
「同じ弟子同士として交流してみるのも良いかもしれないね。ここで暮らしているだけあって、茅原などとは話す機会も多いかもしれないが、芦田(あしだ)など、外の門下生と話す機会はあまり多くないだろう」
「……そうですね。それも良いと思います」
 そういうことがしたかったわけではないのだけど、と思いつつもそういうものも確かに良いかもしれない。長く先生に見ていただいているひとだ、手本にできる点は多いだろう。
 けれどあまり気は進まなかった。
 その理由は今日の帰り道でほんのり思い浮かんでいたのだけど。そのことを頭に浮かべるだけでどうにも顔が熱くなりそうになってしまう。
「金香」
 そのようなところへ声をかけられて、金香はびくりとした。
「はいっ!?」
 声がひっくり返ったためか源清先生が不思議そうに首をかしげる。
 うっかり視線をやってしまって目が合った。焦げ茶の瞳とかち合って『顔が熱くなりそう』ではなく、今度こそはっきり頬が燃えた。
「……どうかしたかい?」
「い、いえ!」
 明らかに様子がおかしかったろう。ばくばくと心臓が煩くなる。
 このような状態で先生の前に居るのが恥ずかしくてならない。
「そう。そろそろ夜も更けたから、部屋に戻るかい。明日も寺子屋へ行くのだろう」
「あ、は、はい! では、これで失礼させていただきます!」
 渡りに船とばかりに金香はそれを受け入れ、自分の湯呑と、源清先生の湯呑も回収しておいとました。丁寧に扉を閉めて、まずは湯呑を洗うために厨へ向かう。
 夜は更けたがまだ寝る時間には早いために明かりのついている部屋が多かった。居間の前の廊下を通りかかる。
 暇のある者が好きに過ごしている居間には何人かがいるようで小さく話す声も聞こえてくる。楽し気な声だった。
 その居間の前はそのまま通過し厨に入って水を出した。
 ふたつの湯呑を洗う。
 一人になってほっとしていた。
 源清先生と過ごせることは楽しいけれど、同時にどうにも緊張してしまうものなので。
 今夜は余計にそうだった。
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