ケモノグルイ【改稿版】

風炉の丘

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【4】アトシマツ

4-5 合言葉

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「へえ、それがおじちゃんの本当の姿かい?」
「ふふふ、どうでしょうか」
 元より巨漢だったアンティは、更に倍の大きさになっていた。全身は禍々しく紫に染まり、背中からは巨大なコウモリを思わせる黒い翼が生えていた。そして額から二本の角が生え、耳や爪は尖り、口から牙がむき出し、全体的に刺々しく変貌している。だが、瞳を爛々と輝せながらも、その表情は穏やかで優しいままだった。
「ザック坊や、死なないでくださいね」
「おじちゃんこそ死ぬなよ。なんせ今どきは、勇者クラスのバケモノがゴマンといるからな。野薔薇ノ王国の王宮戦士は特にヤベェって話だぜ」
「分かりました。目を付けられないよう用心します。それでは!」
 魔王アンティは黒い翼を頭上へ広げると、大きく羽ばたく。瞬く間に巨体は天空へと舞い上がり、星々の中へ消えた。
「またな、おじちゃん。……って、感傷に浸ってる場合じゃねえな」
 いよいよ包囲網が動き始めた。飛び去る魔王に呼応したか、それとも準備が万端整ったか、あるいは夜明け前に決着を付けようとの腹積もりか。
 いずれにせよ、もてなさねばならないだろう。それこそ、命がけのもてなしだ。

 ザックは屋敷の正面玄関に戻ると、脇にあるブザーを押し、ドアを開ける。しかし屋敷内のホールが見えるだけで、これといった変化はない。
「あれ? 違ったっけか?」
 このブザーはジェイクがわざわざガングワルドから取り寄せたもので、オトギワルドでは珍しいが、ただの電気式だ。ただボタンを押しても、音が鳴るだけで意味が無い。
「ああ、いけねぇ。そうだった。合言葉がいるんだったな。チチンプイプイ ゴヨノオンタカラ……っと」
 “ひみつきち”と同じ合言葉を唱えてからボタンを押すと、ブザー音が歪むように変化しながら鳴り響いた。
 続いて敷地のあちこちで、複数のガソリン式発電機が動き出す。怪物の唸り声のような爆音が、屋敷中で鳴り響いてゆく。
 ザックが改めてドアを開けると、ホールは消え去り、代わりに延々と続く下り階段が現れた。
 この下にジェイクの遺産が、“ひみつへいき”が眠っているのか。
 ザックは下り階段に1歩、足を踏み入れようとして……
「ん?」
 すぐに、それが出来ないと気付いた。
「ん? ん? んんん???? なんだ? なんだこれ?」
 爪先だけではない。手も頭も体も入らない。入り口いっぱいに目に見えない壁があるのだ。
 試しにナイフを突き立ててみるが、何の手応えもなく、ただ切っ先が通らない。しかし小石を投げ入れてみると、すんなり通過し階段を落ちてゆく。どうやらガラスのような透明物質で覆われているわけではなく、呪術的な結界が貼られているようだ。
「一体全体どうなってるんだ? 兄貴の話じゃ、合言葉を唱えれば“ひみつへいき”の扉が開くって…」
 いや、扉自体は確かに開いている。もしかして、何か大事な忘れているのではないか?
 頭を抱えるザックの背後から、突然リン♪と鈴が鳴るような音がした。

 後を取られた……だとっ!?

 咄嗟に防御姿勢を取りながら振り返ると、ザックの目の前に、発光体が浮かんでいた。
 手の平サイズで幼い少女のような姿。背中から生えたトンボのような透明な4枚の羽。
 ベル妖精だった。
「へへっ、こりゃまいったね。どうにも邪気の無いヤツは苦手だぜ。殺気を向けられれば、どんなに遠くでも気付くんだが……なっと!!」
 ザックは左腕の仕込みナイフを素早く引き出すと、ベル妖精へ向けて…いや、正確には、ベル妖精の背後に向けてナイフを突き出しした。
 その瞬間、切っ先が激しい火花と金属音を発し、小さな何かが床石を貫いた。
 ザックはそのまま左手でベル妖精を掴むと、玄関の屋根を支える柱の影へと隠れる。少し遅れて遠くからパーンと乾いた音が響いて来た。
 針で突き刺すようなピンポイントの殺気。近くに人の気配はない。となると、超長距離からの狙撃と見て間違いない。そして切っ先が弾いた物は、音からして金属の粒。弓で飛ばせる距離じゃないし、魔法の形跡も感じられない。そんな武器と言えば……
 ザックには1つ心当たりがあった。
「なるほど、あれがライフルってヤツか。そんな名前の長距離武器がガングワルドにあるって、兄貴が話してくれたっけな。……ったくよぉ」
 安全地帯からターゲットを一方的に攻撃するライフルは、ナイフをこよなく愛するザックにしてみれば、『つまらない武器』だった。それに対策も難しくはない。ヘッドショットで脳みそをぶちまけても、高レベルの回復薬や魔法があればたちどころに治してしまう。ザックのように素早さを強化していれば、避けるのも受け流すのも容易だ。
 所詮ライフルなど、ガングワルドならいざ知らず、オトギワルドではただのオモチャでしかない。
 ……いや、少し訂正。ガングワルド製は何でも珍しい。だからライフルは、プレミア付きのレアなオモチャだ。実用性は無くとも、持ってるだけでハッタリは利くし、自慢も出来る。若造が粋がるにはうってつけかもしれないな。

 さて、どうしたものかと思案に暮れようとして……。ザックは左手の中でモゾモゾ動くベル妖精を思い出す。
「おお、すまんすまん。大丈夫だったか」
 手を開くと、可愛らしい少女が恨みがましくザックを見つめていた。銃撃が怖かったのか、掴まれて苦しかったのか、涙目である。
「悪かった。悪かったって。それで、お前さんのご主人様はどこだ?」
 野性のベル妖精は、人里離れた森の奧に群れで生息して、人前に出ることはない。しかし“使い魔”として非常に優秀であるため、魔道士が好んで使役している。人間社会で単独行動をするベル妖精がいるなら、どこかに使役した主人がいると考えるのが自然だ。
「今さら味方が出てくるとは思えねぇが、敵でもなさそうだな。誰がお嬢ちゃんをよこしたんだい?」
 すると突然、ベル妖精が喋り始める。外見通りの可愛らしい声だった。
「ミスターザック。この子に何かあれば、我が輩は会話が出来なくなってしまう。どうか大事に扱ってほしい」
 だが、物言いが大人びていて、会話の内容も第三者視点だ。彼女の弁とは思えない。
 まるで誰かの言葉を代弁をしているような…。

「もしかして、この子の主かい? で、お前さんは何者だ? オレに何の用だ?」
「我が輩は管理者。“ひみつへいき”の管理者だ。それとこの子はエコー・ベル。口のきけない我が輩の代わりさ」
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